井上源吉『戦地憲兵−中国派遣憲兵の10年間』(図書出版 1980年11月20日)−その16
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〈憲兵軍曹に進級し、南昌市・安義・奉新・新建の警務指導官に就任。中国人警察官を指導して思った日中の違い(1940年8月)〉
指導官となってしみじみ感じたことは、すべて日本流にものごとを考えて教育したり助言してはならない、ということだった。大陸育ちの中国人は、生来おうようというのかのんきというのか、すべての行動が慢慢的(マンマンデ)であった。これにたいして島国育ちの日本人はせっかちで潔癖すぎるので、日本人の考えをそのままおしつければ歯車が合うわけがなかった。
彼らの考えでは、ワイロをとるのは役得で、別に悪いこととは思わないようだが、私たちの場合は罪悪感が先にたつ。当時の中国では高級官吏を四、五年勤めて一生くえるだけの金を収賄できぬ者は無能者だ、といってかえってさげすまれた。
また、すべてがのんびりしている中国人だが、場合によっては変わっているところもあった。警察の工事に毎日通ってくる木匠(ムージャン=大工)や瓦匠(ワージャン=レンガ職人)たちの行動を注意して見ているうちに、日本の職人とはだいぶちがっているおもしろいところを発見した。例によって仕事中はのんびりしているが、昼食時間や夕方の作業終了時間に、「休め」とか「しまえ」の命令が出たときの彼らはじつに現金なもので、積みかけたレンガをそのまま役げだしで休んでしまう。私たちの考えでは一個ぐらい積んでしまったらよいだろうと思われるのだが、彼らは手に持ってセメントをつけたレンガさえ、足もとに置いて帰ってしまうのだった。(149-150頁)
〈中国知識層による日米戦争の展開について(1940年9月)〉
昭和十五年九月末のことだった。憲兵隊では、近い将来予想される日米戦について、中国知識層の意見、感想を調査することになった。私は南昌警察局長の瞿澤霖(チーツォーリン)氏をたずねた。当時三十代なかばの瞿氏は、人格、識見ともに高い人であった。当時彼には南昌随一と思われるほど美しい夫人と、かわいい男の子一人、女の子二人があり、穏和な性格の瞿氏を中心に、はた目もうらやむほどの平和な家庭をいとなんでいた。局長は、率直に申し上げるので耳ざわりな点もあると思うが、けっして悪意はないから、お気にさわる点はどうぞおききながし願いたい、と前置きしてから、きわめて冷静な態度でつぎのように語った。
−日本の連合艦隊の実力からおして、緒戦は必ず日本が勝つだろう。なぜならアメリカは艦船や飛行機の数は日本にくらべではるかに多いが、太平洋と大西洋の両面にかけて配置しているし、守らなければならない海域や沿岸が広大なため、一地点に全力を集中できないからだ。また、日本はすでに国民の末端まで戦時態勢にはいっているのにたいして、自由主義国であるアメリカは全国民が戦時態勢にはいるまでに時間がかかる。それに彼らのなかには戦争反対を叫ぶものも多いだろう。しかしここで注意しなくてはならないのは、日本はすでに国の全力をあげ、できるだけの手をのばしきっているが、未参戦の彼らの力は未知数であることだ。
開戦となったら短期決戦で行かねばなるまい。正直にいって、日本はすでに中国戦線で泥沼に足を入れているのだが、中国だけならまだしも、へたをすると抜きさしならぬ泥沼にはまるだろう。おたがいに持っている物量が全然ちがうことも知るべきだ。アメリカも、いざとなれば持てる力を全部ぶつけてくるだろう。長びけば工業力の差で戦力の比重が変わってくる。中国相手とはちがうことを心得てかからねばなるまい。
それに距離ということと、国土の大きさも心に入れておく必要かある。日本からアメリカを攻めるには、遠く太平洋を渡っていかねばならないので、艦船や飛行機の使用におのずからに障害と制限があるが、アメリカは現に中国奥地に基地を持ち、グアム島の基地もあり、日本より足の長い爆撃機を持っている。最後のとどめをさすには相手国を占領しなくてはならないが、ここで国土の広さと人口が物をいう。中国軍が弱い弱いといわれながら、何年でも抗戦をつづけていられるのは、国土の広さと人口が多いからだ。
また、相手はアメリカ一国だけとは考えられない。いざ戦争となれば彼らは半植民地であるフィリピンを誘うだろう。いま日本はA(米)B(英)C(中)D(蘭)包囲網によって海上封鎖などの経済的圧迫を受けているが、フィリピンが参戦すれば、いま以上に海上輸送が困難になり、物資の入手がむつかしくなるだろう。
以上、だいぶ悲観的なことを申しあげてしまったが、私はけっして日本が敗けるといっているわけではない。万一どうしても戦争がさけられないのならば、以上のことを頭に入れて万全の準備をととのえ、一挙に戦勝へ持っていくべきだというわけだ。
私は世界状勢の分析にうといが、およそ以上のように考えていろ。私ごときが今、日米開戦についてとやかくいえる立場ではないが、できればそれは避けた方がいいと思う。率直にいって、日本のためにも新生中国のためにもだ。今は、中日戦争をどう終結するかを暗中模索しているときで、一日でも早く中日戦争を収拾してアジアに平和をとり戻すのが先決問題だと思う−。
瞿局長はこの意見をのべ終えると、ホッと息をつき、反応を確かめるかのようにジッと私の顔を見つめていた。目先の戦果に酔って有頂天になり、心の底にはある種の優越感さえ持っていた私は、このとき彼の言葉をきいていささか失望し、反感を覚えた。しかし、今にして思えばかつて中国陸軍の参謀大佐だったという瞿局長のまったく予言者顔負けの達識と、権力にこびない勇気にはしみじみと頭がさがる思いである。(151-152頁)
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