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【ウィルヘルムスバッド会議 カール、ヘッセン·カッセル方伯がイルミナティに加入することが決まった会議】

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上の絵は、1783年にアントン​​·ヴィルヘルム·ティシュバイン(1730年から1804年)によって描かれました。

城の廃墟の後方には温泉があり、手前右に6歳の息子ウィリアムとヘッセン·カッセルのウィリアム9世(1743年〜1821年)が描かれています。

ウィリアム9世はこの頃、ハーナウの公国の支配者でした。1785年に死亡した父フリードリヒ2世の後をつぎ、ヘッセン·カッセル方伯になりました。

1777年から1785年までの間、ハーナウ-ヴィルヘルムスパは人気のスポットでした。ここでは、1782年の夏( 7月16日〜8月29日)フリーメーソンの議会が行われました。

この避暑地でもある廃墟で、ヨーロッパ全体の高位フリーメイソンの方向性を厳密に審議した直後の絵です。

ヴィルヘルム城

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この温泉の近くにある廃墟になった城は1779年〜1781年に建てられました。

樫林に隔てられた人工島でしたが、欧州大陸で最古の城をイメージして構築された、手入れの行き届いた公園です。

実際、それは夏の離宮としてウィルヘルム、ヘッセン·カッセルに大変貢献しました。

一階と二階にはアントン​​·ヴィルヘルム·ティシュバインによって描かれた、祖先の肖像画と壮大なドーム型のホールがあり、エレガントなホテルを演出する為にわざと荒れ果てた塔が設計されました。

ウィルヘルムスバッドピラミッド
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敷地にはピラミッドもあり、ちょうど12歳の誕生日に亡くなっウィリアムの息子フリードリヒ9世に敬意を表し、1784年にフランツ·ルートヴィヒ·フォン·カネリンの設計により建立されました。

ウィリアム9世は、フリーメーソンはありませんでしたが、彼の兄王子カール、ヘッセン·カッセル方伯(1744年から1836年)がフリーメーソンでした。

カールは、会議の主な主催者で、グランドマスター「(マグナス・スペリオル・オルディニス、 'ステルラエビクトリア')二フェルディナンド、ブランズウィック - リューネブルク - ヴォルフェンビュッテル公爵(1721年から1792年)Illuminatus、1783年2月」の次の地位にありました。

ウィルヘルムスバッド会議中は、テンプル騎士団員の厳密な戒律遵守(ストリクトオブザーバンス)は表面上廃止されました。

ここでは二つのことが決まりました。

聖都、特にバーバリアンイルミナティに恵みを授けること。

ストリクトオブザーバンスのカール・フォン・ヘッセン-カッセルとブランズウィックのファーディナンド公爵の二人のリーダー、もちろんドイツフリーメイソンはイルミナティに加入することになりました。

彼らはこのウィルヘルムスバッド会議でイルミナティがヨーロッパ中で本当に偉大なパワーを待ち始めたと実感することになったのです。



以下は、集会に出席議員のリストです

・カール·フォン·ヘッセン·カッセル方伯(ステルラエ・レスルジェンテ・レオーネ)- Illuminatus 1783年2月、ブランズウィックの公爵の助手

・ヨハン·ヨアヒム·クリストフ·ボーデ(Lilio Convallium) - Illuminatus、1782

・エルンスト·ヨハン·フォン·フィルクス(アブ・アクイラ・ルブラ)とクリスチャン·フリードリヒ·フォン·ケスラーSprengseysen(スピーナ)の代表、ブレーメン、マイニンゲン

・エルンスト·フォン·トラーウゴット・コルトゥム(フォンテ・イリグオ):アロイス·フリードリヒ·フォン·ブリュール(グラディオ・アンシピティ)の代表

・ヨハン·フリードリヒ(フォン)シュワルツ(AB Urna) - Illuminatus、1783年3月、ドイツ語会議秘書のためのアーキビスト、フランツ·コンラート·フォン·Rhetz(Mergite)の会計、そしてブランズウィック、ハノーバー、ケーニヒスベルク、バタビアを表すロシアの兄弟

・インペリアル・カウント・アウグスト・ディートリッヒ·フォン·マーシャルBurgholzhausen(Thymalo) - Illuminatus;会議で司会

・フォン·ヤーン(Cancro Aureo)

・オットーフリードリッヒ·アドルフ·フォン·Köppern(Tribus Uvis) - Illuminatus、1783年4月、コペンハーゲン代表

・ヨハン・クリスト・フデルティンガー(metallis)、第8回省のグランド高官のための代表、エルンスト·フリードリヒヘクターFalcke - Illuminatus、1780年12月

・フランツ·クリスチャン・フォン・エクブレック男爵Dürckheim(AB ARCU) - Illuminatus、1784年5月、シュレスヴィヒの県を表す

・バロン·フランツ·フォン·ディートリッヒDitfurth(ABオモ) - Illuminatus、1781年4月

・ゲオルク·ハインリヒ·フォン·Rosskampf(AB EQUO Bellicoso)、シュトゥットガルトの代表

・Th.バウアー(Vomere)

・ヴォルフガング·フォン·ヘリベルトダルベルグ(ロッキングタナ)Illuminatus

・カール·テオドール·アントン·マリア·フォン·ダルベルグの兄弟 ミュンヘンの修道院代表

・カール·フリードリヒ·カジミール·ブント(laurea) - Illuminatus、1782 [実験心理学者ヴィルヘルム·マクシミリアンヴントの祖父];ミュンヘンを代表

・H.フォン·ハイデン(Cidonia)、フランクフルト代表

・アルバート·フォン·ゼッケンドルフ男爵(Capricornu);アンスバッハを代表

・カウントフランツ·ヨーゼフ·フォン·Kolowrat-Liebensteinsky(ABアクイラFulgente) - Illuminatus、1782年8月 ウィーンとトランシルバニアシビウ[エルマン]を代表

・カウント[後のプリンス]カール·ヨーゼフ祖ザルム-Reifferscheidt(AB Intacto Fulmine Laureo)、オーストリア国立ロッジを代表

・ヨハン・ユーバート・ボデッカー(ラピデCubico)、オーストリア国立ロッジを代表

・カウントポール・ザパリー(Gladio Hungarico):ポズナンとブダペスト

・カウントフランソワ=アンリ·ドVirieu(Circulis);デュークD'アーヴル - クロイ(ポルトOptato)を代表

・シュヴァリエガスパール·デSavaron(Solibus);地方ビジター一般;ライアンズとシャンベリの都道府県repesentingジャン=バティスト·Willermoz(AB Eremo); Cancellarius Provinciae;オーヴェルニュトレジャラーランベール·デ·リジュー(ABトゥーリアルバ)とCermonies、シュヴァリエ·ドRachais(レオーネstrenuo)のグランドマスターを代表

・フランソワ·マリー侯爵Chefdebien D'Armissan(Capite Galeato) - Illuminatus 1787 [ボーデによってほのめかし];モンペリエのグランド修道院を代表

・フリードリヒ·フォン·EilbertDürckheim(ABアベニュー)

・ヨハン·フォンTurckheimの(Flumine) - Illuminatus;フランス語のための会議書記、地方ビジター全般、ザールブリュッケンの県を代表

・Diethelmラーヴァーター(AB Aesculapio);ヘルヴェティアグランド前クリストフ·カイザー(AB Pelicanoの):チューリッヒの県のためにフリードリヒルドルフザルツマン(すなわちヘデラ) - Illuminatus:Austrasie [北フランス]のグランド修道院のトップ

・ベルンハルト·フリードリヒ·フォン·Turckheimの(Navibus)[以前に言及Turckheimのの弟];ストラスブールおよびアルザスの県のための交渉役

・サントリデラChappeのHenrière(Cruceのcaerulea):メッツとナンシーの都道府県学長

・セバスチャンジロー(Serpente); BernezzoでカウントガブリエレAsinari(ターレAurea)のと男爵J.からの権威をもって、イタリアのグランド修道院を代表Perosaデッラガンバ(Cruceのargentea)



【サン・ジェルマン伯爵 〜 ヘッセンの東方聖堂騎士団=テンプル騎士団(OTO)〜  アレイスター・クロウリーの黒魔術】


こんにちは、みなさん、アレイスター・クロウリーという人物をご存知でしょうか?

http://ja.wikipedia.org/wiki/東方聖堂騎士団

彼を崇拝するアーティストはジミーペイジ、デビッドボウイ、オジーオズボーンと多数います。

私はビートルズの大ファンなのですが、彼らの代表的アルバム、サージェントペパーロンリーハーツクラブバンドの表紙にも登場している悪魔主義者です。

後期のビートルズの曲を逆回転で聞くと悪魔のささやきと聞き取れる部分があります。

例えばレボリューションNO9を逆回転で聞くと、Turn me on,dead man,turn me on,dead man…
つまり、「死者を生き返らせてくれ・・・」と、ずっと唱え続けています。

(以下、Wikipedia等から抜粋)

自分を「獣666」──キリスト教時代に終わりをもたらす魔人だと確信していたアレイスター・クロウリー。

彼は第一次世界大戦を、「古い時代を破壊する血の洗礼」として歓迎したのだが、その後、もっと破滅的な世界大戦が訪れると予言し、自らは“邪悪な魔術”にふけるようになる。

このクロウリーが中心人物として立ち上がったのが、東方聖堂騎士団(とうほうせいどうきしだん、Ordo Templi Orientis、 略称 O.T.O.)

東方聖堂騎士団は、東洋のテンプル騎士団または東方の神殿の修道会という意味のラテン語を名称とする、20世紀初めに創設された国際的な友愛結社にして宗教団体である。当初はフリーメイソンを模倣したメイソン関連団体として設立されたものであるが、アレイスター・クロウリーの指導下で、「セレマの法」を中心的な宗教原理とする団体として再編された。1904年の『法の書』受信に端を発する「セレマの法」は、「汝の意志するところを行え、それが法の全てとなろう」[1]と「愛は法なり、意志の下の愛こそが」[2]の二文に集約される。多くの秘密結社と同様、OTOの会員制は演劇的儀式を用いた一連の位階儀礼による秘儀参入体系に基づいており、団員の結束を深め、精神的および哲学的な教えを伝授することを目的としている。

「アジア秘儀入門騎士兄弟会」

メーソン黄金薔薇十字団は伝説的な秘密組織であったにも関わらず18世紀にドイツに起こり、当時ドイツで最も重要なメーソン団となった「謹厳遵守テンプル騎士団(Templar Strict Observance)」の覚醒を促すこととなった。ここで我々は、この時代になるまで薔薇十字運動は未だ発見されずじまいの諸分派や小さな集団を発生させたのみであったのに対して、メーソン古代組織黄金薔薇十字団はその活動を立証する膨大な文書を残していることを強調しておかねばなるまい。更にこの組織は中央ヨーロッパに広く拡大し、プロイセンのフレデリック・ウィリアム王子(Prince Frederick-William)やロシアの大衆作家で博愛主義者であったニコライ・ノヴィコフ(Nicolai Novikov)などの数多くの著名な会員がいた。この組織は1787年に設立者によって解散させられたが、その後カール・ヘッセン=カッセル方伯(Charles of Hesse-Cassel)がグランドマスターであった「アジア秘儀入門騎士兄弟会」(Initiated Knights and Brothers of Asia, 1779)を生じさせる基となった。疑う余地なく、謎の人物サン・ジェルマン伯爵(Comte de Saint-Germain)はこの運動の一員であった。事実、サン・ジェルマン伯爵は1778年からカール方伯のもとに移り住み、カール方伯は伯爵の弟子となり後援者となったのであった。

謎の男サン・ジェルマンって誰??

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サン・ジェルマンは1766年、プロイセンの王フリードリヒ2世の庇護を受けるが、翌年にここを発ってバルト海に面したゴットルプに至り、ヘッセン (Hessen) の領主のもとに身を寄せた。1784年2月27日にこの地で亡くなったという。親しい関係を保っていたヘッセンの領主によれば、93歳であったと伝えられている。しかしこの死に関しては後述のように、さまざまな伝説がある。

サン・ジェルマンは前世の記憶とそれに関連する知識がある、あるいは、常軌を逸した長寿をもたらす秘薬を持ち、その結果2000年とも4000年ともいう驚異的な記憶を有していたといわれる。カナの婚礼やバビロンの宮廷を巡る陰謀などを語ることができた。哲学者ヴォルテールは1760年4月15日のフリードリヒ2世に宛てた書簡で、サン・ジェルマンについて「決して死ぬことがなく、すべてを知っている人物」であると書き、フリードリヒ2世も彼を「死ぬことのできない人間」と記している。ニコラ・シャンフォール (Nicolas Chamfort) によれば、サン・ジェルマンの使用人に「あなたの主人は本当に2000歳なのですか」と問うたところ、彼は「それはお教えすることができません。わたしはたった300年しかお仕えしていないのですから」と答えたという。

ポルトガル系ユダヤ人とも、ルーマニアのトランシルヴァニア地方にあるラーコーツィー王家の王位継承者王家に縁の人物(ただし、当時ルーマニアは国家としてはまだ存在していなかった)ともいわれ、自分の年齢を2000歳とも4000歳であるともし、ソロモン王やシバの女王と面識があったとも語っていたとされる。十字軍では、パレスチナにおいて、イングランド王リチャード1世とも会話したともいう。また「自分は不老不死なので、霊薬を口にする他は食事は必要としない」と言って、実際に人前では全く食事をしなかったとされる。

作曲家のジャン=フィリップ・ラモーは「自分は人生で何度かサン・ジェルマンに会ったことがあるが、数十年たっても、どれも同じ年齢のサン・ジェルマンだった。彼の存在は神秘そのものだとしかいいようがない」と記している。またセルジ伯爵夫人 (comtesse de Cergy) は同年、大使夫人時代にヴェニスで彼に会ったが、約40年後に再び会った際に全く年を取ったように見えなかったという。こうした証言は非常に多い。サン・ジェルマンは自らの姿を眩ますことができ、また催眠術を身につけていたとされるが、これがこうしたさまざまな噂の発端となっている可能性もある(当時、催眠術は夢遊病や動物磁気による催眠現象に結びつけて考えられていた)。

なおサン・ジェルマン研究家によると、サン・ジェルマンは1984年から日本に滞在しているという。


このサン・ジェルマンはヘッセン・カッセルと接触していた。


しかも最期をヘッセンの領土で迎えている。

カール・ヘッセン=カッセル方伯(Charles of Hesse-Cassel)がグランドマスターであった「アジア秘儀入門騎士兄弟会」と「東方聖堂騎士団」は同一の物ではないでしょうか?

その後、何代か引き継がれ、アレイスター・クロウリーに繋がる。

彼の死後、いろいろありながらも、2005年には Fr. Hyperion X°が、新しく設立されたイギリスのグランドロッジのグランドマスターに就任。Fr. Shiva X°は2006年にオーストラリア・グランドロッジのグランドマスターに就任している。

そして日本にもOTO「東方聖堂騎士団」が存在する。

東京支部 http://www.otojapan.org/nihil/

大阪支部 http://www.otojapan.org/sgn/

OTO成立の過程に関与した団体には・・・

・グノーシス・カトリック教会
・聖霊の騎士団
・光明団(イルミナティ)
・聖堂騎士団
・聖ヨハネ騎士団
・マルタ騎士団
・聖墳墓騎士団
・聖杯の隠れたる教会
・光のヘルメス的兄弟団
・聖なるヘレドムの薔薇十字団
・聖なるエノクのロイヤル・アーチ団
・メイソンリーの古代原始儀礼(33位階)
・メンフィス儀礼(97位階)
・ミツライム儀礼(90位階)
・メイソンリーの古代公認スコティッシュ儀礼(33位階)
・メイソンリーのスウェーデンボルグ儀礼
・マーティニスト団
・サト・バイ団

すごい団体ばかりです。

もう一つ。2012年のロンドンオリンピックの閉会式は完全にアレイスター・クロウリーの影響だといわれています。この閉会式にはクロウリー崇拝者であるジミーペイジが出演しています。

こんなビデオを見つけました。

「ロンドン五輪閉会式、東方聖堂騎士団の悪魔の儀式」

http://www.youtube.com/watch?v=_M72LN8AmwM

芸能界で活躍する為には、悪魔との契約をしなければなりません。

レディーガガもブラッドピットもみんなそうです。

マイケルジャクソン、ジョンレノンは途中で逆らって殺されました。


さて、サン・ジェルマン伯爵ですが、アメリカの1ドル札のピラミッドのデザインを薦めたのも彼らしい。


ナポレオンの前に現れ「君に与えられた使命を、君は果たしていない。恐怖政治を終わらせると同時に、ヨーロッパに近代化の息吹を吹き込み、封建的な社会構造を変革するために与えられたパワーを、君は自分の虚栄心と権力欲のために使ってしまった。自らを“皇帝”と名乗ったときから、君の堕落は決定的なものとなったのだ。しかし、3か月だけ猶予を与えよう。その間にそれを果たすことができないなら、私は同盟国と手を結ばなければならない!」

実際にその3ヶ月後にナポレオンは帝国を失っている。

この話から、サン・ジェルマンは正義の味方のようである。

ということは、サン・ジェルマンはヘッセンに会い、平和の為に魔術、特に錬金術を教えたのでしょうか?

しかし、ヘッセンはこれを悪用し東方聖堂騎士団を間違った方向に発展させた。

それがアレイスター・クロウリーの時代まで引き継がれ、彼の死後も継承され現在に至る。

まあ、現実離れした話ですが、事実は小説より奇なりということわざもあるのでね。

長くなりましたので今回はここまで。

自分で書いてて「それは無いだろ!」と突っ込みを入れますた。




【私たちはコミュニストに騙されている 嫌中韓を煽る日本の支配者】

【私たちはコミュニストに騙されている 嫌中韓を煽る日本の支配者】

こんにちは

わたしは、中国と韓国が嫌いです。

このブログでも何回か書いてきました。

しかし、中国人と韓国人の友達がいます。

個人、個人は嫌いでは有りません。

何が言いたいかというと、日本人はろくに中国人も韓国人も知らないくせに、

メディアがわざと作ったイメージを嫌っているのです。

確かに、日本国内の在日や、観光で来ている中韓人はうるさいのですが、これは彼らが何を言っているか分からないので、言語の問題です。

それと、文化の違いです。

彼らは自己主張しないと損をするような文化が背景に有ります。

フィリピン人も非常にうるさいです。

彼らも大きな声を出さないと埋もれてしまうので、大きな声で話します。

どの国籍の人も、人間は集団で異国に入ると、周囲と異質な存在になるのです。

日本人でも集団でフィリピンに入れば、異質な存在になります。

このような感情をうまく利用し、日本、中国、韓国、各国のメディアが偏見報道を繰り返すと、知りもしない相手を仲違いさせることが出来ます。

今、ヨーロッパの歴史を勉強していますがそれどころでは無かった。

神性ローマ帝国の崩壊と同じ手法で今、世界中が戦争の危機にあると。

今起こっている問題の原因を解明できた感じ・・・

当然、中韓を嫌うように仕向けている連中のルーツはヨーロッパに有る。

同じ方法で仲違いさせている日本国内の勢力について追求しないと手遅れになります。

コミュニストという存在。

これって、どのように定義したら良いのでしょうか?

富が偏る資本主義に対抗して、富が平等に分配される理想的なシステムなのでしょうか?

