私もこの手の本を何度か編集・執筆したことがあります。そして、この第4問Bのスクリプトを書くにはいくつかのポイントがあることに気づきました。ざっと思いつくことを挙げるとすれば、以下の7つのポイントになるでしょうか。
@全体で190語から200語に収めるために、できればパラグラフ数を3つ(か4つ)にしておく。
Aリスニング向きの英文にするためにも、「パラグラフ・ライティング」の原則をきちんと守る。
Bセンターの本番の問題とテイストを合わせるために、一文の長さをやや長めにしておく。
Cリスニング問題なので、不用意に「固有名詞」を使わないようにする。
Dリスニング問題なので、難しい表現を用いたら、それを具体的に説明したり、別の表現で言い換えたりしておく。
Eいったん題材を決めたら、事前の「資料収集」を徹底的にして、書き出した後に困らないようにしておく。
F完全オリジナルの書下ろしにするため、いったん収集した資料は捨てて、書き出しから結論までを自分の言葉で再構築する。
これらのポイントに加えて、さらに内容も面白ければ言うことはありません―言ってみれば、思わず身を乗り出して、先を聞きたくなるような―。
さて、ところが私の目から見ますと、大半のセンター対策リスニング問題集の「第4問B」はあまりほめられたものではありません。これには、いくつか理由があるように感じています。
まず1つ目として、「題材選び」がうまく行っていないケースが挙げられます。けっこう多いのが、「スクリプト」が単なる事物の「説明文」でしかない場合です。このような文ではほとんど「起承転結」らしきものがありません。何ら「イベント」が起こることもないし、大した「結論文・結末」が来るわけでもありません。
このような英文スクリプトを聞かされると、終わった瞬間に「あれっ、何が言いたいんだっけ?」となるわけですが、しょせん「説明文」ですから、元々の知識さえあれば、実際には英語が聞き取れなくても、勘だけである程度は質問に答えられます。ただ「リスニング問題」であることを考えると、英語を聞きながら、説明や主張や物語の「展開」を追うような素材の方がいいに決まっています。少なくとも「月並みの事象」について述べる「説明文」は向かないと言えるでしょう。
もう1つの理由ですが、書き手が「英語のパラグラフ」を十分に理解していると言い難いケースがままあります。上のAでも書きましたが、英語のパラグラフの「ルール」を守った展開をとる必要があります。これを日本語流に最後で結論をまとめるような書き方をしてしまうと、リスニング問題としては理解しづらいものになってしまいます。
以上、「第4問B」の英文スクリプトを評価するに当たって、私が評価のポイントと考えている事項を列挙させていただきました。さて、ここから今回の書評の本編を始めたいと思います―今回は『リスニングボックス センター対策リスニング 10分+30分』(木村達哉・編著、新興出版社啓林館)です。英文校閲はジェームズ・ジャレット・ハルト氏がご担当になったようです。
このリスニング問題集には、「第4問B」に相当する長めのスクリプトが全部で6題あります。最初にあるListening Test 19では「砂漠」の話題が取り上げられています。この英文スクリプトによると、砂漠には2種類あると言います―「hot deserts(高温砂漠)」と「cold deserts(寒冷地砂漠)」というのだそうです。書き出しはこんなふうに始まっています。
Over about a quarter of the world, there is so little rain that almost nothing will grow. A place where this happens is called a desert. There are no deserts in Europe, but there are deserts in all the other parts of the world, for example, the Sahara Desert, the Gobi Desert, and the Kalahari Desert.
There are hot deserts and cold deserts, but we are going to talk about hot deserts. In a hot desert, there is very little water in the air and there are no clouds ...
