ぼくがネットで心折れそうになるたびに、読んでいる文章があります(ω)
【多方面に】覚悟も無ぇやつが芸能界を目指すんじゃねぇよ!【喧嘩売る】
すばらしいですよね、これ(ω)
このブログと、ふだんぼくが言っている「ネットで悪口を書くのはよくない」は、
ぜんぜん正反対じゃないかぬ!とおもうだろうけど、
そうなんです全然正反対なんだけど、
ぼくはこの文章に、すごく励まされるんです(ω)
本当の優しさってなんだろう?って、聞かれてるみたいで
たとえば子役でも声優の養成所でも、だれでもどんな子でも、お金を払えば登録できるんです
可愛くなくても演技がへたでも事務所に入れる(ω)
でも、その中で、何人がちゃんとオーディションに受かって
お仕事にありつけるのかかんがえたら
果たして、全員を所属させて、レッスンさせて、平等に夢を与えることは、
優しさじゃなくて、ほんとは残酷なんじゃないかな?って、おもったりもする
ぼくの事務所は「じぶんの力でお仕事をとれる子しか所属させない」ので
たくさんの子を面接でおとします(ω)
そうしてやっと所属できても、全員が必ず、お仕事ができるわけじゃない世界です(ω)
でも、所属人数がすくないから、
みんなが何かしらお仕事ができるように、事務所の手もとどきやすいので
いたずらに時間とお金ばかりむだにして、
大切な子どもの時間をレッスンをオーディション回りについやす子は、
「平等に夢が見られる事務所」よりは、とても少ないです(ω)
どっちが結果的にどうなんだろ?
ぼくはツイッターをはじめるとき、どんな批判にも耐える覚悟でいました
それはぼくはそこまで素材がいいわけじゃないし、そんなに好感度も高くなくて、
根性とやる気だけでお仕事してるところがあるから
ブスとかキモいとかヘタクソやめちまえ、までは、想定内でした(ω)
でもそんなぼくでもさすがに、家族のことや友だちのこと、
着ている服や食べているもの、
応援してくれているファンの人たちの悪口までには、
さすがに耐えられなくなって、かなり心をやられました(ω)
その時、ぼくを救ってくれたのが、このブログでした(ω)
「自分自身の努力でマイナスの意見を跳ね返せばいいのだ。
批判される覚悟もないくせに、プロの世界を目指すなと思う。」
「小学生、幼稚園児の子役ですら。
ただひたすらに商品価値のあるかないかで振るいにかけられるのが
プロの世界だ。
ネット上で悪口を書かれたぐらいで折れる心なら。
その程度の覚悟で芸能界に入ってくるんじゃないと思う。
どれだけダメ出しされようと。
苦節何年も売れなかろうと必死に頑張っている人間はいくらでもいる。」
これを見ると、いつもぼくが言っている
「ネットで悪口を書くことは、人としてどうなのか」
「芸能人だって言われたら傷つく、芸能人もひとりの人間だ」っていう
一般論、全アクロン あれまちがえた 善悪論(ω)は、また別の問題として、
ああ ぼくはいま、「商 品」としてのレベルに達していないだけなんだ
って、ハッと、我に帰れるんです(ω)
「人として否定」されたり、
「人間としての尊厳をふみにじられ」ているんじゃない(ω)
ただ、単純に、「商品としてのレベルに達していない」から、
「買いたくない」って言われているだけなんだ
だから、本当のぼくを知っている人に、人として否定されているわけじゃないんだ!
これは、このくやしさを糧に、泣いて泣いて、
もっと「いい商品」を、うみださなきゃいけない、ってことなんだ!って、
くやしくて悲しくて泣くだけ泣いたら、
また、がんばろうって、心の底からおもえるような、文章なんですよ(ω)
芸能人だって人間です
人として見てもらえていないのはとても悲しいことです
けれど芸能人は人でもあり、ひとさまにお金をいただくプロで、商品でもあります
だから、人としての心の痛みを知ってほしい、
想像力を持ってほしいとうったえているぼくだけれど
それとは別に、商品としてのじぶんは悪口をいわれるたびに反省して、
もっと演技がうまくなりたい、もっと仕事ができるようになりたい、
じぶんを、改善していきたい、と、おもうのです(ω)
あとこっちの記事もすばらしいです!そのとおり!
