WEB特集
米国 同盟国の首脳も盗聴か
10月31日 21時55分
アメリカの情報機関NSA=国家安全保障局がドイツのメルケル首相の携帯電話を盗聴していた疑惑が浮上。
両国の関係を大きく揺るがす事態となっています。
アメリカは同盟国の首脳までをも通信傍受の対象にしていたのか。
ベールに包まれた諜報活動の実態をベルリン支局の木村支局長とワシントン支局の樺沢記者がお伝えします。
狙われたメルケル首相の携帯
メルケル首相が肌身離さず持ち歩いているのが携帯電話。
電話だけでなく、議会の合間などに最新ニュースやショートメッセージを携帯電話で確認する姿を頻繁に目にします。
NSAはこの携帯電話に目をつけたのです。
ドイツの有力な週刊誌「シュピーゲル」は、NSAの機密文書からメルケル首相の携帯電話が、首相就任前の2002年からことし6月頃までの10年以上にわたって通信傍受の対象になっていたと伝えました。
通信記録を収集していたのか、それとも通話の内容を実際に盗聴していたのか詳細は不明ですが、ドイツ政府の当局者は「盗聴の可能性が高い」と主張しています。
NSAによる通信傍受の拠点はベルリンを代表する観光名所のブランデンブルク門のすぐ隣に位置するアメリカ大使館でした。
メルケル首相がいる首相府までの距離はおよそ800メートル。
「シュピーゲル」はNSAが大使館の屋上に高性能のアンテナを設置し、ドイツ政治の中枢部を行き交う携帯電話やインターネットなどのあらゆる通信を傍受していたと伝えています。
米への批判強まる
ヨーロッパ最大の経済大国として存在感を増すドイツ。
自動車分野を中心に世界的な企業が数多く立地しています。
「ヨーロッパの盟主」とも呼ばれるドイツの首相の考えを突き止めたいと思うのは、自然なことなのかもしれません。
しかし、冷静かつ理性的な政治家と評されるメルケル首相も今回の盗聴疑惑では怒りを隠しきれない様子です。
旧東ドイツで育ち、秘密警察の監視網の恐怖を体験したメルケル首相が今回の疑惑を重く受け止めるのは想像に難くありません。
プライバシーの保護に敏感なドイツ国民の間でもアメリカへの批判が強まっています。
盗聴疑惑の発覚後、ドイツの世論調査機関が実施した調査では76%がオバマ大統領はメルケル首相に謝罪すべきと回答しました。
産業スパイへの不安広がる
特に批判を強めているのがドイツの産業界です。
最大の経済団体、ドイツ産業連盟のグリロ会長は、企業の情報までもが傍受の対象になるのを防ぐため、拘束力のある「反スパイ協定」を、アメリカ政府と結ぶよう強く求めています。
背景にあるのが、10年余り前に持ち上がったNSAによる同様のスパイ疑惑です。
「エシュロン」と呼ばれる世界規模の秘密の通信傍受システムを使って、アメリカがヨーロッパの企業を対象に情報収集を行っている可能性が浮上したのです。
冷戦時代、共産圏諸国の情報収集のために運用していた通信傍受システムを、ヨーロッパなどの民間企業の情報収集に転用していたと言われています。
実際、航空機業界では、電話やファックスの傍受によってヨーロッパの企業の重要情報が漏れ、アメリカの企業に競争で敗れるケースがあったとも伝えられています。
ヨーロッパ議会は、2001年、「エシュロン」の存在は疑いないとする調査報告書を公表。
しかし、アメリカやイギリスから実質的な協力を得られなかったこともあり、全容の解明までには至りませんでした。
自社の機密情報が、外国の情報機関によってひそかに盗み取られているのではないか。
メルケル首相までもが盗聴された可能性が持ち上がったことで、ドイツ産業界の怒りは再び、頂点に達しています。
テロ対策と主張するアメリカ
アメリカ政府はNSAの諜報活動は主にテロ防止のためだとして産業スパイは否定しています。
メルケル首相の携帯電話の盗聴疑惑については「現在は通信の傍受はしておらず、将来もしない」というのが公式の立場です。
過去に傍受をしていたのかどうかは明言を避けているのです。
ただ、情報機関を統括するクラッパー国家情報長官は、29日議会の公聴会で指導者へのスパイ行為はその世界では常識だと指摘し、メルケル首相の電話も傍受していたことを示唆しました。
しかし、傍受の目的や電話の会話の内容まで盗聴していたのかなど、詳細は依然、闇に包まれたままです。
米国内でも高まる懸念
アメリカ国内でも、NSAが同盟国の指導者の携帯電話まで傍受するのはやりすぎだと衝撃を持って受け止められています。
情報機関の活動拡大を支持してきた議会上院、情報特別委員会のファインスタイン委員長も、同盟国の指導者の通信傍受には反対する意向を明確にしています。
さらに、議会の与野党のトップも情報機関の諜報活動の見直しの必要性で一致。
超党派の議員が議会によるNSAの監視を強化する法案を提出する動きも出ています。
通信傍受のメリットとデメリット
一方で、アメリカ国内には、同盟国に対する諜報活動を支持する意見が根強くあります。
同盟国であっても、多くの国々は経済分野では常に競争相手となるからです。
そうした意味では、メルケル首相の電話を盗聴するメリットは確実にあったわけです。
例えば2008年に起きた世界金融危機や、2009年に表面化したギリシャの財政問題の際には、ヨーロッパの経済大国、ドイツの動向がアメリカの国益を左右する可能性もありました。
しかし、デメリットもあります。
同盟国へのスパイが発覚した際には外交的なダメージを受けることになります。
ドイツやフランスなど指導者の電話の盗聴が疑われる国々はアメリカを強く非難しています。
世界での影響力にかげりが見えるアメリカにとって、同盟国の協力は欠かせません。
アメリカは諜報活動によるメリットと外交的なリスクをてんびんにかけながら今後の方針を決めていくことになります。
活動縮小に向けた節目となるか
アメリカでは、2001年の同時多発テロ事件以降、対テロ作戦の一環として、新たな法律が制定され、情報機関の活動が大幅に拡大されました。
NSAは、潤沢な資金と国内の支持を背景に、巨大な通信傍受ネットワークを全世界に張り巡らしてきました。
今回の盗聴疑惑が、アメリカ国内のこうした流れを変える節目になるのか。
圧倒的な情報収集能力を手にしたアメリカが、みずからの力をどこまで規制できるのか、民主主義と人権保護の理念を世界に訴えるアメリカの真価が問われることになります。