「(試訳)世界のおよそ4分の1の地域では、雨がほとんど降らないのでほとんど何も育ちません。これが起こる場所は砂漠と呼ばれています。ヨーロッパには砂漠はありませんが、世界の他のすべての場所に砂漠はあります。例えばサハラ砂漠、ゴビ砂漠、カラハリ砂漠です。
高温砂漠と寒冷地砂漠がありますが、私たちは高温砂漠について語りましょう。高温砂漠では、空気に水がほとんど水がなく、雲も…」
この書き出しで、私がまず疑問を感じたのは、3文目のThere are no deserts in Europe, but there are deserts in all the other parts of the world, for example, the Sahara Desert, the Gobi Desert, and the Kalahari Desert.です。何が引っかかるのかと言えば、「ヨーロッパには砂漠はない」と言い切っている点です―しかし、どうも調べてみると、スペインのアルメリア地方や、ポーランド西南部に砂漠はあるようです。
さらに、there are deserts in all the other parts of the worldと書いていますが、このall the other parts of the world「世界の他のすべての場所」という表現に違和感を覚えます。何故なら「日本」には砂漠はないからです。本来であれば、ここはin all the other continents「他のすべての大陸」とでもすべきだったのかもしれません。
とにかく耳で聞けば、あっという間の出来事ですから、聞き手は「そうか、ヨーロッパには砂漠はないのか」と思うのかもしれません。私も最初にこのスクリプトを聞いたときは、そのように思いましたから。その意味で言えば、ここは聞き流してしまう箇所かもしれません。逆に、私の耳に残ったのは、次の第2パラグラフの1文目です。
There are hot deserts and cold deserts, but we are going to talk about hot deserts. In a hot desert, there is very little water in the air and there are no clouds ...「(試訳)高温砂漠と寒冷地砂漠があるが、私たちはこれから高温砂漠について話しましょう。高温砂漠では、大気中にほとんど水分がなく、雲ひとつない…」
この第2パラグラフで、砂漠にはhot desertsとcold desertsとがあることが述べられます。CDの音声を聞いた私は、cold desertsという言葉に反応して、一瞬ぴくっと体を動かしました―「何だろう?」と思ったからです。しかし、書き手は私の疑問に答えることなく、but we are going to talk about hot desertsと言ったきり、「高温砂漠」の話をし続けます―最後の最後まで。結局、私の注意を惹きつけた「cold deserts」の話題は二度と出てきませんでした。
スクリプト全体の構成を考えると、これは奇妙な話です―だとしたら、cold desertsの話題など出さなくてもよかったのにと思いました。いいえ、たとえトピックの中心は「高温砂漠」であったとしても、「寒冷地砂漠」という言葉を出した以上、それがどのようなものかは説明しておくべきでしょう。
そして、この後に来る「高温砂漠」の説明は極めて常識的なものです―空気中に水分がないので雲一つなく、日光を遮るものもないので、砂漠の表面温度が異常に高くなる。太陽が沈むと地面は急速に熱を失い、夜はとても冷える、といった件です。
以上が第2パラグラフの後半になりますが、その後の第3パラグラフの冒頭も「全く水分はないので、空気は非常に澄んでいる」という、前のパラグラフの文を、ほとんどそのまま繰り返した文で始まります。
私が先ほど、感心しないリスニング問題の一例として、スクリプトが単なる「説明文」である場合を挙げましたが、このスクリプトもまた「砂漠」を説明しただけのものでした。要するに「起承転結」もなければ、何らイベントも起こらないのです。大した結論・結末があるはずもなく、いつの間にか終わってしまうような文です―このスクリプトでは、最後に「蜃気楼」の話が出てきて終わりますが。
この問題集は学校採用のリスニング問題集の中でも抜群に売れていると聞いていますが、第4問Bの英文スクリプトを分析する限り、「題材選び」とその「文章展開」において、今一つ書き手の工夫が足りないのではないかと、私は思いました―もちろん、「ヨーロッパに砂漠はない」「世界の他のすべての地域には砂漠がある」という文の言い切りにも問題はあるように思いますが。
ただ私としては、この問題集に対する評価をこの1つの英文スクリプトだけから下すつもりはありません。わずかばかりのミスを取り上げて、それを声高に叫ぶのは、私の書評家としての主義に反します。私が一貫して求めているのは、単なる印象批評ではなく、全体を捉えた上で、「神は細部に宿る」を実践できたと思える書評を書き上げることです。
そのようなわけで、このリスニング問題集の「英文の展開」について、私の見解をさらに説明していきたいと思います。次に取り上げるのは、Listening Test 20のスクリプトです。
今回の話題は「テレビ」です。第1パラグラフは、テレビは先進国では当たり前のものになっているが、そうなる前は人々の暮らしはどのようなものだったのか?―という導入になっています。そして、第2パラグラフでは、テレビの導入前は、私たちは読書をしたり子供の学校や新聞記事について話したりしていた。でも今はテレビ番組があるので食事中でも沈黙を強いられるといった件が来ます。ここでは以下のような表現が使われています。
Before introducing television to our houses, it was not so hard to for us to spend our time. We used to enjoy civilized pleasures, such as reading books or talking over kids' schools or the news in the papers. Now most of our free time is controlled by this monster, which demands our complete silence even during meals ...
