「池鯉鮒」 歌川国芳 伊場屋仙三郎
「在原業平朝臣吾妻下りの時 八ツ橋のほとりに杜若いとおもしろうさきけるを見て かきつばたといふ五文字を句のかしらにすへて 旅の心をよまんとてよめる。
から衣 きつゝなれにし つましあれば はるはるきぬる 旅をしぞおもふ」
『東海道名所図会 巻之三』の「三河 池鯉鮒」に「八橋古跡」の項があり、そこには『古今集』と『伊勢物語』の引用があって、本作品の詞書きは、そこからの転載です。同時に同図会には「八橋杜若古跡」と『在原業平朝臣吾妻下り』の2図版がありますが、国芳の作品は、後者の想像図を参考にしています。というのは、同図会は「すべてこの辺(ほとり)田畑にして、八橋、燕子花(かきつばた)の俤もなし」として、前図においてその古の跡をのみ写すに止めているからです。一方、国芳は、かっての八橋、杜若、在原業平の吾妻下りの情景を後図から構想して、しかも、明らかに源氏絵風に描いています。
歌枕の地を歌の趣をそのままに絵にした作品です。同図会には、「みな人 かれ飯のうえに 涙おとして潤(ほと)びにける」とあります。ちなみに、秋里籬島は、「卯月の頃 八橋の古跡にて かきつばたといふ五もじを句の下にすへて狂歌をよめる」として、「尋しか 花のむらさき 今はさめつ その朝見れば みな麦の畑」と残しています。
*保永堂版東海道「池鯉鮒」は、「首夏馬市」を『東海道名所図会 巻之三』の「池鯉鮒駅」の図版を参考に描いています。八橋の古跡に昔の面影がないので、別に題材を求めたということでしょう。ただし、「八橋杜若古跡」の図版も参考にしている可能性があります。なぜならが、広重の「首夏馬市」に描かれた、いわゆる「鯨山」に近い山が「八橋杜若古跡」に見られるからです。もとより、保永堂版東海道は構想図ですから、「鯨山」が実際にあるとかないとか、それほど問題視する必要はないでしょうが…。
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