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10.18.2013

Hiroshima to Fukushima: Biohazards of Radiation

The following book was published recently.

The title: "Hiroshima to Fukushima: Biohazards of Radiation"
The author: Eiichiro Ochiai
The Publishers: Springer Verlag (Heidelberg, Germany)
The publication date: Oct. 14, 2013

It deals with (1) the scientific bases of nuclear reactions/radiation/its effects on chemical world (including life); (2) the mechanisms of the effect of radiation on the biological systems, and some defense mechanisms against radiation; (3) the data obtained on the radiation effects on life in the aftermaths of the Chernobyl accident, Fukushima accident, the atomic bomb tests, depleted uranium munition, etc.; and (4) How the nuclear industry and its associates have been reluctant in admitting the negative radiation effects on human health and all other living organisms, and have been covering up the truth of radiation effects.

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 この書を著した動機は、東日本大震災に伴って起きた東京電力福島第1原子力発電所の事故,それに伴う放射能による様々な問題、特に健康への被害についての憂慮から発したものである。
 先ず,放射線はなんであるか、当たっても痛くもかゆくもないのに、10シーベルトぐらい以上浴びると、数時間から数週間内に死に至る。しかも、10,いやその10倍の100シーベルトでも、定義上は、100ジュール/kgという非常に僅かなエネルギーである。このエネルギーは、体温を僅かに0.0024度上げるに過ぎない。こんな熱で、人間、死にはしない。しかし、実際は、100シーベルトの被爆は、瞬時の死を意味する。どうなっているのか?ここに、放射能の人体(生物)への影響の秘密が隠されている。α,β、γ線などの高いエネルギーをもつ放射線というものが、どういうもので、どんな原因で出て来るか、そして、生物で代表される地球上の化学物質とどう関わるのか、このあたりの基本をまず理解しないと、放射能・健康問題は、充分に理解できないと思われる。
 放射線というものは、放射性物質から出て来るが,放射性物質は、自分の寿命(半減期)に従って、自然消滅はするが、それまでは、通常の手段では、人工的に変えたり、解毒したりすることはできない。したがって、一度環境に出てしまうと、それを避ける手だては、放射能の少ない所で生活し、放射能汚染されていない水、食べ物を食べる以外、有効な方法はない。しかし、現在こうしてかなり汚染されてしまった地球上に生活せざるを得ないあらゆる生き物はどうするか。原子力産業側は、放射能の影響をなるべく過小に評価して、これぐらいの汚染なら,心配はいらないと人々を安心させようと図っている。実際は、原子力産業は様々な意味で、放射性物質を放出し続けていること、それが健康へ負の影響を与えるていることを、認めることを拒否しているに過ぎない。これを認めれば,原子力産業は、存在してはならないことになるから。放射性物質のあるものは,かなりの長い半減期をもち、そうした廃棄物をどう安全に、保管処理するか、その方法すらまだ確立されていない。
 しかし、そうした放射能の健康被害が、過小評価が比較的信じられやすい状況が現実にはある。原爆直下や周辺での高レベルの被爆の影響は、死亡も含めて放射線急性症状として明らかで、原子力産業側からも、そのように認識されている。しかし、低レベルの被爆は、影響があるとはいえ、健康に負の影響を与える要素は無数にあるので、放射能が原因であると特定するのは非常に困難である。その上、汚染度もによるが、汚染地に住む人が一様に健康障害を起こすわけではない。多くの人は、影響を受けず、「放射能なんて問題なの」と否定的に捉えることは容易だし、なるべくそう思いたいのが人情であろう。しかし,不幸にも、放射能の影響を受けてしまう人は必ずいるのである。今のところ、比較的数は少ない(とはいえ,福島の子供達の甲状腺ガンの発生数は異常に高率)し、報道機関はこのような問題を追求しようとしていないし、医師・医療機関にも箝口令がしかれているようなので、あまり表沙汰にならない。また,福島の現場で働く作業員の健康問題(死亡も含めて)もあまり報道されない。というわけで,日本国民の多くは、事実を知らされていない。
 放射能の生体への影響の科学は、まだ不明なことが多い。そのうちでも、ガンとの関連は比較的詳しく研究されている。そのためもあって、放射能の健康被害というと、直ぐ『ガン』となる。これは専門家も市民も含めての反応である。しかし、ガン以外のあらゆる健康障害が、放射能によって引き起こされることは、科学者でなくとも推測できるし、事実すでにかなりのデータは集積されている。ガン発症には、細胞内の遺伝物質DNAが関係しているが、放射能の影響がガンのみというのは、放射線は、DNAのみを狙って悪影響を及ぼすことを意味し、放射線は、DNAと他の様々な物質を区別することを知っているということになる。こんなことはあり得ないと言いうるのだが、これも、放射線と生体内の化学物質との相互作用がどんなものであるかを理解しないと、わからないことなのかもしれない。
 本書は,こうした問題を簡潔に考察したものである。すなわち、放射能とその生体への影響の科学的根拠、実際に得られているそれに関するデータ(チェルノブイリ、福島、劣化ウラン、原爆などなど)の検討、原子力産業界がこの問題にどう関わってきたか、などを検討したものである。
 現在、福島原発事故の実態は,まだ解明されていない。メルトダウンした燃料棒がどうなっているかすら、見当すらついていない。また事故が地震によって引き起こされたのか,東電の云うように津波のためなのか、まだ確定していない。著者は、この書を書いた時点(2012年秋)では、地震による配管類の損傷(と地震による第1次電源の消失)が根本の原因と、推測したが、最近それを支持するデータや,現場をよく知る人の意見などが見られるようになってきた。そして、崩壊熱を冷却するための注水が、循環されることはなく、汚染されて出てきてタンクに納められているが、海への漏洩、地下水の汚染などなど、様々な問題を引き起こしている。汚染水の問題は、冷却機構の再検討などを含めて早急に解決しなければならない。また、保存プール(特に4号基)にある燃料棒の速やかな処理(安全な形で、安全な場所へ)なども緊急の課題である。
 しかし、本書はこうした福島原発の現実的な問題は、扱っていない。扱っているのは、放射能というものの健康への負の影響の解明であり、「(高エネルギー)放射線は、生命と相容れない」という命題を、検証しようとするものである。これが,検証されたならば、原爆・原発とも、放射性物質を作り出し、環境にばらまく(意図的、非意図的に)ことは、これ以上してはならないことになる。それは生命の存続の可否の問題であり、生きる権利というもっとも基本的な人権問題といってよいかもしれない。政治・経済を超越した問題である。もちろん,原爆そのものが戦争に再び使用されることがあれば,放射能はともかく、大量の人間,生命、環境、建造物などなどの破壊につながり,人類文明は大変な危機に見舞われるであろう。しかし,原発も、今後も継承され、いや、増やされるとすると、それが作り出す放射性物質、従って,環境での放射能レベルの増加が生命をより強く脅かすことになる。それへの警鐘が、この書の主題である。


落合栄一郎

10.17.2013

日本国憲法はどこへ行く?

(以下は、JCCA月報Bulletinの2013年10月号に掲載された記事の転載です。)


日本では、明治22年(1889)に明治憲法が公布され(施行は1年後)、それが、第2次世界大戦後まで継続していた。ここで、明治憲法の制定過程や内容を議論するつもりはないが、「天皇主権」が根本原理であり,主権在民という民主主義の精神に基づいてはいない。
敗戦により、米国駐留軍が日本を占領し、日本の政治・社会を支配していた。その中で、旧議会派や民間の弁護士の組織などが、別々に、日本のそれからの社会の枠づくり、すなわち新憲法創出を議論し、それぞれが、その案をGHQに提示した。旧議会派の案は、明治憲法からの束縛を逃れられず、米占領側は一顧だにしなかった。一方、民間側からの案(映画「日本の青空」参照)は、米国側に共感を呼ぶものが多かった。米国も日本の新憲法草案を練りつつあった。こうしてできた新憲法草案には、「戦争放棄」の条項はなかったのだそうである。この条項は,GHQ司令官マッカーサーと当時の幣原喜重郎総理との会談で、幣原氏の発言に基づいて作られたことを、マッカーサーは後の回想で明言している。この点や基本的人権など、新憲法は日本側によって形づけられたと言ってよい。天皇の地位については、アメリカ側は、「天皇が日本国の象徴」という表現にまで譲歩し、そして天皇の戦争責任などは、不問にした。すなわち,新憲法がアメリカに一方的に押し付けられたという主張はあたらない。
戦争放棄と軍備を持たないという9条は、苦悩を押し付けられるだけだった戦争経験者・犠牲者の国民にとっては、非常に輝かしい未来を約束するように感じられた。アメリカ側には,日本が直ちに再軍備化するのは、アメリカや連合国にとって不都合、脅威であるから、それを避けるという思惑がこの条項には込められていた。この思惑をアメリカは、戦後の状況変化により、ほとんど直ちにかなぐり捨てたようである。それは朝鮮戦争に始まる、第2次世界大戦後のアメリカという唯一の大国が、世界中で様々な状況にちょっかいを出し始め、そのために足りない戦力を日本に負わせようという魂胆から出ている。それは朝鮮戦争に始まり,ヴェトナム戦争へと極東での戦争で、日本の加担を引き出そうと画策した。それに応じて、日本は,9条の精神から逸脱して、警察予備隊から、自衛隊へと軍事力を高めてきた。9条があるとはいえ、自衛は、国連憲章にも認められている権利であり、自衛に徹した軍事力は、9条の精神に反しないという論理である。冷戦が終わった1990年以降、アメリカの戦争介入の機会は増えた。そして、最近は特に,アメリカの財政逼迫による軍事費削減を日本に、経済的、軍事的に補填させるべく,プレッシャーが高まっている。それに呼応して、自民党は,憲法改定を公言して政権の座についた。このアメリカからのプレッシャーの下、憲法改定を経ずに、集団自衛権を確立しようという動きも同時にある。いずれにしても,現政権は,日本を通常の戦争ができる国にしようという意図である。
人類は、いつの時代にも、何らかの武力抗争をやってきた。21世紀の今も、武力を国際紛争、侵略の手段にしていることには変わりはない。これが、日本で、通常の軍事力を持てという議論の基本になる。すなわち、人類から戦争は絶対になくならないのだから、日本も正常な軍事国家になるべきと。特に,現今の中国、北朝鮮などとの緊張を強調することによって、そのことを正当化しようとしている。それに煽動された右翼勢力は、反対分子に対して、殺し文句「非国民」なるレッテルをはってプレッシャーをかけている。この雰囲気は,15年戦争開始/戦争中への回帰を危惧させる。
しかし、今までの武力抗争と、これから起こりうる大規模武力抗争には本質的な違いがある。それは武器にある。大量破壊兵器の存在、その大量の蓄積である。原爆、化学兵器(毒ガス)、生物兵器など。人類の縮少努力にも拘らず、大国は、これらの兵器を公に、ある場合には非公式に保持している。そして,現状を大幅に変えない限り,いずれは、これらの兵器が使用される地球規模の戦争になる可能性は高い。現状とは,紛争を武力で解決するという基本姿勢である。
ここに,9条の意味がある。9条は,交戦権を捨て、兵力をもたないことを世界に向かって公言したものである。日本は,勇気をもって、これを保持し、この理想に近づく努力をすべきである。勇気をもってというのは、隣国などからの脅威を、武力抗争でなく、なんとか話し合いで、平和裏に解決するという意気込みをもつということである。実際,日本が武力をより拡張し,自衛の為とはいえ、戦火を交えることに手を染めるとすると、現在の人類の技術レベルでは、日本国土を安泰に保持することはほとんど不可能であろう。日本に散在する54基の原子炉がミサイルの標的となり、その5分の1でも破壊されたら、日本は人間の住めない放射能汚染国になる。すなわち,原発が核兵器と同じ働きをするのである。逆に、日本が9条を保持し、非武力による紛争解決の世界のリーダーに成るならば,世界からの尊敬を受けこそすれ、武力攻撃の対象にする国はなくなると思う。スイスが良い例だと思う。そんな理想論はだめだ、と言ってしまえば、それまでだが、原爆の洗礼をうけた日本国こそが、この理想を高く掲げるべきである。
WFM(World Federalists Movement)のバンクーバー・ブランチは、現在、日本国憲法9条の貴重さを強調し、その擁護を日本政府関係者に訴える運動を起こそうとしている。世界中の人々を動かして、日本政府に働きかけることは有効であろうと思われる。
一方、日本国民は,戦争被害者ではあったとはいえ、戦争を引き起こした側への充分な反対の意志も伝えられず、軍部の独走、その暴挙などを許したことに一端の責任はあるものと考えて、その歴史事実を検証し、学ばなければならない。

落合栄一郎

映画鑑賞と討論会:「はだしのゲンから見たヒロシマ」

バンクーバー9条の会とピースフィソロフィーセンタ—共催で、『はだしのゲンから見たヒロシマ』を見て、平和の意味について討論を、下記の要領で催しますので、ご参加ください。

日時:10月30日午後7時−7時
場所:イエールタウン、ラウンドハウス(カナダライン、ラウンドハウス下車)

『はだしのゲン』は、中沢啓治さんの、反戦漫画の古典で、最近日本では,右翼などの圧力で、学校の図書館で、閲覧が制限されたりする問題が発生しています。それは、ヒロシマの悲劇に負けずに生きるゲンの生き様を描くと同時に、戦争への批判、日本の植民地支配、軍部の過酷さ、天皇批判などにも、触れられているからです。この映画は、その中沢啓治さんのインタビューを通して、彼の半生などが描かれています。自民党政権の、日本国を軍事力を行使できる普通の国にすべく、また、新憲法にもられた主権在民、基本的人権などの最も重要な憲法の基本概念を捨てて、戦前の体制に逆転させようとする動きが、活発化しています。この機に、この映画の鑑賞を通して、これから平和を維持するためにはどうするべきかなど、討論したいと思っています。どうぞ,ご参加ください。入場は無料ですが、会場費などの補助のための、寄付をお願いします。

落合栄一郎

 

7.03.2013

原爆展—平和の基礎を築くためにー

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原爆は,日本に最初に落とされましたが,現在でも地球上には全人類をなん度も皆殺しできるほどの核兵器が存在しています。先ずその恐ろしさをこの展示で見て頂きますが、恐ろしさの原因の1つは、死の灰—放射性物質—です.しかし、その影響はこれらの写真や絵では表現できません。死の灰、それは福島の原発事故でまき散らされたものも同じです。原発も原爆同様に、廃棄しなければならないものです。核兵器が、また戦争に用いられることになったら、広島・長崎程度のことでは済まされず、人類の多数が消失することになるでしょう。これを避けるには,核兵器の廃絶と戦争そのものをなくす努力が必要です。
この原爆展では、以下のような催しを行います。
(1)原爆の悲惨さを示す写真/絵の展示
(2)原爆と原発:放射能の健康被害、カナダの役割など—スライドショー
(3)鶴の折り方:千羽鶴の意味をアニメ映画で。

主宰:VSA9Peace Philosophy Centre
日時2013年、834日 午前11時—午後5
場所:日本語学校 487 Alexander Street, Vancouver
ヴォランテアー募集:展示会での手伝いをして下さる方を募集しています。特別な条件はありません。eo1921@telus.netにご連絡ください。


Atomic Bomb Exhibition – To Make Peaceful World –

      The atomic bombs were dropped on Hiroshima and Nagasaki, 68 years ago.
Since then, mankind has gathered nuclear weapons so many that they can annihilate ourselves several times over. This exhibition shows how terrible the effects of the atomic bombs were, but one thing cannot be illustrated.  That is the health effects of the radioactive material produced in the atomic bomb explosion. The same radioactive materials are being produced in the nuclear power reactor, and have been released into the environment from some accidents including that of Fukushima Daiich Nuclear Power Plants in 2011.  Hence the nuclear power reactor may be regarded to be one of WMD’s and hence must be abolished, like the nuclear weapons.
     An exhibition “Atomic bomb in relation to Peace” will be held as follows.
(1)  Panels to show the horrors of Atomic Bomb
(2)  Slide show: Nuclear weapon/nuclear power; their radiation effects and what Canada is doing.
(3)  Senbaduru (Thousand cranes): An anime movie of the story of Senbaduru

When: 11:00-17:00 on Aug. 3 and 4
Where: Japanese Language School, at 487 Alexander Street, Vancouver
Volunteers: Volunteers to help in setting up, manning tables and others are needed.
Please help us as you can, and email to eo1921@telus.net, if you can.

4.17.2013

猛暑を考慮に入れても今年の夏、原発なしで電力は足りる−新聞記事ー

以下に、原発が稼働しなくとも、今年の夏の電力は足りること、節電の要請も必要ないとの新聞の記事を掲げます。


1、9日の電力需給検証小委員会で、経済産業省は沖縄を除く9電力会社の今夏の
 電力需給見通しを報告。10年夏並みの猛暑となり、これ以上原発が再稼働しな
 い場合でも、全社が3%以上の供給余力を持てる見通しとなった。
  猛暑日の昼過ぎなどに想定される電力の最大需要に対し、どの程度供給力の
 余裕があるかを示す「供給予備率」は、全国平均で6.3%。今夏、電力不足だ
 った関電と九電がそれぞれ3.0%、3.1%との見通しを示し、安定供給に最低限
 必要な水準(3%)は何とか確保した。節電意識の定着で、昨夏の節電の7〜9
 割が今夏も継続すると見込み、景気回復に伴う需要増加分を吸収した。
 (後略)           (毎日新聞4月10日より抜粋)

2、さらに節電意識定着、電力9社不足せずと発表(4月17日)

  経済産業省は17日、電力需要検証小委員会(委員長・柏木孝夫東工大特命教
 授)を開いた。今夏は、猛暑を想定し原発をこれ以上再稼働させなくても、節
 電意識が定着したことで、沖縄を除く電力9社の電力は不足しないとする報告
 書案を示した。
  報告書案では、今夏の最大需要を1億6644万キロワットとした。東日本大震
 災後の節電実績を踏まえ、今夏の全国の節電効果は、無理な節電をしなくても
 1340万キロワットに上がると見込んだ。現在稼働している関西電力大飯原発3、
 4号機以外の原発が再稼働せず、景気回復による需要増(122万キロワット)を想
 定しても、9社の供給余力を示す「予備率」は、安定的な電力供給に最低限必
 要な3%以上を確保した。
                 (東京新聞4月17日より抜粋)

4.11.2013

安倍政権下での改憲の動きを論じる: UBC法学部松井茂記教授をむかえて (2013年5月4日、バンクーバーにて)


日本国憲法施行66周年・バンクーバー九条の会設立8年記念講座

 

安倍政権下での改憲の動きを論じる

UBC法学部松井茂記教授をむかえて-


日時:5月4日(土)午後2時―3時半


(開場1時45分) 

場所:Roundhouse Community Centre (Yaletown)

     2階 Multimedia Room

ラウンドハウスコミュニティーセンター(カナダライン Yaletown/Roundhouse 駅そば) 

費用:Admission by donation  

主催:バンクーバー九条の会、Peace Philosophy Centre 

問い合わせ:info@peacephilosophy.com  or 604-619-5627
 

集団的自衛権行使権容認、「国防軍」設置等を目的としながら、まずは改憲のハードルを下げるため憲法96条のみを改変し、国会両院の3分の2以上が必要な改憲発議を2分の1にしようとしている安倍政権。「アベノミクス」への期待感から上がる株価に勢いづいて、参院選に向けて高支持率を維持している、戦後最も好戦保守的な政権にストップをかけることは可能なのでしょうか!2007年に続き、UBCの憲法学者の松井茂記さんを招き、憲法についての私たちのさまざまな問いにお答えいただきます。
 

松井茂記教授 プロフィール

京都大学大学院法学研究科修士、スタンフォード大学法学博士。大阪大学法学部教授を務めた後、2006年よりUBC法学部教授。専門は憲法学、比較憲法学、マスメディア法、情報公開法、インターネット法、法律と医学。著書は『日本国憲法を考える(大阪大学出版会 2003年)『マス・メディアの表現の自由』(日本評論社 2005年)、『カナダの憲法-多文化主義の国のかたち』(岩波書店、2012年)等多数。