今の若い子は声優という仕事を舐めてる。声優仕事の裏側から。
【多方面に】覚悟も無ぇやつが芸能界を目指すんじゃねぇよ!【喧嘩売る】
すばらしいですよね、これ(ω)
このブログと、ふだんぼくが言っている「ネットで悪口を書くのはよくない」は、
ぜんぜん正反対じゃないかぬ!とおもうだろうけど、
そうなんです全然正反対なんだけど、
ぼくはこの文章に、すごく励まされるんです(ω)
本当の優しさってなんだろう?って、聞かれてるみたいで
たとえば子役でも声優の養成所でも、だれでもどんな子でも、お金を払えば登録できるんです
可愛くなくても演技がへたでも事務所に入れる(ω)
でも、その中で、何人がちゃんとオーディションに受かって
お仕事にありつけるのかかんがえたら
果たして、全員を所属させて、レッスンさせて、平等に夢を与えることは、
優しさじゃなくて、ほんとは残酷なんじゃないかな?って、おもったりもする
ぼくの事務所は「じぶんの力でお仕事をとれる子しか所属させない」ので
たくさんの子を面接でおとします(ω)
そうしてやっと所属できても、全員が必ず、お仕事ができるわけじゃない世界です(ω)
でも、所属人数がすくないから、
みんなが何かしらお仕事ができるように、事務所の手もとどきやすいので
いたずらに時間とお金ばかりむだにして、
大切な子どもの時間をレッスンをオーディション回りについやす子は、
「平等に夢が見られる事務所」よりは、とても少ないです(ω)
どっちが結果的にどうなんだろ?
ぼくはツイッターをはじめるとき、どんな批判にも耐える覚悟でいました
それはぼくはそこまで素材がいいわけじゃないし、そんなに好感度も高くなくて、
根性とやる気だけでお仕事してるところがあるから
ブスとかキモいとかヘタクソやめちまえ、までは、想定内でした(ω)
でもそんなぼくでもさすがに、家族のことや友だちのこと、
着ている服や食べているもの、
応援してくれているファンの人たちの悪口までには、
さすがに耐えられなくなって、かなり心をやられました(ω)
その時、ぼくを救ってくれたのが、このブログでした(ω)
「自分自身の努力でマイナスの意見を跳ね返せばいいのだ。
批判される覚悟もないくせに、プロの世界を目指すなと思う。」
「小学生、幼稚園児の子役ですら。
ただひたすらに商品価値のあるかないかで振るいにかけられるのが
プロの世界だ。
ネット上で悪口を書かれたぐらいで折れる心なら。
その程度の覚悟で芸能界に入ってくるんじゃないと思う。
どれだけダメ出しされようと。
苦節何年も売れなかろうと必死に頑張っている人間はいくらでもいる。」
これを見ると、いつもぼくが言っている
「ネットで悪口を書くことは、人としてどうなのか」
「芸能人だって言われたら傷つく、芸能人もひとりの人間だ」っていう
一般論、全アクロン あれまちがえた 善悪論(ω)は、また別の問題として、
ああ ぼくはいま、「商 品」としてのレベルに達していないだけなんだ
って、ハッと、我に帰れるんです(ω)
「人として否定」されたり、
「人間としての尊厳をふみにじられ」ているんじゃない(ω)
ただ、単純に、「商品としてのレベルに達していない」から、
「買いたくない」って言われているだけなんだ
だから、本当のぼくを知っている人に、人として否定されているわけじゃないんだ!
これは、このくやしさを糧に、泣いて泣いて、
もっと「いい商品」を、うみださなきゃいけない、ってことなんだ!って、
くやしくて悲しくて泣くだけ泣いたら、
また、がんばろうって、心の底からおもえるような、文章なんですよ(ω)
芸能人だって人間です
人として見てもらえていないのはとても悲しいことです
けれど芸能人は人でもあり、ひとさまにお金をいただくプロで、商品でもあります
だから、人としての心の痛みを知ってほしい、
想像力を持ってほしいとうったえているぼくだけれど
それとは別に、商品としてのじぶんは悪口をいわれるたびに反省して、
もっと演技がうまくなりたい、もっと仕事ができるようになりたい、
じぶんを、改善していきたい、と、おもうのです(ω)
あとこっちの記事もすばらしいです!そのとおり!
今の若い子は声優という仕事を舐めてる。声優仕事の裏側から。
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