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誰が山本太郎を当選させたのか――「山本親衛隊」という『宗教』 【古谷経衡】

WiLL 11月1日(金)14時51分配信

もはや一種の「宗教」

 東京都内における山本太郎の得票分布をもう一度、分析してみよう。得票数一位の世田谷、二位の杉並。三位にほぼタイで練馬と続く。一方、三宅洋平はどうか。やはり得票数第一位は世田谷の約七千票。二位は杉並、三位は目黒。三宅は全国比例で約十七万八千票を獲得して落選したが、実にそのうちの四分の一に当たる約四万票が、東京都内から得られたものであった。
 こういった得票分布を俯瞰すると、「東京山手」の高所得地域・高級住宅地と驚くほどその分布が重なっていることが分かろう。別に下町が悪いとか貧乏だとか、逆に上流階級はお花畑であると断定しているつもりはない。目黒にだって貧乏アパートはある。ただ、山本や三宅の得票が、日本の有権者の所得水準と相関する事実は否定できないはずだ。
 かつての全共闘時代、学生運動というのは貧乏人がやるイメージがあった。もっとも、現在と違ってその当時の大学生は多くが貧しかった、という根本的条件もあるだろう。しかし、六畳一間の風呂なし共同トイレのアパートで日がな火炎瓶を作っている。そんなイメージが定着しているし、この時代を扱った作品の多くにはこの手の描写が定石である。
 左翼=貧乏、という図式は「アンポ」から数十年を経て、全く通用しなくなってきている。たしかに現在でも、本当の「極左」にはそういう向きはあるのだと思う。
 しかし、もはや自分がサヨクである自覚もなく、山本や三宅を熱心に応援している層は、貧困であるがゆえに(時に必然として)社会へコミットしていく、という古典的な社会運動や労働運動の発想自体が存在していない。
 むしろ、戦後日本という時代のなかで、大都市で、高所得世帯に生まれ、何不自由なく飼育された人間たちが、その余裕から、それがサヨクであるとも知らずに外から見れば過激で、時に空想的で、馬鹿げた護憲平和思想の虜になっていくのだ。まさしく、戦後日本の宿痾のような人種。それが山本を当選させ、三宅に大きな力を与えた元凶であったように思う。
 ウサマ・ビンラーディンはサウジアラビア随一の政商の家庭に育ち、海外留学も経験して何不自由ない青春時代を送った。彼が率いたとされるアル・カイーダの構成員たちも、貧困から活動家に転向したものは少なく、皆中東の産油国で上流階級の子弟が多かったという。
 そういえば、地下鉄でサリンをばらまいたあの教団の幹部たちも、中産階級以上の比較的エリート家庭の子息が多かったことはよく知られている。山本や三宅を同列に論じるつもりはないが、彼らの闇もまた、ある種の宗教のように思うのは私だけか。

古谷経衡(月刊『WiLL』2013年10月号掲載)

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最終更新:11月1日(金)14時51分

WiLL

 

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