 

7.09.2012

脱原発派、国会で拡大中

国会内で「脱原発勢力」が拡大している。民主党に離党届を提出した小沢一郎
元代表ら49人が新党結成に向けて、消費税増税反対とともに、「脱原発」を政策
の旗印に掲げたためで、脱原発依存への姿勢が後退する野田政権に対する国会の
追及は強まりそうだ。
小沢元代表は2日に離党届を提出した後、新党の政策に関し「消費税増税先行
への反対は柱。原発の問題も大きな国民の関心事だ」と表明。「脱原発」を打ち
出し、首相との違いを鮮明にした。
元代表は、首相官邸前で毎週金曜の夜に行われる抗議活動について「政治が行
動しなければ、自分たちが行動するという(国民の)意識変化が大きく出てきた
のではないか。この意識が一番遅れているのが、永田町と霞が関だ」との見方も
示している。
元代表は6月5日、関西電力大飯原発再稼働をめぐり、政府に慎重な判断を求
める民主党有志議員が官邸に提出した117人分の署名に名を連ねた、新党参加者
のうち、署名者は元代表を含め、37人に上る見通し。次期衆院選をにらんで脱原
発の訴えを強める構えだ。(中略)
元代表は4日、社民党の又市征治副党首と国会内で会談し、消費税増税反対に加
え、脱原発でも連携を呼び掛けた。新党結成が国会の脱原発勢力を勢いづかせる
可能性はある。(7/7東京新聞より抜粋)

6.10.2012

憲法審査会ー最近の動き

衆議院憲法審査会の5月末ごろの審議の様子が、 http://pub.ne.jp/bbgmgt/?daily_id=20120606のサイトで報告されています。先にお知らせした「自民党の憲法改革案」を参照して、この動きをどう我々の運動に反映していったらよいか、ご検討ください。

5.16.2012

「原爆と原発−放射能は生命と相容れない」(本)


表題の小冊子(表紙は下に)が出版された(落合栄一郎著、鹿砦社,2012年5月、762円)。これは、著者が、昨年バンクーバーで行った講演に基づいている。日本人が対象ではないので、日本では常識になっているような事柄も、概要を説明したので、これ1冊で、「原爆と原発」問題の概要が掴めるように配慮されている。しかし、この本の主題は、「放射線というものが、いかに危険なものか、どうして危険なのか」という点に関して、科学的・原理的に考えてみるということにあり、現在様々な仕方で行われている放射線による人体の健康への影響を根本的に見直してみた。そして導かれた結論が、「放射線は本来生命とは相容れない」ということである。
現在福島原発の事故は収拾とはほど遠く、事故の現状ですら、ほとんど把握されていない。破壊が凄まじく、高い放射線量のため、人間が近づくことも難しく、調査は、精査をするには不完全なロボット頼りである。なんとかこのような現状を少しでも改善しようという努力はなされているようであり、それに携わる労働者に放射線被害がすでに起っており、死者もでている。また4号機は、現在も非常に危険な状態にあり、強い余震で、壊滅的な放射性物質放出を招きかねない。このような現状にもかかわらず、政府は終息宣言を出し、充分に科学的、技術的な検討もせずに大飯原発の再稼働を画策している。原発なしでも、充分に電力需要に応えられる事実には目を塞ぎ、電力不足を喧伝している。
一方、福島地元での避難区域の縮小などを政府が進める一方、放射能被害と考えられる様々な健康障害が、地元住民ばかりでなく、関東地方でも発生しているにも拘らず、そのような事実には政府は目をつぶっているし、したがって、組織的な充分な健康調査も行われていない。また、そもそもこの原因を作った企業に対する刑事責任の追求のかまえすらない。
こうした政治経済的、医療的側面は、日本国政府の政治姿勢が根本問題であるが、その前に、原発にしろ、原爆にしろ、根本的に生命(人間を含めた全ての動植物)とは、相容れないということを、この本では科学的見地から議論している。ということは、原爆も原発も、いのちを破壊するものであって、日本国とか,東電とかいうレベル以上の、全人類の問題である。原爆はいうに及ばず、原発を維持、開発を進めていけば、地球上の全生命にその破壊力がおよび、大げさに言えば、生命を持つ、このすばらしい地球という天体を生命が住めないものにしてしまう可能性がある。現在ある核兵器、原発を今すぐに廃棄しても、それに含まれる放射性廃棄物を生命に悪影響を与えないように処理するのは、非常に困難である。こんなものを人類が作り出してしまったのは、非常に残念なことであるが、今、この機会に少なくとも日本の原発は全廃し、原爆の被害者の立場も含めて、地球上からの原爆と原発の廃棄に、日本は指導的役割を果たせるであろう。こうしてこそ、原爆と原発の犠牲者に報いることができる。

4.27.2012

自民党の憲法改定案

自民党の憲法改定案の全文が、現憲法と対照して、http://www.jimin.jp/policy/policy_topics/pdf/seisaku-109.pdfで見られます。是非ご覧になってください。”天皇を元首”と規定するほか、様々な基本的人権も、公益と公の秩序に反するという条件で、かなり制約されるように思います。また,平和条文に関しては、基本的には”自衛権”を主張しますが、それに付随して、事実上の軍隊(国防軍と称する;通常どこの国の軍隊も、国防省に属します)に関する条文も追加されています。これに関して、法律に詳しい方を交えて検討する必要があるでしょう。

3.10.2012

工事ミスに偶然救われた福島原発大惨事

東日本大震災、福島原発事故から、1年が経ちました。まだ震災からの復興は、前途多難のようです。福島原発事故について、新たな戦慄すべき事実が最近わかったようです。それは、最も心配された4号基の暴発が、偶然に工事ミスで、回避されたということです。下に、朝日新聞の記事をはりつけます。

4号機、工事ミスに救われた 震災時の福島第一原発
2012年3月8日03時00分(朝日)

東京電力福島第一原発の事故で日米両政府が最悪の事態の引き金になると心配した4号機の使用済み核燃料の過熱・崩壊は、震災直前の工事の不手際と、意図しない仕切り壁のずれという二つの偶然もあって救われていたことが分かった。
 4号機は一昨年11月から定期点検に入り、シュラウドと呼ばれる炉内の大型構造物の取り換え工事をしていた。1978年の営業運転開始以来初めての大工事だった。
 工事は、原子炉真上の原子炉ウェルと呼ばれる部分と、放射能をおびた機器を水中に仮置きするDSピットに計1440立方メートルの水を張り、進められた。ふだんは水がない部分だ。
 無用の被曝(ひばく)を避けるため、シュラウドは水の中で切断し、DSピットまで水中を移動。その後、次の作業のため、3月7日までにDSピット側に仕切りを立て、原子炉ウェルの水を抜く計画だった。
 ところが、シュラウドを切断する工具を炉内に入れようとしたところ、工具を炉内に導く補助器具の寸法違いが判明。この器具の改造で工事が遅れ、震災のあった3月11日時点で水を張ったままにしていた。
 4号機の使用済み核燃料プールは津波で電源が失われ、冷やせない事態に陥った。プールの水は燃料の崩壊熱で蒸発していた。
 水が減って核燃料が露出し過熱すると、大量の放射線と放射性物質を放出。人は近づけなくなり、福島第一原発だけでなく、福島第二など近くの原発も次々と放棄。首都圏の住民も避難対象となる最悪の事態につながると恐れられていた。
 しかし、実際には、燃料プールと隣の原子炉ウェルとの仕切り壁がずれて隙間ができ、ウェル側からプールに約1千トンの水が流れ込んだとみられることが後に分かった。さらに、3月20日からは外部からの放水でプールに水が入り、燃料はほぼ無事だった。
東電は、この水の流れ込みがなく、放水もなかった場合、3月下旬に燃料の外気露出が始まると計算していた。

2.27.2012

憲法改悪の動き活発化

以下は最近の新聞記事です。

”天皇は元首、自衛軍保持 自民が憲法改正原案
2012年2月27日 22時04分
 自民党の憲法改正推進本部(保利耕輔本部長)がまとめた憲法改正原案が27日、分かった。現行憲法が「象徴」とする天皇を「元首」と明記し、国旗 国歌の尊重規定を新設。2005年に策定した党新憲法草案を踏襲し「自衛軍」の保持を盛り込むなど、保守層を意識した内容が特徴だ。
 原案は28日の推進本部役員会で決定する。党執行部はさらに議論を加え60年前にサンフランシスコ講和条約が発効した4月28日までに新たな憲法改正案を策定し、今国会に提出する構えだ。ただ成立は見通せない。
(共同)”

”自民党の政権構想会議(議長・谷垣総裁)は1日、次期衆院選政権公約(マニフェスト)の骨格となる「党の基本姿勢」(谷垣ドクトリン)を発表した。 〈1〉国民に誠実に真実を語り、勇気を持って決断する政治〈2〉憲法を改正し、日本らしい日本を確立する〈3〉自助を基本とし、共助・公助はそれを補うとの考えで、社会政策、経済政策を行う――など9項目を盛り込んでいる。(2012年3月1日22時44分 読売新聞)”

自民党ばかりでなく、日本のあらゆる改憲派の憲法改悪への動きが最近活発化しています。国会の憲法改正審議会も動き出したし、大阪市長の橋下氏は、中央政治の混迷を良いことに「維新」の会なるものを立ち上げ、それに付和雷同する日本国民が70%近くもいるそうであり、それを背景にしてかどうかは知らないが、「憲法9条改定」を公約に政権獲得に動き出そうとしている。彼は「憲法9条を変えなければ、日本には住みたくない」とまで公言している。日本の同志と手をつなぎ、この動きを食い止める努力をしなければなりません。

1.02.2012

放射線と生命は本来相容れない

震災に伴う原発事故で、「原発の安全神話」は完全に覆されたが、今度は,その事故に伴う放射性物質拡散による危険性を少なく見せるために「放射線安全神話」を、政府も関係機関も国民に納得させようと懸命なようである。その有力な、ほとんど唯一の根拠はICRPの制作による基準である。それを、多くの人は、科学的根拠として、金科玉条の如く信じていたようであるが、最近のNHKの報道によって、それを作った人達自身が、科学的根拠を否定する発言をしていることがわかり、とくに低線量内部被曝に関しての彼らの基準値的なるものはなんら科学的根拠のないものであったことが暴露された。
 筆者は、かねてより低線量放射線による内部被曝について、ある程度は科学的な根拠に基づいて、ICRPなどの考え方に疑問を呈してきた(日刊ベリタ2011.04.25、2011.05.04、2011.06.18、2011.06.27、2011.06.30)。このような考え方をさらに押し進めていくと、(高エネルギー)放射線は、本来生命とは相容れないことが見えてくる。その科学的根拠を、最近当地で講演(*)したので,その概略をここに報告する。ここから、見えてくることは(高エネルギー)放射線は、生命に限らず、地球上のあらゆる物質(化合物)に破壊的に作用するのであり、非常に難しい綱渡り的な物質系である生命に、それが顕著に現れるが、その他の物質にも破壊的に作用する。
原爆も原発も、原子核分裂反応を利用する。一方我々の生命を始め、地球上のあらゆる物質は化合物とその反応で成り立っている。化合物の世界では、原子がついたり離れたりするが、原子を構成する原子核は変化せずに、その回りを回っている電子の動きのみによっている。この動きに作用する力は、いわゆる「電磁力」で、比較的弱い力である(プラスとマイナス電荷が引き合う力や磁石が引き合う力)。その力に基づく化学反応に伴うエネルギー変化は、物質を構成する原子や分子当たりにすると、1-10 eV(エレクトロンボルト)の程度である(エレクトロンボルトなどのエネルギー単位は下の注で説明する)。これよりかなり大きいエネルギーをもった粒子が、こうした原子や分子に衝突すると、様々な現象が起るが,分子から電子を蹴り出したり、(原子と原子を結ぶ)結合を切ったりする。ということは、分子を破壊する。
さて、原子核分裂に代表される原子核レベルに作用する力は、「強い力」といわれるもので、化学的世界で働く「電磁力」よりも桁違いに強い。そのために、核反応に伴うエネルギー変化は、化学反応のエネルギーの100万倍以上大きい。放射性物質が放射性粒子(α、β、γなど)を放出する反応は、原子核に変化が起きる(不安定な原子核が安定な原子核になろうとするため)現象で、この変化に伴うエネルギーが放射線粒子に担われ、それらは、KeVからMeV(K=キロ(千倍)、M=メガ(百万倍))程度である。すなわち、化学反応に伴うエネルギ−変化の数千倍から百万倍ほど大きい。
放射線の影響(被曝量)を評価するのに、シーベルト(Sv)が用いられている。これは、放射線の生体に与えるエネルギー値で表される;すなわちβ線、ガンマ線では、J/kg(J=ジュール)、α線では、この値の20倍の効果があるとされている。この表現での問題は、例えば、次のような例によってわかる。100Svという被曝量はとてつもなく強いもので、100%が死亡する。しかし、エネルギ−—値から評価すると、(これがβ、γ線とする)100J/kgの被曝で、体温をわずか0.024度上げるだけである。こんな体温上昇で人間は死にはしない。しかし同じエネルギー量でも放射線ならば、100%確実に死ぬ。どこかがおかしい。しかも、体内に入った放射性物質による内部被曝では、外部被曝と同様に1kg当たりのエネルギー値として評価することは無意味である。というのは、内部被曝の場合放射線の影響する範囲は、1kgぐらいの広範囲に及ぶことはないからである。
さて、今度は、放射性物質が、生体内に入り込んで定着し、生体を構成する化合物にどんな作用を及ぼすであろうかを考えてみたい(なお、こうした放射性物質がある場所に定着し、どのぐらい長く居続けるかは、様々な因子に依存するので一概にいうことは出来ない)。放射性物質からは、次々に放射性粒子が出て来る。それらは、回りにある分子に衝突する機会があるだろう。すると何が起るか。電子を蹴り出したり、結合を壊したりする。しかし、これでエネルギーは尽きないので、次々と他の分子とも衝突する。そして蹴り出された電子はさらにβ線と同じ作用をする。どの分子が影響を受けるかは、確率的でわからない。生体の分子には、水、タンパク質、脂質、DNAなど様々なものがある。DNAにあたって、その一部を破壊すると、いずれはガンに発展する可能性がある。生体にはある程度の修復機能があるので、破壊された部分を修復することはある程度できる。これはある程度であり、大幅な破壊には対処できない。水に放射線があたると、水分子を壊して、水酸化ラジカルなどの危険分子を作る。これがDNAを始めとする様々な分子を壊す。こうした反応は、確率的に生体内のどこでも起るので、放射線の内部被曝では、ガンのみでなく、成長しつつある胎児にも、免疫機構などにも起こりうるので、奇形児誕生、病弱(免疫機構損失による)、早期老化現象など様々なことが起こりうる。
被曝量を体全体へのエネルギー(J)で表現するやり方では、こうした放射線の重大な影響が見えて来ないし、とくに内部被曝問題によく対応できない。放射線の脅威をもう一つ例証してみよう。最近、オゾン層が少なくなって、太陽光中に紫外線が多くなった。海水浴などで、紫外線を遮断または散乱させるサンスクリーンを体にぬることが推奨されている。どうしてか。紫外線が皮膚を老化させ(破壊)たり、皮膚ガンを発生させる可能性を皆が知っているからである。紫外線は、化学エネルギーより一桁ぐらい大きいだけであるが、こうした危険性がある。α、β、γ線などの放射線は紫外線の数千倍から数万倍以上の強さをもっている。そのような放射線を持続的に出すものが体内には入ったらどうなるか考えてみて頂きたい。それが、放射線による内部被曝である。
高エネルギー放射線は、化学世界である地球上のあらゆる物質に破壊的作用を及ぼす。その影響は、非常に難しい綱渡り的な生き方をしている生命に顕著に現れるが、そればかりではない。あらゆるところで起きているのだが、顕著でないので、気がつかないだけである。たとえば、原子炉を形作る分厚い鋼鉄も、放射線の影響(高温、高圧の影響もあるが)を受け、次第に脆弱化していく。原子力燃料が燃え尽きた後も、主成分であるウラン−238(他にもあるが)は厳然として残っており、数十億年にわたりα線を出し続ける。このようなものを入れる容器は何であれ、化学物質である限り、放射線によって長年にわたって傷つけられるため、いずれは破壊される。これが、核燃料廃棄処分が、原理的に安全に出来ない根本理由である。
このように、化学世界とは相容れない高エネルギー放射線を出す物質を人間は、故意に原爆と原発というやり方で、地球世界に導入しているのである。もちろん、すでに天然に放射性物質が地球上に存在することは事実で、これは避けようもないし、そして生物は、それをなんとか躱して生きてきたが、これ以上人為的に増やすことは、人類や地球上の生命にとって自殺行為である。なお、この議論の詳細は別な形で発表する。

[注:エネルギーの国際スタンダード(SI)は、ジュール(J)で、現在でも広く用いられているカロリー(cal)とは, 1 cal = 4.184 Jの関係にある。1Jは約4分の1カロリーである。これは通常の目に見えるレベルのエネルギー表示に使われる。電力では、出力の単位として、ワット(W)が使われる。これは1秒間に1J(J/s)であり、エネルギーはワット時(ワットに時間をかけるとエネルギーになる)。さて、放射線の問題では、放射線粒子と分子の衝突という分子・原子レベルで起るので、放射線粒子、分子・原子1個あたりのエネルギーを考えなければならない。これは非常に小さいものである。というのは、例えば,水1gは、水の分子の数にすると、約3 x (E22) 個という膨大な数である。(E22)は1のあとにゼロが22個つく数)ということは、水分子1個はべらぼうに小さな軽いものである。さて、このレベルのエネルギー値として通常使われるのが、エレクトロンボルト(eV)で、1 eV = 1.6 x (E-19) Jである。(E-19)は10000000000000000000分の1というべらぼうに小さい数。こうした日常とはかけ離れた非常に大きいまたは非常に小さい数を考慮する必要があるが、これが、科学を通常扱わない人には難しいのではないかと思う。Sv値の問題は、放射線がこの分子・原子レベルの問題なのに、通常の生活レベルのJで表現したこと、したがって、放射線の生命への影響の根本を考慮せずに定義されていることである]
(日刊ベリタ2011.12.31より転載)

(*)E.Ochiai "Nuclear Weapons and Nuclear Power Plants - their inevitable consequence is dispersal of radioactive material" at World Federalists Mtg on Nov. 17, 2011, and at Museum of Anthropology, University of British Columbia, on Nov. 26, 2011

9.26.2011

国民意見「脱原発」が98% 原子力委、大綱議論再開

2011.09.27日付けの東京新聞の記事です。


国民意見「脱原発」が98% 原子力委、大綱議論再開

2011年9月27日 11時33分

 国の原子力委員会(近藤駿介委員長)は27日、今後の原子力開発の基本方針を示す「原子力政策大綱」の見直しを議論する策定会議を半年ぶりに開いた。東京電力福島第1原発事故後、原子力委に国民から寄せられた原発に関する意見のうち98%を「脱原発」が占めたと報告された。

 意見は全部で1万件で、原発に関するものは4500件。「直ちに廃止」が67%、「段階的に廃止」が31%だった。理由は「災害時も含め環境への影響が大きい」「日本は地震国だ」「放射性廃棄物の問題が解決していない」などが多かった。

 この日は、東電や政府が事故の概要、住民避難や損害賠償の状況を説明した。

9.24.2011

福島で市民を排除して行われた放射線国際会議を信用できるか

『週刊金曜日』9月16日号より、

福島医大で開催された、「放射線と健康リスク」国際会議を報告した記事を紹介する。笹川の金に支えられ、放射線の一番の害は心理的なものであるとする国際的な「専門家」先生たちが集まった会議である。「100ミリシーベルトで大丈夫」で有名な山下俊一が副学長に就任した福島医大で開催された。

