FROM 藤井聡@京都大学大学院教授
金融政策と財政政策の組み合わせ、すなわち、アベノミクスの第一の矢と第二の矢の関係については、実に様々な議論が展開されています。
それらの中でも、最も典型的な議論を大きく分類すると、次の様な四つの類型できるのではないかと思います。
(1)第一の矢だけで十分であり、第二の矢は不要である、それどころか累積債務を増やすだけになるからやってはならない、という意見(金融・至上主義者)
(2)第一の矢だけで十分だけど、第二の矢も併せて行うとより早くその効果が現れるのだから、第一の矢の効果を高めるためにも、第二の矢を打つのも大変結構なことだ、という意見。
ただし、過剰な財政政策は、結局はクラウディングアウトやそれに伴うマンデルうフレミング効果などがあり、しかも累積債務を増やしてしまう悪影響(それは、マーケットの中で、累積債務が多いということを過剰に「気にする人々がいる」ということだけでも生じうるもの)があるため、一定程度以下に抑えておく必要がある(金融・中心主義者)
(3)第二の矢だけで十分で、第一の矢は不要だ、むしろ、金融緩和をやりすぎると金融バブルやその崩壊というリスク、より広義に言うなら「金融危機リスク」を助長するだけだから、やってはならない、という意見(財政・至上主義者)
(4)第二の矢こそが「必要」だけど、それだけでは金利が上昇するリスクがあり、クラウディングアウト(ひいては、それを起因としたマンデルフレミング効果)を起こすことから、過剰の金利の変動を抑止するためにも金融政策が「必要」である。しかも、金融緩和はマーケットの期待に肯定的影響を及ぼし得るため、一定程度の水準は「有効」である。
ただし、十分な需要を創出しないままに行う金融緩和は、金融バブルやその崩壊という「金融危機リスク」が高まるため、金融政策は適切な水準で行うことが必要である。(財政・中心主義者)
皆さんは、いずれでしょうか?
もちろん、政府から「ニューディール」政策担当の参与の打診を頂いた(そして、それをお引き受けした)当方は、(4)が一番適切で、バランスの良い考え方なのではないかと考えている者です。
とはいえ、世の中、ホントにいろんな方々が、いろんな事をおっしゃっておられて、どれだけ理論的に議論をしても、全員を納得させることはできません。
(#なぜというなら、納得するためには、納得するための能力が必要なのですが、それは万人に期待することはできないからです。そもそも複雑な事を納得するためには、認知的な複雑性を持たなければならないものの、万人が必ずしも(念のために申し上げておくと、自分自身も含めて 笑)、そんな複雑性を完璧なるレベルで所持しているとは限らないからです。
あるいは、仮に認知的な複雑性を持ち合わせている人々においても、納得すること/納得させる事それ自身を、議論の目的に据えずに、ただ単に勝ったか負けたかという次元だけを見据えながら議論するケースが多々あるからです。
つまり、熟成した議論が成立するためには、その議論に参加する人々全員が一定程度の認知的複雑性と誠実性の両者を持たねばならないのです。いずれか一方でも欠けてしまえば、そして、そういう人々がその議論にたった一人参画しているだけでも、真っ当な議論というものは成立しない。。。。ということが、実証哲学的に明らかにされています。
http://trans.kuciv.kyoto-u.ac.jp/tba/images/stories/PDF/Fujii/201207-201209/komatsu.pdf )
・・・・といことで、そういう不毛な議論はさておき、実際の所、過去の歴史の中で、金融政策や財政政策の有効性はいかほどのものだったのか。。。。という点について、虚心坦懐、データを眺めてみることで考えてみよう。。。と言うことで行ったのが、以下の研究でした。
http://trans.kuciv.kyoto-u.ac.jp/tba/wp-content/uploads/2013/08/keikakugaku_48_maeoka.pdf
また、学会の査読・審査に出す以前での原稿ですが、大変興味深い結果が得られましたので、簡単にその概要をご紹介いたしたいと思います。
まず、この研究では、リーマンショック後の世界各国のGDPや失業率に着目しました。
それはもちろん、リーマンショック後に大きく悪化した訳ですが、この研究では、その「悪化の過程」ではなく、悪化した後の「回復の過程」に着目しました。
(悪化の過程、については、 http://trans.kuciv.kyoto-u.ac.jp/tba/images/stories/PDF_1/Fujii/201210-201212/maeoka_e.pdf をご参照下さい。こちらは審査を通った後の原稿となっています)
リーマンショックとはつまり、急激に需要が落ち込んだ減少です。
つまり、瞬時にして、多くの国々に「デフレ圧力」がかかったという状況です。
一方で、このデフレ圧力によって悪化した経済を立て直すために、各国は、様々な取り組みを行いました。その取り組みの中には当然、財政政策(いわゆるアベノミクス第二の矢)と金融政策(第一の矢)が含まれています。
いわば、各国は、様々なバージョンの「アベノミクス」を、様々な地域で行ったわけです(!)。
これは、研究者にしてみれば、あるいは、アベノミクスをやろうとしている人々にとってみれば、(少々不謹慎でありますが 笑)またとないデータが得られる機会、ということになります。
なぜなら、どういうアベノミクスがよいのか、すなわち、第一の矢と第二の矢をどういう調合で行うのがよいのか、ということを確認するための実証データが得られるからです。
。。。。ということで、OECD加盟諸国の「リーマンショック後の回復過程」と「財政政策、金融政策」との関係を分析した訳です。
この分析に先立って、筆者が想像していたのは、次の様な傾向でした。
第一に、財政政策をやったところは、(財政政策は定義上、GDPを押し上げるものであり、しかも、失業者を雇い上げるケースが大半であるため)景気回復が早いだろう(仮説1)。
ただし第二に、金融政策をやったとしても、それで実需を刺激するケースもあれば、そうならずにただ単に金融市場を活性化するだけに終わる可能性もあることから、景気回復効果は、財政政策のそれよりも、少々不明確となっているだろう(仮説2)。
。。。。で、分析した結果。。。。細かいことは省きますが、
仮説1は明確に支持されました!
