ブックリスト登録機能を使うには ログインユーザー登録が必要です。
変身
 案の定、美保は怒り心頭だった。
 今は机に付属の椅子に座って、腕組みをしている。レティシアは床に正座だ。髪の毛は床についてしまっている。

「信じられない! あれが再会した妹にすること!?」
「ごめんなさい」
「ああ、もう別にいいわよ! ただ、これからどうするつもりなの?」
「……まだ信じてくれてる?」

 こういう場合、妹は不貞腐れてわたしの主張を聞かなくなることが多かったけど、とレティシアは不思議に思った。表情には出さないけど、傾げた首が全てを物語っていた。
 そんなレティシアを見て、美保は顔を赤くさせた。

「う、うるさいわね。流石にこの場面でそんなことを出来るほど私はガキじゃないわ」
「成長してる、の」
「お兄ちゃんは女の子になったけどね」
「うん」

 はぁ、と美保はため息をついた。
 やりにくい。どうやらこの美しい少女は兄のようだけど、姿も声も口調も違う上に性格まで違うときている。兄なら私が噛みつけば、しれっと言い返してくるはずなのに、それもない。
 信じてみたけど、信じられなくなりそうだ。美保はお人形さんのような兄を見下ろして、天を仰いだ。仰いでみたら、焦げた天井が目に入ってより憂鬱になった。

 どうやら魔法はあるみたいだけど。

「お兄ちゃん、私は一応信じることにしてみたけど、お母さんとお父さんはわからないわよ? 魔法は、確かに信じる証拠に一つになるけど、根拠足りえないわ」

 それは彼女自身も、まだ信じきれていないと言っているようなものだった。
 人の心の機微に疎いレティシアは、純粋に心配してくれていると思っている。
 その姿を見て、美保はまたため息を吐いた。

「大丈夫。変身魔法、使える」
「……ならなんで使っていなかったのかしら?」

 ぴくぴくと眦が動くのは彼女の怒りの前兆だ。使っていれば、こんな風にややこしくならなかったのに、とでも思っているのかもしれない。
 レティシアはもぞもぞとお尻の位置を動かしながら、小首を傾げた。

「……でも意識を失うと戻るの、忘れてた」
「アホォーー!!」

 美保は身体を俊敏に動かし手元の辞書を投げた。 
 が、レティシアは危なげなくキャッチする。

「たまには当たりなさいよ!」
「身体が勝手に」
「……バカ兄貴のくせに」
「妹がグレた」
「誰のせいよ! 誰の!」
「ん……お父さん?」
「あんたよ!」
「わたし色に妹が染まった」
「言い方がいちいち変態チックなのやめなさい!」

(というか当たったら普通の人ならわりと危ないと思う)

 妹がバイオレンスになったと嘆きながら、レティシアは憤る美保を横目に立ち上がって実演して見せた。
 変身魔法を。

 光に包まれる。じつはこの魔法はアースガルド時代一度も使ったことがなかった。それは変身魔法を使っている最中の弊害のせいだ。それがなければ、彼女レティシアは一日中その姿でいたかもしれない。 
 そのデメリットは現代日本ではそうでもないが、戦乱の世ではなかなかに厳しい。

 そして、数秒もしない内に光が晴れた。

「……おにぃ……ちゃ」

 中から現れたのは冴えない男子高校生だ。
 その姿は二年前にいなくなった彼女の兄で、彼女は涙をつつと流して口元を両手で覆った。

「……ただいま、美保。心配かけてごめんな。また会えて嬉しいよ。大きくなったな」

 ああ、兄だ。優しかった兄だ。二年前にいなくなって、探して、でも見つからなくて、悲しくて、切なくて、それでもずっと、ずっと会うことが出来なかった──大好きなお兄ちゃんだ。

 美保は再会の喜びと二年間の悲しみの記憶をない交ぜしながら、うん、うん、と頷いて涙をぼろぼろとこぼした。いつか泣きはらしたものと違う、とても暖かくて、幸せな涙だった。

 その間、誠は変身魔法の効果に驚いていた。話しやすいのだ。レティシアの時は喋ろうとすると言葉がつっかえて、例えるなら紡ごうとしたものがするすると独りでに解けていくような、とでも言うべきか。上手く口にすることが出来ないのだ。
 それなのに、この姿では言いたいことが言える。伝えたいことが伝えられるのだ。
 そう言えば、変身魔法は変身対象がいて、その人物を知っていれば口調や仕草を真似られるって聞いたことがある。自分に化けることなんているそうはない上、自分を失い性格が改変されてるなんて事例あるはずもないのでわからなかった。

