「放く」と書いて「こく」と読む。いささか品を欠くけれども、何かを体の外へ放つことを表す。若い人たちは「調子放いて……」などと言う。調子に乗る、図に乗るの意味だが、さて自民党である▼昭和の名文記者、門田勲のユーモラスな一節を思い出す。「通勤で混み合う電車の中の広告に、真っ赤な蛸(たこ)の画(え)があった。ねじ鉢巻で、盃(さかずき)をもって踊ってる。えらく景気のいい蛸だ。蛸は自民党かもしれない」。前にも引いたが、数の力で我が世の春をうたった頃の文だ▼今は特定秘密保護法案である。これほど危うい法案を短期国会で通そうとすること自体、数を頼んだ驕(おご)りではないか。同じ流れで、新聞の首相動静もマル秘にという発言が、元閣僚から事も無げに飛び出してくる▼さらに、婚外子の相続差別を違憲とした最高裁決定に公然と異論が湧き、三権の一角を軽んじる。新任のNHK経営委員を首相にごく近い人たちで固めたがる。どこか怖いものなしの感がある▼後者について案じる声は少なくない。「みなさまのNHK」が「あべさまのNHK」にならないか、と。他にも原発あり、改憲あり。経済だ、株だとかまけるうちに面舵(おもかじ)いっぱい、気がつけば国の鼻先はあらぬ方に向いていたと悔やむのは避けたい▼景気のいい安倍政権に自民党のリベラル派は蒸発してしまったかのようだ。野党はどうにも影が薄い。「決められる政治」はいいが、アクセルだけの車は怖い。大事なのはブレーキだと古今の歴史は教えている。