外国特派員協会(FCCJ)の公益法人化は一般法人が解消される11月には実現しなければ何の法人でも無いただの団体に成り下がり宙ぶらりんになってしまう。そうなると税控除も受けられない無頼の団体でタダでさえどうにもならない赤字体質が更なる垂れ流しを迫られることになる。
5月に公益法人化申請を内閣府にあげて問題無しと楽観視していたルーシー・ジョージ政権は、内閣府から9月末にこのままでは申請は受け付けられないと突然言われ、事務方に轍夜の作業を命じ修正を加えた申請書提出を先日期限ギリギリで駆け込んだ。
終戦直後の1945年に創立された伝統あるFCCJが公益法人化を断られる訳は無いと能天気のルーシー・ジョージ政権はタカを括っていたが、顧問の三百代言の戯言を取り入れ(リーガルフィーは更に増大)事務方の尻を引っ叩いて内閣府からの質問や修正要求に追われていた。
東京地裁で訴訟を4件抱えていたことを隠蔽し、都労委でも長引いている労働争議も申請書には記載しなかったことで疑義を抱いた内閣府からの質問は多岐にわたり、F&Bのアウトソーシングにも疑惑を抱き既に解決した「アラスカ事件」まで及んでいたと言う。
能天気のルーシーやジョージたちと違い日本人の理事達は公益法人移行にかなりの危機感を覚えている。丁と出るか半と出るか、サイの目だけは分からないが、内閣府での審議に約3週間かけて11月中には結論は出る予定と聞く。
ディジタルHDカメラで舞台をおさえた映画以外のODC作品としてすっかり定着した松竹のシネマ歌舞伎。
20弾目は「春興鏡獅子(しゅんきょうかがみじし)」だ。
一年前に (2012年12月5日) 亡くなった一八代目中村勘三郎の4年前(2009年)最後の「鏡獅子」の舞台だ。世話物も時代物も新作も映画も何でもこなした勘三郎の存在は大きかった。
特にシネマ歌舞伎は勘三郎と玉三郎の二本柱で持っていた。今まで20本の作品があるが勘三郎の舞台は11本、半分以上を占める。
勘三郎が身罷ってからのシネマ歌舞伎の淋しいこと。
昨年(2012年9月)の「籠釣瓶花街酔覚」以来、この1年は市川猿之助の「ヤマトタケル」(2013年9月)(僕はワイヤーアクションなどを使うスーパー歌舞伎は嫌いだ)の1本だけだ。
勘三郎の一周忌を祈念して、鏡獅子の舞台映像の前のプロローグにインタビューを入れて、生い立ちや祖父(6世尾上菊五郎)や父親(一七世中村勘三郎)の芸談、それに息子たち勘九郎や七之助の将来に触れている。
感激したのは「春興鏡獅子」を六代目がどう完成させたか、小津安二郎が自分の作品の中に収めている舞台を勘三郎はそ100回以上、フィルムがボロボロになるまで見て研究したそうだ。
特に小姓、弥生に獅子の精が摂りつき引っ張られるように花道を引っ込む所作、一転して和事が荒事に転ずる鏡獅子の登場。一生懸命小津映画から取り入れたと言う。
ストーリーはシンプルだ。
江戸城の大広間。踊り自慢の小姓弥生がお鏡曳きの余興として引っ張り出され舞を披露するのだ。
秘蔵の獅子頭が祭壇に祀られ家老らは今や遅しと弥生を待つ。弥生は大勢が揃っているので恥ずかしく一旦は逃げ出すが捕えられ、観念して舞を披露し始める。手踊りに始り(勘三郎の手踊り指先までキチッと伸びていて好きだ)習い覚えた踊りを次々と展開する。踊りながら祭壇の獅子頭を手にした途端、獅子の精が弥生に乗り移る。
20歳の時に初演。最初はかなり上手く行けたが頭の中で芸の葛藤が始り、2度目から身体が動かなくなったと。しかし考えずに自然と身体の動きに任せて演じ始めて上手く行ったと言う。しかしこれが演じ切れるまでの自分の体力との勝負だと言う4年前の勘三郎に何か余命幾ばくも無いのかと感じるのは後知恵か。
インタビューを入れても1時間とちょっと、短いながら貴重な映像で勘三郎ファンには見逃せない。
11月30日より東劇他全国で公開される。
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