同じようなものに「貧乏ありがとう。世間の人の本性を教えてくれて」や「大地震ありがとう。家族の絆を深めてくれて」や「虐待してくれた両親ありがとう、1人で生きていく力を与えてくれて」などがある。
サーバー設置型でも可。有料でも問題ない。
まぁ、ここで聞いたら結論が「はてなブログpro」になりそうだけど、はてなブログproはどういう点でオススメなんだぜ?
誰か熱く語ってくれ。
個人的に、WPとMTの管理画面はもう見飽きてしまったので、これ以外がいいです。
(追記)
マッチョの基本思想からすると「障害者は甘え」位なもんで、例えば乙武さんであっても「手足がなく立って走ることは出来るだろう!」くらい言うのがマッチョ。
そのマッチョではない人っていうのは、おそらく同じくらいに自分が不幸だと思い込んでるウィンプというやつじゃないのだろうか。
「大都会」(だいとかい)は、1979年11月にクリスタルキングがリリースしたシングルである。
デビューシングルながらミリオンセラーを記録し、第10回『世界歌謡祭』グランプリを受賞した。
リリースされて1ヶ月あまりでTop10にランクされた。6週間後(2週間集計分含む)には久保田早紀「異邦人」(年間第2位)を抜いて1位(6週間)を獲得した。
http://www.youtube.com/watch?v=EjkaU5vcSQg
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%83%BD%E4%BC%9A_%28%E6%9B%B2%29
今の世の中って「ちょっと駄目な人」には厳しいけど
「ちょっと出来ない人」には強く怒ったり、笑い者にしたりするのに
「凄く出来ない人」には絶対そうしなかったり。
極端な奴は「人間に優劣なんて無い。そう見えるのは全て個性に過ぎない」
みたいな事まで言うし。
酒に酔って色々物思いにふけってたら、ふとそう思ったので勝手に自分語りする。
昔から人が何を言ってるのか理解できない体質だった。
決して耳が悪いわけでは無いが、入ってきた音を言語と認識できないというか、時折人がしゃべっても、ごにょごにょ言っているように聞こえていた。
そんなだから、空気は読めないわ勉強はできないわで、小学校に入る前に医者には知恵遅れだの何だの言われ、特別支援学校に入ることを薦められたりもした。
まぁ、親のエゴのようなものもあって普通の小学校に入ったが、低学年の時は勉強にまったくついていけず、先生にはとても苦労をさせてしまったと思う。
低学年のときはただ空気が読めない馬鹿者ですんだが、小学校3、4年生にもなるとそうもいかなくなる。
中学年にもなると個人個人で自我が芽生え、仲間意識ができてクラスには小さな社会が形成される。
そんな中で、空気が読めない馬鹿者はスクールカーストのど底辺に位置づけされた。
それでもってこの頃の年代の子というのは無自覚でなかなか残酷なことをするもので、そりゃもういろいろなことをされた。いわゆるいじめというやつだ。
それが悔しくて悔しくてしょうがなかった。
当時を振り返って思えば、なぜか当時の自分は相手に復習しようとかそんなことは考えていなかった。
ただただ堪え忍ぶ毎日を過ごしていたと思う。ただ仕返しするだけの度胸が無かっただけかもしれない。
ただあまりにも悔しかったのはよく覚えていて、まず体格的にも華奢だったので剣道を始めた。
全然強くなれなかったが、道場の縦社会のなかで礼儀とかを学んだ。
そして、勉強があまりにも出来なかったので親に頼んで塾に通わせてもらった。
といっても、人の話が分からない自分の体質的に集団の塾は無理だったので、
最初は進研ゼミをやった。人が話している内容は聞き取れなくても、本であれば内容は理解できたし、自分のペースですすめられた。
基礎学力は進研ゼミでなんとかついてきて成績も人並みになったし、剣道で礼儀作法も身についたが、
人の話が聞けない空気の読めないところはそのままだし、一度ついた「いじめられっ子」の立ち位置はなかなか拭えないもので、
剣道はまだ続けていたが、強くなれず。勉強は人並みという感じ。
空気が読めない馬鹿者から空気が読めない人にクラスアップした程度じゃだめだった。
いじめられっこという一度ついたステータスはどうにもならなくて、当時は地元を出たい一心だった。