「(試訳)テレビを私たちの家に導入する前、私たちにとって自分の時間を過ごすのは難しいことではありませんでした。私たちは例えば本を読んだり、子供の学校や新聞に載っていたニュースの話をするといった文化的な嗜みを楽しんでいました。今では私たちの自由時間の大半はこの怪物によって支配され、それが食事の間でさえ私たちの完全な沈黙を要求します…」
私がやや違和感を覚えたのは、civilized pleasures「文化的な嗜み」と言いながら、such as 〜で導かれている例の中に「子供の学校について話すこと」が含まれている点です。ふつうcivilized pleasuresと言えば、「音楽や芸術」を楽しんだり、「ゴルフやテニス」などのスポーツをしたり、あるいは「豪華な食事」を楽しむことを思い浮かべます。「読書をすること」はcivilized pleasuresに含まれますが、「子供の学校について話すこと」がそうとは思えません―これは私の「語感」の問題と言えば、それまでなのですが…。
さらに、英語表現に関して言えば、demands our complete silenceのourが不自然な感じがします。実際、これがあるために「試訳」で示した和文がぎこちなくなっています。ここは「無冠詞」の方がふつうだと思われます―「間違い」とまでは申しませんが。
しかし、これらの問題は些細なことかもしれません。むしろ、私にとっての大きな疑問は、次の第3パラグラフ全体にあります。
Anybody likes to watch actors and entertainers on the screen. But here is a problem. Little by little, television cuts us off from the real world and takes us to imaginary worlds. It may be a wonderful medium of communication, but it prevents us from communicating with each other. Nothing is more important to family life than family members having a lot of opportunities to talk to each other.
「(試訳)誰でもスクリーンに映っている俳優と芸人を見るのは好きです。しかし、ここに問題があります。少しずつテレビは私たちを現実の世界から切り離し、空想の世界へと誘います。それはコミュニケーションのすばらしい手段ですが、私たちがお互いに意思疎通をするのを妨げます。家族の暮らしにとって、家族のメンバーがお互いに話す機会をたくさん持つことほど大切なことはないのです」
私はこの最終パラグラフの流れは全体に、微妙におかしいように思います。この部分の前半はAnybody likes to watch actors and entertainers on the screen. But here is a problem. Little by little, television cuts us off from the real world and takes us to imaginary worlds.「誰でもスクリーンに映っている俳優と芸人を見るのは好きです。しかし、ここに問題があります。少しずつテレビは私たちを現実の世界から切り離し、空想の世界へと誘います」となっています。ここまでは、ひとまず問題はないことにしておきます―ちなみに、cuts us off from the real worldとtakes us to imaginary worldsは「トートロジー」に陥っていると思いますが、「間違い」とまでは申しません。
私がおかしいと感じるのは、その後に続くIt may be a wonderful medium of communication, but it prevents us from communicating with each other.「それはコミュニケーションのすばらしい手段ですが、私たちがお互いに意思疎通をするのを妨げます」という文です。このパラグラフの前半で語られていたのは、テレビが人々を現実の世界から引き離して、空想の世界に連れて行くことです。だとすれば、それとの関連において、「テレビが意思疎通を妨げる」ことが語られなければいけません。
つまり、取って付けたような「テレビはコミュニケーションのすばらしい手段ですが」では、そもそも「文脈」に即していないと言えます。私にはこの部分の展開は、いくら何でも「強引」すぎるように思います。最後の結論文もNothing is more important to family life than family members having a lot of opportunities to talk to each other.「家族の暮らしにとって、家族のメンバーがお互いに話す機会をたくさん持つことほど大切なことはないのです」となっていますが、これでは、それ以前の第2パラグラフの内容に「逆戻り」することになります。