もちろん違いますね。

実はものすごい悪の存在なのです。

コミュニストは、他国の革命運動、敵対企業の弱体化(組合活動)等を使命としています。

マルクス、レーニン主義、チェコ秘密警察、イルミナティ、フリーメイソン、ナチスト、シオニスト、アーリア民族至上主義者・・・

どれもこれも同じ範疇に括るには矛盾しているようですが、これらはすべてコミュニストの一部なのです。同一の目的で、同じ連中が創ったものなのです。

これら背反する主義思想を世界に蔓延させ、対立、混沌、無政府状態を作り出し、民衆に「世界統一政府しか解決策はない。」と思わせ、千年王国の再来を目指すというのがコミュニストの至上命題です。

見えてきましたね。

日本、韓国、中国の愛国心を利用されています。

最も身近な存在。

テレビ、新聞、ネット(ネトウヨ)、右翼(在日韓国人)等々・・・

チャンネル桜、三橋貴明、中野剛志、上念司、藤井稔、いま人気の嫌中韓な連中、怪しいな。


最も遠い存在、財閥のような存在、神様のような存在・・・


鳩山が「日本は日本人のだけものではない」と言いましたよね。


私たちの子孫を、無駄な戦争で死なせないように、もっと勉強しなくてはいけません。


それでは。


【善悪とは紙一重、表裏一体】


実は私は非常に危険な性格の持ち主です。

悪魔スイッチが入れば、人を酷く傷つけるのです。

小学生の頃から、年上だろうが、女の子だろうが、キレたら迷わず殴ってきました。

おやじは事業家でしたが、才能は有ったのですが、浪費家でした。

うまくいってもすぐ夜遊びに使ってしまいます。

親父は酒浸りになって、生活費を稼ぐ為におふくろが水商売に働きに出ていました。

当然、朝帰りになりますから、毎朝、喧嘩していました。

それがすごく悲しかったのです。

酷い時は、近所の大人に対しても暴力を振るいました。

家族にも容赦なく暴力を振るいました。

父親がニュースを観ているときにうるさくしたので、父親に水をかけられました。

反射的に父親を殴り、押さえ込み、膝蹴りを入れる寸前でやめました。

あの時の私は、すべての怒りを出すことで、それが最高の喜びだったのでしょう。

きっと、怒りにエクスタシーを感じていたのでしょう。


私だけなのかもしれませんが、悪魔が姿を現すと、これが私自身なのだと確信したものです。


大人になり、自分は身長が低いので、今までのように喧嘩をすることはなくなりました。

もし体格が良かったら、今頃、刑務所の中にいたことでしょう。


今は妻子持ちの普通のオッサンです。

たまにキレますが・・・


このように、人間には常に悪が存在しています。


しかし、悪のままでは生きて行けません。

翌日には殴った相手に謝罪します。

なにしろ、殴られた方よりも殴った方が痛いのです。

精神的にも拳にしても。

悪に傾けば、それを反省し、善が生まれます。

善をやりすぎれば、理解されない不満から、いつかキレて悪を生みます。


人間はどちらも兼ね備えている存在なのです。


ロスチャイルド、ロックフェラーを知らなかった時代、私は幸せでした。

資本主義の物質社会で欲しいものを手に入れて、馬鹿なことをやってましたから。

彼らからもらった幸せも有るのだなと思います。

それで、やはり世界の支配者たちがどうしてこんなんなのか考える訳です。

昔、ヨーロッパの封建制度では、農奴という人達がいて、地主の束縛から解放されなかった訳です。

一部では、農奴が結婚する時は、その地主が花嫁と一晩過ごすというしきたりが有ったぐらいです。

これはたまりませんよね?

ところが、ヨーロッパに予期せぬことが起こります。

ペストの大流行です。

これで農民の大多数が死んでしまったのです。

すると農地で働く農奴の供給が不足します。

必然的に農奴の賃金が上がり、儲けを出した農奴は独立し自家農園を持つようになります。

商業が発達し、農奴でもお金で楽しい生活を送れるようになりました。

お金が農奴を奴隷から解放したのです。

ですので、私も含めて、お金が悪だというのは間違いです。

お金は悪ではなく、それを理解していない私たちが間違っているのです。

仮に、全人類が、株式市場の仕組みや、中央銀行に仕組みを理解したら、奴らもあんなことはできないのではないでしょうか?

すべてとは言いませんが、50%は私たち自身の無知なのではないでしょうか?

それでは

【TPPで潰される農協と新たな敵 どちらからも支配されない為には?】

こんにちは、今回はJA=農協についてです。

JA=農協は今、存続の危機にあります。

新たな外敵である、グローバル企業に市場を支配されそうなのです。

私たちは農協がどんな組織なのかあまり理解していません。

農協とは、農家を助ける共同組合と考えてはいけません。

実はその逆で、農家を牛耳り、苦しめる存在なのです。

さらには農協を動かしているのが日本の支配者、渡来人という存在なのです。

JAグループは①代表機能・指導事業、②経済事業、③信用事業(金融)、④共済事業の4つに分かれています。

②の経済事業の取扱高は4兆2000億円。③の信用事業の取扱高は88兆2000億円。④の共済事業は47兆6000億円と、ほとんどが農業と関係のないの無い事業で運営されているのです。

さらに、②の経済事業とは、農業関連事業と営農指導事業のことですが、これらの収支は1,941億円の赤字です。

農協を支えているのが、金融と共済事業から得られる3,668億円の収入なのです。

しかも、農業に従事する正会員よりも、地域の非農業者会員の方が多いのです。


そればかりか、江戸時代の悪代官顔負けの農家いびりや詐欺行為を働いています。


下記は週間プレジデントの記事からの抜粋です。

成長を制御するJA(農協)

農家よりも組織維持を優先 高米価にしがみつくJA

「われわれ農家が良いものを作ってもJAは横取りしていく」
沖縄県・石垣島で農業生産法人ゆいまーる牧場を経営する金城利憲氏は、JAから受けた行為に対し、怒りをあらわにする。
金城氏が育てているのは「石垣牛」。松坂牛や前沢牛などで知られるブランド牛の多くは、実は石垣島及び周辺の離島の子牛を肥育したものだ。金城氏は約17年前から石垣島で飼育し石垣牛のブランド化に奔走してきた。そして2000年に開催された沖縄サミットの晩餐会において、石垣牛が各国首脳に振る舞われ、好評を博したことから、人気に火がついた。その金城氏がJAと対立する出来事が起きたのは、08年4月のことだった。

JAおきなわが石垣牛を地域団体商標として登録。その結果、金城氏は複数の取引先から「JAが認めない石垣牛は買えない」として、取引を打ち切られてしまった。

石垣牛の商標を使うにはJAから飼料等の農業資材を買わなければならない。しかし、JAの飼料価格は輸入飼料の3〜5倍と高く、そんなコストをかければ農家の収入は出ない」(金城氏)という。

JAによるブランドの独占はこれだけではない。

琉球在来種の黒豚「アグー豚」でも、同様のことが起きている。アグー豚は、一時はほぼ絶滅したが、戻し交配により復活した。昔ながらの放牧で育てる為、大量には肥育できず、その希少性と脂身の甘みなどから幻の豚として美食家たちに人気だ。ところがJAおきなわは1996年に「あぐー」の商標権を取得。「アグー」や「AGU」などの類似名称も、JAおきなわと商標使用承諾契約を結ばない限りは使用できなくなってしまった。なお、JAおきなわがいう「あぐー」とは、アグー豚の血液(オス側)50%以上有する豚のこと。父親はアグー豚だが、母親は一般の西洋豚というハーフであり、肥育はしやすいものの、本来のアグー豚ではない。実際、アグー豚は「黒豚ではなく、白やまだら模様の豚が多い」という。

この”白いアグー”が大量に出回る一方で、JAのやり方に異を唱え、本来のアグー豚を生産する農家が「アグー」を名乗れないという状態にある。「今のままではアグーのブランドが失墜しかねない」と懸念されている。

(抜粋終わり)

疲れたので、高米価については簡単に書きます。

JAは農家からあずかった米を売りますが、米需要が低迷しており、米の価格を高く維持しないと売上が確保出来ないため、JAからの自民党農林族への組織票と引き換えに農水省が予算を獲得するという構造があります。

ここまで読んでいただいただけで、すでにJA=農協は廃止すべきだと思いませんか?

農家の邪魔をしているだけですよね?

これを破壊してしまうのがTPPです。

まあ、悪者が去って、違う悪者が来るだけなのですが。

日本社会に定着したこのような構造を日本人が壊せないのは悲しいですね・・・

ここでは詳細は書きませんが、日本は古代ユダヤ系の渡来人により運営されています。

これは事実です。

さあ、既に農協に支配されている日本の農業。

そこにやってくるであろうモンサントに代表されるグローバリスト。

農協の既得権を破壊し、グローバリストに軍配が上がるでしょう。

皮肉なことに、グローバリストもユダヤ系の末裔です。

ははは、ウケます。


どうやったら彼らの支配から解放されるのでしょうか?


答えは簡単です。

食料の自給です。

もっと簡単です。

F1種でない種を使った家庭菜園です。

各家庭が家庭で水耕栽培したり、小さな菜園を持つのです。

それだけでは充分ではないでしょう。

企業はどうでしょうか?

企業が農業をしてみてはいかがでしょうか?

すでにカゴメ、カルビー、ローソン、伊藤園、サイゼリアといった企業が農園を持っています。

我が社のような中小企業でも、農園を持つぐらいの資金はあります。

技術の問題は専門家を雇うことで解消されます。

社員にグローバル企業よりも安いで価格で販売すれば、彼らは何も出来ないでしょう。

それでは。


【何が自由シリア軍? 彼らはただの殺人外国人部隊】

今、シリアで行われていることは、虐殺以外の何者でもない。

日本もかつて朝鮮半島、中国でこれと同じ、いや、それ以上の泥棒を働いていた。

戦争とは、真っ正面からの窃盗行為なのである。

国家の威信とか、尊厳とかではなく、中央にいる人々の強奪行為に過ぎない。

いま、シリアで行われている行為は、外国人部隊=プライベート・ミリタリーが性欲のまま金銭欲のまま、そして悪魔の誘惑に負けてやっている行為であり、同時に悪魔のいいなりになっている哀れな人間なのである。

僕らはリビアを、イラクを見て来たではないか。

何故、未だにこれが続くのか、私には理解が出来ない。


聖書に書かれた事柄が今もそのまま続いているのである。


人間は、何を求めて、罪の無い人々を殺すのか?