んで、地元を出たい一心でひたすら勉強に打ち込んだ。高校受験で他の皆がいかないような高校に進学すれば、これまでの人間関係をリセットできると考えていたからだ。
進研ゼミを辞めて地元ではスパルタで有名な塾に電車で一時間ぐらいかけて通った。塾も地元の人が居ないような場所を選んだ。
馬鹿だったダ幼少期とは違い、そこそこに基礎学力もあったおかげで、講師の話が分からないときでもテキストを見ればなんとかなった。
それなりに大変だったが塾のおかげか成績はめちゃくちゃ上がって、高専に合格した。
そもそも工業と言うだけで、普通の人はえらばないし、地元からめちゃくちゃ離れていたので、晴れて地元で自分一人だけが進学する運びとなった。
まぁ、おかげで毎日2時間以上かけて通学する羽目になったが、地元の人が周りに居ない環境というのはただそれだけで良かった。
高専での生活はこれまでとは一転して非常におだやかなものだった。そもそも高専というところは非常に変わり者が多い。
そのなかで自分は浮かなかったし、初めて人並みの学生生活をすごすことができた。
あいかわらず、人の話が聞き取れないせいで人間関係形成には苦労したが、いじめもなく楽しく勉学に勤しむことが出来た。
高専から大学・大学院時代はとくになにもなく平穏な毎日をすごしていた。
大学時代はITベンチャーでバイトをしていたが、ここでの経験が結構印象深いぐらい。
ITベンチャーでバイトをする中で会社の人からそりゃもう馬鹿にされたりからかわれたりいろいろされたが、
聞けば「だって君の反応が面白いんだもん。いじりがいがあるよね。」という。
ここまできて、「いじり」という「いじめ」とは違う行為があるとわかった。
いじめられた当時は悔しくて悔しくてしょうがなかったが、ここにきて「相手にされないのが一番怖い。いじられるうちが華。」という考えに変わった気がする。
今は某大企業に就職してSEとして働いている。国民全員に関わってくる結構大きな仕事に携わっており、自分の仕事に誇りをもってやっている。
相変わらず空気はよめないが、高専と大学・大学院で身につけた技術力でなんとかカバーできている。
空気が読めないので未だに彼女の一人も出来たことはないが、そのうちなんとかなるだろう。
やっぱり今になって思うと自分が変わるきっかけになったのは、幼少期のいじめがきっかけなんじゃないかと思う。
当時は悔しくて悔しくてしょうが無かったけど、その悔しさが無ければ今の自分は無いと思う。
大体いじめの話になると、いじめた側が悪いという話になりがちだが、自分はそうは思わない。
やはり当時の自分を思い返すと、いじめられるに足る理由があった。
いじめってのは「おまえ何か変だから治せよ」っていうアラートに近いものだと思うのですよ。
特に幼少期のいじめってのは色んな雑念がはいらず、ストレートに出るものであってその信憑性は高い気がする。
泣き寝入りしている人は往々にして自己改善の努力が足りていないように思えてならない。
論理が飛躍しているという言葉には、「結果は合っている」というニュアンスは含まないと思うんだけど…?
結果に関わらず飛躍は飛躍
逆でしょ?こういう言論は承認欲求が足りないからに違いないルサンチマンに違いないと思考停止腐った脳みそを晒したり自分の嫌いな言論をぶっ殺すべく活動してるキチガイが多数派になってるし、2chのように他人に首突っ込みたがるキモオタ連中みたいなのがブクマカにも増えてるから居心地は悪いので辞めるその前に愚痴をぶちまける訳ですよ。挙句これは芸だから!とか言い出してテレビのバラエティの延長のノリで芸人と自分の区別がつかないイタイやつばかりになった、ってのも特徴の一つだな
http://anond.hatelabo.jp/20131027131038
うむ。
こういうエッジの効いたのがいなくなったのが2chなんだ。
昔は君のような人間が沢山いたと思うんだけど、もういなくなってしまったのだ。
だから僕はここが心地よい。
理屈の形を取ってそうではないって言ってる連中や理屈ぶって誤魔化してるスタンス自体が自意識垂れ流してるのと同等な奴らも結局同じだよね
一昔前は、良きにせよ悪きにせよネット文化の一翼を担ってる存在だったはずなのに、
そりゃぁ、中高生は不健全さが無さそうに表面的には見えるニコニコ動画に流れるだろう。
はてなは居心地いいよな。
昔のν速みたい。なんでだろ。
一番勢いがあるのって今はなんJ?