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【プロ野球】

長嶋さんが故川上さん宅を弔問

2013年11月1日 紙面から

川上哲治さんの弔問を終え、自宅を後にする長嶋茂雄巨人終身名誉監督(左)。奥中央は長男の貴光さん=東京都内で(中西祥子撮影)

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 28日に老衰のため93歳で死去した川上哲治さんの東京都内の自宅に31日、巨人関係者らが続々と弔問に訪れた。午前10時10分ごろ、頂上決戦を夜に控えた原辰徳監督(55)が霊前で必勝を誓うと、入れ替わりで巨人・桃井恒和球団社長、原沢敦代表、山岸均連盟担当が顔をそろえた。

 また、柴田勲さん(69)、国松彰さん(79)、末次民夫さん(71)、倉田誠さん(67)ら元V9戦士、熊本工の後輩でもある野球評論家の緒方耕一さん(45)が午前中に現れ、喪主で長男の貴光(よしてる)さん(67)は「家族だけでできるだけ静かに送ってくれというのが本人の意志だったので、葬儀を済ませていたのですが…。そう言っても皆さん来てくださって」と恐縮しきり。

 午後3時44分には、東京都港区の赤坂御苑で行われた、天皇皇后両陛下主催の秋の園遊会に出席していた長嶋茂雄巨人終身名誉監督(77)も駆けつけた。30分間滞在すると「声をかけてはいないが、一生懸命お祈りさせていただいた」と話した。貴光さんによると「数十秒間じっと祭壇を凝視されて、深いため息を何度もつかれた」という。

 貴光さんが小学校高学年の頃、長嶋さんは立大の学生服姿で初めて川上家を訪れたそうで、プロ入り後数年は、近所の川上夫人の知人の家に下宿していたという。

 「公園でキャッチボールなど、よく遊んでいただいた。スポーツ紙の企画で、僕と一緒にたこ揚げする写真が新聞に載ったこともあった。そういう昔話に花が咲いた。あれから55年くらいたつんですね。家から一緒に球場に行ったりもしていたが、今思えば川上は、スター選手にいろいろなことを車の中で教えたかったんじゃないかな」などと、当時の秘話を明かしていた。 (竹村和佳子)

 

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