先日読者の方から、シリア内戦でトルコは一体何ができるのかという問題提起がありましたが、考えてみればトルコの対中東政策、なかんずくシリア政策についてはこれまで多くの紆余曲折があり、どうやらトルコの対中東戦略も大きな曲がり角に直面しているように思えわれます。
事実、(確か)27日だったかには国家安全保障会議が開かれ、対中東戦略、特にシリア政策についてレビューが行われたと報じられていました。
ちょうど良い機会と思うので、エルドアン政権の中東戦略について少し振り返ってみたいと思います。少し前のことを振り返るだけでも、現在のトルコの直面する問題の深刻さが判ろうというものです。
しかし、なにせ、私はトルコに住んだこともなければ(要するに土地勘もない)専門に研究した訳ではなく、報道されたところから自分なりにつなぎ合わせているだけですので、よほど暇な人でない限りスキップされた方が良いかもしれません。

トルコはアタチュルク以来の伝統的な親欧米、世俗主義政策から、中東でもイスラエルとは極めて親密な関係(特に情報、軍事面で)にあり、王制時代のイラクやシャー時代のイランなどはともかく、多くのアラブ諸国との関係は複雑であり、どちらかと言うと中東の問題に対しては冷たかったと思います。
特にシリアとの関係は常に微妙で、歴史的な領土問題に加え、シリアがPKKのオジャランを利用して(匿って)いたことや、シリアの親ソ的立場から、時には軍事衝突の可能性さえチラつかせていたと思います。

ところがエルドアン率いる「穏健イスラム主義政党」が政権を握って以来、その中東政策には大きな変化があり、特に隣国のシリア、さらにはイラク、イラン等との関係改善等所謂トルコの中東への復帰が目立ち始め、パレスチナ問題に対してもパレスチナ寄りの姿勢が目立つようになり、これに反比例してイスラエルとの関係が目立って冷却化して来ました(イスラエルとの関係は例のガザ向けの平和ボート問題から未だに冷たいままで、所謂正常化していないと思います)
その変化が最も顕著だったのがシリアとの関係で、エルドアン等のシリア訪問等親シリア政策が注目されましたが、イランとの関係でも、イランの核問題について当時のブラジル大統領とともに調停に努める等親密さが目立ちました。
そしてアラブ世界一般との関係で、トルコのアラブ世界への接近を印象付けたのが、アラブの春後のエジプト、チュニジア、リビア等との親密な関係でした。
特にエジプトはムバラク退陣後まもなく(と言うことは最高軍事評議会の統治時代で、ムルシ−の就任のはるか前だが)エルドアンが訪問し、革命後のリビア訪問と並んで、トルコの積極的な関与を印象付けました。
その点で、欧米諸国の間にも大きな期待があったのは、アラブの春後のアラブ諸国がトルコのAKPを見習って、所謂穏健イスラム路線を歩むことで、又トルコがそれら諸国を支援することが期待されていたと思います。
何しろ、トルコのAKPは、トルコと言う世界でも最も世俗主義的な国で、選挙を通じて穏健イスラム勢力として政権を握り、合理的な経済政策を通じて、トルコの経済を活性化させ、国民の大きな支持を受けていました。
更にこの様な動きは、、穏健なイスラム勢力が選挙を通じて政権をとれることを示すことで、アルカイダ等の過激派イスラム勢力の主張を撃破し、テロと暴力ではない別の道があることを証明しうるという意味で、大きな期待を寄せられたと思います。
その意味ではエジプトとチュニジアでのムスリム同胞団とナハダの透明で公正な選挙における勝利は特に大きな意味があると考えられたと思います。

ところがこの様に順調に見えたトルコの中東回帰政策にも大きな躓きが訪れます。
それはシリアの民主化運動とこれに対するアサドの残虐な弾圧が、民衆をして益々反政府の勢いを強めさせ、遂に本格的反乱に至ったことです。
シリアの情勢に対し、当初トルコは外相が何度もダマスを訪問し、民主化の要求を弾圧することなく、改革を通じてこれに対応することをアドバイスしますが、アサド政権は聞く耳を持たず(まあ、シリアの様な独裁国家で弱みを見せれば政権が転覆しかねないということでしょうが)、自由シリア軍が結成され、内戦がトルコ国境へ迫り、多数のシリア民衆がトルコ領内にも難民として流出することとなり、トルコは明確な反アサドの立場を打ち出します。
バース党との友好関係と言うトルコの政策からすれば、これはその失敗と言うことでしょうが、当初の内戦時代にはトルコは未だ明確な戦略を維持することができました。
それは、アラブ連盟に結集したアラブ諸国、特に湾岸諸国が明確な反アサド、自由シリア軍支持の政策を打ち出し、欧米諸国もシリアの友人会議等を通じて、このようなアラブ諸国の立場を支持したからです。
要するに、これらの勢力と協力して、アサドを退陣に追い込み、バース党の一部を入れるか否かは別にして、自由シリア軍に代表される、多数派(スンニ派)中心のシリア政権を作り、それを通じてシリアの安定を図るというもので、その意味ではトルコとしても明確な戦略があったと言い得るかと思います。

