平成17年6月16日宣告 裁判所書記官 今泉延友
平成16年(う)第458号
判 決
本 籍 東京都****市*町*丁目*番
住 居 東京都****市*町*丁目*番**号
会社役員
貴 志 元 則
昭和**年3月25日生
上記の者に対するわいせつ図画頒布被告事件について、平成16年1月13日東京地方裁判所が言い渡した判決に対し、弁護人から控訴の申立てがあったので、当裁判所は、検察官保坂洋彦出席の上審理し、次のとおり判決する。
主 文
原判決を破棄する。
被告人を罰金150万円に処する。
この罰金を完納することができないときは、金2万円を1日に換算した期間被告人を労役場に留置する。
原審における訴訟費用は全部被告人の負担とする。
理 由
本件控訴の趣意は、弁護人岡本敬一郎、同望月克也、同山口貴士が連名で作成した控訴趣意書(1)、(2)及び控訴趣意補充書、同(2)に記載のとおりであるから、これらを引用する。
論旨は、事実誤認、法令適用の誤り、量刑不当の主張であるが、前二者の主張は、要するに、(1)刑法175条は憲法21条、31条に違反する、(2)本件漫画本を摘発した過程には憲法21条、31条に違反する事由がある、(3)本件漫画本は刑法175条のわいせつ物に該当しない、(4)被告人には違法性の意識の可能性がなく故意が阻却される、(5)「頒布」行為に当たらない、というのである。以下、順次検討し当裁判所の判断を示す。
第1 刑法175条が憲法21条、31条に違反するとの主張
1 刑法175条の保護法益に関する主張について
所論は、原判決は、刑法175条の保護法益について、「性的秩序を守り、最小限度の性道徳を維持すること」としたいわゆるチャタレー事件に関する最高裁判所判決(昭和32年3月13日大法廷判決)及び「性生活に関する秩序及び健全な風俗の維持」としたいわゆる悪徳の栄え事件に関する最高裁判所判決(昭和44年10月15日大法廷判決)を引用し、これらの判決と同様に解しているが、同条の保護法益をこのように解することは、国が特定の価値判断や道徳観念を保護し強制するものであり、法と道徳の分離という近代法の大原則に反するばかりか、憲法19条の思想良心の自由に反するものであり、刑法175条には現行憲法下において合理的な立法目的として承認されうる保護法益が存在しないから、同条は憲法21条に違反し無効であるというのである。
当裁判所も、刑法175条の保護法益については、前記最高裁判所判決と同様に解するものである。同条は、このような法益を保護するために、わいせつな文書等の頒布、販売等に限って処罰の対象としているのであって、もとより、国家が個々の国民に対して特定の価値判断や道徳観念を強制し、その内心の活動を侵害するようなものではなく、思想良心の自由を保障する憲法19条に違反するものでないことは明らかである。したがって、刑法175条に合理的な立法目的として承認されうる保護法益が存在しないことを理由に、同条が憲法21条に違反して無効であるとの所論は採り得ない。
なお、所論は、原判決が、「「サイバー犯罪に関する条約」の締結批准に向けた法整備のための諮問を受けた法制審議会において、刑法175条の処罰範囲を電気通信の送信によるわいせつな電磁的記録のその他の記録の頒布等といったいわゆるサイバーポルノに拡張するための改正が、全会一致で採択されたことは、我が国の法律専門家の間で、わいせつ物の頒布等を処罰する必要性のみのならず、その処罰範囲をサイバーポルノにまで拡張する必要性についてもコンセンサスが得られていることを示している。平成14年までのわいせつ物頒布等被疑事件の検挙人数、平成10年までのわいせつ物頒布等の罪で公判請求されて有罪判決を受けた人数、略式命令を受けた人数はそれぞれ相当数に上っているが、このような刑法175条の運用については、一般国民から特に不当とみられることもなく、むしろ当然のこととして受け入れられていることは公知の事実であり、法律専門家はもとより、一般国民の間においても、性的秩序や最小限度の性道徳、健全な性風俗は維持するべきものであり、その脅威となるべきわいせつ物の頒布等は取り締まるべきである旨の社会的合意が確固として存在している」と判示している点を批判し、上記法制審議会の答申についは、「頒布」概念を拡張しようとするものであって「わいせつ」概念を拡張しようとしたものではないから、刑法175条の合憲性を支える根拠とはならず、後段の指摘も、摘発の適否について議論が活発になされていなかったのは、同条による規制について国民が特に関心を払っていなかったからにすぎないなどと主張する。