パネリストをICRP勧告の信奉者に限定し、市民も排除した会議に、市民の健康を考えた放射線の知識など期待する人はいるだろうか。


9.20.2011

911-同時多発テロと震災・原発事故と

日本での911は、東日本大震災の半年後、世界にとっては、アメリカ東部の同時多発テロの10年目。様々な意味で、考えさせられることの多い記念日である。この二つは丸で違った、無関係な事象のように見える。一方は、テロリストと称される人々が遂行したとされるとんでもない事件、そしてもう一方は、自然がもたらした巨大地震と津波、そしてそれに起因する原発事故。どこにも接点はない。911はまた、1973年にアメリカのCIAの後押しによるチリでの軍事クーデターの記念日でもあるそうだ。これらに共通点は“911”以外にあるのだろうか。
10年前のあの時、筆者は、ニューヨーク州の隣(ニューヨーク市からは間にニュージャージー州)ペンシルバニア州の大学で教鞭をとっていた。第1時限のクラスを終えて自分のオフィスに戻ると、自宅からの電話で、今とんでもないことがニューヨークで起きているということを知らされた。その後は、大学も授業を中断、人々はテレビに釘付けになった。あの飛行機が高いビルに激突するという異常さ、本当のことには思われない。そして、それを知らされたブッシュ大統領が、子ども達との対話を続け、驚いた様子も見せない映像は、非常に違和感を与えた。そして、あのビルの崩壊の速さ、あんな速度であんなビルが崩壊するのは、これも夢を見ているような気分だった。筆者の息子は、あのマンハッタンの川向こうのブルクッリンに住んでいたので、電話するとアパートの屋上から家族で呆然とあの崩壊の有様をみていたそうだ。彼らは、あの数日前、友人の訪問者をあの崩壊したビルに案内したそうだ。ペンシルバニアのシャンクスビルという村にもハイジャックされた一機が墜落したとされている。その現地の映像も映されたが、比較的小さな窪みで、機体とか人間の死体が散乱しているようにはとても見えなかった。実は、あの村は、筆者が住んでいたところからさほど遠くない場所なので、あの場所には行ってみるべきであったと今は残念に思う。しかし、仕事もあるし、何がなんだかわからず混乱していて、そういう探究心がおきる余裕もなかったようだ。
その後の経過、政府発表の公式見解、それへの様々な異論・疑問の噴出などについてはある程度報道されたが、民間からの異論・疑問点に答えるべきさらなる政府側の事件究明はない。このこと自体、非常に異常である。主要メデイアは、この件について報道することを禁止されているかのように、触れようとはしない。真相は、未だに闇の中である。今年の911記念日には、死者を悼んだり、記念碑を建てたりする行事ばかりで、あの事件の真相についてはどこからも報道はなし。ただ、カナダのトロントでは真相解明の会議が開かれはしたが。
しかし、イスラム系のテロの恐怖をアメリカ国民の多くと世界の人々に植え付けることには成功した。そしてテロ対策を口実(真の目的は別)に、アフガニスタン、イラクなどへ攻撃を仕掛け、莫大な戦費を浪費してやまない。この戦費はどこへ行くのか、無辜の市民も含め多くの人間を殺すために、経済的に困った若者を兵士に仕立て、安月給で使うが、その間で様々な権益に与る企業に、戦費の多くが転がり込む。なぜこんな無駄を続けるか、それは、そうして儲ける側が政権や立法府を牛耳っているからである。
一方、テロ対策、国家安全のためと称して国家保安局を設け、これにも多額の資金を注ぎ込んでいる。テロは、イスラム系の組織(と称される)のそればかりでなく、権力を批判する人々をもテロリストと規定し、監視の対象としている。アメリカ市民の自由はかなり制限されはじめた。
大平洋戦争では、真珠湾攻撃を米政府は第2次世界大戦へのアメリカ参戦の正当化に用いた。すなわち、真珠湾攻撃の真相は、米政府があの日本の海軍の動きを知りながら、日本のするままに任せ(アメリカ兵の犠牲も容認して)、国民に参戦の正当さを納得させ(*)、30年代からの経済不況を回復させる意図があったようである。戦争を経済活性化に利用したのである。それは成功し、アメリカは一躍世界の最強国になった。その後、20−30年間は、経済を握る人々の余力もあってか、労働者達(労働組合の努力もあって)にもその恩恵がもたらされ、中産階級が増え、いわゆるアメリカ的豊かさを、多くの市民が享受した。(なお、人類の歴史を通じて、戦争はしばしば国内での問題から市民の目を逸らさせるために用いられた)
しかし、経済の実権を握る層の利益追求がさらに募り、新自由主義などという退廃的市場経済理論なども援用して、レーガン政権(イギリスのサッチャー政権の方が先)があらゆる企業の規制緩和を始めた。そして、 経済エリートは利益を上げるのに近道の金融を操作することに血道をあげた。ヨーロッパで金融業を始めたエリート中のエリートがその上層部を形成している。またアメリカの企業は、利潤増大を計るために、労賃が安く、様々な制約の少ない海外に生産拠点を移していった。アメリカ市民の雇用機会、したがってその生活・生命などは無視しての利益重視の典型で、現在のアメリカの失業率の高さの遠因である。多くの製造業を海外に移したが、軍需関係の製造業やサービス業は海外に移すわけにはいかない。すなわち、アメリカの大地に残った製造業は主に軍需産業である。
1989年にソ連圏が崩壊するまでは、冷戦を理由に軍需産業は繁栄していた。しかし、冷戦が終結して、高い軍事力を維持する必要性は減少した。冷戦終結に伴う東側の混乱はともかく、欧米側も軍需産業が低迷せざるをえなくなった。そのため、例えば、フランスでは、軍需産業に活を入れるために、 原爆のテストを世界各国の反対を押し切って、1995年に挙行した。上にも述べたように、アメリカは軍需産業以外の産業が空洞化し、経済が殆ど戦争依存となってしまっている。
911事件は、本当のところ誰が企画し遂行したかは定かではないが、テロへの軍事行使を正当化することに利用された。しかも所在や組織・人数なども不明確なテロリスト相手であり、終わりの見えない戦争である。しかも欧米の軍事組織NATO諸国の多くが参加し、アメリカに強制されたNATO以外の國も参加させられている。軍需産業にとってはありがたい戦争である。事実、軍需産業は、アフガニスタン、イラクには、軍需物資供給ばかりでなく、正規の兵士と同じぐらいの数の民間傭兵も供給して、アメリカ市民からの税を懐にしている。一方国民の多くは職を失い、賃金低下を余儀なくされ、医療保険なども完備していないなどなど、その生活基盤は増々低下している。今年、アメリカの貧困所帯(4人家族で年収2万2千ドル以下)は15.1%に増大した。
さて、日本の911、いや本来は311の事象はどうか。地震・津波とも自然現象であり、現時点では人類はどうすることもできない。ただし、防潮堤その他をより強固なものを設定していたら、防げた部分もあったであろうし、避難への準備などももっと整っていたならば、死者の数を減らすことはできたであろう。福島第1原子力発電所では、先ず地震で、そして津波により運転中の原子炉3基と、冷却プール(4号基)に故障が生じ、燃料棒の冷却が不十分になり、水素爆発などの事故が発生し、放射性物質が環境(空中、海水、などへ)に放出された。この部分は人災である。地震、津波に対する十分な安全策をとっていなかったことがそもそもの原因である。
さて、この事故を起こした主体は 東京電力という企業である。しかも、他の数社の電力会社とともに、日本全国を分割して、それぞれがその地方の独占企業であるうちの最大のものである。この会社が、建設し、他に迷惑をかけないように運転し、そして、独占である以上、電力を供給する責任を負う。もちろん、原発が国策として導入されたので、建設費その他国家からの補助が与えられた。さて今回の事故では、大量の放射性物質が炉外に出て、原発敷地ばかりでなく、かなり広範にバラまかれた。
この震災からの復興には主に二つの基本問題がある。壊滅的な被害を受けた個人・地方自治体・企業体などの復旧・復興と、原発事故被害をどう償うかである。前者はすでに起きてしまった被害を修復し、人々の生活を元通り(必ずしも完全に同じようにという意味ではない)にするための財政的、その他の援助である。これを早急に十分に行うことは国家の為政者(行政、立法)の責任である。国民にも一端の責任はあるが、このための財源を國が確保することが必要である。この財源を赤字国債発行や増税などにより、またまた国民からカネを吸い上げるよりも、日本国民の利益にあまり関係のない出費を削減して、災害復興に回すのが妥当なやり方ではないだろうか。それは、例えば、駐留アメリカ軍のための思いやり予算であったり、利権のためだけにする、実際は国民の役に立たない様々な公共投資などなど。
原発事故の収拾とその被害の賠償。いやその前に放射能被害を出来るだけ食い止める、汚染を除去する方策にまず全力を上げることが必要である。これはだれが責任を負うべきか、事故を引き起こした電力会社である。先ず、この企業が出来るだけの努力と出費とを負担しなければならない。原発以外の事故ではそれが通常である。放射性物質拡散(除染は可能な限りやった上で)の被害は様々である。住民の直接的な健康被害、農作物汚染、漁獲物汚染、瓦礫汚染などなど。健康への影響は、直ちには現れないケースが多い。こうした悪影響は、金銭のみで解決できるものではないが、金銭的な賠償は十分になされるべきである。
以上二つの事象(同時多発テロとそれに付随する諸々の事象、と福島原発事故)は、人類の現状に対する警告である。先ず自分達の立場をテロという形でしか表現できない追いつめられた人達がいること(テロという行為を、宗教が要請すると思い込むような原理主義者もいるにはいる)、しかし、2001年の911事件が本当にそうしたテロであったかはまだ不明。テロがアメリカに向けられたことを利用して自分達のやりたいことを遂行した人々(石油のためにアフガン、イラク侵攻を遂行した)は、テロを公式発表の如くであると民衆に印象づける努力をしたし、そうした権力に牛耳られたメデイアはそれに協力した。そして、一部のエリート達がその戦争により利益を得、一方、同じような意図を持つ金融業者たちも、普通市民の生活や生命をも犠牲に利益獲得に執心している。これは、かって人類が克服した(全ての國でではないが)絶対王制と同様な少数支配への退歩である。このような状況下では、共和制の基礎となるいわゆる代表制民主主義は、その選挙過程、選挙された国民代表の大部分も少数エリートに買い取られていて、市民の利益を代表するようには機能していない;形骸化された民主主義である。残念なことには、アメリカ市民の多くが、宗教原理主義的思考などに毒されて、こうした支配層の繰り出すウソに乗せられてしまっている。彼らは、支配層の言う「政府が最大の問題;全ては個人の力に依存」などなどの宣伝を信じ込み、支配層の隠された企み(國の富を大多数の国民から少数の支配層が奪取)には気がついていない。大多数市民は、支配層による愚民化・奴隷化策に気づいていない。この傾向は、特に911事件以降顕著になってきた。
さて、日本はどうか。福島原発事故で原発の安全性が否定され、経済的にも原発は引き合わないことも暴露され、国民の多数は脱原発の方向に動き出した。ただし、原発維持・推進派は、あらゆる手段で、原発維持の方向に国民をつなぎ止めておきたいと躍起になっている。脱原発に方向転換した菅首相を与野党がそろって追い落とし、背後の権力は原発容認派を政権の座に据えた。新経産大臣が、脱原発の方向を打ち出すや、僅かな失言をもとに、速やかに更迭してしまった。この一連の動きの背後には、国民の生命よりも、利益を重大視する市場資本主義(新自由主義)に毒された経済機構とそれを操る人達がある。日本の資本主義はまだアメリカのそれのように退廃しきってはいないようだが、特定企業は、原発維持(原爆開発も視野に入れた)を超えて、軍需創出を目ざしているようである。この災害・原発事故の混乱を幸いに、憲法9条改悪へも動き始めた気配がある。
911も311も、人間の生命や福祉よりも、企業利益を優先する企業に依存する経済体制・文明(コーポラトクラシー)を浮き彫りにした。災害復興、脱原発への動きにおいても、企業利益優先の精神は発揮されているようである。復興のための努力に、動機づけが必要ではあるだろうが、それが企業などの利益というような形で発揮されるのは、現在の経済体制の延長にすぎない。今、人類は、こうした「利益」優先の経済体制を放棄して、市民(普通人)の幸福への寄与を土台にした経済体制を築かねばならない。
(*「Day of Deceit: The Truth about FDR and Pearl Harbor」(Robert B. Stinnett, Touchstone, 2000)     (日刊ベリタ2011.09.15より転載)

9.06.2011

震災のごたごたに紛れて改憲の動き

震災からの復旧、復興、原発事故処理などの重要な問題があるなか、憲法審議会を立ち上げる動きが出ているようです。それを止めさせようという運動の報告です。
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憲法審査会を始動させるな、憲法を震災復興に生かせ!9・13緊急院内集会
○全ての原発からの撤退を!全ての大震災被災者の救援を!
○普天間基地即時撤去!辺野古新基地建設反対!南西諸島への自衛隊基地建設反対!
○国会議員の比例区定数削減反対! 増税反対! 

13日から野田新内閣で初めての臨時国会が始まります。すでに民主党はこの間、未解決の問題が多々あるため開店休業状態だった憲法審査会の委員の選出を進めることを決め、会長に大畠氏を内定していると報道されています。
原発震災が収まらず、福島県をはじめ東日本一帯の復旧・復興にとって緊急な課題が山積している中、改憲を画策するなどとんでもないことです。
新内閣は米国の要求に従い、沖縄の辺野古新基地建設を進める構えであり、南西諸島への自衛隊基地建設を進めようとしています。また増税や国会議員の比例区定数削減を進める方向です。
私たちは臨時国会の冒頭に際して、緊急に院内集会を開催し、これらの悪政に反対の意思を表明したいと思います。

日時:9月13日(火)午後4時から5時まで
会場:衆議院第1議員会館第5会議室(午後3時半から会館ロビーで入館証を配布します。)
入場無料
呼びかけ:2012年5・3憲法集会実行委員会事務局
憲法改悪阻止各界連絡会議、「憲法」を愛する女性ネット、憲法を生かす会、市民憲法調査会、女性の憲法年連絡会、平和憲法21世紀の会、平和を実現するキリスト者ネット、許すな!憲法改悪・市民連絡会
連絡先:憲法会議 03−3261−9007、市民連絡会 03−3221−4668

9.03.2011

野田新内閣は原発推進派

野田新政権が発足したが、それが発足するやいなや、原発維持/推進派の動きが活発になったようで、残念である。実は、菅首相の追い落としは、彼の脱原発姿勢をやめさせるために、財界/電力業界側が画策したのではないかと思っていたが、どうもそのようであったらしい。この新政権が、原発廃止、自然エネルギー促進にどんな態度をとるか、しかと目を見張っていなければならないだろう。最近の、電力業界からの巻きかえしについての記事のいくつかを、下に掲げる。

○ 原子力施設周辺の活断層評価「見直し不要」 電力各社
 東京電力など電力会社8社と日本原子力発電、日本原子力研究開発機構、日本原燃は30日、東日本大震災を踏まえても、原子力施設周辺の活断層評価を見直す必要はないとの見解を公表した。今回の震災で東電が活断層ではないとしてきた断層が動いたため、経済産業省原子力安全・保安院が検討を求めていた。
 震災の影響で、東北地方を中心に地下の構造にかかる力が変わり、従来とは逆の東西に引っ張る力が働くようになった。4月11日にはこの影響とみられるマグニチュード(M)7の地震が福島県で起きている。このため、東電は、福島第一、第二原発周辺の五つの断層が動く可能性を否定できないとして新たに評価。動いたとしても想定を超える地震の揺れは起きないと結論づけた。 (朝日新聞 8月30日)
○ 原発周辺、地震起こす可能性低い 東北電力が調査
 東北電力は30日、女川原発(宮城県)、東通原発(青森県)周辺の断層が現時点で地震を起こす可能性は低いとの調査結果をまとめ、経済産業省原子力安全・保安院に報告した。東日本大震災後に東京電力福島第1原発、福島第2原発付近で地表に断層が現れたケースがあったため、報告を求められていた。
 東北電力によると、女川原発から半径約30キロ圏内には27の断層、東通原発の場合は8断層があるが、今回の地震で新たに発生した断層はないという。地殻の変動状況や余震、地質などを調査したところ、すでに把握している断層についても地震を引き起こす可能性は低いという評価だった。 (共同通信 8月30日)
○ 浜岡原発周辺の断層、異常なし 中部電、保安院に報告
 中部電力は30日、浜岡原子力発電所(静岡県御前崎市)周辺にある断層を再評価し、いずれも地震を起こす可能性が低いとの調査結果をまとめ、原子力安全・保安院に報告した。
 中部電力は、これまで活動性がないとしてきた断層6カ所を再評価。東日本大震災に伴う地殻変動などを調査した結果、震災直後は周辺の地盤が東に5〜6センチ動く地殻変動があったが、7月までに数ミリ程度と通常に戻ったという。中部電は耐震設計上、新たに考慮すべき断層はない」と総括した。 (産経新聞 8月30日)
○ もんじゅ 来年度予算凍結せず
 開発中止か否かが議論になっている高速増殖炉もんじゅ(福井県敦賀市)について、中川正春文部科学相は二日、来年度予算に必要経費を計上する方針を明らかにした。ただ、水と触れると激しく反応するナトリウムを冷却材に使うことに懸念を表明。地震などに見舞われた際の安全性を再検証するため、識者による検証委員会を設ける意向を示した。 (東京新聞 9月3日)

6.17.2011

放射線被曝量のエネルギ−値はそんなに小さいの, なのになぜ危険なの?

