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野球選手の剛腕奪った手投げ弾 遠投、肩むしばむ(2/2ページ)

2008年8月14日

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 3年半後、復員してボールを握った時、生きていると実感した。それだけに沢村投手の変わり果てた投球が痛ましかった。彼の手投げ弾は戦地で正確に敵陣をとらえたという。沢村投手は3度召集され、44年に戦死。「彼が生きていれば戦後の野球史は変わったはず。なぜ、戦争は球界の宝まで奪ったのか」

 阪急、近鉄の監督を歴任した西本幸雄さん(88)も手投げ弾訓練の体験がある。

 大学卒業後、召集命令を受けて中国に渡った。陸軍の上官から「模範を見せろ」と言われ、手投げ弾を80メートルほど投げた。「生きるか死ぬかの世界。野球のことを考える余裕はなく、手投げ弾も全力で投げるほかなかった。幸い肩は痛めなかったが、もっと投げればどうなっていたか」

 戦後、セ・リーグ会長を30年余り務めた故・鈴木龍二さんの著書によると、42年ごろ、プロ野球の試合前に手投げ弾競争が頻繁に行われた。選手たちは短剣を着けた軍服姿で参加。国民の戦意高揚のため、マウンド付近に「米英撃滅」などと書かれた標識を掲げ、それに向かって手投げ弾を投じたとされる。(青田貴光)

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