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プロローグのプロローグ

彼女は物語を終えていない――
帰還
 朝日が昇って間もない時間、なんでもない家屋の一室に光る扉が現れた。いや、扉というのも烏滸おこがましい。三次元の世界に、二次元的に切り抜かれた長方形の光の渦。蜷局を巻いているそれは、この世のものではない異質さを呼び起こし、見るものに原始的な恐怖を与える。
 暫くすると、ドロドロとした光の水面に、石を投げ込んだような波紋が生まれた。すると小さな足が渦の中から現れた。それは地面があるかを確かめるように、なんども床を踏み固める。幾らもすると安心したのだろうか、体重をかけ、身体ごと渦の中から飛び出してきた。渦は静かにトポンと音をたてた。
 異質な渦はきっと、現れ出たものを確認するまでもなく名状しがたくおどろおどろしい化け物を、見るものに予測させる。
 ──だが、そこから出てきたのはなんの変哲もない少女だった。
 あえて言うなら、長い前髪で顔を隠し、薄汚れた貫頭衣を着ているのが異様と言えば異様ではある。しかしそれを除けば彼女はどこにでもいる少女に見えた。
 年格好は思春期の女の子と同程度。輝かんばかりの金髪も、今や日本では珍しいものではない。あまりにも普通。それ故に、怪しい。それ故に、未知のものであった。

 キョロキョロと挙動不審に周りを見渡すと、感動したように土足のまま彼女は部屋をくるくると歩き回った。カーペットが土にまみれようとも彼女はお構いなしだ。
 何年も使われてきたであろう木の机を愛おしそうに撫で回し、本棚の本を手に取って、無意味にめくっては戻し手に取った。電灯のスイッチを付けては消して。綺麗にメイクされたベッドの上でゴロゴロと転がる。

 そして彼女は棚の上に飾られた写真を手にとって、突然涙を流して崩れ落ちた。泣き叫ぶではない。ただ咽び泣いた。写真を胸に抱きながら、己の過去を振り返って、これまでの出来事を思い出して、今ここにいるという現実を実感して、ただただ声を押し殺すように泣いていた。

「帰っ、てきた……帰って、きたんだ……日本に……この世界に……わたしはぁ……」

 彼女、レティシア……いや、八角はちかど まことは帰ってきた喜びに打ち震えた。

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 レティシアは異世界人であって異世界人ではない。魂は日本人、生まれも育ちも日本。だが身体だけは異世界製。

 彼女は勇者としてアースガルズという名の異世界へ跳ばされ、二年間という月日とかけ、日本に帰還を果たしたのだった。

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 しかしながら、喜んでばかりいられないのも現状である。悲しいかな、彼女の心は激しい感動すら長く浸らせてはくれなかった。
 この部屋は八角誠の部屋である。もう二年も経っているはずなのに、何故か人の手入れが行き届いている。
 彼女はすっくと立ち上がると、物入れの中の鏡を手に取った。

「当たり前だけど、やっぱりこのまま……」

 鏡に写るのは長いストレートの金髪を持った女の子。毛先に行くほど軽く波打ち、扇状に広がっている。
 いや、そんなことはどうでもいいのだ。
 彼女にとって、それがそのままだということこそが大問題なのである。
 八角誠は金髪ではない。黒い髪を持った一般的な日本人だ。ロングではない。短かった。もっと言えば耳に髪の毛は掛かっていなく、襟足もしっかり刈られていて、有り体に言えば──八角誠は男なのだ。
 男なのに異世界で女にされ弄ばれ、解放された後は、本人は気付いていなかったが、ラブでコメりかけてしまったそれはそれは哀れな少年なのだ。残念なことに今では少女であることに疑いようはないのだが。


 小さいながらに胸もある、声だって誤魔化せない、前髪で見えていないがお人形と呼ばれたのも伊達じゃない。それ故に彼女は顔を隠すようになったのだけど。
 ──そうであれば、どれだけよかっただろう。レティシアは自分の考えを嘲笑ってしまった。

 これがどうして両親に会ってかつて居なくなったあなたの息子の誠です、と言って信じてもらえるだろうか。いや、もらえないに違いない。

 彼女は自分がこちらに帰還するために使った渦を閉じながら考えた。考えて、考えて、ふと閉じかけている光の渦が目に入った。

「……ん。魔法、使える……」

 この世界では魔法なんてなかったはずだ。なのに彼女は魔法を使っていた。
 これがどういう理屈かは分からないが、彼女はこれを好都合だと捉えた。魔王を追いつめるほどの魔法使いは伊達じゃない、男に変わる変身魔法なんてお茶の子さいさいだった。使ったことはないけども。
 彼女は意気揚々と写真の自分を見て、自らに変身魔法を行使した。

 果たしてその魔法は寸分の狂いなく成功した。光が収縮し、その中から冴えない日本人の少年が現れる。
 鏡を見て、彼女は珍しく口元を綻ばせた。その出来映えはまさしく記憶の中の自分を同一だったからだ。

 二年程度なら、全く変わっていなくてもなんとか誤魔化しがきく範囲である。彼女はそう思い、一応の安堵の息を吐いた。


 そして彼女、いや──彼は、数年ぶりの安眠に身を委ねた。

 行く先に波紋がいくら待ち受けていようとも、わたしは進まなければならない。だから今だけは──

 彼は悲痛な宿業を背負っている。それは他の誰にも背負うことはできない、一人で持つしかない、悲惨な、罪業だった。

 ただその前に、彼は変身魔法が意識を失えば解けるという初歩的なことを忘れていた。



 すやすやと金髪の布団に包まれ眠る姿は、アースガルドの世界の仲間すら見たことがないほどあどけなく、年相応の物だった。


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