2013年05月09日

木村達哉氏のリスニング問題集の連載記事を振り返って

この連休はずっと書き物をしておりました。前半は皆さんもご存知のように、木村達哉氏の『リスニングボックス センター対策リスニング 10分+30分』(新興出版社啓林館)の書評を書いておりました。とにかく着手し出すと、次々と問題点が浮かび上がってきたので、いきおい5回もの連載になってしまいました。

1回目の記事では、「砂漠」と「テレビ」に関するスクリプトを取り上げました。前者は英文として不自然な点を、後者も同様なのですが、その際に原典と思しきものを見つけたので、それと比較することで、木村氏による書き換えの問題点を指摘したわけです。
http://eigokyoikusaisei.seesaa.net/article/357601667.html

2回目の記事では、「ベンジャミン・フランクリン」に関するスクリプトを取り上げました。木村氏はフランクリンのことをexplorer「探検者」だと述べていました。フランクリンが自ら海の温度を測って、メキシコ湾流を見つけたから、彼は「探検者」なのだそうです。しかし、それは事実と違う(フランクリンには船長をしている従兄弟がおり、その仲間の助けを借りて海図を作成した)のではないかと疑問を呈したわけです。
http://eigokyoikusaisei.seesaa.net/article/357745279.html

3回目の記事では、「火山」に関するスクリプトを取り上げて、4回目の記事では、「kangarooという言葉の起源」に関するスクリプトを取り上げました。これらにはいずれも原典と思しき英文があり、それらを書き換えた部分で、英語表現の不自然さを感じると指摘しました。
http://eigokyoikusaisei.seesaa.net/article/357768148.html
http://eigokyoikusaisei.seesaa.net/article/357881421.html

5回目の記事では、「奇術師のハワード」に関するスクリプトを取り上げました。ハワードの得意な手品は首を切り落としたニワトリが生き返るというものでした。木村氏は原典と思しき英文にある2つのエピソードを強引に合体させて、およそ半分の長さの1つのエピソードの話にしていました―まるで木村氏ご自身がマジシャンであるかのように。しかし、そのような荒療治をしたせいか、どうも「トピック・センテンス」であるべきはずの第一文が全体と合わなくなっていました。
http://eigokyoikusaisei.seesaa.net/article/358039144.html

以上の事柄を5回に分けて、連載記事として書いてきたわけです。私がこれらの記事を通して言いたかったのは、この木村氏の創作方法はフェアーとは言えないのではないかということです。つまり、どこにも出典や参考文献を示さないで、中国や韓国の目立たなそうなサイトから英文を持ってきて、それらを適当に書き換え、あたかもオリジナルの英文書下ろしであるかのような装いで本を作っているとしたら、これは問題ではないかと述べたのです。もちろん、そうでないのであれば、そのように釈明をしていただきたかったのですが…。

ところで、この間、TMRowingさんの「誰も教えてくれなかった英文リスニングの…」(http://d.hatena.ne.jp/tmrowing/20130503)にも引用されていた『Listening Box センター対策リスニング 30分』の16pの木村氏の文章があまりに強烈に私の印象に残っておりまして、これに関して一言感想を述べさせていただきたいと思います。

■英作文が得意な人とは英語のプロでさえもあまりいません。僕もそうです。自分で英語を作ってネイティブに出すと赤ペンで添削されて戻ってきます。でもその ネイティブが添削したものを別のネイティブに添削させると、またあちこちに赤ペンが入ります。世界中でこれだけ英語が多様化すると何が正しいのかという議論は不毛になります。もちろん冠詞の有無や種類、数、呼応、時制などは重要ですが、何より大事なことは「相手に伝わる英語かどうか」です。

私は冒頭の2文を読んだ瞬間に、頭の中が「??」となりました。この人は自分が「英作文が得意でない」と正直に言ってるのか?・・・えっ、でも自分のことを「英語のプロ」だと言っているわけか?・・・つまり、「英語のプロ」というのは、英作文が得意でなくてもいい?―という結論になってしまうからです。

論理学の有名な命題に「クレタ人はうそつきである」というのがあります。このセリフをクレタ人が言ったらどうなるのか?―何だかそれを思い出しました。

いったいこの国における「英語のプロ」って、何なんだろう?―しばらく、この問題について考え込んでしまいました。

さて、しかし、それ以降の文章はどう考えても、「英語のプロ」の言葉とは思えません。「複数のネイティブから真っ赤にされる」というのは、誰が見ても間違いや不適切な箇所が多いということでしょうから―そうでなければ、そんなに真っ赤にはなりません。もっときちんとした英文であれば、ぐっと赤字は減るはずです。

「世界中でこれだけ英語が多様化すると何が正しいのかという議論は不毛になります」というのも、ご自身の書いた英作文が批判を受けないために、「逃げ」の一手を打っているかのように思えます。パラグラフになっていないもの、文と文とが論理的につながっていないもの、単語の意味を勘違いしているもの、あり得ないコロケーションを使っているもの、時制を間違えているもの、不自然な受動態を使っているもの―数え上げればキリがありませんが、そういった誤りを指摘することが、英語学習において「不毛」であるはずがありません。

むしろパラグラフがきちんと構築されていること、論理的につながった文であること、文法的に明白な誤りがないことは「民族」や「地域」を超えて、万人にメッセージを届けるのに役立ちます。日本人風の英文なんてものを認めていては、英語を指導する上でマイナスにしかならないと思います。

「何が正しいのかという議論は不毛になります」というのは、私が以前このブログで書いたように、boxed lunchもbox lunchも両方あるのに、「正しいのはboxedの方だ」と言い張ったりすることです。これなどは確かに不毛な議論です。上の言葉が当てはまるのは、そのようなレベルのことだと言えます。

最後に、木村氏は私が本ブログで指摘した「著作権」の問題をどうお考えなのでしょうか? 多くの人たちは木村氏がどう答えるのかに注目しています。いくら無視を決め込んだとしても、このブログがある限り、いずれ「自ら説明する」ことになるのではないでしょうか?

なお、私は連休の後半は、ずっと別の本の原稿を書いていました―「著作権」に関する本です。どうも私の印象として、英語の先生方は著作権に対する考え方が甘いところがあるように思います(もちろん、詳しい方も一部いらっしゃいます)。つまるところ、木村氏のリスニング問題集の根本の問題はこの国における「著作権教育」にあるとも考えられるのです(もちろん、今回のリスニング問題集に関して言えば、その英語表現に大いに疑問はありますが)。

そのようなわけで、私は連休の後半はずっとそのための原稿を書いていました。英語の先生方に「これはOKだけれども、こういうのはダメ」ということが、具体例をまじえながら分かりやすく解説されている本が必要だと思ったのです。近いうちに私の「電子書籍の第二弾」として出したいと思っています―ご期待下さい。


Hiroshi Inoue
注)以上の文章の著作権はすべてInoue Hiroshiにあります。引用していただくのは大いにけっこうですが、許可なく無断で複製使用することは法律で禁じられています
posted by Hiroshi☆Inoue at 23:07| 参考書と問題集 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする