【山本太郎議員の皇室政治利用】覚悟と自覚なき距離感の喪失

10月31日の園遊会にて、山本太郎参院議員が
天皇陛下に直接手紙を渡したことが問題になっています。



参院議院運営委員会は1日午前の理事会にて処分を検討しましたが、
5日に再協議ということで処分は保留されています。
ただ、議員辞職を求める声も多いので厳しい処分になる可能性はあります。

山本議員の言い分は、

「手紙を渡すことがルールに反するという意識はなかった」
「僕が感じる日本の現状を知っていただきたいだけ」

ということですが、どうやら法的には「請願法第3条」の
以下の部分に抵触する可能性があるようです。

請願書は、請願の事項を所管する官公署にこれを提出しなければならない。

天皇に対する請願書は、内閣にこれを提出しなければならない。

天皇陛下に請願書(文書)を出す場合は内閣経由ってことですね。

しかし法的に抵触するというよりも問題の本質は、

天皇に国会議員が具体的な政治事項の文書を手渡す

という行為です。「ただ知ってもらいたかっただけ」だとしても
それが大いに問題のある行為だという点については疑いようがありません。
(そもそも国民の災害に関心の深い陛下がその問題に心を痛めてないはずがないですし)

ただ、「何がそんなに問題なの?」と特に若い人は理解できない部分もあると思うので、
できるだけ分かりやすく「何が問題か」を述べてみたいと思います。


◆天皇陛下の「お仕事」とは?


天皇陛下はいうまでもなく日本の国家元首です。

世界には色々な政治体制があるわけですが、日本は「立憲君主制」、
つまり「憲法に規定された上で君主が存在する」ということですね。

君主はすごくわかりやすくいうと「王様」みたいなものですが、
君主だからといって好き勝手できるかと言えばそんなことはなく、
あくまで憲法に定められた範囲内での行動しか出来ません。

天皇が行う主な「国事行為」は以下のようなことです。

  • 国会の指名に基づいて内閣総理大臣を任命する
  • 内閣の指名に基づいて最高裁判所長官を任命する
  • 憲法改正、法律、政令、条約を公布する
  • 国会を召集する
  • 衆議院を解散する

他にも全部で13項目あるわけですが、これらに関する書類は
天皇陛下の元に閣議決定後に届けられ、
天皇陛下がこれに署名押印(御璽と呼ばれる印)すると
正式なもの」として成立するわけです。

このような書類は年間1000件を超え、かつもちろん適当に署名する
わけではなく、一通一通丁寧に目を通された後に署名します。
(したがってかなりのハードワークです)

もちろん陛下が内容についての判断などはされませんが、
国の大事なことは

天皇の名において

実行されているということですね。

この辺のくだりを詳しく知りたい方は下記がオススメです。



◆立憲君主は「安全装置」


国民主権で国民に選ばれた国会議員で構成された国会があって、
その国会から内閣が生まれているのなら、しかもその決定に
天皇陛下は従うのみであれば、なぜいちいち署名や押印が必要なのか、
疑問に思う人もいるかもしれません。

しかし、この「ワンクッション」こそが非常に大事な大事な役割なんです。

その役割をひと言で言うなら「独裁を防ぐ安全装置」です。

世界で初めて議会が生まれたイギリスが今もなお立憲君主制であることからも
うかがえますが、「権威」と「権力」を分散させておくことは
権力の暴走」を防ぐ意味では大変有意義です。

王制を破棄したヨーロッパで、共産主義を標榜した多くの国で
独裁政治が生まれたのは周知の通りですね。

あるいは共和制、つまり国民が直接元首を選ぶアメリカのような国は、
当然大統領に強烈な権力が与えられます。
もし、この大統領が不埒なことを考えたら・・・
あるいは大衆を煽動する能力が非常に巧みであったなら・・・

ヒトラー、ナチスが政権を取ったワイマール共和国が
「史上最も民主的」だったというのは有名な話です。

一方立憲君主制の日本では、三権分立に加え、実際に決定権はなくとも
「天皇の認可」が最後の最後で必要というのは、制度的にも心理的にも
大きなストッパー効果、安全装置としての役割があります。


◆大切なのは権力と権威の距離感


このような安全装置として機能するためには、当然権力機関との
一定程度の「距離感」を保つことが必要です。

天皇は個別具体的な政治事項に口を出しませんし出せません。
その代わり政治事項の責任を問われることもない。
だからこそ純粋な「権威」を保てるわけです。

逆に権力側は天皇の権威を利用しようとしてはならない。
独裁というものが「公的権威・権力」の「私物化」だとすれば、
天皇陛下の権威を私物化されてしまっては、大変危険です。

権威と権力が絶妙な距離感を保つこと、これが立憲君主制の肝です。

この距離感は非常にデリケートなのです。
権力は常に権威を利用とするかもしれませんし、逆もまた然りです。
このデリケートな距離感を保つのは、皇室と国民双方の勤めであると
言えます。

ここまでくれば、山本太郎議員の行為がいかに愚かなことか、
お分かり頂けるでしょうか。

一般国民ならまだしも立法府という三権のひとつの権力機構にいる
国会議員が直接天皇陛下に手紙を渡すという行為が、
いかに上記の「距離感」を無視したものであるか、
言うまでもないと思います。

また余談ですが、その意味では小沢一郎が陛下と習近平との会談を
無理矢理設定したことやオリンピック招致に皇族を利用したことも、
この距離感を崩すものとして問題だと思います。


【つよしのアナ】必要なのはごく自然な敬意


権力とは違って、「権威」というものは人為的につくれるものではなく、
長い歴史と伝統に裏打ちされた中で醸成されていくものです。

たとえばある会社でよその会社から部長職がヘッドハンティング
されてきたとして、その部下になった会社員としては彼に従わざるを
えませんね。

でも彼が尊敬に値するかどうかは長い年月一緒に仕事をしてみないと
分かりません。

急にどこからか人を連れてきて、「この人、敬ってね」と言われても
なかなか出来るものではない。

しかし世界最古の王制と呼ばれる皇室にはその長い時間の積み重ねがある

また現代にあっては皇室の方々が極度にプライベートというものを
制限されているお陰で成り立っている面があります。
(皇室の方には国民に保障されているさまざまな自由がありません)

言い換えれば皇室の方々は、歴史と伝統に支えられた権威を保つために
自由を犠牲にされていると言ってもいい。

そのような皇室に国民としてごく自然な敬意を払う。
これが望ましい状態だと思います。

明治天皇に足尾鉱毒事件で直訴した田中正造と比較して、
田中は遺書まで用意して命を賭してやったが、山本太郎議員には
その覚悟も自覚もなかったと言われていますが、それはその通りでしょう。

つよしがさらに付け加えるとすれば、

天皇陛下、皇室に対する自然な敬意の欠如

ですね。

もっとも彼は過激派から支援されていると言う批判などもあり、
基本的な国会議員としての資質も疑問ですが・・



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