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【芸能・社会】

岩谷時子さん死去 「君といつまでも」など作詞

2013年10月29日 紙面から

第4回岩谷時子賞の授賞式に出席した(左から)中村勘九郎、岩谷時子さん、八千草薫、松任谷由実、映画監督の岩井俊二さん=4月4日、東京都千代田区の帝国ホテルで(江川悠撮影)

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 越路吹雪さんが歌った「愛の讃歌」や加山雄三の「君といつまでも」など数多くのヒット曲を手掛けた作詞家で文化功労者の岩谷時子(いわたに・ときこ=本名トキ子)さんが25日午後3時10分、肺炎のため東京都内の病院で死去した。97歳。ソウル生まれ。葬儀・告別式は近親者のみで行い、後日お別れの会を開く予定。

 岩谷さんは、1939年に宝塚歌劇団出版部に入り、51年に越路さんとともに東宝文芸部に移籍。マネジャー兼作詞家として越路さんとコンビを組み、「愛の讃歌」「ラストダンスは私に」「サン・トワ・マミー」など海外のヒット曲を訳詞した。

 ザ・ピーナッツが歌った「ふりむかないで」「ウナ・セラ・ディ東京」や、佐良直美の「いいじゃないの幸せならば」、ピンキーとキラーズ「恋の季節」、郷ひろみ「男の子女の子」など数多くの作詞を手掛けた。

 ミュージカルにも造詣が深く、「王様と私」を日本にいち早く紹介。「南太平洋」「ジーザス・クライスト=スーパースター」「レ・ミゼラブル」「ミス・サイゴン」の訳詞を担当した。

 詞は、歌謡曲の主流だった七五調から脱して、会話を思わせるような新鮮な言語感覚が特徴。その後の流行歌にも大きな影響を与えた。

 79年に菊田一夫演劇賞特別賞、93年に勲四等瑞宝章。2009年に文化功労者に選ばれた。岩谷時子音楽文化振興財団を設立し、岩谷時子賞が創設された。

 岩谷さんは4月4日、東京・内幸町の帝国ホテルで行われた「第4回岩谷時子賞」の授賞式に出席したのが最後の公の場になった。

 岩谷時子賞は日本の音楽や芸能界の発展に功労のあった人や団体をたたえるのを目的に設立された。4月の授賞式には受賞した松任谷由実(59)や、奨励賞の歌舞伎俳優の中村勘九郎(31)らが出席した。

 岩谷さんは車椅子姿で登壇。言葉を発することはなかったものの、終始穏やかな顔を浮かべて受賞者を祝福した。受賞者やプレゼンターを務めた女優八千草薫(82)とともに記念撮影にも応じた。松任谷は式のスピーチで「岩谷時子さんは歌を作っている私にとって、菅原道真、作詞家の天神様のような感じです」などと喜びを語っていた。

◆最初はマネジャー 越路吹雪さん支え続けた

 「愛の讃歌」「恋のバカンス」など、昭和歌謡史を彩った数々の名曲を世に送り出した岩谷時子さん。岩谷さんを語る上で欠かせないのが、宝塚歌劇団出身でシャンソンの女王と呼ばれた越路吹雪さん(1980年死去)の存在だ。

 岩谷さんは兵庫県で育ち、学生時代に「宝塚グラフ」に小説を投稿したことが縁で、宝塚歌劇団に就職。そこで越路さんと出会い、その後長年にわたりマネジャーを務めた。国民的大スターを公私にわたって陰で支え続けた。

 「あなたの燃える手で」という情熱的な歌詞で始まる「愛の讃歌」。エディット・ピアフの歌に日本語詞をつけることになり、「作詞家になるつもりなんて全くなかった」岩谷さんが急きょ、越路さんの日記などをモチーフに仕上げた。「訳詞家・作詞家岩谷時子」が誕生した瞬間だった。

 マネジャー、訳詞家、無二の親友。太陽のように華やかな越路さんに、岩谷さんはまるで月のように寄り添い、越路さんを見守った。越路さんの死後、その濃密な関係を岩谷さんは「同志愛」と表現した。「越路さんは私の中でいつも生きている。そうじゃないと寂しいし、生きていけない」

 生涯独身だった岩谷さんは、歌の中でいくつもの「恋」を重ねた。その少女のような「恋」の数々が、大スター越路さんに花を添え、昭和という時代に夢と輝きを与えた。

◆ユーミン「大切な道しるべでした」

 4月4日に東京・帝国ホテルで開かれた「第4回岩谷時子賞」の授賞式で岩谷さんと対面した松任谷由実は(59)は、「岩谷さんの詞はいつだって私にとって大切な道しるべでした」と追悼のコメントを寄せた。

 松任谷は日本の音楽の発展に寄与した、として「岩谷時子賞」を受賞した。授賞式の会場では岩谷さんを前に自身のヒット曲「ひこうき雲」をピアノの弾き語りで披露した。追悼コメントの中で松任谷は「これからも、どうか私だけでなく、この国で作詞を志す人たちを遠い空から、すぐ隣から見守ってください」と冥福を祈った。

◆ただ驚くばかりで 小林幸子

 11月1日に横浜市の赤レンガ倉庫でスペシャルコンサート「岩谷時子を歌う」を開く演歌歌手の小林幸子(59)は、「ご他界のお知らせをうかがい、ただ驚くばかりです」などとするコメントを出した。