先に、「被曝量数値の意味するもの」という議論をこの欄でご覧いただいた(日刊ベリタ2001.04.25)。そこでは、被曝量のしきい値のおおよその値を出してみて、それに基づいて、現在許容されている被曝量数値を検討してみた。
ところで、β線、γ線では、Gy(グレイ)=Sv(シーベルト)、α線では、Sv=20Gyであり、1Gyは、1kgの物体(人体)に1Jのエネルギーを与えるものということは周知されているものと思う。そこで、“1Gyとか1Svとかがどの程度のエネルギ−かを考えてみると、1kgの水ならば、その温度を0.00024度上げる程度の極く小さいエネルギ−である”という解説をよく見かける(Jは、カロリーの4.18分の1)。この計算にもGyやSvの定義にも、間違いはない。本当にそうならば、1Svなんてとても危険とはほど遠い、少量のエネルギ−で、危険などと大騒ぎする必要なんかないではないか。ということになる。この論理にどこか間違いがありますか。しかも現在問題になっているのは、Svではなく、その1000分の1のmSvのレベル、またその1000分の1のμSvのレベルである。それならなおさら、問題にするほどのことではないではないか。しかし、先の記事( 日刊ベリタ2001.04.25)で議論したように、0.2μSv/h(h=時間)が一応の危険のしきい値となる。どうしてそんなに小さなエネルギ−が問題になるの?この謎というか理由を今回は検討してみようと思う。
まず、先の通常行われる説明(1Gyは、水1kgをわずかに0.00024程度上げるエネルギ−である−これは正当である)は、放射線粒子(電子、光子)からのエネルギ−が、サンプル(この場合は1kgの水)に当たった時、直ちにこの水全体に均等に分散することを前提にしている。この仮定は妥当であろうか。放射線粒子は、かなり小さい部分に集中する(特に放射性微小粒子による内部被曝のような場合)し、そのエネルギ−は直ちにはサンプル全体に分散しないのではなかろうか。これが一つの疑問。何しろ、生体内の事情は複雑である。まず、生体1kgといっても、その中には、水あり、様々な分子あり、また様々な組織(臓器)、細胞ありきで、放射性物質がどう分布するかなど特定は困難である。
さて、放射線粒子がたまたま特定の1分子に当たったとするとどういうことになるかを考えてみよう。放射線粒子はそれぞれ固有のエネルギ−を有している。それは様々で、β、γ線ではおよそ、5KeV-5MeVほどである。議論の都合上、その真ん中辺をとって500KeVとしておく。これは、8 x 10^(-14)Jに相当する。これが放射線粒子1個のもつ平均的(平均そのものではない)なエネルギ−である。(ということは、mSv(mGy)は、約10^(10)個(Bq)の放射線粒子、μSv(μGy)は約10^(7)個(Bq)に相当する。この換算計算はICRP(国際放射線防護委員会)の原理とは異なり、直接的な換算である。)
この放射線粒子のエネルギーを、化合物の電離エネルギ−(イオン化エネルギ−)や、結合エネルギー(分子中の原子間をつなぐエネルギ−)と比較してみる。電離エネルギ−は、千差万別だが、多くは約2000kJ/molぐらいまでで、1分子(原子)あたりにすると、約3.4 x 10^(-18) J。また結合エネルギ−も500kJ/mol ほどで、1結合あたり8 x 10^(-19) Jぐらいである。これらの数値を比較すると、放射線1粒子のエネルギ−は、こうした化合物1分子を壊す(電離とか結合を切る)に必要なエネルギ−の数万倍から十万倍ほどの大きさである。生体内の物質のおよそ80%は水であり、大部分の放射線粒子はその水に吸収されるのだろうが、その大部分は熱となって放散するだろうし、それほど重大な結果にはならない。しかし、時には(例えば10^(-7)以上の確率があれば)で、分子から電子を蹴り出したり(電離)、化学結合を切ったりする。例えば、健康に直接繋がる分子DNAの一部を電離させたり、結合を壊したりしてDNAを壊す。これは、1μSv の被曝量で起こりうる。しかし、この確率がもっと高く、例えば、10^(-5)ならば、0.01 μSv の被曝でも起る。この確率は、放射性物質の存在状態、周辺の生体物質の存在状態などなどの関連性で決まるのであろうが、推測することは不可能である。しかし、分子を電離させたり、結合を壊したりする確率は、当然のことながら、Bq値が上がるほど大きくなる。もう少し一般的な放射線の作用は、水を分解して、活性酸素を作ったり、細胞膜の分子の結合を切って、反応を起こさせ、もろくしたりする。こうした作用の起る確率は、特定DNA分子に衝突するより遥かに高いであろう。こうした生成物はさらに他の反応を起こし、細胞に不都合な状態をもたらすこともある。他にももっと様々な反応もあるであろうが、まだ十分には解明されてはいない(可能な反応の一応の解説はあるー http://www.rist.or.jp/atomica/data/dat_detail.php?Title_Key=09-02-02-10)。
しかし、先の記事(日刊ベリタ2011.04.25)でも述べたように、生体にはある程度の修復能力(DNA修復や、活性酸素失活酵素とか)はあるので、その範囲内ならば、生体は、放射線によって引き起こされた傷を癒したり、有毒化合物(活性酸素も含む)を解毒できる。しかし、この過程でも、直ぐには修復されないが、すぐには負の効果を現さないないような傷もあり得るし、それが被曝の継続で堆積して後に健康に被害を及ぼす可能性もある。
以上、正確で明白な議論はできないが、Gyとか、mSv、μSvなどの数値は、エネルギ−値としてみる時、随分小さい値にみえるが、個々の放射性粒子と個々の分子との相互作用を考慮するならば、決して小さいどころか、かなり大きいエネルギ−値(分子を破壊するに必要なエネルギ−よりも数桁も大きい)であることを示した。そして、内部被曝では、こういう相互作用が起っていて、ここに放射線が、人体(一般に生体)にとって危険な原点がある。
(日刊ベリタ2011.05.04より転載)

6.03.2011

Should Canada continue building nuclear power plants?

CBC is conducting a poll about the issue of nuclear power plant, as follows. Please go to
http://www.cbc.ca/news/yourcommunity/2011/05/nuclear-power-should-canada-follow-germanys-lead.html
and vote.


Nuclear power: Should Canada follow Germany's lead?

May 30, 2011 10:06 AM | Read 155 comments155
By Community Team

An environmental activist sits on top of the Brandenburg Gate after Greenpeace activists fixed a radioactive sign to the Quadriga in Berlin, May 29. An environmental activist sits on top of the Brandenburg Gate after Greenpeace activists fixed a radioactive sign to the Quadriga in Berlin, May 29. (Michael Gottschalk/dapd/Associated Press)Germany will shut down all of the country's nuclear reactors by 2022, according to a plan adopted early Monday.

Germany has 17 nuclear power plants, which supplied about a quarter of its electricity before seven of them were shut down this year after the catastrophe at Japan's Fukushima reactor.

Energy from wind, solar and hydroelectric power currently produces about 17 per cent of the country's electricity, but the government aims to boost its share to around 50 per cent in the coming decades.

In Canada, existing nuclear reactors in Ontario, New Brunswick and Quebec are being refurbished to extend their lives, and there are plans to build more nuclear reactors.

Two new reactors at Ontario's Darlington nuclear plant are expected to go into service in 2018. A new "clean energy park" along side the Point Lepreau plant in New Brunswick, which would blend renewable and nuclear power, is still in planning stages.

The Government of Canada has set the objective that 90 per cent of Canada's electricity needs be provided by non-emitting sources such as hydro, nuclear, clean coal or wind power by 2020.

Should Canada continue investing in nuclear power generation or follow Germany's lead and shut down its reactors altogether? Let us know what you think in the comments below.

5.25.2011

原発擁護の議論の欺瞞

福島原発の事故が原発の安全性神話を破壊したことは事実でしょう。しかし、日本政府は安全性の改善を検討するという態度で、廃棄まではまだ考えてはいないようである。日本などより事故の危険性の低いドイツもスイスも原発全廃に踏み切った。おそらく技術的に完全に安全な原発はあり得ないし、とくに地震国日本では、事故の可能性が大きいのは事実なのであるから、早急に原発全廃(直ちに無理だとして、そういう意思とそれに基づく廃止計画策定を)に向けて動き始めねばならない。
しかるに政府も電力会社も原発を放棄するには至っていない。日本国民のかなりの部分もまだ原発全廃には与していないようである。それには、まだまだ原発擁護の様々な 議論が提出されているという理由もある。その第一は、原発がなくなれば、日本のエネルギ−供給が不足し、停電などが起るぞという脅しである。これへの反論はすでにここでも議論したし、多くの人が行っているのでこれ以上は言及しない。
 もう一つ別の原発擁護の議論は、放射能汚染と健康被害を過小評価して、事故が起っても、大したことはないのだよという説得である。例えば、広島、長崎にあの後、人が住んで十分に普通の生活をしているではないか、だから放射能の影響は現在騒がれているほどのものでないのである、という議論である。広島、長崎で人々はもう普通の生活をしていることは事実である。しかしあの原爆爆発後の放射性物質がどの程度、広島、長崎に残っていた/いるかについての十分なデータがなければ、ただ単に人はほらちゃんと生活できいるではないかといっても放射能物質が健康へ被害を及ぼす可能性を否定することにはならない。原爆後数年間のうちに内部被曝した人達は、いわゆる原爆後遺症に悩まされ続けたことは事実で、放射能の健康被害は明瞭にあったのである(この詳細については例えばhttp://blog.goo.ne.jp/saypeace/e/e7c0c4fb14788871a6c370f4284771c1参照)。しかし、現在では、放射性物質の存在量は、すでに影響を及ぼす程度以下になっているのであろう。
 次に、日本で原発擁護によく使われる論理に、ガンは老齢になるにしたがって発生率が上がる、そして日本は高齢化社会になったためにガン死が多くなっている(ガン死亡率が高いことは事実)。福島原発事故の結果予想されるガン死亡率の上昇(これがどのようにして予測されたか、その正当性の検証は別)は、こうした日本のガン死亡率の大きさと比べると無視できる程度というのがある。だから問題にするにはあたらない。この論理には、ガンが高齢になるしたがって、自然に発生するものという前提がある。そんなことはない、ガンには原因がある。様々な原因があるが、バックグラウンドの放射能が、ここ70年ほどの間に、原爆投下、原爆実験、原発事故、原子力潜水艦事故、劣化ウラン弾使用などなどにより、上昇していることもその一つであろう。その他には、様々なガン化を促す物質の環境への放散もあるが。そしてこの論理で見逃されているのは、幼児のガン発生率の上昇である。その上に、最も顕著な事故であったチルノブイリの、その後の人々への健康被害は、公には、かなり過小評価されて報道されている。
 さて先(http://vsa9.blogspot.com/2011/04/blog-post_24.html 落合日刊ベリタ2011.04.25)に、人間が自然からの放射能に晒されていることは事実であり、それでも人間は通常に生きているという現実に基づいて、しきい値的な数値を出してみた。それに基づいて、現在様々な状況下で許容されている基準値なるものの危険度を検討してみた。次の議論(落合日刊ベリタ2011.05.04)では、 内部被曝における放射線の影響の機構を考えてみた。そこでは、放射線粒子と体内分子の相互作用が内部被曝の健康被害の基礎であることに基づき、いかに放射線粒子が生体物質を破壊するかを検討した。このような観点に立つと、先に述べたしきい値以下でも、その影響があることは確率的にゼロではないことがわかる。これは、自然から受ける(いわゆるバックグラウンド)放射能でも、例えばガンになる確率はゼロではないし、ガンの近年における増大は、先にも述べたように、このことが関係していると考えられる。これを科学的に立証することは殆ど不可能である。しかし不可能だから無視してもよいということにはならない。
 人間に出来ることは、そうした(放射線汚染による)影響を人類や他の生物の健康に及ぼす可能性のある、原爆、劣化ウラン弾、原発などを廃止し、代換エネルギ−を開発すべきなのである。どうして原発を擁護するような理屈を持ち出す必要があるのか。原発がなくとも人間社会はちゃんと機能するし、人々が安心して生活ができる。そのほうが良いのではないだろうか。

4.24.2011

被曝量数値の意味するもの

原発の事故とそれに伴う放射性物質の原子炉外への逸失に関して様々な数値が飛び交っている。それが何を意味するのか、特に人体、子どもの体にどんな影響を及ぼすのだろうかが、日本国民の最大関心事だと思う。これは難しい問題で、「これだから、こうだ」と断言することは出来ない場合が多い。放射線の健康への影響には不確定要素が多い。それにもかかわらず様々な主張がなされていて、安心感を与えたり、不安感をつのらせたりしている。
この原因は、内部被曝の放射能の影響を正確に判断するのが殆ど不可能だからである。原爆・原発が開発されて以来、様々な公的、私的機関が、放射能の影響を調査・研究してきたが、それは主として外部被曝についてである。内部被曝に関しての組織的調査・研究はほとんどない。チェルノブイル原発事故後の健康被害は、内部被曝に起因するが、被爆量との相関性は、詳しくはわからない。
まず外部被曝と内部被曝の違いを簡単に説明しておく(不必要かもしれないが)。原爆/原子炉内で放射性物質ができ、それが、外部に出る。それは、ガス状であったり、化合物として水に溶け出たり、微小な粉末になって飛び散ったりする。これらから放射線が出て来るが、それが人体にあたって影響を与える。これが外部被曝。しかし、放射性物質である粉を吸い込んだり、放射性物質の溶け込んだ水や牛乳、またそれが付着していたり、すでに中に入ってしまっている野菜や肉、魚などを食べることによって体内に放射性物質が入り込んで、そこで回りの体組織に放射線を浴びせるーこれが内部被曝です。外部被曝は比較的影響が少ない。放射線の透過力があまり大きくないので、主として表面近辺の被害である。ただし、大被爆量になれば、かなりのダメージを内部にも及ぼし、急性放射能症状を呈し、死にいたることもある。それに対して、内部被曝では、少量でも体の内部の組織が直接攻撃されるので、被害は大きい。
ただし、地球上のあらゆる生物(人間も)は、自然状態で、外部被曝のみならず、放射性物質による内部被曝にいつも晒されていることは事実で、それをある程度修復する機構は内蔵している。そうでなければ、いままで生物は進化してこられなかったはずである。その主なものの一つは、遺伝子DNAを修復するもので、何らかの原因(放射線照射も)でDNAの一部が壊れたり、間違って作られたりすると、それを監視する機構があって、間違いを見つけ、それを切り取って正しいものをつけ直すことができる。
 放射線によるガン治療の専門家(http://tnakagawa.exblog.jp/15239706/)によると、正常な細胞では、100—200mSv以下の放射線量であれば、放射線で受けた遺伝子の傷のほとんどは、2時間以内に修復されるそうである。傷を直せなかった細胞は、自殺することで、傷の影響(ガン化など)を防ぐこともする。最も問題なのは細胞分裂をコントロールする遺伝子が傷を受けた場合で、無制限な細胞分裂(ガン)に発展する可能性がある。この専門家の記述ではガンしか扱われていないが、細胞への放射線の影響は他にもいろいろあり、細胞や組織が放射線により化学変化をうけて正常に機能しなくなるはずだが、その詳細についてはまだわかっていない。ただし、ここで問題にされているのは,外部からの照射と思われるので、この被爆値100—200mSvの内のどれほどが、内部照射に相当するかがわからないので、この数値を内部被爆の許容量とするわけには行かない。
さて自然に人間が受ける被爆量は、平均で2.4mSvと見積もられている(この見積もり値には、1.0—2.4ぐらいの幅がある)。これは、常に人間が晒されている外部被曝と内部被曝の総計の1年分である。ということは、平均すると、0.274μSv/hとなる。このうち、約30%が内部被曝のようなので、 人間体内(1kgあたり)は自然に毎時、約0.1μSv/h被曝している。これくらいの被曝量は、体内で処理できていることになる。ただこれ以上どのぐらいまで、修復能力があるのか、データはない。まあ2—3倍程度とすると、約0.3μSv/hぐらいまでは大丈夫かもしれない(この推定には十分な科学的根拠はない)。これより多くの体内被曝は、様々な健康障害を引き起こすであろう。研究者仲間では、こうした「これ以下なら大丈夫という値」(しきい値という)があるかどうかはまだ決着がついていない。ここで出した0.2μSv/hが内部被曝のしきい値に相当することになる(0.2なのは、自然に被曝している分を差し引いたもの)。
さて一般市民の年間線量限度は、自然と医療由来のものを除いて1.0mSvとされている。この数値には内部と外部の両方が含まれていると仮定する。しかも、内部被曝をその10%としておこう。外部被曝するときには、内部被曝もする可能性がある,しかし,どのぐらいかは、個々の事情によるので、10%は単なる目安にすぎない。さてこの仮定のもとで、許容される内部被曝量は、年に均一に被曝したとすれば、1時間当たりの内部被曝量は、0.01μSv/hぐらいで、修復可能なようである。同じ量の被曝を1ヶ月に受けるとすると、0.14μSv/hで、修復できるぎりぎりのところである。
福島原発での作業員の年間許容被曝量が250mSvに引き上げられた。作業員の被爆下での実働時間が3時間x200日として、600時間/年。平均して約400μSv/hの被爆を許容することになる。これ全てが外部被爆であるならばあまり問題はないであろうが、呼吸とともに放射性物質を体の中に取り込む危険はあり、それが、たとえ許容される400μSv/hの1%(4μSv/h)であっても、体の修復能力をはるかに凌駕する。
最も危険な基準値設定の一つは、福島の放射能汚染地区の学校で子どもたちの被曝許容量を20mSv/年に設定したことである。年に屋外で遊ぶ時間を2時間/日で、250日/年とすると、500時間で20mSv、すなわち40μSv/hの被曝となり、この全被曝のうち1%ぐらいが内部に入って内部被曝を起こすと仮定すると、0.4μSv/hの内部被曝になり、上で推定したしきい値を凌駕する。これは、仮定の上に仮定を設けた推測なので問題だが、内部被曝がもっと大きな割合であったり、たまたま平均値よりもかなり高い放射線量の場所と時間に遭遇したりすれば、さらに不利な状況におかれることになる。
先にも述べたが、実際はこれらの基準値は、おそらく内部被爆を想定してはいない。そこに放射線源があるから放射線が出るのであって、その場にいる人が、外部被曝しか受けないというのは、はなはだ疑問である。以上3つの例で示したように、体内に入った放射性物質ならば、かなり少量でも体の修復能力を超過して、たとえ直ぐにではなくとも、ガンも含めた健康障害が出る可能性がある。
内部被爆問題はもっと複雑で、はっきりしたことを言うことは困難である。先ず、放射性物質が水に溶けているのか、粉末状か、これにより体内への侵入の仕方が違う。前者は口から消化器系統を通り、胃腸から吸収されるかも。前者ならば、肺と呼吸器系統に入るであろう。次に放射性物質の化合物形態、これはそれらがどのように体内に分布し、どのように、どのぐらいの速さで排泄されるかに関係する。最後に核種,I-131かCs-137か、はたまた別のものか(多くはそれらが混ざっているだろう)、これは、入った放射性物質がどのぐらい長く放射能を出し続けるか(半減期)に関係する。I-131なら、かなり速く消滅するが、Cs-137ならかなり長く放射線を出し続ける。
I-131は特殊な作用をする。甲状腺ホルモン(チロキシン)には I(ヨード)が含まれている。さて、普通のヨードは、I-127で放射性はない。甲状腺は、このホルモンを作るためにヨードをとり込むが、非放射性と放射性のヨードを区別することができず、放射性のものも取り込んでしまう。だから、甲状腺に放射能を持ったI-131も取り込まれ、そこでベータ線、ガンマ線を出して、細胞をガン化させてしまう。これをある程度予防するために、普通のヨードからできているヨー化カリが処方される。放射性ヨードを薄めて、甲状腺に取り込まれるのを少なくしようとするものである。
被曝する側の状態が被曝による健康障害にどのような関係があるかの問題も考えてみる必要がある。体内の組織・細胞の状態・全体の健康状態いかんで、同じ放射線量を受けても反応が違うことは当然である。これも、内部被曝の影響を予測しがたい原因の一つである。一般的に言えることの一つは、乳幼児に,ということは、胎児を抱えている妊婦にも、特に内部被曝の影響が大きいということである。人間の成長初期は、急成長期にあるので,体の中の細胞は、大人と比べて非常に活発に分裂を繰り返している。先にも述べたように、DNAの内でも、特に細胞分裂をコントロールする部分への放射線照射の影響が最も怖い。胎児、乳幼児では、大人と比べてこうした遺伝子が多く活動している。そこで、放射線被曝の影響は、大人と比べて格段に敏感である。おそらく、妊婦・乳幼児では、内部被曝のしきい値は、先に述べたものよりもかなり小さな値であろう。
汚染された食べ物、飲み物による内部汚染は、汚染程度と食べた・飲んだ量がわかれば、推定できるはずだが、個人がそんなことを自分でできるわけがない。そして、これも、一応の暫定値が決められているが、その適用は、あまりにも不確定要素が多すぎて、上での議論のようなことはしても無駄であろう。
(日刊ベリタ2011.04.25より転載ー落合栄一郎)

4.18.2011

原発を廃棄せずに運転しつづけたらー最悪のシナリオ

皆様:

 原発を残しておくべきだという意見が、まだ多く残っています。それは、電力供給が原発にかなり依存しているから、それを廃止したら困るという議論です。原発の必要性は、それほど深刻な問題ではないということは、先の田中優さんの話でもかなり納得できるところです。しかし、それでもなおという方には,次の最悪のシナリオ(落合:日刊ベリタ2011.04.19掲載)をお読みください。脅かすわけではなく、原発を続けていたら、かなりの確率で起こりうることだと思います。では、



原爆/原発/軍事的自衛


日本は、第2次世界大戦の最後に原爆を二つ落とされ、アメリカの水爆実験では漁船第5福竜丸乗組員が被曝、そして今回の原発の事故による放射性物質の拡散と様々な放射能被害に遭ってきた。

