脱原発を掲げる山本太郎参院議員が天皇陛下に手紙を渡し、「天皇の政治利用」と批判されている。儀礼を欠き、脱原発運動に水を差しかねない軽挙だが、批判する側に処分する資格があるのか。
山本氏が差し出した手紙は、東京電力福島第一原発事故の現状を伝える内容だという。山本氏は「子どもたちの被ばくや、原発の収束作業員が最悪の労働環境で作業している実情などを知っていただきたかった」と説明した。
「日本国民統合の象徴」として国民生活の安寧を祈る天皇に、原発を取り巻く厳しい現状を伝えたい気持ちは分からなくもない。
しかし、山本氏は主権者たる国民の代表である。「国政に関する機能を有しない」天皇に、高度に政治的なテーマと化している原発問題で何かを期待するのは、日本国憲法の趣旨に反する。
子どもを被ばくから守り、原発作業員の労働環境を改善し、国のエネルギー政策を脱原発に導くのは山本氏自身の仕事だ。国民の負託を受けた以上、どんなに困難でも、やり遂げる責任がある。
原発推進派は早くも「天皇の政治利用」との批判を強め、議員辞職を求める声すらある。山本氏の行動は、脱原発を求めるうねりに付け入る隙を与え、運動全体にマイナスとなりかねない。慎むべきだった。まずは自覚を促したい。
参院議院運営委員会は山本氏から事情を聴いた。具体的な処分を来週、検討するという。
ただ、山本氏を批判する自民、民主両党に「天皇の政治利用」を断罪する資格があるのか。
最近の例だけでも、自民党が衆院選で開催を公約した「主権回復の日」式典への天皇陛下出席、東京五輪招致に向けた国際オリンピック委員会総会への高円宮妃久子さま出席も、天皇・皇族の政治利用ではないか、と指摘された。
民主党政権時代にも、天皇陛下と習近平中国国家副主席(当時)との会見を急きょねじ込み、同様の批判を浴びたことがある。
自らの行動を顧みず、無所属議員を追い詰めるのなら、多数派の横暴、との誹(そし)りは免れまい。
政府と国会に求められているのは、除染や補償を含む原発事故の収束に全力を挙げる、原発の危険性を認識し、使用済み核燃料の最終処分場のめどもないのに、原発政策を進めることの不合理性に一日も早く気付くことだ。山本氏の処分問題に政治的エネルギーを浪費している場合ではない。
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