 ただ副作用が副作用なだけに、誰も信用できなかったアースガルズではどちらにせよ使えなかったな、と誠は自嘲した。

 それにしても、と思う。美保をしっかりと見ると随分と変わっていることに気がついた。性格は素の性格を覆い隠している感が否めないが、しっかり櫛で梳かれた背中まである長髪に、どこか凛とした雰囲気すら醸し出す立ち姿。甘えたがりの妹が化けたものだ、と誠は感心した。
 もしかすると美保の成長を阻害していたのは自分かもしれないと、昔の自分がそれに気がつけば暫く立ち直れなかったな、と自己分析する。

 きっと彼女はこの二年、彼女なりにとても努力をしてきたのだろう。

「それに、とても綺麗になった」

 だから美保の容姿を褒めることになんの躊躇いもなかった。

「へ、へ、へぇ!? と、突然なにを言うのかしら!? べ、別にお兄ちゃんに褒めて欲しくて綺麗 になったわけじゃないし! いや褒めて欲しくない訳じゃないけど、むしろ褒めて欲しかったけど、じゃなくて! ぜ、全然嬉しくな、くはないけど、でも、その、う、うあぁあああ!」

 すると美保は涙を引っ込め、顔を赤くしたり青くしたり、ぶつぶつ聞こえないような言葉を喋ったり、頭を抱えてみたりと忙しなくなった。
 誠は自分で言ったことが原因だとは露ほどにも思わず、忙しそうだな、と見当違いなことを思う。

 だが暢気に構えていられたのもそれまでだ。



 美保はどうしていいのかわからなくなって、近場にあった二つ目の辞書を手に取った。
 それを照れ隠しで投げはなったのだ。

 その行為は一応、どうせ今の兄なら取れるだろうという前提があったが故に行われたことだ。普段の彼女ならそんな危険なことはよほどのことがない限りしない。

 そう、キャッチすると美保は思ったのだ。

 誠は迫りくる辞書に目を見開いた。こんなに速く辞書を投げられるんて、とオノノく。さっきの数十倍・・・は速いじゃないか、と。

 そう思考が回ったところで、ふと変身魔法の副作用を思い出す。

 ──そう言えば、変身中は魔法を使えず身体能力は限りなく制限されるんだっけ、と。
 それこそレティシアが変身魔法をアースガルズで一度も使わなかった最大の理由であり、変身魔法が効果の割に不人気な理由であった。
 一度も使わなかった癖に覚えてるのは、勇者の身体にほぼ全ての魔法が知識として与えられていたからだ。

 そうまで思い出した後、顔面に魔王との決戦の時に受けた最大魔法よりも遙かに強い衝撃を受け、二年振りのマトモな痛みに簡単に気絶した。

・・・・・・・

「……え?」

 焦ったのは美保だ。
 誠は迫りくる辞書に目を見開いたかと思うと──避けることなくそれを顔面で受け止めた。
 兄はそのまま後ろに倒れ、レティシアに戻る。そして死んだように微動だにしない。

「お兄ちゃん!?」

 美保は顔を真っ青にしてレティシアに駆け寄った。避けると思ったのだ。だって、さっきまで、そう思うがやってしまったことの言い訳にならないと泣きそうになりながらレティシアの顔をのぞき込む。

 顔にかかった長い金の髪の毛をどけると、その最高級の絹にも劣らない手触りに驚く。いつまでも梳いていたいと思ってしまう。
 いけない、と美保は顔をふりレティシアの顔をのぞき込んだ。外傷は、ない。息もある。美保はほっと息を吐いた。そして安心すると、気になるのは兄の容姿だ。
 眠っている今が好機と、無遠慮にまじまじと兄のあり得ないほど整った顔をのぞき込む。目を閉じていると本当にお人形さんみたいだ、と思う。
 これでも16年生きてきて、それなりに容姿が整っていると自負してきたけど、これと比べると自分はなんて不細工なんだろうと思ってしまう。
 顔にシミは一切なく、触ると吸いついてくる柔らかな白い肌は、それだけで暇を潰せるほど。閉じた瞼、鼻、口、耳、髪の毛、匂いすら、嫉妬することが馬鹿らしくなるほどの、神に選ばれたとしか思えない容姿。

 それなのに、どうしてだろうか。私はその姿がどこか造りものめいて見えてしまう。

 くだらない妬みだ、と美保はその考えを一蹴した。

「あれ? これ、なんだろう……」

 そうやって観察をしていると、美保は首筋に刻まれた紋様を発見した。ファッションとは思えない。というか、どう考えても今の兄には似合わないだろう。

 それに、これはなんというか、

 ──首輪みたいだ。

 瞬間、美保は毛穴がぶわっと開くような寒気を感じた。ばっ、と後ろを振り返るが、当然なにもいない。

 美保は気のせいだ、と思いこむことにして、まずは薄汚い貫頭衣を着替えさせることにした。



+注意+
・特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
・特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)
・作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。