人類は、放射性元素の発見(有名なキューリー夫人が最初)に始まり、核分裂反応を発見した。第2次大戦後期には、核分裂を応用した大量破壊兵器を、ドイツが開発しているというウワサに基づき、それに負けじと、アメリカが原子爆弾開発を急いだ結果、実用可能なものが、1945年始めに完成した。人類というものは、可能だとなるとそれを実現しなければならない(科学・技術段階)、そして、それを完成したとなると、それを使用しなければならないという衝動を抑えるのがむずかしいようである。原爆はちょうど大平洋戦争が、最終段階に入る時にできたので、それを使いたい。原爆を使わずとも、日本が降伏することは、かなりの正確度で予想されていたにもかかわらず、原爆使用を正当化するシナリオを作り上げて,原爆を1つならず2つも落とした。1つ落とせば十分なのに、どうして2つ落としたか、それは、原爆とはいえ、2つは別のモノを使って作った(ウランとプルトニウーム)ので、2つとも実験してみたかったようである。

戦後、対立するソ連が、原爆開発に乗り出し、西欧諸国もそれに参加、アメリカは、さらに強力な大量殺人兵器−水爆を開発,実験を行って、それに日本人がまたも巻き添えをくってしまった。これらの原爆開発国は、その「悪魔」性を少しでも軽減させる(自分達自身も他の人をも納得させる)ために、この原理は平和的目的にも使えるのだということを世界に知らせるために、原子力発電なるものを開発しだした。そして、原爆の被害を受けた日本でこそ、原子力の平和利用を促進することは、宣伝効果(悪魔性収縮効果)があるというわけで、日本へ原発開発を持ち掛けた。日本側には、それによって利益を受ける集団が進んで、原発開発に乗り出した。その結果が現在日本全国に分布する54基の原子炉である。

さて,原爆では、瞬時に莫大な熱が発生し、強風を引き起こした結果、瞬時に多数の死者を出した。その上に、原爆が放出した放射性物質が、生き残った人々の体内に入り込み、放射線による内部被曝の結果、様々な後遺症、健康障害を引き起こし、生き残った人々を苦しめた。

原発の問題は、これと同様に、(この場合には事故により)放射性物質が原発施設外に出てしまうことによる。それが、人々に原爆の後遺症と同様な被害を及ぼすことにある。それがどの程度になるかは、今後放射性物質の漏出をどの程度うまく抑えられるかによる。さてこれが、日本人の被曝の第4回目である。

今ある原発を停止して放射性物質(燃料棒)を安定な状態に持って行かずに、運転を継続したら、どうなるかを考えてみよう。日本は、地震多発地帯に位置しており、いつまたかなり大きな地震が襲わないとは限らない。これは誰もが,予想していることである。そして、原発は、海岸沿いに造られていて,地震ばかりでなく津波の影響を受けることは必定である。福島原発は設計の段階で、十分な津波対策は考慮されていなかったらしいし、これ以外の現在稼働中の原発がどの程度災害対策ができているか、非常に疑問である。その上、プルサーマルや、高速増殖炉のような、より危険な炉も稼働している。次の地震・津波では、さらに大きな危険が予想される。それは、現在よりも苛烈な放射能被害をもたらすかもしれないーこれは日本の被曝第5回目ということになる。

もう一つ、現在、東アジアの国際間が緊張しており、日本国内では、自衛力強化を促進している。ということは、いざという場合、武力による対応を考慮しているのであろう。現在の国際間の武力衝突では、長距離からのミサイル攻撃が先制するであろう。敵は何をターゲットにするだろうか。軍事基地が先ず最初であろう。2番目は、おそらく日本全土にある原発であろう。これにミサイルが打ち込まれて、原子炉が一部でも破損したらどうなるか。放射性物質の漏出である。日本中がこれにより放射能で汚染されることになる。このあと、(この間、日本側も相手側をかなり破壊することはできたとしても)日本は数世紀は人間が住めなくなる。これが日本の第6番目のそして最後の被曝になるであろう。

こんな未来図は、望ましいことなのであろうか。このような未来を避けるためには、(1)原発廃棄,(2)武力に依存しない国際間の軋轢回避(平和憲法を堅持し、世界各国に原爆・その他の兵器放棄を呼びかける)しかない。

4.11.2011

原発は「必要悪」ではなく、単なる「悪」

社民党福島党首が、この期を「社会変革」のよい機会と捉えて、識者との対話を始めた。その第1回が、田中優氏との対話である。それは、ユーチューブ上で見られる(http://www.youtube.com/watch?v=KhEEwZ7xKyE)。これは、非常に重要で示唆に富んでいる発言なので、是非ご覧になって頂きたいが、その要旨をここに記しておきます。

(1)現在の震災とそれに端を発する原発/放射能の危機を世の中を変える端緒と捉えよう。原発の危険性は十分に証明されたが、原発は「必要悪」と考えられている。これは間違いである。その理由を下に記すが、その必要性が十分に否定されるならば、原発は「悪」に過ぎなくなる。
(2)原発の代わりに自然エネルギーへ転換することには様々な利点がある。原発は、大規模であるが、その規模に比較して雇用数が少ない。 現在、日本が電力供給のための輸入に使っている年間23兆円を自然エネルギー開発に振り向けたら、地域開発、雇用増大に大変な貢献をする。しかも、安全で、電力コストも安い。ドイツでは、このような自然エネルギーを促進した結果、80万人ぐらいの雇用を作り出した。
(3)現在メデイアに登場する広告の最大のスポンサーは電力会社で、そのためにメデイアは原発などに関して十分正確な情報を提供していない。このような事情は今こそ替える好機である。すなわち電力会社による広告業界の専横を禁止する。
(4)なお原発は、現在55基ほどあるが、その建設は、政府からの助成金(すなわち国民がはらった税)に多く依存している。
(5)自然エネルギー開発に歯止めをかけていることの一つに、送電系統が民間電力企業に握られていることがある。電力供給は、発電、送電、配電するシステムからなる。送電は,いわば、道路である。道路は普通公のものであり、送電も公有にすべきである。例えば、北海道で、風力発電を開発しようとしても,北海道電力が、送電系統を利用させないという足かせがある。送電システムが公有になればそのような邪魔はなくなる。
(6)さて問題は、電力の需要である。まず、総電力需要の4分の3は、家庭以外の事業所のものである。また、ピーク時の使用電力の91%は事業所。家庭でいかに節電しても、あまり影響がない。電力需要のピークは夏、気温31度以上になる真昼の2−3時間であることは、わかっているし、気温の予想はかなり確実である。したがって、この間の節電を事業所に知らせ,協力してもらうことは困難ではないし、事業所も計画的に対処できる。家庭の単位電気料金は、使用量と共に上がる(だから夏の最中は高くなりー節電を誘導しようというのだが、家庭使用料はたかがしれている)。一方、事業所の単位電力料金は、逆に使用量に従って安くなる。これでは、節電をするメリットがない。そのため、やろうとすれば出来る省エネ製品を導入していない。
(7)現在の日本の電力会社の年間稼働率は、全体で約55−60%ぐらいと低い。ヨーロッパでは平均70数%であるから、稼働率を少し上げるだけで、上昇する需要を賄える。
(8)以上のような事情を考慮すれば、原発は必要ないことがわかる。したがって、原発は「必要悪」ではなく、「悪」にすぎない。

3.21.2011

原発の恐ろしさ,原発は廃止すべきということについての現場からの証言

以下に掲載するのは、1996年に発表された原発の現場からの証言です。証言者平井憲夫氏は、20年間、現場監督として原子力発電所で働き,原発での様々な事故にも立ち会ってきた人です。その仕事中に放射能物質に晒され続けたためか、1997年にガンで亡くなられた。この証言は1996年に発表されたものですが、原発の現状が、あの時点より格段に改善されたとは到底言い切れないので、この証言で語られている原子力発電所の様々な問題は、まだ、解消されていないと思う。ここで語られているのは,現時点での地震・津波による事故以前の問題、すなわち原発の建設や運営上の技術的基本問題で、原発が本来安全なことはあり得ないこと、そして燃料廃棄も含めたら、エネルギー的にも経済的にも原発は引き合わないことを証言しています。

証言

優しい地球残そう子どもたちに

平井憲夫

 二十年間、原子力発電所の現場で働いていた者です。原発については賛成だとか、危険だとか、安全だとかいろんな論争がありますが、私は「原発とはこういうものですよ」と、ほとんどの人が知らない原発の中のお話をします。そして、最後まで読んでいただくと、原発がみなさんが思っていらっしゃるようなものではなく、毎日、被曝者を生み、大変な差別をつくっているものでもあることがよく分かると思います。はじめて聞かれる話も多いと思います。どうか、最後まで読んで、それから、原発をどうしたらいいか、みなさんで考えられたらいいと思います。原発について、設計の話をする人はたくさんいますが、私のように施工、造る話をする人がいないのです。しかし、現場を知らないと、原発の本当のことは分かりません。
私はプラント、大きな化学製造工場などの配管が専門です。二十代の終わりごろに、日本に原発を造るというのでスカウトされて、原発に行きました。一作業員だったら、何十年いても分かりませんが、現場監督として長く働きましたから、原発の中のことはほとんど知っています。



「安全」は机上の話

 

去年(一九九五年)の一月一七日に阪神大震災が起きて、国民の中から「地震で原発が壊れたりしないか」という不安の声が高くなりました。原発は地震で本当に大丈夫か、と。しかし、決して大丈夫ではありません。国や電力会社は、耐震設計を考え、固い岩盤の上に建設されているので安全だと強調していますが、これは机上の話です。この地震の次の日、私は神戸に行ってみて、余りにも原発との共通点の多さに、改めて考えさせられました。まさか、新幹線の線路が落下したり、高速道路が横倒しになるとは、それまで国民のだれ1人考えてもみなかったと思います。
世間一般に、原発や新幹線、高速道路などは官庁検査によって、きびしい検査が行われていると思われています。しかし、新幹線の橋脚部のコンクリートの中には型枠の木片が入っていたし、高速道路の支柱の鉄骨の溶接は溶け込み不良でした。一見、溶接がされているように見えていても、溶接そのものがなされていなくて、溶接部が全部はずれてしまっていました。
なぜ、このような事が起きてしまったのでしょうか。その根本は、余りにも机上の設計ばかりに重点を置いていて、現場の施工、管理を怠ったためです。それが直接の原因ではなくても、このような事故が起きてしまうのです。



素人が造る原発

 

原発でも、原子炉の中に針金が入っていたり、配管の中に道具や工具を入れたまま配管をつないでしまったり、いわゆる人が間違える事故、ヒューマンエラーがあまりにも多すぎます。それは現場にブロの職人が少なく、いくら設計が立派でも、設計通りには造られていないからです。机上の設計の議論は、最高の技量を持った職人が施工することが絶対条件です。しかし、原発を造る人がどんな技量を持った人であるのか、現場がどうなっているのかという議論は1度もされたことがありません。
原発にしろ、建設現場にしろ、作業者から検査官まで総素人によって造られているのが現実ですから、原発や新幹線、高速道路がいつ大事故を起こしても、不思議ではないのです。
日本の原発の設計も優秀で、二重、三重に多重防護されていて、どこかで故障が起きるとちゃんと止まるようになっています。しかし、これは設計の段階までです。施工、造る段階でおかしくなってしまっているのです。
仮に、自分の家を建てる時に、立派な一級建築士に設計をしてもらっても、大工や左官屋の腕が悪かったら、雨漏りはする、建具は合わなくなったりしますが、残念ながら、これが日本の原発なのです。ひとむかし前までは、現場作業には、棒心(ぼうしん)と呼ばれる職人、現場の若い監督以上の経験を積んだ職人が班長として必ずいました。職人は自分の仕事にプライドを持っていて、事故や手抜きは恥だと考えていましたし、事故の恐ろしさもよく知っていました。それが十年くらい前から、現場に職人がいなくなりました。全くの素人を経験不問という形で募集しています。素人の人は事故の怖さを知らない、なにが不正工事やら手抜きかも、全く知らないで作業しています。それが今の原発の実情です。
例えば、東京電力の福島原発では、針金を原子炉の中に落としたまま運転していて、1歩間違えば、世界中を巻き込むような大事故になっていたところでした。本人は針金を落としたことは知っていたのに、それがどれだけの大事故につながるかの認識は全然なかったのです。そういう意味では老朽化した原発も危ないのですが、新しい原発も素人が造るという意味で危ないのは同じです。現場に職人が少なくなってから、素人でも造れるように工事がマニュアル化されるようになりました。マニュアル化というのは図面を見て作るのではなく、工場である程度組み立てた物を持ってきて、現場で1番と1番、2番と2番というように、ただ積木を積み重ねるようにして合わせていくんです。そうすると、今、自分が何をしているのか、どれほど重要なことをしているのか、全く分からないままに造っていくことになるのです。こういうことも、事故や故障がひんぱんに起こるようになった原因のひとつです。
また、原発には放射能の被曝の問題があって後継者を育てることが出来ない職場なのです。原発の作業現場は暗くて暑いし、防護マスクも付けていて、互いに話をすることも出来ないような所ですから、身振り手振りなんです。これではちゃんとした技術を教えることができません。 
それに、いわゆる腕のいい人ほど、年問の許容線量を先に使ってしまって、中に入れなくなります。だから、よけいに素人でもいいということになってしまうんです。

 また、例えば、溶接の職人ですと、目がやられます。30歳すぎたらもうだめで、細かい仕事が出来なくなります。そうすると、細かい仕事が多い石油プラントなどでは使いものになりませんから、だったら、まあ、日当が安くても、原発の方にでも行こうかなあということになりま 
す。

 皆さんは何か勘違いしていて、原発というのはとても技術的に高度なものだと思い込んでいるかも知れないけれど、そんな高級なものではないのです。
ですから、素人が造る原発ということで、原発はこれから先、本当にどうしようもなくなってきます。



名ばかりの検査・検査官

 

原発を造る職人がいなくなっても、検査をきっちりやればいいという人がいます。しかし、その検査体制が問題なのです。出来上がったものを見るのが日本の検査ですから、それではダメなのです。検査は施工の過程を見ることが重要なのです。
検査官が溶接なら溶接を、「そうではない。よく見ていなさい。このようにするんだ」と自分でやって見せる技量がないと本当の検査にはなりません。そういう技量の無い検査官にまともな検査が出来るわけがないのです。メーカーや施主の説明を聞き、書類さえ整っていれば合格とする、これが今の官庁検査の実態です。
原発の事故があまりにもひんぱんに起き出したころに、運転管理専門官を各原発に置くことが閣議で決まりました。原発の新設や定検(定期検査)のあとの運転の許可を出す役人です。私もその役人が素人だとは知っていましたが、ここまでひどいとは知らなかったです。というのは、水戸で講演をしていた時、会場から「実は恥ずかしいんですが、まるっきり素人です」と、科技庁(科学技術庁)の者だとはっきり名乗って発言した人がいました。その人は「自分たちの職場の職員は、被曝するから絶対に現場に出さなかった。折から行政改革で農水省の役人が余っているというので、昨日まで養蚕の指導をしていた人やハマチ養殖の指導をしていた人を、次の日には専門検査官として赴任させた。そういう何にも知らない人が原発の専門検査官として運転許可を出した。美浜原発にいた専門官は三か月前までは、お米の検査をしていた人だった」と、その人たちの実名を挙げて話してくれました。このようにまったくの素人が出す原発の運転許可を信用できますか。東京電力の福島原発で、緊急炉心冷却装置(ECCS)が作動した大事故が起きたとき、読売新聞が「現地専門官カヤの外」と報道していましたが、その人は、自分の担当している原発で大事故が起きたことを、次の日の新聞で知ったのです。なぜ、専門官が何も知らなかったのか。 それは、電力会社の人は専門官がまったくの素人であることを知っていますから、火事場のような騒ぎの中で、子どもに教えるように、いちいち説明する時間がなかったので、その人を現場にも入れないで放って置いたのです。だから何も知らなかったのです。
そんないい加減な人の下に原子力検査協会の人がいます。この人がどんな人かというと、この協会は通産省を定年退職した人の天下り先ですから、全然畑違いの人です。この人が原発の工事のあらゆる検査の権限を持っていて、この人の0Kが出ないと仕事が進まないのですが、検査のことはなにも知りません。ですから、検査と言ってもただ見に行くだけです。けれども大変な権限を持っています。この協会の下に電力会社があり、その下に原子炉メーカーの日立・東芝・三菱の三社があります。私は日立にいましたが、このメーカーの下に工事会社があるんです。つまり、メーカーから上も素人、その下の工事会社もほとんど素人ということになります。だから、原発の事故のことも電力会社ではなく、メー力−でないと、詳しいことは分からないのです。
私は現役のころも、辞めてからも、ずっと言っていますが、天下りや 
特殊法人ではなく、本当の第三者的な機関、通産省は原発を推進しているところですから、そういう所と全く関係のない機関を作って、その機関が検査をする。そして、検査官は配管のことなど経験を積んだ人、現場のたたき上げの職人が検査と指導を行えば、溶接の不具合や手抜き工事も見抜けるからと、一生懸命に言ってきましたが、いまだに何も変わっていません。このように、日本の原発行政は、余りにも無責任でお粗末なものなんです。



いいかげんな原発の耐震設計

 

阪神大震災後に、慌ただしく日本中の原発の耐震設計を見直して、その結果を九月に発表しましたが、「どの原発も、どんな地震が起きても大丈夫」というあきれたものでした。私が関わった限り、初めのころの原発では、地震のことなど真面目に考えていなかったのです。それを新しいのも古いのも一緒くたにして、大丈夫だなんて、とんでもないことです。1993年に、女川原発の一号機が震度4くらいの地震で出力が急上昇して、自動停止したことがありましたが、この事故は大変な事故でした。なぜ大変だったかというと、この原発では、1984年に震度5で止まるような工事をしているのですが、それが震度5ではないのに止まったんです。わかりやすく言うと、高速道路を運転中、ブレーキを踏まないのに、突然、急ブレーキがかかって止まったと同じことなんです。これは、東北電力が言うように、止まったからよかった、というような簡単なことではありません。5で止まるように設計されているものが4で止まったということは、5では止まらない可能性もあるということなんです。つまり、いろんなことが設計通りにいかないということの現れなんです。こういう地震で異常な止まり方をした原発は、1987年に福島原 
発でも起きていますが、同じ型の原発が全国で10もあります。これは地震と原発のことを考えるとき、非常に恐ろしいことではないでしょうか。



定期点検工事も素人が

 