しかし、法制審議会における刑法175条改正に関する答申は、現行の同条によるわいせつ物頒布等の処罰には憲法上何ら問題のないことを前提とした上で、インターネットの普及に伴って新たに出現した行為類型に対処するため、電気通信の送信によるわいせつな電磁的記録その他の記録の頒布を可罰的な行為類型として追加しようとするものである。このような動きに加え、原判決の説示するような刑法175条の運用状況からみると、刑法175条に関して、原判決指摘のとおりの社会的な合意が存在していることは明らかである。
2 国民の知る権利の侵害であるとの主張について
所論は、刑法175条は、憲法21条により保障された国
民の知る権利を侵害するから違憲無効であると主張するが、刑法175条の規定が憲法21条に違反しないことは、最高裁判所が、前記2件の大法廷判決のほか、昭和58年3月8日第3小法廷判決(刑集37巻2号15頁)、同年10月27日第1小法廷判決(刑集37巻8号1294頁)等において繰り返し示してきたところであり、当裁判所としても同様の見解に立つものである。また、国民の知る権利との関係についても、原判決が(争点に対する判断)第1の1(2)のウにおいて適切に説示するとおり、刑法175条によるわいせつ物の規制により国民の知る権利を害することになっても、違憲の問題は生じない。所論は理由がない。
3 明確性の原則ないし罪刑法定主義に関する主張について
所論は、刑法175条のわいせつの概念は明確でないから憲法21条、31条に違反すると主張するが、刑法175条の構成要件が不明確とはいえないことは、最高裁判所の前記各判決等において示されたとおりである。所論は理由がない。
第2 本件漫画本を摘発した過程には憲法21条、31条に違反する事由があるとの主張
所論は、捜査官が本件漫画本を刑法175条のわいせつ図画に該当すると判断した過程をみると、担当捜査官の適格性、検分方法等に問題があり、その結果、捜査押収により事実上の行政権による発禁処分が行われたものであるから、このような刑法175条の適用は憲法21条及び憲法31条の要請する適正手続の保障に反し違憲無効であるなどと主張する。
しかし、当裁判所としても、後述するとおり、本件漫画本は刑法175条のわいせつ図画に当たると認めるものであり、原判決が(争点に対する判断)第1の2で適切に説示するとおり、捜査官が本件漫画本をわいせつ図画であると判断した過程や捜査押収の手続きには何ら違法な点は認められない。所論は理由がない。
第3 本件漫画本が刑法175条のわいせつ物に該当しないとの主張
1 わいせつの意義、具体的判断基準・方法についての主張について
当裁判所は、原判決と同様、刑法175条のわいせつな文書、図画の意義については、「いたずらに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するものをいう」とする前記大法廷判決等の判例に従い、その具体的な判断にあたっては、最高裁判所が、いわゆる四畳半襖の下張事件判決(昭和55年11月28日第2小法廷判決)において示したとおり、「当該文書の性に関する露骨出詳細な描写叙述の過程とその手法、描写叙述の文書全体に占める比重、文書に表現された思想等と描写叙述との関連性、文書の構成や展開、さらには芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点から該文書を全体としてみたときに、主として、読者の好色的興味に訴えるものと認められるか否かなどの諸点を検討することが必要であり、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通念に照らして、それが『徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの』といえるか否かを決すべきである。」と解するものである。そして、この判断基準・方法は、文書だけでなく、本件のような漫画本を含め図画にも妥当する(なお、写真誌のわいせつ性の判断基準・方法について、上記四畳半襖の下張事件判決の示した判断基準・方法を踏襲した前記昭和58年3月8日第3小法廷判決参照。)。
これに対し、所論は、わいせつに該当するかどうかは社会通念によって判断されるものであり、最高裁判所は、前記チャタレー事件判決において、社会通念とは「個々人の意識の集合又はその平均値ではなく、これを超えた集団意識」であり、規範的な概念であると判示しているが、このことから裁判所が社会通念を考えるにあたっては社会状況などを考慮することが否定されるものではないとした上、わいせつの判断基準・方法として、社会通念を規範的概念ではなく事実の問題として捉えることを前提とし、@現在の社会通念に照らし、現実に性器又は性行為を見るのと同程度に強く性欲を刺激又は興奮させるような露骨、詳細で生々しい態様で性器又は性行為が表現されていること、Aその表現物を全体として観察し、性的に普通の成人を基準として、性を興味本位に捉えて専ら読者の性欲の刺激に向けられたものであると認められることが必要であると主張する。