私は許さない。

決して、小さな存在でも、私には力が有る。

出来ないと思われることも成し遂げられる。

私たちは、私たちの力に気がついていないだけなのだ。




【イエズス会を調べていたら 薔薇十字団が引っかかる】


(Wikipedia抜粋)

1614年に神聖ローマ帝国(ドイツ)のヘッセン=カッセルで刊行された怪文書『全世界の普遍的かつ総体的改革』とその付録『友愛団の名声』で初めてその存在が語られ、一気に全ヨーロッパで知られるようになる。フランセス・イェイツによれば、この背景には薔薇すなわちイングランド王家を旧教、ハプスブルク皇帝家の支配からの救世主として迎え入れようとする大陸諸小国の願望があったという。なお、前述の怪文書の刊行から4年後の1618年にドイツを舞台とした宗教戦争である「三十年戦争」が勃発している。

始祖クリスチャン・ローゼンクロイツ (Christian Rosenkreuz) の遺志を継ぎ、錬金術や魔術などの古代の英知を駆使して、人知れず世の人々を救うとされる。

クリスチャン・ローゼンクロイツ(Christian Rosenkreutz,1378年-1484年)は、ヨーロッパ中世の伝説上の魔術師である。


古代の英知を守り伝え、人類を正しい方向に導くため密かに活動しているとされる薔薇十字団の開祖とされている。 ローゼンクロイツの生涯は、ドイツの聖職者であるヨハン・ヴァレンティン・アンドレーエの作とされる『化学の結婚』や、1614年頃にドイツで書かれたパンフレット『薔薇十字団の名声』、翌年には『薔薇十字団の告白』に語られている。

それらの資料によればローゼンクロイツは、ドイツのブロッケン山近くの貧乏な没落貴族の家系に生まれ、修道院で育ち、後に薔薇十字団をともに結成することになる3人の盟友と知り合ったのも、このときである。16歳になるとエルサレムへの巡礼に向かうが、その途中、アラビア半島の賢者について耳にし、現在のイエメンにあるダムカルに向かい、ダムカルの賢者たちは、ローゼンクロイツのことを、長いこと待ち望んでいた人物として手厚く迎えたという。

ローゼンクロイツはダムカルで、アラビア語、数学、自然学を学び、奥義書『Mの書』と呼ばれる書物をラテン語に翻訳、その後モロッコのフェズで四大精霊人と呼ばれる人物と出会い、多くの知識を得た後ドイツに帰国し3人の盟友に4人の仲間を加え薔薇十字団を結成。

ローゼンクロイツは106歳で死亡したが、死後120年を経た1604年、ある会員が彼の秘密の墓に通じる隠し戸を偶然発見し、中に入ると、七角形の埋葬室の天井には永遠に消えることのないランプが輝き、ローゼンクロイツの遺体は腐らずに完全なままに保たれていた上、「我は120年後に蘇るであろう」と記された碑文も発見されたという。

(抜粋ここまで)

古代グノーシス派や、古代キリスト信仰の一端を、受け継いで来た集団です。

16歳の時に神の啓示を受け、聖地エルサレムを目指すのですが、その途上、カバラや錬金術、スーフィズムなどの神秘学の奥義に通じた賢者が集うという神秘の都市、ダムカルを知り、苦難の末、アラビアの某所にあるというその都市にたどり着き、彼らから東方の聖なる秘密の知識や奥義書『Mの書』を授けられ、これらの解読に没頭。

その後、精霊(宇宙意思)との交信、テレポーテーションや心霊治療、予知、予言、透視などの驚くべき知識を吸収した彼は、ドイツに戻り理想社会を説くが、彼の主張を理解し、受け入れる者はわずかだった。そして時期尚早(しょうそう)と知ると、7人の弟子の育成に当たる事にした。

彼の死後120年を経て、その活動拠点であった「精霊の家」の隠された小部屋から結社員によって発見された彼の墓所には、永久運動による人工太陽をはじめ、様々な精密機械があり、「我は120年後に再び蘇(よみがえ)るであろう」という予言碑と共に、全く腐蝕していない彼の遺骸が発見されたという。

その不死のグループが今も世界各地に散り、ある者達はチベットの奥所にこもって修道を続け、ある者は結社を組織してその奥義を密かに伝え続けているとも言われている。


んんん・・・また出ました、ヘッセン=カッセル


もしかしたら、すべてここから派生してる??




【イギリス皇室はマウントバッテン・ウインザーとなる ヘッセン家(傭兵産業)の支流の血筋】

こんにちは、

今回はヘッセン家の歴史について勉強した方が良いとのことで、分かってきたことを書きます。

ヘッセン家とは傭兵を送る民間軍事ビジネスで儲けてきた一族のことです。

要は、自国民を傭兵として他国の戦争に貸し出し、儲けていた一族です。

今の現在のブラックウォーター(現在はXeに改名)と同じ、殺人奴隷産業ですね。

どうやら、このヘッセンの血筋が、イギリス皇室と繋がっているようなのです。

素人の調査なので、間違えているかもしれませんが・・・


■イギリス王室は他国の王族との婚姻で家名が変わる。

次世代からは、マウントバッテン・ウインザーとなることが決定している。

マウントバッテンはドイツ語のバッテンベルクの英語読み。


■バッテンベルク家とは

バッテンベルク家(Battenberg)は、ドイツのヘッセン州を発祥とするヨーロッパの貴族、君主の家系。ヘッセン家の支流に属し、ヘッセン=ダルムシュタット方伯、後にヘッセン大公の家系となったヘッセン=ダルムシュタット家の分家である。バッテンベルクの名はヘッセン大公の邸宅の一つがあったバッテンベルク (エーダー) に由来する。

ヘッセン大公ルートヴィヒ3世が弟アレクサンダー大公子の妻ユリア・テレーザ・ハウケ伯爵夫人にバッテンベルク侯爵夫人(Prinzessin von Battenberg)の称号を与えたのが始まりである。ユリアの父ヤン・マウリツィ・ハウケ伯爵はロシア領ポーランドの軍人として活躍し、皇帝ニコライ1世によってポーランド立憲王国の国防副大臣に任命され、伯爵に叙されていたが、この結婚は貴賎結婚とされた。アレクサンダーとユリアの子供たちにはバッテンベルク侯爵(夫人)の称号が与えられたが、ヘッセン大公家の継承権は与えられなかった。

アレクサンダーとユリアの長男ルートヴィヒ・アレクサンダーはイギリスに帰化し、ルイス・アレグザンダー・バッテンバーグと名乗っていたが、第一次世界大戦中にイギリスでの反ドイツ感情から、英語風にマウントバッテン(Mountbatten)と改姓した。ルイス・アレグザンダーは初代ミルフォード・ヘイヴン侯爵に叙されている。


■バッテンベルク家の人物

ルイス・アレグザンダー・マウントバッテン(1854年 - 1921年) 初代ミルフォード・ヘイヴン侯爵、イギリス海軍士官

アリス・オブ・バッテンバーグ(1885年 - 1969年) ギリシャ王子アンドレオス妃

フィリップ・マウントバッテン(1921年 - ) エディンバラ公、エリザベス2世王配

チャールズ・マウントバッテン=ウィンザー(1948年 - ) イギリス王太子、プリンス・オブ・ウェールズ

ウィリアム・マウントバッテン=ウィンザー(1982年 - ) イギリス王子

ヘンリー・マウントバッテン=ウィンザー(1984年 - ) イギリス王子

アン・ローレンス(1950年 - ) イギリス王女

アンドルー・マウントバッテン=ウィンザー(1960年 - ) ヨーク公爵

エドワード・マウントバッテン=ウィンザー(1964年 - ) ウェセックス伯爵

ルイーズ・マウントバッテン(1889年 - 1965年) スウェーデン王グスタフ6世アドルフ妃

ジョージ・ルイス・マウントバッテン(1892年 - 1938年) 第2代ミルフォード・ヘイヴン侯爵

ルイス・フランシス・マウントバッテン(1900年 - 1979年) イギリス海軍元帥

アレクサンダル・バッテンベルク(1857年 - 1893年) ブルガリア公

ヘンリー・オブ・バッテンバーグ(1858年 - 1896年)

アレグザンダー・マウントバッテン(1886年 - 1960年) 初代キャリスブルック侯爵

ヴィクトリア・ユージェニー・オブ・バッテンバーグ(1887年 - 1969年) スペイン王アルフォンソ13世妃

フランツ・ヨーゼフ・フォン・バッテンベルク(1861年 - 1924年)


■ヘッセン家について

ヘッセン家の祖はネーデルラント(現ベネルクス)出身の、9世紀にさかのぼる古い家柄である。13世紀に中部ドイツのテューリンゲンに領土を獲得し、分家としてヘッセン方伯家が誕生した(ヘッセン家以外は断絶している)。
 16世紀のフィリップ1世・デア・グロスミューティゲはザクセン選帝侯とともにルター派の領袖として活躍した。その子から幾多の家系に分裂しているが、大きくはカッセル系とダルムシュタット系に分けられる。

 ヘッセン=カッセル方伯系は、さらにヘッセン=ラインフェルス方伯家、ヘッセン=フィリップスタール方伯家、ヘッセン=ルンペンハイム方伯家などに分かれながら、ナポレオンによって選帝侯とされる。以後、もはや選挙すべき皇帝のいないドイツで唯一の選帝侯として生き残った。国民を傭兵として貸し出して宮廷費を賄ったことで有名。
 1866年、プロイセンに併合される。ヘッセン=カッセル選帝侯家は現在断絶。ルンペンハイム系とフィリップスタール系が存続している。

 ヘッセン=ダルムシュタット方伯家は、ロマーノフ家とのつながりもあってナポレオンによって領土を大幅に拡張し、大公に格上げされる。現在断絶。
 分家のヘッセン=ホンブルク方伯家は、1866年にプロイセンに併合される。現在断絶。
 もうひとつの分家バッテンベルク侯家では、皇帝アレクサンドル2世の妃マリーヤ・アレクサンドロヴナの甥アレクサンダーが、そのつながりからブルガリア公に推された。しかしすぐに公位を失う。その兄弟はイギリス人となって家名をマウントバッテン(バッテンベルクを英訳したもの)と改名。エリザベス2世の夫君エディンバラ公フィリップがマウントバッテンを名乗るのは、母方の姓。

いかがでしょうか?

ヘッセンについて、あまりWEBで書かれていないのですが、今後も調査を続けます。

以下は、米国独立戦争の時にヘッセンがイギリスに対して大量のドイツ人を貸し出した契約書です。
もし、部隊が損失を受けた場合、賠償金が発生することになっています。

これで儲けていたといわれています。

それでは


イギリス・ヘッセンの傭兵条約(1776)

1775年4月にアメリカ独立戦争が勃発.イギリスは反乱鎮圧のために送る軍勢をヨーロッパ諸国に求めた.しかし,ロシアやオランダとの交渉は不発に終わり,国王ジョージ三世はハノーヴァー(ジョージ三世はハノーヴァー選帝侯でもある)の兵をジブラルタル守備隊として送り,ジブラルタルにいたイギリス兵をアメリカに送った.さらにブラウンシュヴァイク公,ヘッセン・カッセル方伯と兵の提供条約を結んだ.ここに訳出するのはその後者である.

