WiLL 11月1日(金)14時51分配信
しかし、山本が当選したのは紛れもない事実。彼を支持し、一票を入れたのは一体、どのような連中であったのか。一体、この東京に住まう「六十六万人」の衆愚とは、どんな人たちだったのであろうか。
山本太郎支持者の具体像を検証する前に、「山本票」の分析を行うことにしよう。選挙公示前、山本と同じく反原発の姿勢を貫くフリージャーナリストの田中龍作は、彼の基礎票を約三十万票と分析している。これは、今回の参院選東京選挙区で「社民党」と「生活の党」が独自候補を擁立せず、事実上の山本公認へ動いたことを指す。
実際はこの他にも、山本と昵懇の仲であり、同じく反原発・護憲平和を唱えるミュージシャンの三宅洋平を全国比例で公認した(後述)、「緑の党 グリーンズジャパン」の支持も取り付けている。
「3・11」以降、急設されたこの「緑の党」の集票能力は不明(おそらく些少)だし、生活の党は今回が初めての参院選挙であるから軽々に比較はできないが、社民党候補は東京選挙区で前回(二〇一〇年)九万五千票、前々回(二〇〇七年)二十一万票、前々々回(二〇〇一年)には十六万票を獲得していることから(いずれも落選)、田中のいう「山本の基礎票三十万説」はあながち贔屓目のデタラメというわけでもない。
元来の「生活の党」支持者(元民主)からも、数万から十万程度の潜在票が見込まれたであろう。つまり山本は、もともと東京に存在した社民党系(あるいはこれに民主党系を若干加算した)支持者の約三十万票程度を「開戦前」からすでに確保していたのである。決して徒手空拳で臨んだ選挙ではないのだ。
山本の国政挑戦は今回が初めてではない。「3・11」後、初めての衆院選挙であった二〇一二年十二月のいわゆる「政権交代選挙」の折、東京第八区から立候補し、自民党の石原伸晃と戦ってダブルスコアで落選するも、次点の約七万一千票を獲得して善戦している。この時も社民党が国政政党としては唯一、山本の支持に回った。
東京八区は杉並区を中心とする選挙区だが、前回の衆院選(二〇〇九年)では、のちに世田谷区長となる社民党の保坂展人が、やはり石原伸晃と激しく争って惜敗した因縁の選挙区。
もともと中野・阿佐ヶ谷・高円寺といった中央線沿線のこれらの地域は、伝統的に「中核派」の拠点として知られる極左・リベラルの強い土地柄だ。同派と一心同体の関係にある「杉並革新協議会」はのちに「都政を革新する会」(都革新)に改名して、つい最近の二〇一一年まで杉並区議会に一議席を確保していた。先の「緑の党」の本部も杉並にある。
加えて、中高年女性から根強い「草の根」的支持を受け、女性候補者のみを擁立させる「東京・生活者ネットワーク」(ネット)も、杉並区議会で三人の現職区議を有し、他に現職が小金井二人、武蔵野一人、練馬四人、国立四人、立川一人などと、いずれも中央線沿線とその周辺の自治体を強固な地盤としていることも見逃せない。
この「ネット」も、その主張は脱原発・急進的環境保護・フェミニズム・護憲平和等を掲げ、社民党・緑の党に酷似する極左地域政党(女性オンリーのミニ社民党か)といえる。
無論、そんな「極左」のメッカとしての杉並は「東の秋葉原、西の中野・阿佐ヶ谷・高円寺」といわれるほどのサブカルチャーのメッカでもある。「3・11」以降、杉並はさらに「脱原発」の中心地としても知られるようになる。リサイクル雑貨店「素人の乱」を経営し、名物左翼活動家として知られる松本哉をはじめ、急進的反原発団体「首都圏反原発連合」などがたびたびデモやイベントを開催しているのも、ほぼこの杉並界隈である。
「大飯原発再稼働」で世間を騒がせた「首相官邸包囲デモ」の発端は、この・杉並界隈・の活動家が基礎になっている。こういった経緯から、兵庫県出身の生粋の関西人である山本太郎が、全く地縁の存在しない杉並から立候補したという事実は、なるほど得心のゆく話であろう。
さて今回の参院選では、山本は杉並区で三万七千八百九十二票を得ている。全得票の約六%を杉並から集めた計算になるが、これは東京二十三区のなかでは世田谷区の五万二千三票に次ぐ堂々の二位。
しかも、人口比率で言えば世田谷を抜き、得票率都内第一位の「大票田」はやはり杉並であった。二〇一二年の衆院選で山本に投票した人間の多くが、続く参院選でもやはり山本に入れたと解釈するのが妥当である。
最終更新:11月1日(金)14時51分