つまり、財政出動を行った国は、そうで無い国よりも、GDPの回復は、実質上も名目上もより大きく、かつ、失業率の回復もより大きなものでした。一方で、財出しなかった国は、GDPも失業率の回復も低い。。。ということが、統計学的に明らかにされました。
そして、仮説2もまた、支持されました!
金融政策単体の効果は、残念ながら、財出効果ほどにははっきりと見られなかったのです。ほとんどの効果は、統計的に有意とはなりませんでした。
具体的に申し上げますと、名目GDPについては、金融緩和の効果が一定程度見られる傾向は見られましたが(ただし、それも、いわゆるスタンダードな統計学の基準から言うと明確に意味のある傾向とは言えない水準でしたが)、それ以外の実質GDPや失業率については、統計的な効果は、残念ながら全く検出されませんでした。
以上から、今回用いた結果に基づくなら、
「デフレ脱却には財出はおそらくは有効なのだろう、
ただし、金融緩和は(無効という結論を導くことはできないものの、少なくとも)、
常に有効というわけでもないのだろう。。。」
ということが論理的に含意(imply)されたことになります。
とはいえ、「一般的には金融政策効果は検出されなくとも、財政政策とコンビネーションで行うと、金融効果が見られる」のではないかと考え、様々な形で分析を行いましたが。。。。残念ながら、今回のデータは、そうした効果もはっきりとは検出されませんでした。
(そのあたり、ぶっちゃけで申しますと、「金融政策の効果はあるはずだ!!是非とも、そういう効果がある、という実証結果を見いだしたい!!」という一念であれこれと苦労したのですが。。。。残念ながら、結局は明確には見いだせませんでした。)
もちろん、今回のデータは限られたものであり、このデータだけから、全ての結論を導くことはできません。
とはいえ!
限られたデータであるにも「関わらず」、「明確」にその存在が統計学的に示された「財出効果」については、それが「存在しない」という説そのものは、棄却することが合理的なのではないか、という結論だけは導くことができるのではないかと思います(!)。
つまり、先の四分類で言うところの(1)「金融政策・至上主義」は棄却することは、この分析だけからでも可能である、という可能性は極めて高い、ということが言えるのではないかと思います(笑)。
以上、少々、学術的な表現を多用してしまいましたが(学術界は邪念をもった査読者が山のようにいますので、何があっても批判されないように、保守的に保守的に・・・・「可能性がある」だの、「疑義がある」だの、「その疑義は否定できないとも考えられる」だの、もってまわった言い方をするルールがあるのです 笑)、このあたり、アベノミクスの未来を考える上で極めて重要な論点ですので、ご関心の方は、じっくりとご検討になってみてください。
PS このあたり、ご関心の方は是非、下記ご参照ください。
http://amzn.to/18u1g1J
>あるいは、仮に認知的な複雑性を持ち合わせている人々においても、納得すること/納得させる事それ自身を、議論の目的に据えずに、ただ単に勝ったか負けたかという次元だけを見据えながら議論するケースが多々あるからです。
>つまり、熟成した議論が成立するためには、その議論に参加する人々全員が一定程度の認知的複雑性と誠実性の両者を持たねばならないのです。いずれか一方でも欠けてしまえば、そして、そういう人々がその議論にたった一人参画しているだけでも、真っ当な議論というものは成立しない
最近ネットを見ているとこれを痛感します。。。『声のでかいやつが勝つ』という感じですね。
リーマンショック後の世界経済のデータとは、貴重な資料をありがとうございます。エビデンスに基づいた議論は大切ですよね。藤井教授は非常に優れた方だと一方的に尊敬しています。今後ともエビデンスレベルの低い根拠を盾にでかい声を挙げている、ぼんくら経済学者や某パソナ会長をこてんぱんに叩きのめしてくださいますよう、応援しています。
元日銀の白川が経済対策を取らず日本をデフレのまま放置したことや、この期に及んで自らの利権だけを追求し、アベノミクスもほどほどに終わらせてしまう事が生み出す痛みはわが子が自殺でもしない限り実感することはないでしょう。
ウィンドウズやマックはなにも考えなくなるいいおもちゃを日本人に与えたものですね。
国土強靭化に暗雲ですか?