要するに、このパラグラフの主題は「テレビが人を現実の世界から切り離して、空想の世界へと連れて行くこと」ですから、その主題につながる英文を後ろに置かなければなりません。「家族にとって、そのメンバーがお互いに語り合うことが一番大切だ」という文章は合わない、ということです。
ところで、このパラグラフの不自然さをどう説明するかを考えていたとき、私は何の気なしにLittle by little, television cuts us off from the real worldとキーボードで打って、Google検索してみました。すると、同じような文が出てくるではありませんか。『工程硕士研究生英语听力教程/工程硕士研究生英语系列』という書籍で、編者は伊秀波, 吴宪忠のお二人で、出版社は清华大学出版社有限公司と書かれています。とにかく中国語で書かれていますので詳しいことは分かりませんが、どうやら中国の大学で出版された英語テキストの一部のようです。「Google Book検索」での当該書籍のURLは以下の通りです。
http://books.google.co.jp/books?id=wqe0QL-x1-4C&pg=PA8&dq=Little+by+little,+television+cuts+us+off+from+the+real+world&hl=ja&sa=X&ei=BOF7UcLCEom_PLW9gbgH&ved=0CDQQ6AEwAA#v=onepage&q=Little%20by%20little%2C%20television%20cuts%20us%20off%20from%20the%20real%20world&f=false
このサイトに書かれていた原典と思しき英文を読んで、私の中での疑問は氷解しました。どうやら私の解釈は「的外れ」ではなかったようです。以下にLittle by littleで始まる英文を含んだパラグラフを引用致します。
Television encourages passive enjoyment. We become content with second-hand experiences. It is so easy to sit in our armchairs watching others working. Little by little, television cuts us off from the real world. We get so lazy, we choose to spend a fine day in semi-darkness, glued to our sets, rather than go out into the world itself . Television may be a splendid medium of communication, but it prevents us from communicating with each other. We only become aware how totally irrelevant television is to real living when we spend a holiday by the sea or in the mountains, far away from civilization. In quiet, natural surroundings, we quickly discover how little we miss the hypnotic tyranny of King Telly.
「(試訳)テレビは受動的な娯楽を助長します。私たちは二次的な経験に満足するようになります。安楽椅子に座って、他人が動いているのを見るのは気楽なことです。少しずつテレビは私たちを現実の世界から切り離します。私たちは怠け者になり、現実の世界に出て行こうとせずに、テレビの前に張り付いて、天気のよい日でも薄暗い中で過ごすようになります。テレビはコミュニケーションのすばらしい手段ですが、私たちがお互いに意思疎通をするのを妨げます。私たちは文明からはるか離れて、海や山で休日を過ごすと、初めてテレビが本当の暮らしにとって全く無意味だということに気づきます。静謐な自然に包まれた環境の中にいると、テレビという王様の催眠術をかけて人を思いのままに操る横暴さを失ったとしても、私たちはちっとも寂しくないことに気づくのです」
これをご覧になって、どのように思われたでしょうか?