なお,背景やその内容については The Hessians に詳しい.

イギリス・ヘッセンの傭兵条約(1776)

英国国王陛下は現ヘッセン・カッセル方伯殿下の兵一万二〇〇〇の部隊を軍務に用いることを希望し,陛下にいたく愛情を抱く方伯もその愛情の証を示すことを何にも増して望んでいることから,陛下は同盟に関するこの件をとりまとめるため,カッセルに全権使節にして陛下に仕える大佐ウイリアム・フォーシット卿を遣わすことを適当と考えるに至った.殿下のほうでは同じ目的のため国務大臣にして中将,勲爵士団の騎士マルティン・エルンスト・フォン・シュリーフェン男爵を指名した.この両名は,必要な全権委任状を携え,以下のことに合意した.先に大ブリテンとヘッセンの間で締結された諸条約が本条約の基礎となる.現状況に適応できる限りにおいてそれを採用し,あるいは別の取り決めが必要な点については新たな条項によって決定するためには,すべてのことは,別の規定がされるべきではなく,前述の条約の文面において宣されているとおり完全な効力をもって存続する.さらに,すべての個々の場合を述べることはできないが,本条約でも先行する諸条約でも厳密な規定がない件についてはすべて公正と信義に基づいて先の戦争中,戦後を問わずそのようなすべての場合に対処する際に取られるものと双方の間で合意されたのと同じ原則に従って決着されるべきである.

第一条〔友好〕
英国国王陛下とヘッセン・カッセル方伯殿下,そしてその世継ぎと継承者との間の本条約の効力により,緊密な友好関係,誠実で確固として変わらぬ結びつきが存し,互いに相手の利益を自らのものと見なすこととし,信義をもってそれを最大限に追求し,あらゆる困難,損害を互いに防ぎ,避けるべく尽力するものとする.

第二条〔旧条約の確認〕
この目的のため,次のことが合意された.以前の主として保証のためのすべての条約は本条約によってそのすべての点,条項,節において更新され,確認されたものと見なされ,本条約によって取り消されているのでない限りここに一字一句挿入されているのと同じ効力を有するものとする.

第三条〔部隊提供の内容と日時〕
英国国王陛下のための軍務につくことになる一万二〇〇〇のヘッセン兵部隊はグレナディエ四個大隊(各四個中隊よりなる),歩兵十五個大隊(各五個中隊と追撃兵二個中隊よりなる)からなり,その全体には将およびその他の必要な士官が付けられるものとする.この軍団は完全に装備され,テントその他必要とされるあらゆる装具も給されているものとする.一言で言えば,可能な限り最善の状態である.そして軍務に適し,英国国王陛下の兵站将校によって認められた者のみが登録されるものとする.以前はまず条約の調印が行なわれ,その後少しして部隊への移動命令の期日となるのが通例であった.しかし,目下の状況においては時間を無駄にできないため,本条約調印の日をもって移動命令の期日と解されるものとする.グレナディエ三個大隊,歩兵六個大隊(追撃兵一個中隊を含む)は二月十四日に英国国王陛下の兵站将校の閲兵を受けられる状態になるものとする.そして翌二月十五日には出港地に向けて移動を開始する.残りも可能なら四週間のうちに準備を整え,同様に出発するものとする.この軍勢は戦争遂行上の必要でない限り分離されないものとし,方伯殿下から指揮権を託された将の命令下にとどまるものとする.また第二陣は作戦が齟齬をきたすのでない限り第一陣が実際にいる場所にのみ移送されるものとする.

第四条〔大砲〕
この部隊の各大隊は,もし陛下がそう望むならば二門の野砲を,士官,砲兵その他の人員,それに付随する補給部隊とともに付与されるものとする.

第五条〔募兵金〕
前記一万二〇〇〇の軍団を武装し,準備するために方伯殿下が負担する費用をまかなうため,大ブリテン国王陛下は殿下に対して歩兵一名につき三〇銀行クラウン〔紙幣〕の募兵金を歩兵隊ならびに追撃隊,砲兵隊(もし含まれれば)を支払うことを約束する.その総計はこれまでの同盟において算定されてきたのと同じようにこの軍団を構成する兵の数にしたがって確定される.十八万銀行クラウン(換算は次項に同じ)の額がこの募兵金のうちから二月十日に支払われ,残りはこの軍団の第二陣が移動を開始するときに支払われるものとする.

第六条〔期限〕
これまでの条約ではみな,ある存続年限が規定されているが,今回は英国国王陛下としてはこれらの軍勢を必要以上の長い期間にわたって契約しないことを望み,その代わりにこの条約の調印の日から失効の日までの間,資金援助を倍にすることに同意した.すなわち,この一万二〇〇〇の部隊に対しては年四五万銀行クラウンということである.クラウンはオランダの五三ソル,あるいはイングランド通貨の四シリング九ペンス三ファージングとして換算する.また,資金援助はこの部隊が英国の負担下にある間この基準で続くものとする.英国国王陛下はまた方伯殿下に対し契約終了についてそれが発効する十二か月,すなわちまる一年前に通知することを約束した.この通知〔契約終了?〕はこの部隊が帰還し,実際に前記方伯の属領,すなわちヘッセン(本来そう呼ばれる部分)に到着する前になされることはないものとする.国王陛下はまたこの軍団に対し,給金その他の報酬をそれがヘッセン国境を通過した月の最後まで継続するものとする.殿下のほうでは,四年が経過したら,その時点までに送還されていない場合,兵を召喚する自由を留保する.あるいはその期間満了後に英国国王陛下との間にもう一期合意してもよい.

第七条〔兵の待遇〕
前記軍勢についての給金や待遇については平常のものも臨時のものもあらゆる面において英国国民の兵と同じ基準に基づくものとする.国王陛下の陸軍事務局は,遅滞なく方伯殿下の同事務局にこれらの兵が受けている給金および待遇についての厳密かつ誠実な実状を届けるものとする.その給金と待遇は,方伯殿下がこの軍団をこれほど短期間のうちに出発できる状態に整えるには特別の費用なくして不可能であることを考慮し,第一陣については二月一日に開始し,第二陣については出発する七日前に開始するものとする.そして減額や控除なくヘッセンの軍資金庫に納められるものとする.今後定められるとりきめに従ってここから給金は分配される.この支払額のうち,二万英ポンドはただちに支払われる.

第八条〔損失の補填〕
もし不幸にして前記軍団の連隊あるいは中隊のいずれかが海難事故その他の事情により完全もしくは部分的に損なわれ,もしくは失われた場合,または大砲その他の供給された備品が敵に拿捕されたり海上で失われたりした場合,大ブリテン国王陛下は必要な新兵募集ならびに前記野砲や備品の費用を支払うようはからい,それにより大砲や前記連隊,中隊を回復できるようにするものとする.そして前記新兵は一七〇二年の条約第五条の効力によってヘッセン士官に与えられた兵と同様の基準で準備されるものとする.このようにして軍団は常に保存され,提供されたのと同じ良好な状態において送還される.毎年必要とされる新兵は訓練され,完全に装備された上で出港地にいるイングランドの兵站将校のもとに英国国王陛下の指定する期日に送られる.

第九条〔派兵地域〕
ヨーロッパでは国王陛下はこの部隊を陸上では適当と思うどこでも用いることができる.ただし,地球上の他の地域では北アメリカがこの部隊を用いてよい唯一の地域である.海上での軍務にはつかないものとする.すべての事項においていかなる制約もなくイングランドの兵が受けているのと同じ給金,報酬を受けるものとする.

第十条〔相互防衛義務〕
方伯殿下がその属領において攻撃され,あるいは侵害された場合,英国国王陛下は可能なあらゆる救援を与えることを約束し,締約する.その救援は方伯が完全な安全と正当な補償を獲得するまで継続される.大ブリテン国王陛下がその諸王国,属領,領地,属州,都市において攻撃され,あるいは侵害された場合には,方伯殿下は同様にして可能なあらゆる救援を用意する.その救援は同様に国王陛下が良好で有利な平和を獲得するまで継続されるものとする.

第十一条〔相互防衛義務発生の条件〕
この同盟ときずなをより完璧なものとし,締約国が本条約によって期待できる救援の確かさに疑いがないようにするため,次のことが明示的に合意された.今後,この同盟条約および規定された救援に該当する事態が存するか否かは,単に,締約国の一方が現実に武力によって攻撃され,しかもその国が攻撃側に対して最初に公然たる武力を行使したのではないことをもって十分とする.

第十二条〔傷病兵〕
ヘッセン軍団の傷病兵はその医師,外科医,その他その国の軍団を指揮する将軍の命令下にあるその目的のために任じられた者に預けられる.その者たちには国王陛下が自国の兵に認めていることはすべて認められる.

第十三条〔脱走対策〕
ヘッセンの脱走兵が英国国王陛下に属する土地で発見された場合,どこであろうとも誠実に引き渡されるものとする.とりわけ,可能な限り,その国の何人たりともその君主の同意なしにアメリカに定住してはならない.

第十四条〔輸送費用〕
兵員ならびに備品に関するあらゆる輸送船は英国国王陛下の負担とする.また,前記軍団に所属する何人たりとも,地点間の距離に鑑み,手紙の郵税を支払う必要はないものとする.

第十五条〔批准〕
この条約は両締約国によって批准され,その批准書は可能な限りすみやかに交換される.その証として,下名の我ら,一方には大ブリテン国王陛下,他方には現ヘッセン・カッセル方伯殿下の全権委任状を携えて,この条約に署名し,我らの紋章の印章をそこに捺さしめた.

カッセルにて.一七七六年一月十五日.

(捺印場所)ウイリアム・フォーシット(捺印場所)フォン・シュリーフェン


【デビッド・デ・ロスチャイルドが来比】


こんにちは、

先日、イギリスの環境活動家であるデビッド・デ・ロスチャイルド氏が来比。グリーンエネルギーについて語ったそうです。

名称未設定


彼はペットボトルだけで作ったヨットでサンフランシスコからシドニーまで横断したことで有名。

エコロジーについて発表が有ったそうです。


私はセブに行っていたので参加することは出来ませんでしたが・・・


今回の発表会では、フィリピンのスラムにペットボトルで55W相当の電球の改良型を普及する活動家の発表があった。

このペットボトル電球とは、1.5~2リットルのペットボトルに水と漂白剤を入れるだけ。

これを天井に穴をあけ突き刺すことで、太陽光とペットボトル内の液体が反応し、蛍光灯のような照明が得られる。

コストは40〜50ペソ=100円程度で5年間は持つというもの。

しかし、悪天候では発光しなかった。

そこで、携帯電話のリチウムイオン電池と小型ソーラーパネル、LEDを追加し、悪天候や夜間でも光が得られる装置に改良されました。

コストは700ペソ=1,700円程度。

首都圏での普及促進をするそうです。

非力ながらも是非、頑張ってもらいたいものです。


さて、話をロスチャイルド氏に戻しますが、彼は本気で環境を考えて活動しているのでしょうか?