原発は1年くらい運転すると、必ず止めて検査をすることに 
なっていて、定期検査、定検といっています。原子炉には70気圧 
とか、150気圧とかいうものすごい圧力がかけられていて、配管 
の中には水が、水といっても300℃もある熱湯ですが、水や水蒸 
気がすごい勢いで通っていますから、配管の厚さが半分くらいに薄くなってしまう所もあるのです。そういう配管とかバルブとかを、定検でどうしても取り替えなくてはならないのですが、この作業に必ず被曝が伴うわけです。
原発は一回動かすと、中は放射能、放射線でいっぱいになりますから、その中で人間が放射線を浴びながら働いているのです。そういう現場へ行くのには、自分の服を全部脱いで、防護服に着替えて入ります。 
防護服というと、放射能から体を守る服のように聞こえますが、そうではないんですよ。放射線の量を計るアラームメーターは防護服の中のチョッキに付けているんですから。つまり、防護服は放射能を外に持ち出さないための単なる作業着です。作業している人を放射能から守るものではないのです。だから、作業が終わって外に出る時には、パンツー枚になって、被曝していないかどうか検査をするんです。体の表面に放射能がついている、いわゆる外部被曝ですと、シャワーで洗うと大体流せますから、放射能がゼロになるまで徹底的に洗ってから、やっと出られます。
また、安全靴といって、備付けの靴に履き替えますが、この靴もサイズが自分の足にきちっと合うものはありませんから、大事な働く足元がちゃんと定まりません。それに放射能を吸わないように全面マスクを付けたりします。そういうかっこうで現場に入り、放射能の心配をしながら働くわけですから、実際、原発の中ではいい仕事は絶対に出来ません。普通の職場とはまったく違うのです。
そういう仕事をする人が95%以上まるっきりの素人です。お百姓や漁師の人が自分の仕事が暇な冬場などにやります。言葉は悪いのですが、いわゆる出稼ぎの人です。そういう経験のない人が、怖さを全く知らないで作業をするわけです。
例えば、ボルトをネジで締める作業をするとき、「対角線に締めなさい、締めないと漏れるよ」と教えますが、作業する現場は放射線管理区域ですから、放射能がいっぱいあって最悪な所です。作業現場に入る時はアラームメーターをつけて入りますが、現場は場所によって放射線の量が違いますから、作業の出来る時間が違います。分刻みです。
現場に入る前にその日の作業と時間、時間というのは、その日に浴び 
てよい放射能の量で時間が決まるわけですが、その現場が20分間 
作業ができる所だとすると、20分経つとアラ−ムメーターが鳴るようにしてある。だから、「アラームメーターが鳴ったら現場から出なさいよ」と指示します。でも現場には時計がありません。時計を持って入ると、時計が放射能で汚染されますから腹時計です。そうやって、現場に行きます。
そこでは、ボルトをネジで締めながら、もう10分は過ぎたか 
な、15分は過ぎたかなと、頭はそっちの方にばかり行きます。アラームメーターが鳴るのが怖いですから。アラームメーターというのはビーッととんでもない音がしますので、初めての人はその音が鳴ると、 
顔から血の気が引くくらい怖いものです。これは経験した者でないと分かりません。ビーッと鳴ると、レントゲンなら何十枚もいっぺんに写したくらいの放射線の量に当たります。ですからネジを対角線に締めなさいと言っても、言われた通りには出来なくて、ただ締めればいいと、どうしてもいい加滅になってしまうのです。すると、どうなりますか。



放射能垂れ流しの海

 

冬に定検工事をすることが多いのですが、定検が終わると、海に放射能を含んだ水が何十トンも流れてしまうのです。はっきり言って、今、日本列島で取れる魚で、安心して食べられる魚はほとんどありません。 
日本の海が放射能で汚染されてしまっているのです。

海に放射能で汚れた水をたれ流すのは、定検の時だけではありません。原発はすごい熱を出すので、日本では海水で冷やして、その水を海に捨てていますが、これが放射能を含んだ温排水で、一分間に何十トンにもなります。
原発の事故があっても、県などがあわてて安全宣言を出しますし、電力会社はそれ以上に隠そうとします。それに、国民もほとんど無関心ですから、日本の海は汚れっぱなしです。
防護服には放射性物質がいっぱいついていますから、それを最初は水洗いして、全部海に流しています。排水口で放射線の量を計ると、すごい量です。こういう所で魚の養殖をしています。安全な食べ物を求めている人たちは、こういうことも知って、原発にもっと関心をもって欲しいものです。このままでは、放射能に汚染されていないものを選べなく 
なると思いますよ。
数年前の石川県の志賀原発の差止め裁判の報告会で、八十歳近い行商をしているおばあさんが、こんな話をしました。「私はいままで原発のことを知らなかった。今日、昆布とわかめをお得意さんに持っていったら、そこの若奥さんに「悪いけどもう買えないよ、今日で終わりね、志賀原発が運転に入ったから」って言われた。原発のことは何も分からないけど、初めて実感として原発のことが分かった。どうしたらいいのか」って途方にくれていました。みなさんの知らないところで、日本の海が放射能で汚染され続けています。



内部被爆が一番怖い

 

原発の建屋の中は、全部の物が放射性物質に変わってきます。物がすべて放射性物質になって、放射線を出すようになるのです。どんなに厚い鉄でも放射線が突き抜けるからです。体の外から浴びる外部被曝も怖いですが、一番怖いのは内部被曝です。

 ホコリ、どこにでもあるチリとかホコリ。原発の中ではこのホコリが放射能をあびて放射性物質となって飛んでいます。この放射能をおびたホコリが口や鼻から入ると、それが内部被曝になります。原発の作業では片付けや掃除で一番内部被曝をしますが、この体の中から放射線を浴びる内部被曝の方が外部被曝よりもずっと危険なのです。体の中から直 
接放射線を浴びるわけですから。
体の中に入った放射能は、通常は、三日くらいで汗や小便と一緒に出てしまいますが、三日なら三日、放射能を体の中に置いたままになります。また、体から出るといっても、人間が勝手に決めた基準ですから、 
決してゼロにはなりません。これが非常に怖いのです。どんなに微量でも、体の中に蓄積されていきますから。
原発を見学した人なら分かると思いますが、一般の人が見学できるところは、とてもきれいにしてあって、職員も「きれいでしょう」と自慢そうに言っていますが、それは当たり前なのです。きれいにしておかないと放射能のホコリが飛んで危険ですから。
私はその内部被曝を百回以上もして、癌になってしまいました。癌の宣告を受けたとき、本当に死ぬのが怖くて怖くてどうしようかと考えました。でも、私の母が何時も言っていたのですが、「死ぬより大きいことはないよ」と。じゃ死ぬ前になにかやろうと。原発のことで、私が知っていることをすべて明るみに出そうと思ったのです。



普通の職場環境とは全く違う

 

放射能というのは蓄積します。いくら徴量でも十年なら十年分が蓄積します。これが怖いのです。日本の放射線管理というのは、年間50ミリシーベルトを守ればいい、それを越えなければいいという姿勢です。
例えば、定検工事ですと三ケ月くらいかかりますから、それで割ると一日分が出ます。でも、放射線量が高いところですと、一日に五分から七分間しか作業が出来ないところもあります。しかし、それでは全く仕事になりませんから、三日分とか、一週間分をいっぺんに浴びせながら作業をさせるのです。これは絶対にやってはいけない方法ですが、そうやって10分間なり20分間なりの作業ができるのです。そんなことをすると白血病とかガンになると知ってくれていると、まだいいのですが……。電力会社はこういうことを一切教えません。
稼動中の原発で、機械に付いている大きなネジが一本緩んだことがありました。動いている原発は放射能の量が物凄いですから、その一本のネジを締めるのに働く人三十人を用意しました。一列に並んで、ヨーイドンで七メートルくらい先にあるネジまで走って行きます。行って、一、二、三と数えるくらいで、もうアラームメーターがビーッと鳴る。 中には走って行って、ネジを締めるスパナはどこにあるんだ?といったら、もう終わりの人もいる。ネジをたった一山、二山、三山締めるだけで百六十人分、金額で四百万円くらいかかりました。
なぜ、原発を止めて修理しないのかと疑問に思われるかもしれませんが、原発を一日止めると、何億円もの損になりますから、電力会社は出来るだけ止めないのです。放射能というのは非常に危険なものですが、企業というものは、人の命よりもお金なのです。



「絶対安全」だと五時間の洗脳教育

 

原発など、放射能のある職場で働く人を放射線従事者といいます。日本の放射線従事者は今までに約二七万人ですが、そのほとんどが原発作業者です。今も九万人くらいの人が原発で働いています。その人たちが年一回行われる原発の定検工事などを、毎日、毎日、被曝しながら支えているのです。
原発で初めて働く作業者に対し、放射線管理教育を約五時間かけて行います。この教育の最大の目的は、不安の解消のためです。原発が危険だとは一切教えません。国の被曝線量で管理しているので、絶対大丈夫なので安心して働きなさい、世間で原発反対の人たちが、放射能でガンや白血病に冒されると言っているが、あれは“マッカナ、オオウソ”である、国が決めたことを守っていれば絶対に大丈夫だと、五時間かけて洗脳します。こういう「原発安全」の洗脳を、電力会社は地域の人にも行っています。有名人を呼んで講演会を開いたり、文化サークルで料理教室をしたり、カラー印刷の立派なチラシを新聞折り込みしたりして。だから、事故があって、ちょっと不安に思ったとしても、そういう安全宣伝にすぐに洗脳されてしまって、「原発がなくなったら、電気がなくなって困る」と思い込むようになるのです。
私自身が二〇年近く、現場の責任者として、働く人にオウムの麻原以上のマインド・コントロール、「洗脳教育」をやって来ました。何人殺したかわかりません。みなさんから現場で働く人は不安に思っていないのかとよく聞かれますが、放射能の危険や被曝のことは一切知らされていませんから、不安だとは大半の人は思っていません。体の具合が悪くなっても、それが原発のせいだとは全然考えもしないのです。作業者全員が毎日被曝をする。それをいかに本人や外部に知られないように処理するかが責任者の仕事です。本人や外部に被曝の問題が漏れるようでは、現場責任者は失格なのです。これが原発の現場です。
私はこのような仕事を長くやっていて、毎日がいたたまれない日も多く、夜は酒の力をかり、酒量が日毎に増していきました。そうした自分自身に、問いかけることも多くなっていました。一体なんのために、誰のために、このようなウソの毎日を過ごさねばならないのかと。気がついたら、二〇年の原発労働で、私の体も被曝でぼろぼろになっていまし 
た。



だれが助けるのか

 

また、東京電力の福島原発で現場作業員がグラインダーで額を切って、大怪我をしたことがありました。血が吹き出ていて、一刻を争う大怪我でしたから、直ぐに救急車を呼んで運び出しました。ところが、その怪我人は放射能まみれだったのです。でも、電力会社もあわてていたので、防護服を脱がせたり、体を洗ったりする除洗をしなかった。救急隊員にも放射能汚染の知識が全くなかったので、その怪我人は放射能の除洗をしないままに、病院に運ばれてしまったんです。だから、その怪我人を触った救急隊員が汚染される、救急車も汚染される、医者も看護婦さんも、その看護婦さんが触った他の患者さんも汚染される、その患者さんが外へ出て、また汚染が広がるというふうに、町中がパニックになるほどの大変な事態になってしまいました。みんなが 
大怪我をして出血のひどい人を何とか助けたいと思って必死だっただけで、放射能は全く見えませんから、その人が放射能で汚染されていることなんか、だれも気が付かなかったんですよ。
一人でもこんなに大変なんです。それが仮に大事故が起きて大勢の住民が放射能で汚染された時、一体どうなるのでしょうか。想像できますか。人ごとではないのです。この国の人、みんなの問題です。



びっくりした美浜原発細管破断事故!

 

皆さんが知らないのか、無関心なのか、日本の原発はびっくりするような大事故を度々起こしています。スリーマイル島とかチェルノブイリに匹敵する大事故です。一九八九年に、東京電力の福島第二原発で再循環ポンプがバラバラになった大事故も、世界で初めての事故でした。
そして、一九九一年二月に、関西電力の美浜原発で細管が破断した事故は、放射能を直接に大気中や海へ大量に放出した大事故でした。チェルノブイリの事故の時には、私はあまり驚かなかったんですよ。 
原発を造っていて、そういう事故が必ず起こると分かっていましたから。だから、ああ、たまたまチェルノブイリで起きたと、たまたま日本ではなかったと思ったんです。しかし、美浜の事故の時はもうびっくりして、足がガクガクふるえて椅子から立ち上がれない程でした。
この事故はECCS(緊急炉心冷却装置)を手動で動かして原発を止めたという意味で、重大な事故だったんです。ECCSというのは、原発の安全を守るための最後の砦に当たります。これが効かなかったらお終りです。だから、ECCSを動かした美浜の事故というのは、一億数 
千万人の人を乗せたバスが高速道路を一〇〇キロのスピードで走っているのに、ブレーキもきかない、サイドブレーキもきかない、崖にぶつけてやっと止めたというような大事故だったんです。
原子炉の中の放射能を含んだ水が海へ流れ出て、炉が空焚きになる寸前だったのです。日本が誇る多重防護の安全弁が次々と効かなくて、あと〇・七秒でチェルノブイリになるところだった。それも、土曜日だったのですが、たまたまベテランの職員が来ていて、自動停止するはずが停止しなくて、その人がとっさの判断で手動で止めて、世界を巻き込むような大事故に至らなかったのです。日本中の人が、いや世界中の人が本当に運がよかったのですよ。
この事故は、二ミリくらいの細い配管についている触れ止め金具、何千本もある細管が振動で触れ合わないようにしてある金具が設計通りに入っていなかったのが原因でした。施工ミスです。そのことが二十年近い何回もの定検でも見つからなかったんですから、定検のいい加減さがばれた事故でもあった。入らなければ切って捨てる、合わなければ引っ張るという、設計者がまさかと思うようなことが、現場では当たり前に行われているということが分かった事故でもあったんです。



もんじゅの大事故

 

去年(一九九五年)の十二月八日に、福井県の敦賀にある動燃(動力炉・核燃料開発事業団)のもんじゅでナトリウム漏れの大事故を起こしました。もんじゅの事故はこれが初めてではなく、それまでにも度々事故を起こしていて、私は建設中に六回も呼ばれて行きました。というのは、所長とか監督とか職人とか、元の部下だった人たちがもんじゅの担当もしているので、何か困ったことがあると私を呼ぶんですね。もう会社を辞めていましたが、原発だけは事故が起きたら取り返しがつきませんから、放っては置けないので行くのです。ある時、電話がかかって、「配管がどうしても合わないから来てくれ」という。行って見ますと、特別に作った配管も既製品の配管もすべて図面どおり、寸法通りになっている。でも、合わない。どうして合わないのか、いろいろ考えましたが、なかなか分からなかった。一晩考えてようやく分かりました。もんじゅは、日立、東芝、三菱、富士電機などの寄せ集めのメーカーで造ったもので、それぞれの会社の設計基準が違っていたのです。
図面を引くときに、私が居た日立は〇・五mm切り捨て、東芝と三菱は〇・五mm切上げ、日本原研は〇・五mm切下げなんです。たった〇・五mmですが、百カ所も集まると大変な違いになるのです。だから、数字も線も合っているのに合わなかったのですね。
これではダメだということで、みんな作り直させました。何しろ国の威信がかかっていますから、お金は掛けるんです。
どうしてそういうことになるかというと、それぞれのノウ・ハウ、企業秘密ということがあって、全体で話し合いをして、この〇・五 
mmについて、切り上げるか、切り下げるか、どちらかに統一しようというような話し合いをしていなかったのです。今回のもんじゅの事故の原因となった温度センサーにしても、メーカー同士での話し合いもされていなかったんではないでしょうか。
どんなプラントの配管にも、あのような温度計がついていますが、私はあんなに長いのは見たことがありません。おそらく施工した時に危ないと分かっていた人がいたはずなんですね。でも、よその会社のことだからほっとけばいい、自分の会社の責任ではないと。
動燃自体が電力会社からの出向で出来た寄せ集めですが、メーカーも寄せ集めなんです。これでは事故は起こるべくして起こる、事故が起きないほうが不思議なんで、起こって当たり前なんです。
しかし、こんな重大事故でも、国は「事故」と言いません。美浜原発の大事故の時と同じように「事象があった」と言っていました。私は事故の後、直ぐに福井県の議会から呼ばれて行きました。あそこには十五基も原発がありますが、誘致したのは自民党の議員さんなんですね。だから、私はそういう人に何時も、「事故が起きたらあなた方のせいだよ、反対していた人には責任はないよ」と言ってきました。この度、その議員さんたちに呼ばれたのです。「今回は腹を据えて動燃とケンカする、どうしたらよいか教えてほしい」と相談を受けたのです。
それで、私がまず最初に言ったことは、「これは事故なんです、事故。事象というような言葉に誤魔化されちゃあだめだよ」と言いました。県議会で動燃が「今回の事象は……」と説明を始めたら、「事故だろ!事故!」と議員が叫んでいたのが、テレビで写っていましたが、あれも、黙っていたら、軽い「事象」ということにされていたんです。 
地元の人たちだけではなく、私たちも、向こうの言う「事象」というような軽い言葉に誤魔化されてはいけないんです。
普通の人にとって、「事故」というのと「事象」というのとでは、とらえ方がまったく違います。この国が事故を事象などと言い換えるような姑息なことをしているので、日本人には原発の事故の危機感がほとんどないのです。



日本のプルトニウムがフランスの核兵器に?

 

もんじゅに使われているプルトニウムは、日本がフランスに再処理を依頼して抽出したものです。再処理というのは、原発で燃やしてしまったウラン燃料の中に出来たプルトニウムを取り出すことですが、プルトニウムはそういうふうに人工的にしか作れないものです。
そのプルトニウムがもんじゅには約一・四トンも使われています。長崎の原爆は約八キロだったそうですが、一体、もんじゅのプルトニウムでどのくらいの原爆ができますか。それに、どんなに微量でも肺ガンを起こす猛毒物質です。半減期が二万四千年もあるので、永久に放射能を出し続けます。だから、その名前がプルートー、地獄の王という名前からつけられたように、プルトニウムはこの世で一番危険なものといわれるわけですよ。しかし、日本のプルトニウムが去年(一九九五年)南太平洋でフランスが行った核実験に使われた可能性が大きいことを知っている人は、余りいません。フランスの再処理工場では、プルトニウムを作るのに核兵器用も原発用も区別がないのです。だから、日本のプルトニウムが、この時の核実験に使われてしまったことはほとんど間違いありません。
日本がこの核実験に反対をきっちり言えなかったのには、そういう理由があるからです。もし、日本政府が本気でフランスの核実験を止めさせたかったら、簡単だったのです。つまり、再処理の契約を止めればよかったんです。でも、それをしなかった。
日本とフランスの貿易額で二番目に多いのは、この再処理のお金なんですよ。国民はそんなことも知らないで、いくら「核実験に反対、反対」といっても仕方がないんじゃないでしょうか。それに、唯一の被爆国といいながら、日本のプルトニウムがタヒチの人々を被爆させ、きれいな海を放射能で汚してしまったに違いありません。
世界中が諦めたのに、日本だけはまだこんなもので電気を作ろうとしているんです。普通の原発で、ウランとプルトニウムを混ぜた燃料(MOX燃料)を燃やす、いわゆるプルサーマルをやろうとしています。しかし、これは非常に危険です。分かりやすくいうと、石油ストーブでガソリンを燃やすようなことなんです。原発の元々の設計がプルトニウムを燃すようになっていません。プルトニウムは核分裂の力がウランとはケタ違いに大きいんです。だから原爆の材料にしているわけですから。
いくら資源がない国だからといっても、あまりに酷すぎるんじゃないでしょうか。早く原発を止めて、プルトニウムを使うなんてことも止めなければ、あちこちで被曝者が増えていくばかりです。



日本には途中でやめる勇気がない

 

世界では原発の時代は終わりです。原発の先進国のアメリカでは、二月(一九九六年)に二〇一五年までに原発を半分にすると発表しました。それに、プルトニウムの研究も大統領命令で止めています。あんなに怖い物、研究さえ止めました。
もんじゅのようにプルトニウムを使う原発、高速増殖炉も、アメリカはもちろんイギリスもドイツも止めました。ドイツは出来上がったのを止めて、リゾートパークにしてしまいました。世界の国がプルトニウムで発電するのは不可能だと分かって止めたんです。日本政府も今度のもんじゅの事故で「失敗した」と思っているでしょう。でも、まだ止めない。これからもやると言っています。
どうして日本が止めないかというと、日本にはいったん決めたことを途中で止める勇気がないからで、この国が途中で止める勇気がないというのは非常に怖いです。みなさんもそんな例は山ほどご存じでしょう。
とにかく日本の原子力政策はいい加減なのです。日本は原発を始める時から、後のことは何にも考えていなかった。その内に何とかなるだろうと。そんないい加減なことでやってきたんです。そうやって何十年もたった。でも、廃棄物一つのことさえ、どうにもできないんです。
もう一つ、大変なことは、いままでは大学に原子力工学科があって、 それなりに学生がいましたが、今は若い人たちが原子力から離れてしまい、東大をはじめほとんどの大学からなくなってしまいました。机の上で研究する大学生さえいなくなったのです。
また、日立と東芝にある原子力部門の人も三分の一に減って、コ・ジェネレーション(電気とお湯を同時に作る効率のよい発電設備)のガス・タービンの方へ行きました。メーカーでさえ、原子力はもう終わりだと思っているのです。
原子力局長をやっていた島村武久さんという人が退官して、『原子力 
談義』という本で、「日本政府がやっているのは、ただのつじつま合わせに過ぎない、電気が足りないのでも何でもない。あまりに無計画にウランとかプルトニウムを持ちすぎてしまったことが原因です。はっきりノーといわないから持たされてしまったのです。そして日本はそれらで核兵器を作るんじゃないかと世界の国々から見られる、その疑惑を否定するために核の平和利用、つまり、原発をもっともっと造ろうということになるのです」と書いていますが、これもこの国の姿なんです。



