駐日ブラジル連邦共和国大使館経済部長へのインタビュー(平成22年6月14日)
1950年代は、ちょうどブラジルが工業化を始めたときで、首都移転は非常に効果的に実現できました。1955年に着手して1960年にはほぼ完成したので、約5年間で完成したことになります。
首都移転の最大の目的は、「ブラジルのアイデンティティを構築すること」でした。ブラジルは多民族から構成されており、旧首都のリオデジャネイロはポルトガルの影響を非常に強く受けていたのです。そこでブラジルの多民族統一のため、国民国家を象徴するような一つの都市を造る必要があったのです。
2番目の目的は、それまでは沿岸部に人口が集中していて内陸部には人口がまばらでしたので、地理学的な戦略から、内陸部へも人口を分散させる必要性があったということです。
3番目の目的は内陸部の開発です。労働者を移住させ、土木工事を行ったり、あるいはセラード(低木草原地帯)の農業を振興する。セラードというのは「ブラジルのサバンナ」とも言われますけれども、非常に肥沃な土地ですが、農業を行うためには土地改良の必要がありました。この面では日本人移住者が多大な貢献をしています。
以上にあげた首都移転の当初の目的はすべて達成した、と言うことができます。現在は人口が250万人を数えていますし、経済的な意味でブラジルで3番目に豊かな町になりました。一人当たりの所得は2万ドルに達していますし、教育レベルも全国で一番高くなりました。その他、映画、芸術、建築など文化面でも、全国の文化活動が集中する都市になっていますし、国内のみならず南米の中でもあらゆる文化が集まる都市になりました。したがって、ブラジリアとは「国内外の様々な思いを抱く人々がチャンスを求めて表現を行うまち」と言うことができます。
首都移転が行われた頃、ブラジリアで働いている人たちは、週末にはリオデジャネイロなど地元に帰るケースも多くみられたのですが、最近はほとんどなく、ブラジリアに赴任したての人でも地元に帰ることはあまりありません。ブラジリアが、外から来た人でも定住できるような独立した町として成熟していると言えます。
5年間で完成したもう一つの理由としては、ちょうどブラジルの経済発展の時期に重なったということが挙げられます。当時、ブラジルの実質経済成長率は年率8〜10%の勢いでしたので、経済的なダイナミズムが急速な首都移転を支えたと言えます。
サンパウロの場合は、むしろブラジリア首都移転によってメリットを受けました。と言いますのは、首都移転に伴い様々な資本が投入されたのですが、ブラジリア開発に参加した資本の多くはサンパウロをルーツとする企業だったからです。
ただし、首都移転によって一番メリットを受けたのはサンパウロではありません。ミナスジェライス州のベロオリゾンテと、ゴイアス州首都のゴイアニアという二つの都市が内陸部開発によって最も発展しました。ベロオリゾンテとゴイアニアはブラジリアに、人、建築資材、鉄、設備機械類、食料などを供給する戦略的拠点として機能しました。特にベロオリゾンテの周辺地域は国内で最大の鉄資源を保有していることで有名です。さらに、ブラジリアへの首都移転は、ブラジルの沿岸部から内陸地域への移住を強力に促進しました。このような結果、ブラジル中央部の台地はブラジルのダイナミックな中心地として発展しました。現在、ベロオリゾンテ(人口250万人)とゴイアニア(人口150万人)はブラジルで最も発展した都市の一つとされています。また、カンポグランテ(人口75万人)、クイアバ(人口60万人)などもまた、ブラジリアへの首都移転に伴い大きく発展した都市です。こうした発展はいわば「ブラジル版西部開発」とも言うべきもので、1950年代から60年代に起こりました。1800年代後半に米国で起こった開発プロセスと似ていると言えます。
しかし、リオデジャネイロは過去20年間計画が無いため、極めて困難な状況に陥りました。現在は、リオデジャネイロのあらゆる街区を再活性化する計画ができ、オリンピックがそれに結びつけられています。リオデジャネイロの中心街には、ポルトガルやフランスの影響が色濃く残った、200年の歴史のある古い建築物がありますが、現在崩壊の危機に陥っています。そのような建築物を再建する計画がオリンピックとともに進められているのです。
(注2)2016年オリンピック:リオデジャネイロは、2016年第31回夏季オリンピックの開催地に決定された。南アメリカでは初の開催地となる。1990年代末には住民の所得格差が拡大して、社会不安の危険性もありましたが、その後、カルドーゾ前大統領の時代からの社会政策により、貧困階層から中流の下あるいは中クラスに、過去10年間で約3,000万人が移行しました。そのため、近年格差は緩和されてきています。
この2都市と周辺を含めると人口が450万人で、しかも極めて収入の高い人たちが住んでいて、バイオテクノロジーの研究とか、民間航空機産業の開発にポテンシャルを持っています。アナポリスという都市に航空宇宙関連の産業があるので、今後15年間の目標として、これらの2都市を結んだ地域の先端技術の開発が検討されています。
ブラジル国民のブラジリア訪問者数は年間約250万人で、その大多数が業務上の出張等によるもので、観光目的で訪れる人は極めて少ないです。外国人もアマゾンやブラジルの海岸に行く方がほとんどで、ブラジリアを訪れる人は年間25万人程度と非常に少ないのです。
一方、ブラジリアを訪れる外国人の多くは、建築に興味がある方々です。と言いますのは、ブラジリアはアテネ憲章(注3)の理念に基づいて造られており、ル・コルビュジェやバウハウス(20世紀初頭ドイツの建築を中心とした芸術学校)の影響が極めて強い建築物になっています。
現在、ブラジリアの中心であるプラーノ・ピロット地区はユネスコの文化遺産にもなっていますが、その30〜40q周辺に、インフラ、教育、あるいは治安面で深刻な問題を抱える衛星都市があります。ブラジリアの中心地区は非常に豊かなのですが、衛星都市とは著しい所得格差が生じてしまっているのです。
また、ブラジリアの人々にはぜひ東京の地下鉄を見習ってほしいと思います。ブラジリアでは公共輸送手段の整備は遅れており、東京のような地下鉄網があれば極めて便利ではないかと思います。
私の最大の夢はブラジルで日本の新幹線が走っているところを見ることです。現時点で、入札がもう少しで開始というところまで来ています。現在、財務的な問題から会計監査院でいろいろ審査をしているところですけれども、たまたま今年は選挙の年ということもあり、タイミングをはかっているところだと思います。ブラジルとしては新幹線の導入、高速鉄道の導入に極めて期待が高まっていて、最初はリオデジャネイロ・サンパウロ間ですけれども、両都市だけにとどまるものではないわけで、行く行くはブラジルの主要都市をすべて新幹線で結ぶというのが大きな目標です。
ポルトガル、フランス、米国、そういった国々の影響を乗り越えて国家のアイデンティティを作るという意味があったわけです。ブラジリアという都市はフランスなどの建築に影響を受けていますけれどもブラジル独自のものですし、ブラジルという若い国が自分のアイデンティティを確立する上でブラジリア建設が重要だったと思います。現在では、ブラジリア建設に疑問を挟む人間は一人もいないと信じています。
私が日本を旅行して知った限りでは、例えば日本人はエコ観光に極めて関心が高いとお見受けしますので、そのような要素も興味を喚起する上で取り入れても良いと思います。
日本にすばらしい最先端のテクノロジーを備えた新しい都市が造られることを夢見ております。