違いますね。

彼は地球温暖化問題を煽っているのです。

私は地球温暖化は嘘だと思うのです。

で、こんなチャラい人が世界の金融を牛耳っている分けも無く、と思い調べましたら、ロスチャイルド家にはデビッドという人が2人いるらしいです。

デビッド・マイヤー・デ・ロスチャイルド マイヤー・アムシュル・ロスチャイルドから名前をとったらしいです。

デビッド・ルネ・デ・ロスチャイルド 彼が現在のロスチャイルド家の中心の一人ということです。


私はワインが大好きで、特にチリ産ワインがを好んで飲みます。

それで偶然出くわしたのが、ロスチャイルド家のワイン。

バロン・フィリップ・ド・ロスチャイルド社というのに出会った訳です。

1000円もしない安いワインですが、ロスチャイルド一族の会社でワインも作っているのです。

でね、何を思うかというと、デビッド・マイヤー・デ・ロスチャイルドにしても、バロン・フィリップ・ド・ロスチャイルドにしても、ただの人間じゃないかと、一人は冒険家で、もう一人はビジネスマンじゃないかと思う訳です。

世界に中央銀行を持つロスチャイルド家ですからね、かなりの影響力がありますが、本当の支配者だったら、ここまでネットで叩かれるでしょうか?


誰かもっと奥の院のスケープゴートではないのでしょうか?


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【日本にもあるエネルギー100%自給プロジェクト しかし・・・】

こんにちは、前回はデンマークのエネルギー100%自給島の記事を書きました。

凄く良い話だな・・・と思ったでしょ?

ところが、実態はまるで理想とするものでは無かったのです。

この島で発電された電力はすべて一旦、本土へ売電、そして島で消費される電力は本土から買っているというのです。

要は、ただのデモンストレーション。

結局は売買で生じる損益で100%自給と言っているのです。

あ〜怖い怖い

日本にも同じようなプロジェクトが有ります。

しかし、これも中途半端に終わりそうです。

下記の転載記事にも出てくるように、左翼の・・・という現実。

このように、いつも我々は大きな手のひらで踊らされているのです。

だからといって、私はしかるべきタイミングと戦略で、これを達成出来ると信じています。

毎日、くじけそうになります。

でも折れたら終わりなのです。

未来の子供達の為に今日を生きましょう。

今の世の中でも良いとこだけ見ていれば、さほど悪くないですから。


(転載開始)

■平成24年4月11日 祝島100%自然エネルギープロジェクトはどうなっているの?

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昨年1月、山口県の祝島で、島内で使用する電力を100%自然エネルギーで自給しようというプロジェクトが立ち上がった。ところが、ここのサイトを見ると、その時からすでに1年以上が経過しているのに、まったく更新がない。(祝島自然エネルギー100%プロジェクト参照)

いったいどうなっているのか。

プロジェクト立ち上げ当時はマスコミからの注目度も高く、朝日新聞などが特集記事を組んだりしていた。(「反原発」の島、エネルギー自給率100%構想 山口参照)

このプロジェクト、サポーターによる寄付を前提にしているので、当然寄付者名簿などあってもよいはずなのに、そうした記載はまったくない。これでは、寄付をしてくれた人に失礼ではないか。

さらに色々調べてみると、今この島は、サヨクの草刈場となっているようだ。全国から名だたる反原発団体が押し寄せ、あの根津公子や安田安弘が受賞した”多田瑶子反権力人権賞”なるものも受賞しているらしい。

いずれにせよ、揚水発電ダムのような蓄電設備がない限り、一つの島だけで独立して電力をまかなうことは不可能なのであり、彼らは不可能なことをやっているがゆえに、未だに成果が出ていないのではないか、と察する。

デンマークのサムソ島というところで100%自然エネルギーが達成されていると言われているが、ここでは実は、発電された電力はすべてデンマーク本土へ売電されているのである。そして本土で作られた安定した電力を送電線経由で送ってもらっているわけである。決して、島だけで独立している訳ではない。売電量自体が島での需要を上回っているから100%と言われているわけである。

ちなみに、デンマークでは確かに風力発電は多いが、その電力の多くはスウェーデンなどに売電されている。スウェーデンは、買電した電力で揚水発電所を動かし、蓄電している。そして、スウェーデンで作られる電力のある程度は、原発で賄われている。

何のことはない、サムソ島で使われている電力の一部は、実は原発で作られたものなのである。

祝島でプロジェクトを立ち上げた人は、当然のこの事実は知っていると思われるが、それではなぜ、無謀にも島だけで独立して100%電力を賄おうとしたのだろうか。

メールでその理由を聞いてみたが、回答はなかった。

(転載おわり)

【高度自給自足時代の夜明け】

こんにちは、私がこのブログを書き始めてもうすぐで4年になります。

このブログの目的は、この世界の全ての人々が、既得権を握る社会集団から解放される為にはどうしたら良いのか、多くの人達と考えて行き、いつの日かそれを実現することです。

既得権を手放したくない連中がしてくるであろうと予想される様々な妨害を未然に防ぐ為に検討しています。

今回のテーマは、実は既に似たモデルがデンマークに存在するということです。

そしてなんと、北海道、小田原、静岡、長野、徳島、高知、小浜(長崎)の7地点でもこの事業を進めるそうです。

まずはこの動画を観てください。

(転載開始)

デンマーク・サムソ島で100%自然エネルギーを実現

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デンマークのサムソ島は、面積114km2、人口約4,000 人の小島である。自然が豊かで美しい島であるため、夏季には多くの観光客が訪れる。1997 年、このサムソ島は、デンマーク全国規模のコンペで「再生可能エネルギー島」に選ばれた。サムソ島の目標は、1998 年からの10 年の間に、すべてのエネルギー供給を再生可能エネルギーに転換することにあったが、現在自然エネルギーにより暖房と電気エネルギーの100%自給自足を実現している。

 自動車やフェリーなどの燃料を再生可能エネルギーで賄うことは、困難なことであるが、サムソ島では、2003 年に10 基の風車からなる洋上風力発電所が稼動し始め、ここで生産されるエネルギーの量は、現在のサムソ島における運輸部門が消費するエネルギーと同等の量となっている。

★再生可能エネルギーへの転換のための対策

●電力生産を、風力および分散型CHP(電熱供給)によって行う。
●バイオマス、太陽熱、余剰熱をエネルギー源とする地域暖房を導入する。
● 農村地帯には、それぞれ地域にあった再生可能エネルギーを導入する。
( 例えば、太陽光、バイオマス、ヒートポンプなど)
●将来のエネルギー消費を省エネルギー対策によって抑制する。
●運輸部門において再生可能エネルギーを導入する。

*「サムソ エネルギーアカデミー(Samso Energy Academy)」では、再生可能エネルギーへの転換という島の政策、ならびに具体的なエネルギーの自給自足に向けた取り組みについてレクチャーを受けることができる。

(転載おわり)

これに似た社会を作りたいのです。

2008年のリーマンショックで、なんでこんなことが起こるのだろう?と、初めて経済に興味を持ち、そしてネットで調べたところ、ロックのおじいさんや、ロスおじさんの存在を知りました。

で、フィリピンの電気代が日本の二倍と非常に高額な理由を探しているうちに、既得権益と影の支配者という存在を知ってしまったのです。まあ、そんなもんだろうとは思っていましたが、彼らが強大な力を持っていて、時には殺人、戦争まで起こすこと。極めつけはお金自体が紙切れどころか、デジタルでしかない、大きな詐欺であるということを知りました。

フィリピンにはハイブリッド車はほとんど走っていません。

プリウスは販売されています。

でも誰も乗っていません。

理由はその価格にあります。

日本では200万もしないこの車、フィリピンでは400万円もするのです。

こんな値段では元を取るのに、月まで行かなくてはなりません(35万キロ)。

要は、フィリピンの支配者が石油利権を守っているのです。

食い物はどうだ?調べたらやっぱりアキノ大統領一族らに牛耳られている。


ならば、そいつらから完全に独立して、食料も電気もガソリンも買わないようにするにはどうしたらいいか?


自給自足しか無い

でも、ネットはしたいし、たまには飲みに行きたいし、今の生活も捨てがたい。

山に籠って仙人のような暮らしもつまらないし、子供も居るし。

そしたら高度な自給自足はどうだと思ったのがこのブログを始めたきっかけです。

いつの日か、誰かが情報をくれて、こちらも情報を与えて、そうしているうちにこれだというものが出てくるのではないか?

