周防社長に6億円、田辺エージェンシー田辺昭知社長に3億円!
今月発売された雑誌「サイゾー」の取材に、当大日本新生會の笠岡和雄総裁が答えている。バーニングプロダクションの周防郁雄社長の出会いや、用心棒になったきっかけ、なぜ今、周防についての告発を続けているのかなどについて語っているが、その記事の横に興味深いコラムが載っていた。
我々が周防の用心棒を務めるきっかけになったのは2001年に起きたバーニングプロ事務所への銃撃事件だったことは当ホームページにも書いているが、なぜこんな事件が起きたかということは、当時周防も「心当りがない」といっていたし、我々も結局は真相をつかめずにいた。しかし、サイゾーの記事によると、当時周防は、GLAYの所属事務所「アンリミテッド」の社長だった真下幸孝社長とトラブルを抱えており、そのことが銃撃事件の背後にあったという。
――アンリミテッドとバーニングの間には、GLAY楽曲権利めぐる紛争が起こり、訴訟にまで発展。さらに、ポニーキャニオンへ移籍する際、億単位の移籍料が発生したのだが、その金をめぐっても、真下社長と周防社長は衝突したという。
「真下社長は、その一部をプロモート費として周防社長に渡すのですが、のちに『あの金は貸したもの』と返還を要求したが、周防社長は、それを突っぱね続けたんです」
(中略)こうして真下社長との関係が悪化する中、同氏のバックにいる住吉会系の暴力団の介入を恐れた周防社長は、関東連合をボディガードにつけ、松浦組に支援を依頼していたことになる――(サイゾーより)
この記事を受け、我々もある音楽業界関係者に話を聞いた。すると、こんな具体的なエピソードが出てきた。
「そもそもGLAYは、10億円の契約金でポリドールに所属していたのですが、99年、契約半ばでポニーキャニオンに移籍しているんです。当然、ポリドールはアンリミテッドに契約金の返還訴訟を起こした。一方、ポニーキャニオンは、この 10億円と同額の移籍料をアンリミテッドに払ったのですが、その金はポリドールにいくことなく、プロモート費として、周防社長に 6億円、田辺エージェンシーの田辺昭知社長に3億円。残り1億円が当時の日本青年社会長の衛藤豊久氏に渡った。ところが、後になって真下社長が『あれは貸した金だった』と言い出し、衛藤会長には請求できなかったようですが、周防社長と田辺社長には返還請求。田辺エージェンシーはトラブルを恐れて、分割で3億円を返済したんですが、周防社長は『返す必要のある金ではない』といって、拒み続けたんです」
この対応が真下社長サイドを怒らせ、銃撃事件につながったということらしい。サイゾーの記事には「周防社長にしてみれば、実行犯と真下社長との関係が特定できた段階で、それを真下側との交渉材料に6億円の返済もチャラにできると考えたのかもしれない。いずれにせよ、笠岡氏の庇護の下に入ることで、真下社長のプレッシャーをかわそうとしたことは間違いありません」ともある。
“真下黒幕説”の真偽は分からないが、真下社長が住吉会の幹部と昵懇であるという情報は掴んでおり、真偽を問いただしに行ったこともある。そんな真下社長と、GLAYをめぐるトラブルという事実があったのにもかかわらず、周防は我々に「心当たりはない」と語っていた。一方で、銃撃事件に対しては、バーニングは警察に被害届も出さなかったというのだから、当局にほじくられたらまずいことがあったのではないかと推測するのが普通だ。
用心棒とは、命がけで依頼者を守るものである。それゆえ、信頼関係は不可欠だ。だが、用心棒になるきっかけになった事件についてまで、周防が嘘をついていたとなると、奴がその後、我々との約束を次々と反故にしていったのも合点がいく。要は、我々を利用しようとしていただけなのだ。それは許されないことである。
先月9月30日に出所した、「許永中」の隠れ家でもあった麻布十番Fプラザ502号。銃撃事件後に周防社長に提供され事務所を構えることになり、多くの事件やトラブルを解決してきた事務所となるのだが、実は周防社長の手の上で転がされていたと思うと恥ずかしくなる。しかし、どうしてここまで「周防郁雄」という人間が芸能界のドンと呼ばれるまでになったのだろうか?