ところが、、ロシア等の拒否権の可能性があるために、必要な安保理決議をえることができず、リビアの場合のような西側諸国の軍事介入はできなかった半面、ロシアとイラン(それに人員的にはヒズボッラーの)の強力な軍じ的、資金的支援を受けたアサド政権が良く持ちこたえ、米国等も自由シリア軍への武器支援を渋っている間に、所謂イスラム過激派勢力(特にヌスラ戦線とか、「イスラム国家」とか)がシリア内およびイラク等の外部から浸透し、反政府軍の間で、益々大きな勢力を占めるようになりました。
要するにアサドの持論の、反政府軍はテロリストだとの主張に一定の根拠を与えるような状況になって行きます。
この様な反政府軍の事情に加え、更にアサドが化学兵器を使用し、その後の米ロの交渉を通じて、アサド政権の化学兵器の廃棄に合意したことが、皮肉なことにアサド政権の査察、廃棄に対する積極的協力を通じて、アサド政権の正当性のイメージを強めることになりました。
また化学兵器使用に対して、口では攻撃をほのめかしながら、結局は米ロの合意に隠れて何の行動も取らなかったオバマ政権に対する失望と不信感が湾岸諸国に広まりました。

そしてトルコにとって大きな打撃であったのが、本年のムルシ−政権に対するクーデターとその後のエジプトの動きです。
エジプトはクーデター後は国内問題で手いっぱいであり、シリア問題に対する関心が薄れたのみならず、それまでの政策を変え、むしろアサド政権とも手を打つような動きを見せており、それを反映してアラブ連盟(事務局長は元エジプト外相)の立場も曖昧なものになりつつあります。
更に、このエジプトのクーデターを巡り、それまで最も強固な自由シリア軍支持者であったサウディとカタールが仲たがいをしたのみならず、米国のエジプトに対する軍事援助凍結などから、サウディの対米不信が益々強くなっています。
他方、新しくイラン大統領に就任したロハニ師の、核問題や対米関係に関する柔軟な発言で、イランと米国の関係修復の可能性が出てきており、トルコがイラン核問題で調停をするような立場ではなくなり、さらにシリア問題でアサドの最大の支持者であるイランと米国との関係修復の可能性は、益々反アサド連合の信頼性を亡くすものと言えそうです。

おまけにアラブの春の花形であったチュニジアでもナハダと野党の対立が泥沼化し、リビアに至ってはもはや破綻国家そのもので、現在どのアラブの国を見ても一時喧伝された選挙を通じての穏健イスラム勢力の政権獲得を言う構図は色あせた者になりました。
これに対して、アルカイダとつながりのある過激派勢力は、シリアでその影響力を伸ばしている上に、隣国のイラクでもシリアと連動してテロ活動を活発化させており、さらにイエメンでも方々でその活動は活発化させ、その力はさらにリビア、チュニジア、アルジェリア等の地域でも、益々目立つようになっています。

この様な情勢がトルコを取り巻いているということは、現在トルコとしてシリア内戦に対してとり得る選択肢は極めて限られており、その意味でせんじつ(確か大統領を議長として)国家安全保障会議が開かれたということは、トルコ政府の危機感と焦りの表れではないかとおもわれます。
現在の状況下でトルコが新しい積極的な政策をとる余地は余りなさそうで、結局は情勢を分析しつつ、関係諸国(そもそも現在トルコにとって、シリア問題で最も頼りになる国と言うのは何処なのでしょうか?矢張り、ここでも対米不信感と言うのが強まっているのでしょうか?)と意見を交換しながら、状況の推移を見守っていく、と言うのが当面できることではないのでしょうか?
勿論、トルコ領内の難民の取り扱いとか、国境付近での対処ぶりとか、手詰まりの中でもできること、やらなければならないことは沢山あると思いますが、いずれも戦術的な問題で、所謂戦略的な大きな問題ではなさそうです。