そう思ったのです。

デンマークの話に戻し、今回はこれで失礼します。

(転載開始)



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デンマーク・サムソ島は、100%自然エネルギーによってエネルギー需要を賄う地域として世界的に知られている。1985年に原発の導入を廃止したデンマークは、風力発電を中心とした代替エネルギーへの移行を早くから模索してきた。1997年、政府は島における自然エネルギー導入計画を公募し、それに参加したサムソ島は、エネルギー100%自給を目指すモデル地域として取り組みをはじめ、10年かけてそれを実現させた。


ソーレン・ハーマンセン氏(52)はその取り組みにおいて、島民の中心的な存在として大きな役割を果たしてきた。住民たちとコミュニケーションを重ね、プロジェクトへの参加を促し、地域の人々にとって最良の自然エネルギーのあり方を求めてきた。そのプロセスを描いた絵本『風の島へようこそ』(福音館書店)が、今話題を呼んでいる。


福島原発事故後、日本でもエネルギーシフトへの流れが加速し、さまざまな地域で取り組みを立ち上げようと目下検討が進められている。環境省のモデル事業に採用されている地域は、北海道、小田原、静岡、長野、徳島、高知、小浜(長崎)の7地点。3月上旬に行われたコミュニティ・パワー会議のために来日したハーマンセン氏に、これからの日本の進むべき道筋ついてインタビューした。(聞き手 / シノドス編集部・宮崎直子)


――震災から一年が経ち、日本に変化は見られましたか。


10年ほど前から年に1、2回来日し、環境エネルギー政策研究所(ISEP)の方たちをはじめ、自然エネルギー推進にかかわる様々な人たちとコンタクトをとり、活動を進めてきました。福島の原発事故が起きてからは随分と状況が変わったように思います。一般の人たちのエネルギーに対する意識がどんどん高まってきています。そうした状況を見ると、この十数年やってきたことが、報われているという手応えを感じています。自然エネルギー財団ができたり、新しく地域で取り組む人たちが現れてきたりと、日本は新しいステージに突入しています。

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――今、世界中から、日本の自然エネルギー分野の動向が注目されていますね。


日本はこれまで中央集権型で、電力会社が独占して電力供給をコントロールしてきました。それは自然エネルギーに移行していく上で非常に大きな障害になっています。国がバックアップしているので、そこで作られた電力は、基本的には産業や経済のために使われるものであって、市民のためのものではありません。福島原発事故が起きてからは、それを変えなければならないと人々が気づきはじめています。中央集権型のインフラのシステムを、地域の人々のための分散型のシステムに変えていかなければなりません。デンマークは1970年代の石油危機を契機に、グリーンな方向に行かなければと政府が考えはじめ、90年代に入ってから分散型を目指して取り組んできました。今、やっと日本が同じようなチャレンジをしようとしています。


――市民を活動に巻き込むために重要なポイントは。


一つは、意思決定です。進むべき方向性を政治的に意思決定することで、政策が整い、社会の変化が加速していきます。日本の政府はこれまで原子力をサポートしてきました。しかし、未来を変えるためには、政府がグリーンなエネルギー社会を目指し、それに基づくプランを作って進めていく必要があります。政策枠組み、計画の方向性を定めた上で、技術、産業、ビジネスが新しい計画を実現していきます。それがはじまると、今度はその中に強力なリーダーが現れ、雇用も生まれてきます。もう一つ重要なのは、価格構造を作ることです。産業のためだけでなく、誰もがそこに参加できなければなりません。たとえば、個人がソーラーパネルを設置して売電できたり、グリーンな電気をほどよい値段で買うことができるようになれば、おのずと多くの人が参加していくようになります。

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――この仕事に関わるようになったきっかけは何ですか。


私はサムソ島で生まれ育ちました。小さいときに農業を手伝ったりして、高校を卒業した後は、ニュージーランドやノルウェーに行き、10年ほど島を離れた経験があります。その後、島に戻って中学校で環境学を教えていたときに自然エネルギープロジェクトの話を聞き、最初のスタッフとしてかかわってみることにしました。一年目は教師の仕事をしながら、二年目からはフルタイムでコーディネーターの仕事をやるようになりました。


――強く影響を受けた人はいますか。


若いときは、ジャック・クストー(Jacques Cousteau)という海洋学者・探検家に大きな影響を受けました。彼は「アクア・ラング」という潜水用の呼吸装置を発明した人で、カリプソ号という船で海洋生物の調査を行うと同時にその様子をドキュメンタリーで放映していました。彼は「No Blue, No Green」というメッセージを唱えています。私たちは森林や熱帯雨林を守ろうといいますが、地球の3分の2は海でできています。つまり、海がちゃんと保護されなければ、森林もうまく守ることはできないという意味です。とても印象的な言葉だと思います。また、彼の息子は、気候変動によって絶滅の危機にさらされているサンゴ礁を守るための活動を行っています。

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大人になってからは、1997年の地球温暖化防止京都会議の後に、デンマークで環境省を創設した政治家、スベン・オーケン(Svend Auken)も私に多大な影響を与えました。環境大臣として、デンマークの環境エネルギー政策の基盤構築に貢献した人です。


――自然エネルギーを語っていく上で、メディアやジャーナリストに求められるものは何でしょうか。


私は人々とコミュニケーションをするために物語を語ります。それは誰かを説得するということではなく、自分の感情に訴えたいい話を、自分の気持ちに従って話します。すると、それはどんどん他人に伝わり広がっていきます。いい話というのは、必ずしも大きな話である必要はなくて、小さくても面白い話であればいいのです。
証券取引価格の数値が上がったり下がったりとかそういう話ではなくて、人々の心に訴えるリアルな話を、リアルに伝えていくことが重要だと考えています。


私自身についていえば、小さい頃から自然や動物に親しみ、農作業もやっていたので、「持続可能性」というテーマは非常に身近なものでした。そうした経験に基づいたコミュニケーションができることは、自分の才能の一つだと思っています。若い頃は音楽や演劇をやっていたので、何かを表現して伝えることはもともと得意なことでもあります。


昨年、山口県の祝島に行って、上関原発の建設に30年も反対し続けてきた地域の人たちと話をしました。そのとき、地元で有畜複合農業に取り組む氏本長一さんの、放牧豚に関するお話を知り、非常に面白いと思いました。「氏本農園」では、耕作放棄地を放牧豚によって再生する試みを行っており、その豚は島内から出る残飯のみで育てられています。氏本さんは毎日島内で残飯を集めてまわりますが、なかには自ら残飯や餌になる野菜を持ってくる島民もいるといいます。この取り組みは映画『ミツバチの羽音と地球の回転』(監督/鎌仲ひとみ)にも登場しています。

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サムソ島に帰ってその話を伝えると、みんなが興味を持って聞いてくれました。報道にかかわる人たちは、原発反対、賛成という話ではなく、もっと人々が身近に考えられる素材を取材して与えていく必要があるのではないかと思っています。


――今後の活動とビジョンについて教えてください。


将来的には、サムソ・エネルギー・アカデミーを国際的にネットワークしていきたいと思っています。ISEPや自然エネルギー財団とはすでに協力関係ができていますので、今後、日本でさらにそのつながりを強化していきたい。また、アメリカでも複数の大学で講演を行う予定です。新たなパートナーをどんどん増やしていきたいですね。


(通訳/環境エネルギー政策研究所研究員・古屋将太)


ソーレン・ハーマンセン(Soren Hermansen)

デンマーク・サムソ島、サムソ・エネルギー・アカデミー代表。1997年から10年かけて「自然エネルギー100%の島」を実現させた立役者。2008年にTIME誌の「環境ヒーロー」に選出、2009年に「ヨーテボリ持続可能な開発賞」を受賞。





【フィリピン奴隷制度健在也 そしてユーロに植民地出現】

こんにちは、みなさんはフィリピンという国のイメージはどういうものですか?

汚くて、危なくて、とても一人では歩けない場所と思っているでしょう。

実はその通りです。

地獄を絵に描いたような場所があります。

表通りからはわかりませんが、細い路地深く入って行くと、アリの巣のように分岐しています。

そのアリの巣の状況はまるでマッドマックスのような世界です。

昼間から酩酊しているもの、ライフルを磨いているもの、豚を解体しているもの・・・


歴史上、スペインやポルトガルに支配された国は皆そうですね。

南米のほとんどの国、例えばメキシコ。メキシコの麻薬戦争がどんなものか知っていますか?

マフィアとの血みどろの戦い。

政治家も麻薬撲滅を叫ぼうものなら、あっというまに殺されてしまう国です。

もはや警察も手が出せない。

殺され方は様々ですが、若い女性は輪姦された後に生きたまま手足を切断されダルマにされます。

警察、軍隊は一斉に頭部を切断され道路に山積みにされます。


なぜ、スペインやポルトガルに支配された国は一様に汚く、危なく、混沌としているのでしょうか?

それは、エンコミエンダ制、アシエンダ制と名前を変えながらも存在した奴隷制度と現在でも存在する奴隷容認社会、つまり、覆しようの無い腐敗が原因です。

スペイン・ポルトガルが支配したのは南米やフィリピンだけではありませんでした。

インド、マレーシア、インドネシアといった東南アジアの国々、アフリカまでをも部分的に支配していたのです。

これらの国々に残されたものは、酷い貧困と格差、搾取されボロボロになった社会だけです。


ここフィリピンでは労働者の最低賃金は一日800円程度。

この800円すら守らない企業もざらにいます。

しかもそれらのほとんどがフィリピン企業。

私たち日系企業は最低賃金を払っています。まともに対応していますが、そこに突然現れる労働組合。日本の労働組合とはまるで性質の違う暴力団です。

うぶな従業員に紛れて入り込んで勧誘活動。気がつけば従業員の半数以上が組合員。

賃上げ要求、ストライキ、サボタージュを繰り返し、廃業に追い込まれた企業も有ります。

これでは組合対策として正社員を雇うことができなくなります。

そして、そこへ現れるのが人材派遣会社。

正社員が雇えないので、我々は法律で6ヶ月間しか雇用出来ない派遣社員を雇います。

それ以上の期間、働くと正社員にしなくてはならない法律が有ります。

派遣会社の訪問は後を絶ちません。どいうもこいつもガマガエルのような容姿をしています。

正社員を雇うと労働組合を作られてしまうので派遣を雇う。

法律で派遣は6ヶ月間しか雇えないので、派遣会社にまた入れ替えてもらう。

これって、国と組合と派遣会社のマッチポンプじゃないですか?

我々、うぶな一般人を取り巻く、国家、共産党、人材派遣会社はみなグルになっているのです。

さらに、この国では弁護士に相談するともっと話がややこしくなります。

工場の物品が大量に盗まれて警察に連絡しても何故かニヤけた顔でまともに対応してくれません。

そう、弁護士も警察もグルなのです。

背後にアンタッチャブルがいるのです。



彼らは何者なのか?