 小林によれば、コンサートは、時代を経ても変わらない岩谷さんの名曲に、自らの歌で新たな生命を吹き込んでみたい、とデビュー50周年企画として計画した。当日は「いいじゃないの幸せならば」「ろくでなし」などのヒット曲を披露する予定という。また年明けには、これら岩谷さんの名曲を集めたアルバムの発売も予定している。

 小林は自身のオリジナル曲に岩谷さんの作品はなかったが、深く尊敬していたという。「アルバムができたら、ごあいさつにうかがいたいと思っておりました。突然のことでまだ気持ちで整理ができず、いまはどのような気持ちでライブに挑めばよいかわかりませんが、精いっぱい歌わせていただきたいと思います」とした。

◆人生を変えた出会い

 「君といつまでも」を歌った加山雄三(76)の話 相田みつをさんの言葉に「その時の出会いが人生を根底から変えることがある」という言葉がありますが、僕にとっては岩谷さんとの出会いが本当にその言葉通りでした。

 僕の作品のほぼ全てと言っていいほど、岩谷さんが作詞をして下さり、偉大な方で、僕が歌詞に関して何も伝えていないのに、自分が思い描いた以上の言葉を詞にして下さいました。

 岩谷さんにお会いしていなかったら、今の僕はないと思います。心から感謝とご冥福をお祈り致します。

 逢えてよかった…岩谷さんが最後に書いてくれた詞です。

 ※「逢えてよかった」は、2007年に加山が発表したシングル「星の旅人」のカップリング曲。

◆私にとっての音楽の母

 今陽子(61)の話 岩谷先生が越路吹雪さんとパリのカフェを訪れた時に生まれたのが、「恋の季節」の「夜明けのコーヒー」というフレーズだそうです。16歳の私にこんな大人の歌詞を書いていただいたことが、とても光栄でした。

 岩谷先生の世界の魅力は、女心を強烈に表した言葉なのだけれど、そこに品とエレガンスがあるところです。

 スタジオでお会いすると、いつも年齢不詳で、でも、とても上品な方でした。私にとって音楽の父がいずみたく先生、母が岩谷時子先生。私は音楽の両親を2人とも失ってしまいました。岩谷先生からいただいた教えを大切にし、思いを新たにして、これからも努力してゆきたいと思います。

◆これからも歌を大切に

 郷ひろみ(58)の話 デビュー曲の「男の子女の子」から何作も素晴らしい作品を創っていただいた先生には大変感謝しております。今日の僕があるのも間違いなく先生との出会いがあったからです。これからも先生に頂いた歌を大切に多くの方たちへ届けて行きたいと思います。心よりご冥福をお祈り申し上げます。

 由紀さおり(64)の話 私のアルバム「1969」の中に先生の作品(いいじゃないの幸せならば)があり、そのご縁で昨年、岩谷時子賞をいただきました。その際には元気なお姿を見せて下さいました。先生から“私の歌を世界旅行に連れて行ってくださり、ありがとう”というお言葉をいただき、光栄なことでした。これからも先生の作品を大切に、心を込めて歌わせていただきます。

◆かわいらしくて温かい

 岩崎宏美(54)の話 日本初演のレ・ミゼラブルで初めて岩谷先生とご一緒させていただきました。私が胎教アルバムを作った時にも、3枚すべて手掛けてくださりました。かわいらしくて温かい、知性あふれる先生が大好きでした。細くて長い先生の指先に、もう一度、触れてみたいです。

◆はにかんだ「お時さん」

 岩谷さん訳詞のミュージカル「ミス・サイゴン」などに出演した市村正親(64)の話 大切な大切な詩人を亡くして寂しい。「お時さん」って呼ぶとはにかんだ笑顔は僕の宝物です。長い間仕事をご一緒できて幸せでした。「コーちゃん(越路吹雪さん)」と2人で、天国で新しい歌を作って下さい。僕はお時さんからいただいたたくさんのミュージカルの詞を、しっかり歌っていきます。合掌。

 音楽評論家の田家秀樹さんの話 岩谷時子さんは女性にしか感じられない恋心やものの感じ方、街の風俗を、女性ならではの言葉や歌にして表現した。男性社会である芸能界、エンターテインメントの歴史の中で果たした業績は大きい。彼女の評伝「歌に恋して」(2008年)を書く際の取材でお会いした時のことを思い出す。上品で知的でユーモアにあふれた方。「すてきなおばあさん」だった。

 音楽評論家の反畑誠一さんの話 まるで五つ星のフランス料理や高級創作和食のような品格を歌謡曲にもたらし、時代に合った新しい風を吹き込んだ。「愛の讃歌」では女性の言葉で、「お嫁においで」では男性の言葉で歌の世界を創り上げた。両方の言葉で表現できる作詞家はそんなにいない。ご本人はいつもおしとやかで、とても優しい方でした。

◆09年に作品集

 1300曲以上の歌謡曲を手掛けたといわれる岩谷さんの代表的な作品は、2009年に発売された2枚組アルバム「愛の讃歌〜岩谷時子作品集」などにまとめられている。同アルバムには「ふりむかないで」「恋のバカンス」「夜明けのうた」「愛の讃歌」など全49曲が収録された。

 

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