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【プロ野球】星野監督 無念 恩師に白星届けたかった2013年10月31日 紙面から
◇日本シリーズ第4戦 巨人6−5楽天イヌワシ軍団最大の弱点がさらけ出された。投手陣が12四死球の乱調。経験不足の救援陣が巨人打線を止めることはできなかった。「きょうは俺のミステーク」。星野監督は選手をかばい、すべての責任を背負った。 不安は的中した。試合前、「ここから2試合は心配だ」と話していた。この日がハウザー。第5戦は辛島。継投は避けられないが、頼れる投手も少ない。 だが、最悪のシナリオとして想定していた展開だけに、ショックは小さい。四死球の数を確認した指揮官は「ワ〜オ!」とおどけてみせた。 弔いの王手を届けることはできなかった。星野監督にとって、川上さんは監督としての教科書だった。「(日本一の)報告できんかった」。訃報を伝え聞き、肩を落とした。「大往生かな。最近は会っていない。はがきをもらうぐらいだったな」。リーグ優勝後に届いた一葉には「最後までしっかりやれ」と記してあったという。 解説者だったNHK時代、弟子のようにかわいがられた。一緒に全国各地を巡り、そのたびに星野監督が車のハンドルを握った。車中では遠慮なく質問をぶつけた。「生き字引がいるんだ。盗まないと損だろう」。時には読書の大切さを説かれ、厳冬の岐阜・正眼(しょうげん)寺で座禅を組んだこともあった。かつては選手、監督として、しのぎを削った。その垣根を越えて野球道を伝えられた。 「勝負に関しては、ものすごく厳しかった。勝負では非情を出す。野球に人生をかけていた。ただ、ものすごく情に厚い。そういうところは学んだ」 王、長嶋のONを使いこなし、V9を成し遂げた。その手腕は神のように見えた。それでも、川上さんは「俺だけではできなかった。牧野(茂さん)や藤田(元司さん=いずれも故人)がいたから」と参謀たちを持ち上げたという。 おそらく、再会は日本シリーズ後になる。まずは目の前の戦いに集中する。星をタイに戻されても、慌てる必要はない。残り3戦で2勝。第6戦には田中、第7戦には則本。Kスタでは2枚看板がスタンバイする。悲願の日本一を奪い、恩師に報告する。 (井上学) PR情報
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