そんなこんなで、国内の仕事は短期雇用ばかり。

家族を支えなくてはならないので職を見つけなければなりません。


そこで登場するのがOFWという海外フィリピン人労働者を奨励するシステムです。

フィリピン人はどんどん海外に出稼ぎに行って外貨を稼いで来てください!!という制度です。

国の後押しも有り、フィリピン人は世界各地で働いています。

例えば、ドバイ空港の職員、清掃員、荷物運搬係、至る所にフィリピン人が居ます。

アメリカの空港、特に西海岸のサンディエゴなど、空港で働いているのはほとんどフィリピン人。

要するに、下働きはフィリピン人にやらせています。

これを国が奨励し、フィリピン人も国内に仕事が無いので喜んで海外に飛び立ちます。

その中には、当然、犯罪の被害者になる人も居ます。

ある女性はドバイのホテルの清掃とベッドメイキングでしたが、レイプされたあげく、約束された賃金ももらえずに帰ってきました。

ある男性は、高層ビルの建築作業員でしたが、ろくな住居も食事も与えられず、帰るお金ももらえないので、ずっと過酷な労働を強いられたままです。

どこかで聞いた話ですね。

そう、400年以上前の時代の話です。

フランシスコ・ザビエルが実は奴隷商人もやっていたという話は有名です。

その時代と同じような悲劇が今日、実際に起こっているのです。

このビデオに出ているのはインド人ですが、フィリピン人も同様です。


http://www.youtube.com/watch?v=gCJ5aLlju0g

フィリピン政府は自国民を奴隷として、海外に売り渡しているのです。

フィリピン政府は形を変え、今でも奴隷貿易をしているのです。

表向き、フィリピンは民主主義国家になっていますが、体質はスペイン統治時代のまま。

社会全体に、家政婦、運転手、プール掃除人、警備員、といった奴隷が普通に居ます。

会社でも、正社員は派遣社員をアゴで使い、自分らは楽な仕事をします。

それでも誰も文句も言いません。

21世紀年の世の中でですよ。


さて、この海外出稼組(OFW)ですが、

無事にOFWを終え、帰国しても大勢の家族、親戚が待ち受けています。

どうにかして、カネをむしり取ろうと、あの手この手で迫ってきます。

彼らにたかられせっかく苦労して稼いだ給料もあっという間に無くなり、スッテンテン。

再び家族を残してOFWの旅に出ます。

また、このOFWを仕切るエージェントが存在します。

渡航費などを貸し付けて、海外で働いている間、逃げられないようにパスポートを取り上げます。

そして帰国する際にその費用が差し引かれます。


ここでもまた奴隷です。


国内に居ても奴隷。

海外に行っても奴隷。

それでも彼らは滅多に逆らう訳でもなく、自殺する訳でもなく、時には歌い、時には踊り、

毎日を笑って過ごしています。

彼らにとって、世の中は支配者と奴隷の関係が当たり前。

平和ボケした日本人とは世の中の捉え方がまるで違います。

現代のヨーロッパ人たちも日本人程では有りませんが、まるで無根拠な保証を信じています。

まさか自分たちが発展途上国の人々のようになる訳は無いだろうと確信をしています。


そんな中、フィリピンような状況になりそうな国が南ヨーロッパに出てきました。

EU圏内の若者の失業率 イタリア 38%、ポルトガル 38%、スペイン 56%。ギリシャ 59%です。

これらの国名を聞いて、おや?と思いませんか?

ローマンカトリックの総本山、かつては世界覇権を握っていた国々ですね。

皮肉にも、南米やフィリピンをエンコミエンダ制、アシエンダ制と名前を変えながらも植民地として利用し、汚職がはびこり、不衛生で危険な無法地帯にして来た国々の若者の半分が失業しているという状況なのです。

公共機関の予算も削られ、公務員も削られ、このままではフィリピンや南米のように荒廃します。

これはこれらの国が怠けていたからでしょうか?

違います。


嵌められたのです。

新植民地化制度です。



他のユーロ加盟国も助けてくれません。それどころか、紙切れ=カネを貸して、土地や公共機関などの現物を奪おうとしています。

救済した紙切れ=カネは返さなくてはなりませんが、緊縮財政で税収が減るのに返せる訳が有りません。

イタリア、スペイン、ポルトガル、ギリシャはユーロに留まる限り、ずっと奴隷になるのです。

これらの国の資産は全てカネを貸した側、トロイカ(EU、ECB、IMF)の所有物になります。

金で払えないなら公共機関、国土で払ってもらおうと迫られるのです。

表向き、国の名前は変わらないでしょうし、国家も国旗も愛国心もそのままに、しかし利益は全てトロイカに。


そして、キプロスでは大口預金者(主にロシア)預金の40%をカット=強奪される事が決まりました。


この世の中、本当に怖いですね・・・泥棒だらけなのですな。

【ボストンマラソン爆破テロ はいはいはい、そうだそうだ、大変だ大変だ・・・】

ボストンマラソン爆破の被害者にはご冥福をお祈りいたしますが、

わかった、わかった、はいはいはい、もう騙されないよ、俺たちゃ・・・

攻撃対象国に電話する

「ニュース観たか?」

「これ、お前らのせいにするぞ」

「ちょ、ちょっと、待ってくださいよ」

「じゃあ、言う事聞きな」

はいはいはいはい、そうだそうだそうだ、大変だ大変だ、はいはいはいはい。

【フィリピンで自生する野菜と果物】

こんにちは、さて、前回の記事では農業はほんとうに大変である事を紹介しました。

それでも、世の中には有機野菜の栽培に成功している人もたくさんおられる訳です。

いわゆる、農業のプロの方々です。

どうすれば育つのか、長年の経験で熟知しているのです。

しかし、それらは聞いて理解出来る事ではありませんし、素人はやはり市販の種子を購入し、説明書通りの条件を整えて、肥料も購入して、ある程度のコストをかけながらやっていくしかないのが現状です。

そこで、ブログのタイトルである高度自給自足とはかけ離れた提案ですが、自生している植物や、栽培が非常に簡単な種の要らない栽培から初めて見ました。

■ショウガ

これは冷蔵庫にあるショウガをひとかけらちぎって、土に埋めるだけ。まあ、厳密に言うと、最初のショウガは買ってくる訳ですが、3センチぐらいの小さなショウガのかけらをその辺の土に埋めるだけで4ヶ月ぐらいで5倍以上の大きさに増殖します。肥料も何も要りません。放ったらかし栽培です。私はこれで確実に成功しています。

■カンコン(空芯菜)

フィリピンの池やちょっとした水辺に自生しています。スーパーで買うと一束10ペソ(20円)ぐらいの安価な野菜ですが、β ―カロチン、ビタミンCなどのビタミン類も多く含む緑黄色野菜で、鉄分などのミネラルも栄養価に富んでいます。それを採取して来て過敏にさしておくと根が出てきます。それを土に植えて腐らせないように水やりをすると新芽が出てきます。それをちぎるとまた新芽が出てきます。

■ガビ(タロイモ)

これも山に行くとそこらじゅうに自生しています。葉っぱをちぎって食べても良いですが、これを土に横たわるように埋めておくと、再度タロイモの実を付けます。放ったらかしでも育ちます。

■バナナ

これは栽培する必要はなく、フィリピンの道ばた、庭、空き地、そこら中に生えていますので、誰も取り合いもしなければ、放ったらかし状態です。自ら実を付け落葉し、太くなりながら再生を繰り返します。

■マンゴー

私はスービックに土地を持っていますが、その土地のど真ん中にマンゴーの巨木が立っています。底まで育つのにどれだけの年月がかかるのか調べた事は有りませんが、そんな土地を狙って購入すれば、一生マンゴーには困りませんし、シーズンには1000個(数えた事は無い)もの実を付けます。マンゴーの価格は比較的高く、米や小麦などの炭水化物との交換もできるでしょう。

果物に関しては他にも無数にあります。要はフィリピンは低レベル自給自足が可能な島なのです。

実際に貧しいフィリピン人は、米が無い時はバナナを主食にしています。煮たり、揚げたりして。

魚はティラピアという魚が簡単で、水槽に数匹入れておくと勝手に繁殖します。

来月、私は家庭菜園が出来るほどの庭のある家に引っ越します。

上記の自生野菜だけでなく、今まで失敗してきた野菜つくりに再チャレンジします。



【お金の束縛から解放される手順】

こんにちは、今回はお金の束縛(借金、会社)から解放される手順を書きたいと思います。もう既におっさんの私にはちょっとキツいプランですが、不可能ではないということです。

①貯金をする

現在の生活費を最大限切り詰めて、10年で3000万円貯める。

②会社を辞める

出来れば、早期退職者募集のタイミングで応募し、割高な退職金をもらう。

③農家を買う

予算500万円もしくは格安で借りる。借りた場合、500万円が浮くが、毎月の家賃が発生する。これが束縛になるのでお勧め出来ない。

④リフォーム

予算500万円で快適な住居を構築(もちろん自分でやる)

⑤農機具を買う

鶏舎、豚舎、鶏、豚を含め、耕耘機(中古)や必要機器を予算500万円で買う

⑥生活を始める

ここから作物や家畜が育つまで無収入なので1日数時間どこかでアルバイト

⑦最初の収穫

運良く作物が収穫出来れば万々歳。イノシシや台風で全滅ならば、これまでのアルバイト収入ー(生活費+買い付け料)=残金

⑧第二期植付け

こうして軌道に乗れば自給自足生活達成、乗らなければずっとアルバイト生活


ただし、これはフィリピンでの場合です。日本では作物、動物の流通ルートは農協に押さえられ、作る作物の種類まで決められ、出来た作物は相場で決まります。もし、穫れた作物を自分で消費するなら問題ありませんが、一度に大量に収穫物を消費出来ません。やはり米や小麦粉に交換しなければなりません。

その点、フィリピンは豚は屠殺屋さんがそこら中に居ますし、肉もローカルで売れます。


私は以前、フィリピンのタガイタイという場所で友人と畑を耕した事があります。

結果、一つの野菜も収穫する事無く、諦めてしまいました。

理由は、とにかく、農業は重労働だと言う事。

野菜が育つ土になるまで2年ぐらいかかる事。

それまで待てなければ、土を購入しなければならない事。

市販の種子は、農薬と肥料が無ければ育たない事。

まず、たった10平米の草を刈るだけでも腕がパンパンになります。

そして数日目を離せばまた草が生えてきます。

仕方なしに除草剤を撒きます。

そうすると、土の中の有益な微生物が死にます。

土の微生物が死ぬので栄養を与える必要が発生し、人口肥料を蒔きます。

そんなこと一人や二人では出来ないので、機械を買います。

とにかくカネがかかります。

で、それでも野菜は美味く育ちません。

そこで、誰でも育てられる野菜から始めます。

誰でも育てられる野菜とは、自生している野菜です。

次回はフィリピンの自生野菜の紹介です。

それでは






プロフィール

O'BRIEN

Author:O'BRIEN
世界の情報を交えながら、自己組織集団(自給自足集合体)の時代について考えてゆきます。

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