論点:ヘイトスピーチ規制
毎日新聞 2013年11月01日 東京朝刊
在日コリアンを攻撃するヘイトスピーチ。朝鮮学校を標的にした市民団体の街宣活動について、京都地裁が10月7日、人種差別と認定して損害賠償を命じた。判決を機に、規制のあり方を巡る議論が活発になっている。
◇黙認できず、法整備必要−−安田浩一・ジャーナリスト
京都地裁判決は、国連の人種差別撤廃条約を援用し、在特会などの保守系市民グループが京都の朝鮮学校への街宣活動で繰り返した「ヘイトスピーチ」を「差別であり違法」と認定した。長年、在特会を取材する私にとっても予想外で、画期的な判断だ。高額の賠償命令で経済的ダメージも与えており、今後の活動に歯止めをかける効果が期待される。ただ、今回の判決だけで歯止めは十分と考えるのは、楽観的すぎる。ヘイトスピーチそのものを規制する法律が必要だと感じている。
法規制は「表現の自由」を揺るがしかねない、との指摘がある。私も表現者のはしくれとして、そんな懸念は理解するし、国家による表現の規制には嫌悪感を覚える。にもかかわらず、在特会のヘイトスピーチが被害者を生み出し続ける現状を「表現の自由」の名の下に黙認し続ける合理的理由は見いだせない。
在特会は街宣やデモのあと「お散歩」と称して商店街に繰り出し、商店主や買い物客に「お前は在日の味方か」とからむなど好き放題に暴れている。「カウンター」と呼ばれる在特会への抗議活動の影響もあり、こうした示威行為は東京・新大久保や大阪・鶴橋では以前ほど見られなくなったが、それ以外の場所では相変わらずだ。在日コリアンはもちろん日本人も恐怖を覚え、沈黙を強いられている。
私が在特会について書いたりしゃべったりする度に、ネット上での中傷や無言電話が繰り返される。その大半は匿名だ。私は自分の言説に責任を負うが、普通に暮らす人々はこうした匿名の攻撃に耐えられない。「言論には言論で対抗せよ」というのは、いじめを受ける子どもに「闘え」と言うのに似て、被害者側には非情だ。そもそも「不逞(ふてい)鮮人は殺せ」などという彼らの言葉は、人が自らの力で変更できない出自や属性への攻撃であって、言論ではあり得ない。当然、これに対抗する言論など存在しない。