廃炉も解体も出来ない原発

 

一九六六年に、日本で初めてイギリスから輸入した十六万キロワットの営業用原子炉が茨城県の東海村で稼動しました。その後はアメリカから輸入した原発で、途中で自前で造るようになりましたが、今では、この狭い日本に一三五万キロワットというような巨大な原発を含めて五一の原発が運転されています。
具体的な廃炉・解体や廃棄物のことなど考えないままに動かし始めた 
原発ですが、厚い鉄でできた原子炉も大量の放射能をあびるとボロボロになるんです。だから、最初、耐用年数は十年だと言っていて、十年で廃炉、解体する予定でいました。しかし、一九八一年に十年たった東京電力の福島原発の一号機で、当初考えていたような廃炉・解体が全然出来ないことが分かりました。このことは国会でも原子炉は核反応に耐えられないと、問題になりました。

 この時、私も加わってこの原子炉の廃炉、解体についてどうするか、毎日のように、ああでもない、こうでもないと検討をしたのですが、放射能だらけの原発を無理やりに廃炉、解体しようとしても、造るときの何倍ものお金がかかることや、どうしても大量の被曝が避けられないことなど、どうしようもないことが分かったのです。原子炉のすぐ下の方では、決められた線量を守ろうとすると、たった十数秒くらいしかいられないんですから。
机の上では、何でもできますが、実際には人の手でやらなければならないのですから、とんでもない被曝を伴うわけです。ですから、放射能がゼロにならないと、何にもできないのです。放射能がある限り廃炉、解体は不可能なのです。人間にできなければロボットでという人もいます。でも、研究はしていますが、ロボットが放射能で狂ってしまって使えないのです。結局、福島の原発では、廃炉にすることができないというので、原発を売り込んだアメリカのメーカーが自分の国から作業者を送り込み、日本では到底考えられない程の大量の被曝をさせて、原子炉の修理をしたのです。今でもその原発は動いています。最初に耐用年数が十年といわれていた原発が、もう三〇年近く動いています。そんな原発が十一もある。くたびれてヨタヨタになっても動かし続けていて、私は心配でたまりません。また、神奈川県の川崎にある武蔵工大の原子炉はたった一〇〇キロワットの研究炉ですが、これも放射能漏れを起こして止まっています。机上の計算では、修理に二〇億円、廃炉にするには六〇億円もかかるそうですが、大学の年間予算に相当するお金をかけても廃炉にはできないのです。まず停止して放射能がなくなるまで管理するしかないのです。それが一〇〇万キロワットというような大きな原発ですと、本当にどうしようもありません。



「閉鎖」して、監視・管理

 

なぜ、原発は廃炉や解体ができないのでしょうか。それは、原発は水と蒸気で運転されているものなので、運転を止めてそのままに放置しておくと、すぐサビが来てボロボロになって、穴が開いて放射能が漏れてくるからです。原発は核燃料を入れて一回でも運転すると、放射能だらけになって、止めたままにしておくことも、廃炉、解体することもできないものになってしまうのです。先進各国で、閉鎖した原発は数多くあります。廃炉、解体ができないので、みんな「閉鎖」なんです。閉鎖とは発電を止めて、核燃料を取り出しておくことですが、ここからが大変です。放射能まみれになってしまった原発は、発電している時と同じように、水を入れて動かし続けなければなりません。水の圧力で配管が薄くなったり、部品の具合が悪くなったりしますから、定検もしてそういう所の補修をし、放射能が外に漏れださないようにしなければなりません。放射能が無くなるまで、発電しているときと同じように監視し、管理をし続けなければならないのです。 

 今、運転中が五一、建設中が三、全部で五四の原発が日本列島を取り巻いています。これ以上運転を続けると、余りにも危険な原発もいくつかあります。この他に大学や会社の研究用の原子炉もありますから、日本には今、小さいのは一〇〇キロワット、大きいのは一三五万キロワット、大小合わせて七六もの原子炉があることになります。しかし、日本の電力会社が、電気を作らない、金儲けにならない閉鎖した原発を本気で監視し続けるか大変疑問です。それなのに、さらに、新規立地や増設を行おうとしています。その中には、東海地震のことで心配な浜岡に五機目の増設をしようとしていたり、福島ではサッカー場と引換えにした増設もあります。新設では新潟の巻町や三重の芦浜、山口の上関、石川の珠洲、青森の大間や東通などいくつもあります。それで、二〇一〇年には七〇〜八〇基にしようと。実際、言葉は悪いですが、この国は狂っているとしか思えません。これから先、必ずやってくる原発の閉鎖、これは本当に大変深刻な問題です。近い将来、閉鎖された原発が日本国中いたるところに出現する。これは不安というより、不気味です。ゾーとするのは、私だけでしょうか。



どうしようもない放射性廃棄物

 

それから、原発を運転すると必ず出る核のゴミ、毎日出ています。低レベル放射性廃棄物、名前は低レベルですが、中にはこのドラム缶の側に五時間もいたら、致死量の被曝をするようなものもあります。そんなものが全国の原発で約八〇万本以上溜まっています。

 日本が原発を始めてから一九六九年までは、どこの原発でも核のゴミはドラム缶に詰めて、近くの海に捨てていました。その頃はそれが当たり前だったのです。私が茨城県の東海原発にいた時、業者はドラム缶をトラックで運んでから、船に乗せて、千葉の沖に捨てに行っていました。しかし、私が原発はちょっとおかしいぞと思ったのは、このことからでした。海に捨てたドラム缶は一年も経つと腐ってしまうのに、中の放射性のゴミはどうなるのだろうか、魚はどうなるのだろうかと思ったのがはじめでした。
現在は原発のゴミは、青森の六ケ所村へ持って行っています。全部で三百万本のドラム缶をこれから三百年間管理すると言っていますが、一体、三百年ももつドラム缶があるのか、廃棄物業者が三百年間も続くのかどうか。どうなりますか。もう一つの高レベル廃棄物、これは使用済み核燃料を再処理してプルトニウムを取り出した後に残った放射性廃棄物です。日本はイギリスとフランスの会社に再処理を頼んでいます。去年(一九九五年)フランスから、二八本の高レベル廃棄物として返ってきました。これはどろどろの高レベル廃棄物をガラスと一緒に固めて、金属容器に入れたものです。この容器の側に二分間いると死んでしまうほどの放射線を出すそうですが、これを一時的に青森県の六ケ所村に置いて、三〇年から五〇年間くらい冷やし続け、その後、どこか他の場所に持って行って、地中深く埋める予定だといっていますが、予定地は全く決まっていません。余所の国でも計画だけはあっても、実際にこの高レベル廃棄物を処分した国はありません。みんな困っています。原発自体についても、国は止めてから五年か十年間、密閉管理してから、粉々にくだいてドラム缶に入れて、原発の敷地内に埋めるなどとのんきなことを言っていますが、それでも一基で数万トンくらいの放射能まみれの廃材が出るんですよ。生活のゴミでさえ、捨てる所がないのに、一体どうしようというんでしょうか。とにかく日本中が核のゴミだらけになる事は目に見えています。早くなんとかしないといけないんじゃないでしょうか。それには一日も早く、原発を止めるしかなんですよ。私が五年程前に、北海道で話をしていた時、「放射能のゴミを五〇年、三百年監視続ける」と言ったら、中学生の女の子が、手を挙げて、 
「お聞きしていいですか。今、廃棄物を五〇年、三百年監視するといいましたが、今の大人がするんですか?そうじゃないでしょう。次の私たちの世代、また、その次の世代がするんじゃないんですか。だけど、 私たちはいやだ」と叫ぶように言いました。この子に返事の出来る大人はいますか。それに、五〇年とか三百年とかいうと、それだけ経てばいいんだというふうに聞こえますが、そうじゃありません。原発が動いている限り、終わりのない永遠の五〇年であり、三百年だということです。



住民の被曝と恐ろしい差別

 

日本の原発は今までは放射能を一切出していませんと、何十年もウソをついてきた。でもそういうウソがつけなくなったのです。原発にある高い排気塔からは、放射能が出ています。出ているんではなくて、出しているんですが、二四時間放射能を出していますから、その周辺に住んでいる人たちは、一日中、放射能をあびて被曝しているのです。ある女性から手紙が来ました。二三歳です。便箋に涙の跡がにじんでいました。「東京で就職して恋愛し、結婚が決まって、結納も交わしました。ところが突然相手から婚約を解消されてしまったのです。相手の人は、君には何にも悪い所はない、自分も一緒になりたいと思っている。でも、親たちから、あなたが福井県の敦賀で十数年間育っている。原発の周辺では白血病の子どもが生まれる確率が高いという。白血病の孫の顔はふびんで見たくない。だから結婚するのはやめてくれ、といわれたからと。私が何か悪いことしましたか」と書いてありました。この娘さんに何の罪がありますか。こういう話が方々で起きています。この話は原発現地の話ではない、東京で起きた話なんですよ、東京で。皆さんは、原発で働いていた男性と自分の娘とか、この女性のよう 
に、原発の近くで育った娘さんと自分の息子とかの結婚を心から喜べますか。若い人も、そういう人と恋愛するかも知れないですから、まったく人ごとではないんです。こういう差別の話は、言えば差別になる。 でも言わなければ分からないことなんです。原発に反対している人も、原発は事故や故障が怖いだけではない、こういうことが起きるから原発はいやなんだと言って欲しいと思います。原発は事故だけではなしに、人の心まで壊しているのですから。

私、子ども生んでも大丈夫ですか。たとえ電気がななってもいいから、私は原発はいやだ。最後に、私自身が大変ショックを受けた話ですが、北海道の泊原発の隣の共和町で、教職員組合主催の講演をしていた時のお話をします。ど 
こへ行っても、必ずこのお話はしています。あとの話は全部忘れてくださっても結構ですが、この話だけはぜひ覚えておいてください。

その講演会は夜の集まりでしたが、父母と教職員が半々くらいで、およそ三百人くらいの人が来ていました。その中には中学生や高校生もいました。原発は今の大人の問題ではない、私たち子どもの問題だからと聞きに来ていたのです。話が一通り終わったので、私が質問はありませんかというと、中学二年の女の子が泣きながら手を挙げて、こういうことを言いました。 

「今夜この会場に集まっている大人たちは、大ウソつきのええかっこしばっかりだ。私はその顔を見に来たんだ。どんな顔をして来ているのかと。今の大人たち、特にここにいる大人たちは農薬問題、ゴルフ場問題、原発問題、何かと言えば子どもたちのためにと言って、運動するふりばかりしている。私は泊原発のすぐ近くの共和町に住んで、二四時間被曝している。原子力発電所の周辺、イギリスのセラフィールドで白血病の子どもが生まれる確率が高いというのは、本を読んで知っている。私も女の子です。年頃になったら結婚もするでしょう。私、子ども生んでも大丈夫なんですか?」と、泣きながら三百人の大人たちに聞いているのです。でも、誰も答えてあげられない。

「原発がそんなに大変なものなら、今頃でなくて、なぜ最初に造るときに一生懸命反対してくれなかったのか。まして、ここに来ている大人たちは、二号機も造らせたじゃないのか。たとえ電気がなくなってもいいから、私は原発はいやだ」と。ちょうど、泊原発の二号機が試運転に入った時だったんです。

「何で、今になってこういう集会しているのか分からない。私が大人で子どもがいたら、命懸けで体を張ってでも原発を止めている」と言う。

「二基目が出来て、今までの倍私は放射能を浴びている。でも私は北海道から逃げない」って、泣きながら訴えました。私が「そういう悩みをお母さんや先生に話したことがあるの」と聞きましたら、「この会場には先生やお母さんも来ている、でも、話したこ 
とはない」と言います。「女の子同志ではいつもその話をしている。結婚もできない、子どもも産めない」って。担任の先生たちも、今の生徒たちがそういう悩みを抱えていることを少しも知らなかったそうです。これは決して、原子力防災の八キロとか十キロの問題ではない、五十キロ、一〇〇キロ圏でそういうことがいっぱい起きているのです。そういう悩みを今の中学生、高校生が持っていることを絶えず知っていてほしいのです。



原発がある限り、安心できない

 

みなさんには、ここまでのことから、原発がどんなものか分かってもらえたと思います。チェルノブイリで原発の大事故が起きて、原発は怖いなーと思った人も多かったと思います。でも、「原発が止まったら、電気が無くなって困る」と、特に都会の人は原発から遠いですから、少々怖くても仕方がないと、そう考えている人は多いんじゃないでしょうか。でも、それは国や電力会社が「原発は核の平和利用です」「日本の原発は絶対に事故を起こしません。安全だから安心しなさい」「日本には資源がないから、原発は絶対に必要なんですよ」と、大金をかけて宣伝をしている結果なんです。もんじゅの事故のように、本当のことはずーっと隠しています。原発は確かに電気を作っています。しかし、私が二〇年間働いて、この目で見たり、この体で経験したことは、原発は働く人を絶対に被曝させなければ動かないものだということです。それに、原発を造るときから、地域の人達は賛成だ、反対だと割れて、心をズタズタにされる。出来たら出来たで、被曝させられ、何の罪もないのに差別されて苦しんでいるんです。みなさんは、原発が事故を起こしたら怖いのは知っている。だったら、事故さえ起こさなければいいのか。平和利用なのかと。そうじゃないでしょう。私のような話、働く人が被曝して死んでいったり、地域の人が苦しんでいる限り、原発は平和利用なんかではないんです。それに、安全なことと安心だということは違うんです。原発がある限り安心できないのですから。それから、今は電気を作っているように見えても、何万年も管理しなければならない核のゴミに、膨大な電気や石油がいるのです。それは、今作っている以上のエネルギーになることは間違いないんですよ。それに、その核のゴミや閉鎖した原発を管理するのは、私たちの子孫なのです。そんな原発が、どうして平和利用だなんて言えますか。だから、私は何度も言いますが、原発は絶対に核の平和利用ではありません。

 だから、私はお願いしたい。朝、必ず自分のお子さんの顔やお孫さんの顔をしっかりと見てほしいと。果たしてこのまま日本だけが原子力発電所をどんどん造って大丈夫なのかどうか、事故だけでなく、地震で壊れる心配もあって、このままでは本当に取り返しのつかないことが起きてしまうと。これをどうしても知って欲しいのです。ですから、私はこれ以上原発を増やしてはいけない、原発の増設は絶対に反対だという信念でやっています。そして稼働している原発も着実に止めなければならないと思っています。原発がある限り、世界に本当の平和はこないのですから。




平井憲夫(1997年1月逝去;1級プラント配管技能士、原発事故調査国民会議顧問、原発被曝労働者救済センター代表、北陸電力能登(現志賀)原発差し止め裁判原告特別補佐人、東北電力女川原発差し止め裁判原告特別補佐人、福島第2原発3号機運転差し止め訴訟原告証人。
「原発被曝労働者救済センター」は後継者がなく、閉鎖されました。)



2.28.2011

アメリカ市民の蜂起−3−全国に波及


(日刊ベリタ2011.03.01からの転載)

これは先の報告(日刊ベリタ2011.02.20, 02.25)に続く2月26日現在のアメリカ市民蜂起の報告である。
まず、ウイスコンシン州下院は、共和党の強行採決(日本では自民党が、新教育基本法や国民投票法案などで使った)により、25日早朝、例の問題の法案を可決した。上院は、先の報告のように、14名の民主党議員が、州外に隠れて出席を拒んでいるので、開かれていない。また、共和党の上院議員の一人、デール・シュルツ氏が、この法案へ反対の意思を表明した。あと2人の共和党議員が反対に回ると、この議案は上院では成立しない。これがどう進展するか。
マジソンのデモは、26日(土曜日)には約10万に膨れ上がったようである(この数は、最低の見積もりで、15万ぐらいという推計もある)。気温は零下、しかも雪の降るなかでのことである(右上の写真)。また、MoveOnという全国組織の推計では、この日、全国各地のデモ参加者は約5万になったそうである(*)。
主な動きを拾ってみる(*)。先ず、オハイオ州では、ウイスコンシンと同様な法案を提出し、数千人のデモが州都コロンバスで行われた。ここの議会では、共和党が圧倒的多数なので、民主党議員が雲隠れするという手が使えない。しかし、インジアナ州では、労働組合弾圧の法規提案に対して、民主党議員が、ウイスコンシンに倣って雲隠れしている。ニュージャージー州でも、同様な共和党の法規提案に対して、約3100人ほどのデモが金曜日にトレトン市で行われた。ニューヨークでは数千人、シカゴとロスアンジェルスでそれぞれ2000人ほど、首都ワシントンでも約1000人がデモ。数百人のデモがオレゴン州のポートランドと州都のサレム市で、ワシントン州の州都オリンピアでは数千のデモがあった。
ペンシルバニア州フィラデルフィアでは、数日間にわたって1000人ほどのデモが展開され、彼らは「Tax the rich, stop the war」と点呼したそうである(*)。実は、この二つ(富裕層への減税と軍事予算の肥大化)が、差し当たっての最大の問題点であり、この2つが解決すると,現在の世界各国の財政緊迫問題のかなりの部分が解決できるはずのものである。これを認識する人は多いと思うが、それを声を大きくして多くの人が権力側に訴え、変更をせまることが非常に重要である。アメリカが特にそうだが、日本も含め多くの国の問題でもある。
日本でも、税制改革が議論されているが、消費税のように、国民全部に貧富の差に拘らず同率で徴収することは、貧富の差を広げることになる。企業や富裕層への税率を上げることこそが、必要なのである。日本ではいざ知らず、アメリカでは、企業は様々なループホールを使って、税を納めないところが多い。
アメリカでの根本問題の一つは、多くの市民の無知である。例えば、多くの市民は、社会保障年金とか(高齢者のための)医療保険(Medicaid)とか貧窮家庭に与えられるフードスタンプなどが、政府による社会福祉策であることを理解していない(*)。そして、共和党やエリート層による、現政府が社会主義的であり、政府が大きすぎる、だから縮小(そして年金などのカット)すべきだという宣伝に乗って、共和党を選び、それが自分達の首をしめることになるのに気がつかない。対する民主党も、基本的には企業に操られていることもあり、共和党に対する有効な批判ができていない(実際は国会議員のレベルでは残念ながら民主党と共和党もあまり差がない)。
 今までに述べたきたように身近な問題から、自分達の権利剥奪を共和党が画策していることに気がついた市民が立ち上がったのが、今回の市民運動である。そして中には、フィラデルフィアでの連呼のように「富者(企業も含む)への税の引き上げと軍事費削減」という緊急課題に気がつき出したことは、非常に喜ばしい。世界中で多くの市民がこのことを声を大にして叫ぶことが必要である。企業への税の引き上げなどについては、したり顔の識者や政治家達は、国際競争力に足かせになることになるとか、様々な理由を持ち出して来るだろうが,根本的に考えなければならないのは、「経済は何の為にあるのか」(企業や少数の富裕層を肥やすためか、または、市民の多数の生活を豊かにするためか)という問題である。
(*: http://www.alternet.org/story/150059/%28updated%29_rally_for_the_american_dream%3A_huge_gatherings_nationwide_in_solidarity_with_wisconsin_democratic_uprising/?page=entire)