「マッチポンプ式高額集金システム」
周防社長と日本青年社二代目会長故衛藤豊久氏とのつながりはかなり古い。当時山口組四代目竹中組長に依頼され、住吉連合会との窓口担当者に桂木氏を紹介したことがあった。後に桂木氏より宅見組長に窓口を変更したいとの連絡があったのだが、ワシはちょうどその頃心臓病で体調を崩し、入院生活を余儀なくされていたので事の進捗を傍観していた。その後、衛藤氏は宅見組長の舎弟分となり、東京で大暴れしている噂を聞いた。
当時から周防社長とタッグを組んでいる田辺エージェンシー田辺昭知社長、川村龍夫副社長、長良プロダクション故長良じゅん社長、ユニバーサルミュージック鈴木豊重氏らが、あらゆる芸能界裏情報とトラブル情報を周防社長に持ち込み、そのネタを元に広告代理店、マスコミ、映画界、テレビ局、芸能関連企業を街宣車で攻撃しまくるのでる。この時代だと誰も逆らうものはいなかったに違いない。そして自ら仲介役を買って出るのが、裏で繋がっている周防社長。周防社長が仲介することにより、街宣活動を辞めさせ、その見返りに桁の違う広告宣伝費と、あらゆる利権をこの三名で貪り山分けしていたという構図である。つまり、街宣活動とは名ばかりで周防郁雄とその仲間達に巧妙にしくまれた「マッチポンプ式高額集金システム」だったのだ。こんな滑稽な仕組みが、10年近くも周防社長、衛藤氏、宅見組長の金儲けの基礎となり、「ドン」と呼ばれるまでになってしまった。
たしかに思い出すと、Fプラザ502でも周防社長は「今から、街宣車まわすぞ、覚悟しとけ」と麻雀の途中でも席を立って、電話越しに怒鳴っていたし、ちょっと仕事を頼むと、年1億近いJRの広告なんかを簡単に受注してきてくれたもんだ。ワシも当時は周防社長がこれほど、裏側で暗躍して力を付けていたとは想像もつかなかったな。
しかし宅見組長が殺され、衛藤氏も病のためにカラダが不自由になると、後ろ盾になってほしいのか、衛藤豊氏をワシの前に周防社長がよく連れてきていたのを覚えている。しかし、周防社長は、膨大な広告宣伝の利権と分け前を巡って組織の内外から標的にされ、2004年春、生前お世話になった方の自宅へ焼香に行った帰り道、Hなる人物とAなる人物に捕まり脅された。詳細は、バーニングが日本青年社元二代目会長故衛藤氏と、故宅見組長が利権として支払をしていた広告宣伝費の膨大な金額を、日本青年社に支払うよう脅されたのである。この時もワシが、仲裁と解決に当たったのだが、よくよく事情を聞くと先方側が筋道の通った話で、さらって監禁でもしないと払わない事がよくわかった。この事件からも分かるように周防社長は、全く金を払わないのだ。周防の手先としてワシの所に送り込まれてきたヤクザの代理人も着手金すら受け取らず乗り込んで来たと言うではないか。
やはり芸能界のドンと言われる男に依頼されると、舞い上がってしまい、事情をしらないヤクザ組織が、次から次へと周防社長の代理として話を付けるために、ワシの前にやって来るのも納得がいく。サイゾーでは記載されていなかったが、融資した金は、現金で10数億円。本来、新規事業に使われるはずの資金は、大半が千葉の組長に流れ、残りは周防社長のマネーロンダリングの材料となり、結局は周防社長の懐に入ってしまうのである。
赤坂公証人役場で18億円の偽造金銭消費貸借を結ばされ、3千万の手数料を受け取った新規事業の関係者は死亡するなど、ワシらヤクザより周防社長のほうが三枚くらい上手や。
----「間違いなくうまくいくし、何十億円っていう仕事になって、数億円の儲けは戻ってくるというから、経費を請求するのはいいやとなっていた。ところが、その事業はうまくいかず結局儲けなし・・・」----(サイゾーより)
新規事業で数億の利益が出ると思い込まされ10年間も浮かれて待っていたワシが一番アホで笑いモノになってしもうた。島田紳助にでもレクチャー受けてたらもうちょっとましやったかもしれんな。
今回のような右翼とヤクザの背景を書いているメディアは少ないが、警察との関係を暴露している所はまずないだろう。2年ほど前に、ある出版社がNHKの内藤事件を取材に行くと、思わぬ所から取材記者あてに脅しの電話が入ったという。それはO警察署の現役刑事Nからだった。「今回のNHKの件、記事にするのですか?大変なことになりますよ。すぐに告訴するように指示しますよ」と掲載を断念させるような脅し内容なのだ。さすがに、この記者も警察が介入してきたことには驚いていた。またA警察署のM警部補とS警部補の2人は、周防社長とのトラブル内容を熟知しており、「解決した方が良いのでは」と直接ワシに指南してきたのである。A警察署の2人とは、翌日会い会話内容を全て記録しているので、民事介入しなければならなかった背景も含めて、いずれ公開しよう。こうして右翼、ヤクザ、警察までを懐柔してきた周防社長は、いま現在、自分自身が今までやってきた相手と同じ対極にたたされ、あらゆる過去の清算を求められて街宣活動に苦悩する日々を送っている。