本来マクロ的政策を推し進めるべき財務省が建設業界の人手不足を理由に
強靭化の工事件数の調節を図ろうとして居るみたいです。大きな政府を歓迎するはずの財務省が完全なるダブルスタンダードです。歳出を減らしたいのは解るが財務省は本日の記事で緩やかに指摘される様に、国にとって有効な手当てを行う事が第一義の最も優先されるべき事項、優先順位一位の政策、財政出動です。
日銀が異次元の金融政策を行い、2パーセントの物価目標を掲げたように政府の公共工事も強靭化計画達成まで5パーセントの人手不足の状態を作るように目標を定めて仕事を出すべきです。(物の過不足は±5パーセント以内で発生し、この5パーセントが物価や産業の成長衰退を決定する、これ以上は健全な社会上体では無くなるので5パーセントの目標)
財務省や政府は本末転倒の事を言い出しているので御怒りでしょうか。
本日の記事の隠された本質は財務省でしょうか?
是非とも11月4日の大阪で本当の処をお聞かせください。
本来、議論の参加者全員が「より良い結論を導き出すためのブレイン・ストーミングに貢献しよう」という意識を共有し、各参加者がイシューに対する「豊富なデータや実体験に基づいた確かな知識」と「物事を相対的に俯瞰できるフラットな視点」を持ち合わせていれば、活発で建設的が議論が起きるはずなのですが・・・。
テレビの討論番組などを見ていると、「人の話を聞かずに自分の主張をひたすら正当化する」だけの人がいます。こういう人は「自分の主張と合わない人を黙らせる」ために声を荒げてまくし立て、人格攻撃をしたり、論点を矮小化・限定化してズラシたり、つまり議論と口げんかの区別も分からない「議論のマナー違反」なわけです。
そして、テレビに限らず、全うな議論もせずにあまりに無理のある結論に導こうとする人は、背後にある利害関係を疑ってみる必要がありそうですね。その人の意見は「誰にどういうメリットがあるのか」と。
最近日本の財務省が「オカシイ」というより、「アヤシイ」と感じる人は多いと思います。グローバル化路線の「小さな政府」を目指して、日本円を日本国民のために使うより、海外の投資(投機?)に向かわせようとしているような・・・。自分達は良質な公立学校がある目黒区の一等地の立派な官舎に住み、天下り先も用意されて余裕のある老後まで保障された、平等なはずの日本で国民の血税を使って「特権階級」化しているにもかかわらず、です。
だいたい、英国と韓国が「規制緩和・グローバル化」したのは国が破産したから「仕方なくそうさせられた」のであって、破産もしていないどころか世界有数の経済力がある日本が、なぜ、敢えて、数々のデメリットがあり国柄を激変させる「規制緩和・グローバル化」を「自ら」やらなくてはいけないのか。この点に関する議論と検証は、国民に明らかな形で深化させてほしいものです。
ちなみに、先進国の中で治安・経済が安定し、山岳地帯の国土でインフラ整備の公共投資を自前でまっとうに行っているスイスは、実は規制だらけです。外国人がスイスに家を買うのも大変難しく、グローバル化はかなり限定的。そして「永世中立国」を維持するために国民の防衛意識は高く、最新の軍備を備えて訓練も怠らない。
別にスイスを理想化したり、真似しろと言いたい訳ではありません。ただ、ヨーロッパの中に他国の干渉を受けにくい自主独立して安定した国家があることは、大変重要ではないかと思うのです。アジアの中で日本もこういう立場になる方法ないものか、とも思うわけです。
金融政策と財政政策の整理分類と仮説の検証および結果(財出効果)・・・大変参考になりました。分類に論者や政党をあてはめると各人の立ち位置や利害もわかり理解が深まりました。とりあえず分類(1)(2)と考えられる論者(例えば、みんなの党・渡辺喜美)の見解は如何に?笑
記事中で紹介された「個人の大衆性と弁証法的議論の失敗に関する実証的研究」(pdf)・・・こちらも興味深い内容で大変勉強になりました。研究の結果に加え、研究では扱われなかった「感情」「態度」「利害」「空気」などの要素(感性やポジショントーク)を考えたとき、「理性+誠実性+真善美+感性+立場」=「クセのある人間らしさ」が議論に及ぼす影響を改めて感じました。なお、クセがあるから人間なのであって(無くて七癖有って四十八癖)、クセは肯定しますが、クセをコントロールしたい・・・などと思いました(自戒)。
藤井先生の語り調といいましょうか「徳」というものが文面から滲み出ているからだと思うのですが、読後感も心地よく、大変勉強になる&面白かったです。ありがとうございました。