私は先ほどこのパラグラフの主題は「テレビが人を現実の世界から切り離して、空想の世界へと連れて行くこと」だと述べましたが、オリジナル(?)の書き出しはTelevision encourages passive enjoyment.「テレビは受動的な娯楽を助長します」となっています。そして、次文以降でそれを「私たちは二次的な経験に満足するようになります。安楽椅子に座って、他人が動いているのを見るのは気楽なことです」と、さらに具体的に説明しています―つまり、generalからspecificへと展開しています。
その後もLittle by little, television cuts us off from the real world.と述べた後で、「私たちは怠け者になり、現実の世界に出て行こうとせずに、テレビの前に張り付いて、天気のよい日でも薄暗い中で過ごすようになります」と、よりspecificな例を挙げて説明しています。この部分の記述があるので、「テレビは私たちがお互いに意思疎通をするのを妨げます」という文につながっていくわけです。
さらに結論部分もまるで違っています。『リスニングボックス センター対策リスニング 10分+30分』では、「家族の暮らしにとって、家族のメンバーがお互いに話す機会をたくさん持つことほど大切なことはないのです」となっていますが、オリジナルの方は「私たちは文明からはるか離れて、海や山で休日を過ごすと、初めてテレビが本当の暮らしにとって全く無意味だということに気づきます。静謐な自然に包まれた環境の中にいると、テレビという王様の催眠術をかけて人を思いのままに操る横暴さを失ったとしても、私たちはちっとも寂しくないことに気づくのです」となっています。
このように2つの英文を比較して読んでみますと、『リスニングボックス センター対策リスニング 10分+30分』の結論の付け方は、やはり「強引」としか言えないと思います。そして、それと同時にこのパラグラフの出だしのAnybody likes to watch actors and entertainers on the screen. But here is a problem.「誰でもスクリーンに映っている俳優と芸人を見るのは好きです。しかし、ここに問題があります」も、パラグラフ全体とは関係がなく、ただ単にLittle by little, television cuts us off from the real world ...「少しずつテレビは私たちを現実の世界から切り離して…」の前付けの説明でしかないことが分かります―この部分は木村氏の「創作」なのでしょう。
ところで、私は第2パラグラフについて自信なさげにcivilized pleasures「文化的な嗜み」という表現からすると、「子供の学校について話すこと」が含まれているのはおかしいと言いました。また、demands our complete silenceのourは付けないのが普通ではないかとも言いました。これらの部分はオリジナルでは以下のようになっていました。
・We used to enjoy civilised pleasures. For instance, we used to have hobbies, we used to entertain our friends and be entertained by them, we used to go outside for our amusements to theatres, cinemas, restaurants and sporting events. We even used to read books and listen to music and broadcast talks occasionally.
・We have even given up sitting at table and having a leisurely evening meal, exchanging the news of the day. A sandwich and a glass of beer will do-anything, providing it doesn't interfere with the programme. The monster demands and obtains absolute silence and attention. If any member of the family dares to open his mouth during a programme, he is quickly silenced.
やはりcivilised pleasuresの中には、「子供の学校の話をすること」は含まれていませんし、むしろ音楽や芝居や映画などの芸術、スポーツのイベントやレストランに出かけることが含まれるようです。また、The monster demands and obtains absolute silence and attentionのように所有格のourは使われていません。
さて、かなりの分量になったので、今回はこれにていったん終えたいと思います。この記事の冒頭で、第4問Bタイプの英文スクリプトは、この本の中に全部で6つあると言いました。現段階で2つのスクリプトの分析が終わっただけです。残りはまだ4つありますが、私には英文が何を言っているのかさっぱり理解できないものもありますし、書き換えによって英語表現がおかしくなっていると思われるものもあります。さらに、ある物語文ではストリーそのものを全く変えているのです!―これには驚きました。
著作権法的にどうなのかしらという問題はあります―しかし、この問題集の場合、先方から訴えられる可能性はたぶん低いと思います。それと言いますのも、私がGoogle検索で探し当てた、おそらくオリジナルと思しき英文は、いずれも「中国」や「韓国」のサイトに載っていたものばかりですから―不思議なことに、なぜか欧米の出版物は含まれていませんでした。
それにしても、よりによってなぜ「中国」や「韓国」のサイトなのでしょうか?―英語圏ではないので、英語表現そのものを完全に信用してよいのか疑わしい部分もあると言うのに。もっとも、だからと言って、出典名も示さずに勝手に原文を書き換えてよいはずがないと思いますので、きっと版元も然るべき処理をしているのでしょう。
というわけで、次回以降も、しばらくはこの『リスニングボックス センター対策リスニング 10分+30分』の批評を続けたいと考えています。
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