確かに、当該文書、図画等がわいせつ物に該当するか否かについて、裁判所がその時代の健全な社会通念にしたがって判断するに際し、社会状況の変化などを考慮することが否定されるものではない。しかし、前記大法廷判決の示したわいせつの定義自体を変更する必要は認められないし、社会通念を、所論が主張するように規範的な概念ではなく事実の問題として捉え、本件漫画本のわいせつ性を判断するのも相当でない。
2 「密室」が漫画本であることに基づく主張について
所論は、漫画である「密室」の性的刺激の度合いは、他の表現物、特に写真のような実写表現物と比べて強いものではなく、また、本件漫画本の登場人物の表現は、顔と性器が現実離れしているなどデフォルメの程度が高く、読者は漫画を空想の出来事と捉えるだけで現実の性行動には結びつかず、さらに、本件漫画本は、作品性、思想性、芸術性を有し、その性的な刺激の度合いは相当程度緩和されているから、原判決の判断基準に照らしても、刑法175条にいうわいせつ物に当たらないなどと主張する。
確かに、同じように性器や性交場面を表現する場合、写真のような実写表現物による表現と漫画による表現を比べると、一般的には、実写表現物の方が性的刺激の度合いの強いことが多い。しかし、ここで問題となるのは、実写表現物による表現と漫画による表現との間の相対比較ではなく、要するに、本件漫画本について、前記大法廷判決の示したわいせつの定義に従い、前記四行半襖の下張事件判決の判断基準・方法によって判断した場合、それが刑法175条にいうわいせつ図画に該当するかどうかである。
原判決(争点に対する判断)第2の2の(1)のイの(ア)及び(イ)において説示するとおり、本件漫画本においては、性交、性戯場面が露骨で詳細かつ具体的に描かれており、性描写が閉める割合をみても、本件漫画本の大半が性器ないし性交、性戯場面の描写に費やされていることが明らかである。もっとも、原判決も指摘するとおり、漫画を構成する絵は、実写表現物とは異なり、手書きの線や点などで描かれるため、現実世界の事物が絵の中では程度の差こそあれデフォルメされることになり、描き方によっては、性的刺激を緩和することが可能である。しかし、本件漫画本の原作である諏訪優二の検察官に対する供述(甲45)や原審公判における証言によれば、同人は、株式会社松文館の編集局長高田浩一から「エッチなもの」を描くように言われ、性的な刺激を求める読者の要望に応えるため、陰茎や陰部をできるだけ細かく、リアルに描いたというのであり、その結果、本件漫画本においては、性器部分が人体の他の部分に比して誇張され、かつ、細かい線画によって綿密に描かれることによって、性器の形態や結合・接触状態の描写がはなはだ生々しいものとなり、読者の情緒や官能に訴え、想像力をかきたてるとなっている。
次に、本件漫画本が、その作品性、思想性、芸術性により、その性的な刺激の度合いが緩和されているかどうかについては、原判決が(争点に対する判断)第2の2の(1)のウにおいて適切に説示するように、本件漫画本の構成や物語の内容・展開等からすれば、平均的読者が本件漫画本から一定の思想や意識を読み取ることは著しく困難であり、本件漫画本には芸術的・思想的価値のある意思の表明という要素はほとんど存しないから、本件漫画本がその作品性、思想性、芸術性により性的刺激の度合いが緩和されているとは認められない。
なお、所論は、原判決は作者の思想を「マンガ表現」という手段から区別された独立した実体であると把握しているが、作者の思想は「マンガ表現」に先立って存在するものではなく、「マンガ表現」に内在するものであるなどと主張する。当裁判所も、芸術作品のわいせつ性を評価する場合、その作品の性的刺激の度合いを緩和する要素として、その作品における表現方法、表現手段、から一応切り離して認識することのできる作者の思想等のほかに、表現方法、表現手段自体の思想性、芸術性があり得ることを否定するものではないが、本件漫画本には、後者のような意味でもわいせつ性評価の要素とすべき思想性、芸術性があるとはいえないのである。
以上のとおりで、本件漫画本は、もっぱら読者の好色的興味に訴えるものであり、今日の健全な社会通念に照らし、いたずらに性欲を興奮又は刺激させ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するものであると認められるから、刑法175条のわいせつ物に該当するものと認められる。所論は理由がない。
《つづきを読む》
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