2.27.2011

アメリカ市民立ち上がる

チュニジアから始まり、エジプト、リビアなどの中東に広がっている、政権に対する市民の蜂起がアメリカにも波及してきているのですが、日本のメデイアはほとんど報道していません。そこで、私が日刊ベリタに書いた記事二つを纏めて下に掲げますので、ご覧下さい。これに関しては,アメリカの通常メデイアイも無視できないためにある程度の報道はしていますが、詳しくは、Democracynow.org,Alternet.org, Huffingtonpost.orgなどのインターネットメデイアをご覧になってください。

アメリカ市民の蜂起
(2011.02.20)

エジプト/チュニジアなどの市民運動に勇気づけられたかして、アメリカにも市民が政府/経済エリートのやり方に抗議して立ち上がるケースが増えてきたようである。実際、政府や経済エリートのアメリカの市民無視/抑制は新自由主義経済があからさまに導入され始めた1980年から徐々に進行していたが、2001年のいわゆる同時多発テロ(9.11事件—あの事件の真相は政府発表とは違うらしいことがますますはっきりしてきた)をきっかけにして、国民の安全保障を理由に、市民の思想、集会などの自由の制限が拡大してきた。これには、さらにキリスト教原理主義的な考えの持ち主達が、政治の右翼に台頭し、反オバマ(人種差別主義)も含めて、さらに市民や労働者の権利や自由を狭めつつある。経済的にも、中流階級は消滅しつつあり、少数のエリートと大多数の貧民という第3世界的構造になりつつある。
すなわち、政治的にも経済的にもアメリカは第3世界的になりつつある。ただし、一般市民の物質生活は、それでもまだ第3世界とはかけ離れてはいる。多くのアメリカ市民は、このことを肌で感じているのではないかと思われる。とはいえ、例のテイーパーテイーという人種差別主義、(見かけの)反社会主義的右翼に踊らされている人々は、そうした抑圧感情は感じていないようで、アメリカ憲法そのものこそが、自分達の自由を束縛するものだなどというとんでもないデマを信じ込んでいる。
今回、昨年の中間選挙で当選したウイスコンシン州知事は、共和党(テイーパーテイー派)のスコット・ウオーカー氏だが、彼は、州の財政を立て直す一助にと、労働者(州政府労働者)の年金や健康保険の自己分担金の増額などを提案し、さらに労働組合の交渉権などをはぎ取るような提案を出してきた。(なお、州政府労働者のうち、警官と消防士はこうした規制を適用しない例外とされた。)これに抗議して1月末頃に700人ほどの労働者が州議事堂前で抗議集会を開いたが、ほとんどメデイアの注意を引かなかった。
同時期に起っていたチュニジア・エジプトでの多数市民の蜂起に刺激されて、2月15日には、1万5千を超す労働組合員、市民が州議会場に押し掛けて抗議した。州都マデイソンには、州立のウイスコンシン大があり、その教師達、大学職員、公立学校教師、州政府役人などが対象の主なところだが、この抗議集会には、鉄鋼労組、トラック運転手組合その他の労働組合員も参加した。マデイソン東高校の生徒800人もクラスをボイコットしてデモに参加。さらに例外とされた警官や消防士達もデモに加わった。翌日の16日には、公立学校の教師の40%以上が抗議の為に病欠の届けをしたため、公立学校は全て休校となった。17日には、デモ参加者は3万になったようである。議会内でのこの議案に対する公聴会では、反対の意見が多数であるが、共和党は、これを無視して、上程し、通過させようとしている。日本の自民党が新教育基本法や国民投票法案などを無理矢理に成立させたのと同じやり方である。このぐらいに拡大すると、普通のメデイアも取り上げざるをえなくなったようである。日本にまで報道されているかどうか。この結果はいかに。
この他にもまだこれほど大規模には至っていないが、アメリカの各地で、大企業(とくに健康保険業—保険料の値上げ)や地方政府による市民抑圧・貧窮化政策への抗議が起こりつつある。これらの動きがアメリカ中で大きなうねりとなって、現在の政府や経済エリートをなんとか動かす運動まで進展するかどうか。

アメリカ市民の蜂起—2
(2011.02.25)

先頃報告した(日刊ベリタ2011.02.20)2月14日頃に始まったウイスコンシン州の公務員の組合組織の交渉権剥奪の州法に反対する州都マジソンでの抗議集会は増々大きくなり、先週土曜日(2月18日)にはおよそ8万人に膨れ上がったそうである。今週になっても参加者は増え続けているようである。地元の教師達は、そうそう教育をおろそかにはできないので、交代で抗議に参加したり、州外からも労働組合関係者が駆けつけたりしている。また、大学生や大学院生達も参加していて、彼らは、人々の残したゴミくずを自発的に清掃している。また、全体として暴力は振るわれず、バンドが登場したり、ピッザが配達されたりと、険悪な雰囲気はないとのことである。なお、この法規には組合組織をつぶすという意図の他に、賃金カット(年金、医療保険の自己負担増額)があるが、この点については、抗議側はすでに譲歩している。
しかし、このカネの面については、州内の市町村の財政を圧迫するようになるので、市町村レベルの反撥が台頭してきていて、それらがこの抗議運動に参加し始めている。マジソンの市長が、組合員を先導して、州議会へ行進した。すなわち運動は州全体の問題になりつつあり、ビジネスも知事支持に躊躇しだしたようである。
ところで、法律の審議はどうなっているか。州の上院議会では、民主党議員14名が、州外に身を隠すという手段にでた。そうすると、定足数に1人足らず、正式な議会が開催できない。デモ参加者は、こうした民主党議員達のやり方に拍手を送っている。与党共和党側は、あらゆる策略をめぐらして、民主党議員を議会に引っぱり出そうと躍起になっている。警察を動かして、少なくとも1人を捕まえてこようともしているそうである。定足数にするには、1名でよい。
州知事は、全然妥協の様子を見せていない。滑稽なことに、この知事は、有名な金持ちの支持者を装ったリベラルなジャーナリストと電話で対談し、この金持ち(偽)に、自分の本音—労働者の自由の剥奪、中流階級消滅などーを赤裸々に語ったのが、ネットメデイアに流された。この内容はかなり広く知られ、州警察所長は、その内容に強い抗議の意を知事にしたようである。
州知事は、来週火曜日には、予算案についての演説をすることになっているが、州議場外で行うらしい。これは州法違反だそうである。
通常のメデイアはこの抗議行動を報道してはいるが、重点の置き方は、州財政の立て直しのための賃金カットの必要性であり、しかも州労働者(公務員)が民間人よりも年金や医療保険などの面で、かなり優位にあることを強調していて、民間人の反感を煽るような傾向もある。また、多数の抗議デモに対して、州知事に賛成するテイーパーテイーの少数の対抗デモに焦点を当てたりしている。
全米で、29の州で共和党員が知事をしていて、オハイオ、ペンシルバニアなどでも、公務員の交渉権などの権利剥奪、自由抑制などの動きを起こしている。こうした知事が選挙で選ばれたという点では、形式的には、民主主義には違いないが、当選するや、このように、反対を遮二無二押し切って強行するのは、民意に反する。なお、どうしてこうした人々が選挙されたのかについては、先の選挙の際に、簡単な考察を述べた。日本の政治体制でも同様な現象が起っていて、いわゆる代表制民主主義の根本問題である。ウイスコンシン州での反対・抗議運動が、どこまで持ちこたえ、さらに他の州まで拡大していくか、注目したい。

1.23.2011

尖閣諸島問題「常識」再考する冷静さを 落合栄一郎

『日刊ベリタ』2010年9月26日に掲載された落合栄一郎さんの論考です。

尖閣諸島問題の「常識」再考する冷静さを 領土・海底資源の日中話し合いの契機に
 
今回の尖閣諸島問題は、小泉政権下の2004年3月24 日に起った尖閣諸島に上陸した中国人活動家を沖縄県警が逮捕した事件の再燃である。それは、尖閣諸島の領有問題をうやむやにして根底的に解決しなかった為に発生した。

今回も、大方は、尖閣諸島が日本固有の領土であるという「常識」に基づいて日本側の対応が行われている。それは、日本が、あの無人であった諸島を1895年に日本領に組み入れたことが歴史的事実で、それに対して中国は、1970年まで異議を唱えなかった。だから、国際法上、この地を日本領とするのは正当である。このような主張は、共産党機関紙「赤旗」ですら行っている。

しかし、あの場所を地図で眺めた時、長い歴史を持つ中国が、あの地に、定住はしなくとも、人を送ったり、漁船や軍事的船舶が立ち寄ったり、駐在したりしたことがなく、中国があの地を自国のもの
だと認識したことがないなどと考えられるであろうか。

2004年の事件に関してその当時発表された高橋義一氏の論考(注)をもう一度思い起こしたい。以下は氏の論考に基づく。

中国では,あの諸島は明の時代から、釣魚台あるいは 釣魚嶼、黄尾嶼(日本名・久場島)、赤尾嶼(日本名・久米赤島、大正 島)などの名で知られていたし、沿岸防衛のための地図にも記載されていた。すなわち中国は、少なくとも明の時代からあの諸島を実効支配していたし、あの諸島について多数の歴史的文献を残している。

日清戦争後のどさくさにまぎれて、日本政府は、終戦の正式文書には領有権が言及されていなかったあの諸島を、日本領にしてしまったようなのである。そして英国の地図に記載されていた「Pinnacle Islands」を翻訳して尖閣諸島という日本名をつけたようである。このような事情を考える時、あの諸島が日本固有の領土であるという主張は正当であろうか。

さて以上の高橋氏の論点を検証する手段を筆者は持たないが、地理的、歴史的に考えて、真実に近いものと考える。しかし、中国は、これに対して長い間異議を唱えなかった。それも事実のようである。おそらく、この問題は、中国国内の様々な大問題(日清/日中戦争、共産革命、建国、文化大革命,経済開発などなど)にまぎれて、意識の外に置かれていたのであろう。しかし、1969年になって、あの海域の海底に化石燃料が大量に埋蔵されている可能性が浮上し、にわかに領有権を主張しだしたのではあろう。

これらの事情を考慮して、今回の事件をただ単に日本の警察権行使の問題で終わらせるのではなく、この期に領土問題/海底資源開発問題を十分に話合うキッカケにすべきであろう。日本人の大多数が思い込んでしまっている「常識」を検討し直すには、非常な抵抗があるであろうが、これを避けていては、いつまでもこのような事件が繰り返されるばかりで、日中関係は悪化するのみであろう。

(注)http://www.jrcl.net/frame040405n.html 

日刊ベリタ http://www.nikkanberita.com/

12.11.2010

2010年の回想

この年は,天然異変や地球温暖化の影響かと思われる異常気象が世界の多くの地域で多大な被害を及ぼした。ハイチの地震は多数の死者を出し、その後の復活もはかどらないうちに洪水に見舞われ、そして恐れられていた「コレラ」の蔓延となった。コレラ流行にはまだ終息の気配がない。モスクワを中心とするロシア西部は、記録的な、長期にわたる超高温に見舞われた。日本の夏も、長期にわたって高温が続いた。そして、パキスタンの大規模な洪水。年末にはローロッパの広範囲にわたって、異常な寒気がおそった。南半球では、オーストラリアでの洪水。その他多数の天災地変(火山爆発など)。
しかし、人災も大きかった。メキシコ湾の英国石油の原油噴出事故。噴出を抑えることには成功したが、大量に吐き出された原油の回収と回収され残された原油の環境、生物などのへの影響がどの程度のものであるのか。一方、チリの鉱山事故で、地中に取り残された33人の作業員が全員47日目に無事救助されたのは世界の人々の耳目を集め、やればできるという人命救助に手本を提供した。これからの同様な事故での救助への期待・要求が高くなるであろう。それは大変な責任を企業側に要求することになる。おそらく,事故を起こさないように、安全管理を厳格にするほうが、得策であろう。
人災という点で言えば,2酸化炭素などの温室効果ガスの放出の規制も遅々として進まなかった(12月に入ってのメキシコでのCOPも含めて)。また、生物多様性の減少(多くの生物の絶滅)についての国際会議も開催されたが、有効な手は打たれなかった。これも人災である。あらゆる環境問題は人災だが。
2009年に国民多数の期待を担って始まった日米の新政権(どちらも「民主党」ということになっている)は、どちらも、国民の期待を裏切って、本年行われたアメリカでの中間選挙、日本での参議院選挙で、与党側が敗北、前政権側が復活という完全に同じ経過を辿った。しかも、日米とも新政権は、国民に嫌われたはずの前政権と同じ政策を継続することが明確になってきている。このことは、政党・政治家が政治を行っているのではなく,その背後にある存在(大企業)が政治を左右していて、どの政党が政権を握ろうと、彼らの思う通りに政治が動かされていることを意味する。このような事態では、選挙を主体とする民主主義は形骸化され、国民多数の意思は政治に反映されない。
日米とも、2007年ごろから始まった経済危機を克服できず、特に雇用機会は低迷したままで、回復の兆しがないどころか、さらに悪化する気配がある。アメリカでは、一般市民の経済困難が増す一方、経済危機を招来させた元凶の金融業界は、業績を回復し、それら企業のトップ達の収入は大幅に増大した。そして、国家運営に必要な税については、企業や収入の多い人間達からはより少なく徴収し、消費税など(金持ちにも貧乏人にも同じ)の値上げでカバーしようとしていて、上位と下位の経済格差は増大するばかりである。日本も同様のようである。
また貨幣発行というもののいい加減さ(落合:日刊ベリタ2010.11.13)の結果が、いよいよ各国の財政悪化に反映しだして、ギリシャから始まって、多くの国で財政危機を生み出している。おそらく、これらの財政危機の多くは、持てる個人や企業への税率を上げることによって、かなりの程度緩和できるものであろう。これを果敢にやる人間が政治家にいなくなってしまって、持てる人間の提灯持ちしかいなくなってしまった。それをやらずに、財政引き締めなどで、急激な給料カット、大学授業料値上げなどが実施されると、国民の反撥があることは必定である。現に多くの国で、そのような反撥に基づく反乱が起っている。
さて、東アジアに目を向けると、日中、南北朝鮮間に緊張が走った。日中間では、尖閣諸島での海上保安艇と中国漁船の衝突に端を発して、日中間の関係が急速に悪化した。尖閣諸島そのものは、日清戦争後に日本が領有したことになっていて(沖縄では、あの諸島はもっと早くから自領と考えていたらしい)、中国は長い間、それに異議を唱えてこなかったが、ここに来て、尖閣諸島が中国領であるという主張は、「台湾」や「チベット」がそうであると同程度に重要問題であると宣言している。日本では、政治家もメデイアも、あの事件のヴィデオの流出のみが大問題化されたが、本質的な問題には触れていない。アメリカが日本の尖閣諸島擁護に支持を与えているのは、あの地域がアメリカの東アジアでの中国包囲網の一環をなしているからであろう。
北朝鮮では、金正日の後任が決まり、その権威を国民や外国にアッピールする必要が生じたのであろう。そのため、無理な施策を行っている可能性がある。それが、米国からの相変わらずの脅威に対して、ウラン濃縮技術やミサイルの開発を誇示したり、南北間の緊張関係に断固とした態度をみせようとするなどとなって、表に現れたようである。
一方、南を支配している米国は、北を悪者に仕立てたい意図があるようである。韓国哨戒艇の沈没を北朝鮮によるものと世界中に印象付ける努力は、功を奏しなかった。おそらく北朝鮮はあの沈没に関与していなかったであろう。そして11月になってからの、南北の打ち合い。そして、これを機に、アメリカの東アジアに於ける軍事力を見せつける為の、米韓、そして日米の大規模な軍事演習を行った。アメリカの意図はなんなのであろう。北が「悪者」であると世界に向けて言いつのることによって、やがては、北朝鮮侵攻を正当化しようとしているのであろうか。まったくのウソで、イラク侵攻を正当化したと同様に?
次に日本の安全保障の問題、沖縄の米軍基地の問題について。日本が第2次世界大戦に敗北し、連合国(実質米国)の占領下にかなりの期間置かれた。日本本土は、講和条約により占領状態を解かれたが、沖縄はその時点では返還されなかった。それは、ソ連圏との冷戦状態へ軍事的に対処するのに、沖縄が格好の場所だからである。沖縄を名目上日本へ返還する代償として、沖縄を恒久的な米軍基地にすることが約束された。これは日米安保では、このような約束は日本全域に適用される。
数年前に自民政権下でアメリカと約束された普天間基地返還・辺野古への移設を、民主党は交渉し直し、県外移設を掲げて鳩山政権が誕生したものの,アメリカに屈従させられて、沖縄県民の意思を無視して、結局辺野古移設を約束してしまった。それに代わった菅首相も辺野古移設を継承している。沖縄県民の意思は、無視し、なんとか再選された仲井真知事を陥落させようとしている。この経緯で、沖縄県民以外の日本国民が殆どなんらの意思表示をしていないことを奇異に感じる。
この間に、尖閣諸島問題や朝鮮半島での緊張などで、日本国民は、自国の安全のためには、アメリカ軍の駐留が有利だ、したがって辺野古移設もやむを得ない、だから沖縄県民に迷惑を押しつけたままの状態に目をつぶっているように見える。アメリカの世界戦略を大局的に見て、それに協力するのが、世界平和に貢献するのか、本当に日本の安全保障に有利なのかどうかなどを考えることはないように思われる。人類の歴史の上で、今が重大な分岐点にある。日本は、その位置と戦争体験・原爆体験と平和憲法を基に、世界平和実現に重要な役割を果たせる状態にあると思うが、政治家も国民もそうしたことには意を用いていないようなのを残念に思う。
こうした様々な現象の底流にある、アメリカ政府内の秘密文書や各国間の秘密裏の交渉文書がウィキリークスで暴露された。イラク・アフガニスタンに関する文書は、糊塗されていた実情が暴かれ、アメリカの権威の失墜はあるにしても、現状を覆すほどの影響力を持たなかった。しかし、最近暴露された外交文書は、アメリカばかりでなく、世界各国の外交文書から、表面上の「建前」でなく本音が垣間みられ、本当のことがみられるのは良いとしても、外交上難しい場面が出てくる可能性がある。アメリカを主軸とするNATO連合国がロシアを軍事標的にしていることもリークのなかにはみられ、米・ロの表面上の対話姿勢が今後どのように進展するか。特に、中国が表面上の北朝鮮擁護に反し、北朝鮮政治体制に非常に批判的であることが暴露され、それが今後の東アジアの情勢にどのような影響を与えるか、懸念される。北朝鮮が暴走し、アメリカがそれを口実に北を攻撃するような事態になってほしくない。この間日本はアメリカに追従するのではなく、十分冷静に、緊張緩和、平和維持に役割を果たせるはずである。しかし主要メデイアも政治家、企業家も、多くの国民もそのような意識を持ち合わせているようにはみえない。
2010年では、欧米文明—大量生産・大量消費市場経済体制、軍需依存経済と戦争文明、各国の財政破綻—の欠点・破綻がますます顕著になった。そして、台頭してきたジャイアント中国(そして地誌的に関連するロシア)との対立・緊張増大が顕著になり、近い将来軍事対決に発展する可能性が増大した。残念ながら、この対立は、持続可能性を軸にしたものではなく、単に資源獲得競争(欧米型文明の継承)に基づくように思われる。すなわち、このような軍事対立は、いずれの側が勝利しようと、今のところ、人類文明が自滅する方向性が強い。それを回避しようとする意識をもった人はいるが、それが支配的な位置になるまでには至っていない。
そして12月、またしてもアメリカと日本の政権が同じことを決定した。アメリカでは、高所得者の低い税率を前政権からそのまま継続することにし、日本では、経済界からの圧力で、法人税を5%引き下げた。どちらも高所得層を利し、財政悪化のしわよせが低所得層に及ぶという結果になる。経済はだれが主導しているか明らかであろう。
(なお、将来の持続可能な文明のあり方の例は「アメリカ文明の終焉から持続可能な文明へ」(下記のサイトからダウンロード(無料))をご参照ください。
http://www.e-bookland.net/gateway_a/details.aspx?bookid=EBLS10071200)