実は私は非常に危険な性格の持ち主です。
悪魔スイッチが入れば、人を酷く傷つけるのです。
小学生の頃から、年上だろうが、女の子だろうが、キレたら迷わず殴ってきました。
おやじは事業家でしたが、才能は有ったのですが、浪費家でした。
うまくいってもすぐ夜遊びに使ってしまいます。
親父は酒浸りになって、生活費を稼ぐ為におふくろが水商売に働きに出ていました。
当然、朝帰りになりますから、毎朝、喧嘩していました。
それがすごく悲しかったのです。
酷い時は、近所の大人に対しても暴力を振るいました。
家族にも容赦なく暴力を振るいました。
父親がニュースを観ているときにうるさくしたので、父親に水をかけられました。
反射的に父親を殴り、押さえ込み、膝蹴りを入れる寸前でやめました。
あの時の私は、すべての怒りを出すことで、それが最高の喜びだったのでしょう。
きっと、怒りにエクスタシーを感じていたのでしょう。
私だけなのかもしれませんが、悪魔が姿を現すと、これが私自身なのだと確信したものです。
大人になり、自分は身長が低いので、今までのように喧嘩をすることはなくなりました。
もし体格が良かったら、今頃、刑務所の中にいたことでしょう。
今は妻子持ちの普通のオッサンです。
たまにキレますが・・・
このように、人間には常に悪が存在しています。
しかし、悪のままでは生きて行けません。
翌日には殴った相手に謝罪します。
なにしろ、殴られた方よりも殴った方が痛いのです。
精神的にも拳にしても。
悪に傾けば、それを反省し、善が生まれます。
善をやりすぎれば、理解されない不満から、いつかキレて悪を生みます。
人間はどちらも兼ね備えている存在なのです。
ロスチャイルド、ロックフェラーを知らなかった時代、私は幸せでした。
資本主義の物質社会で欲しいものを手に入れて、馬鹿なことをやってましたから。
彼らからもらった幸せも有るのだなと思います。
それで、やはり世界の支配者たちがどうしてこんなんなのか考える訳です。
昔、ヨーロッパの封建制度では、農奴という人達がいて、地主の束縛から解放されなかった訳です。
一部では、農奴が結婚する時は、その地主が花嫁と一晩過ごすというしきたりが有ったぐらいです。
これはたまりませんよね?
ところが、ヨーロッパに予期せぬことが起こります。
ペストの大流行です。
これで農民の大多数が死んでしまったのです。
すると農地で働く農奴の供給が不足します。
必然的に農奴の賃金が上がり、儲けを出した農奴は独立し自家農園を持つようになります。
商業が発達し、農奴でもお金で楽しい生活を送れるようになりました。
お金が農奴を奴隷から解放したのです。
ですので、私も含めて、お金が悪だというのは間違いです。
お金は悪ではなく、それを理解していない私たちが間違っているのです。
仮に、全人類が、株式市場の仕組みや、中央銀行に仕組みを理解したら、奴らもあんなことはできないのではないでしょうか?
すべてとは言いませんが、50%は私たち自身の無知なのではないでしょうか?
それでは