3年前の浅田は「昔のような軽やかなジャンプを取り戻したい」と話していた。「そういうときもあったけれど、今は信夫先生と自分の理想を求めている」。コーチに言われなくても、米国大会のようにプログラムの流れを意識するようになった。
■良いときも悪いときも多くの応援
佐藤コーチは、何としてもトリプルアクセルを跳びたがる浅田を「まだ厳しい」と押しとどめてきたが、今季は初戦から「ゴーサイン」を出している。米国大会での挑戦も、無謀なものでなくなってきている。ただ、今回のフリーのように派手にトリプルアクセルを転ぶと、体力を奪われる。ジャンプは水もので、試合でどうなるかは分からない。「ミスしても滑り切る体力と、自分を保つ強さ」を課題としていたからだ。
浅田が今季限りで引退を決めているのは、フィギュア界で知れ渡っている。「あなたは小さいころからセレブでしょう。セレブであることに疲れた? それとも楽しんでる?」。外国メディアに聞かれると、「どっちも。大変なこともある。でも良いときも悪いときも、たくさんの人に応援してもらえてうれしいです」。
06年トリノ五輪からバンクーバー五輪までの4年間、浅田と金妍児という10代の少女が繰り広げた別次元の戦いは、女子フィギュア史上最もハイレベルで魅力的なライバル物語だった。
この年代で頭角を現しても、体形が変わったりケガをしたりプレッシャーに負けたりして、成績を落とすか、フィギュア界から消えてしまう選手が多い。しかし2人は一度も国際大会で6位を下回ることがなかった。大ケガもせず、驚異的な才能と精神力で駆け抜けてきた。
■「やってきたことを五輪で出したい」
金妍児をどう見ているのか――。日本人記者が聞きづらいことでも外国メディアはズバっと聞く。浅田は悠然と応えた。
「10年まではライバル意識があった。メディアもファンも注目していた。少し大人になって、そういう思いより、やってきたことを出したいなと思う」。本心なのは聞いていて分かった。
ここに至るまで、23歳にして乗り越えてきたものの大きさを思う。「またスケートが楽しくなってきた?」と尋ねたら、「う~ん、ふふふ~」と思わせぶりな表情で首をかしげた。10代のころは「スケートこそ、真央の人生」という感じだったのに……。
(原真子)
浅田真央、アシュリー・ワグナー、エレーナ・ラディオノワ、カロリナ・コストナー、金妍児
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