藤岡 弘、 氏 ふじおか・ひろし=俳優・武道家。愛媛県生まれ。70年松竹映画でデビュー。主な主演作品に映画「日本沈没」「野獣狩り」「大空のサムライ」など。ハリウッド映画「SFソードキル」で主演。テレビは、「仮面ライダー」「勝海舟」『連続テレビ小説「あすか」』「特捜最前線」など。空手初段、居合道初段、柔道三段、抜刀道四段、小太刀護身道四段、刀道七段(教士)。国内外問わず、紛争地帯や被災地で救援活動を行う。著書に『熱血・藤岡弘、の「人生に喝!」』「藤岡弘、の人生はサバイバルだ。」など
今日8月15日、68回目の終戦記念日を迎えました。現代の日本が先の大戦で命を失われた多くの尊い犠牲の上に築かれていることに思いを馳せ、命を捧げた人々に改めて感謝することを忘れてはなりません。それは先祖からいただいた命を子孫へ引き継いでいくという重要な役割を誠実に果たすことにもつながると信じます。だからこそ8月15日を、「命を考える日」として啓蒙していきたいと考えます。
今日はゲストに、俳優の藤岡弘、さんをお迎えしました。藤岡さんは武道家としても名を知られ、さらに難民救済のボランティア活動で世界の各地を訪れ、生々しい戦争の現場にも足を運んでおられます。阿含宗桐山靖雄管長とご一緒に、「命を敬い明日に進む」をテーマに、日本に生きるとは、平和とは、など幅広くお話をしていただきました。
(司会・構成 荻原征三郎)
――藤岡さんの武道は藤岡家で代々引き継がれてきた武術と聞きました
藤岡 そうです。父は警察の柔道師範をしていましたが、その父から武道教育を受けました。
――どんな武術ですか
藤岡 一言で言えば総合武術です。最初は柔術。ここでは使ってはならない技も教わりました。そして刀、手裏剣、空手などあらゆる武術が含まれているのです。そして父からは「人に見せるな、教えるな、商いにするな」と厳しく申し渡されましたが、最初はその意味がよく分かりませんでした。
――管長も武道の家にお生まれでした
管長 祖父は、信州のある藩の剣道指南番の家柄に生まれ、若い頃、江戸に出て千葉周作道場で、北辰一刀流の免許皆伝を受け、自らも御指南番となった人でした。私が4歳の時、木刀を持たせて相対し、自分の木刀で私の頭をポンと叩いて、これが剣術始めだと言いながら、「武家の剣道指南番の家柄に生まれたのだから、剣道はしっかりやりなさい」と激励されたことをよく覚えています。
――おじいさまのご指導はそのときが初めてだったのですか
管長 そう。最初で最後でしたよ。稽古はその前からやっていたので、腕はそれなりに上達しました。小学校の高学年になるといろいろな大会で優勝したし悪くても3等にはなった。両親が「やはり血筋なんだなあ」と感心していました。
柔道はたしか小学4年の頃に町道場で始めたと記憶しています。私と一緒に入門した仲間に学年で2つ下の子がいましたが、背も低く当初は片手でも吹っ飛ばすことができた。ところが1年経ったら、簡単に投げようとしても身体にしっかりとねばりがついてきて技がかからない。1年間の修練でこんなに変わるものかと驚きました。修練というものの恐ろしさをつくづく思い知らされました。このことは知的な面でも信仰の面でも1年、2年、3年、こつこつやっている人間と、まったくやっていない人間とでは、大変な差がつくということを示すものです。
――藤岡さんのお父さまが「見せるな…」と教えた意味は
藤岡 父から訓練を受けているうちに分かってきましたが、藤岡流武術は、一族が生き延びるための術です。武の術は基本的には敵に知られてはならない技。相手に知られていない術を隠し持っているから、最悪のときにだけその術を使って切り抜けて生き延びることができたのでしょう。だから見せてはいけないし、教えるなんて論外、ましてや商いの道具にするなどもってのほか。
父が私に伝えた「使ってはならない技」も土壇場だけで使う技なのでしょう。そんなことを考えると藤岡家には悲惨な歴史をたどった先祖がいたのでしょうね。多くの犠牲の上で藤岡家は今に至っておるわけです。そうした先祖がいたからこそ私が今存在している。これは奇跡と言って良いでしょう。だから私も血を絶やしてはいけない。先祖、先人に感謝することの意味はここにあると思っています。生きているのではなく、生かされているのです。
管長 先祖を敬うということは、藤岡さんがおっしゃった通りです。今自分が存在するのも先祖がいたからです。それなのに自分だけの命だと錯覚している者が多すぎる。とんでもない。ご先祖様からいただいた命だからこそ粗末にしてはならないし、その命はしっかりと次の世代に引き継がなければならないのです。
自殺は愚かな行為です。自ら命を捨てるなど、絶対にしてはなりません。先祖を敬い、子孫を思えば、どんなに苦しいことがあっても乗り越えていかなくてはならないのです。
――管長も藤岡さんもお若い頃、病気やけがで窮地に陥った。その経験が以後の人生にどのように生かされたのか
藤岡 映画好きが高じて18歳で上京しアルバイトをしながら俳優養成所に通いました。松竹映画でデビュー後、25歳で「仮面ライダー」の主役・本郷猛の役に抜擢され、私はこの役に全力投球しました。どんな激しいアクションでも代役なしで演じたので、青アザ、生傷は絶えなかったが、これも父に鍛えられた武道の技が助けてくれました。
しかし、バイクで疾走するシーンを撮影中に転倒してしまった。左足大腿部複雑骨折に全身打撲、裂傷、ヒビなどの重傷で、半年間の入院生活を余儀なくされたのです。その間にも自分の演ずるヒーローは回を重ねるごとに人気が上がっていくわけです。これは心底辛かったですね。
一時は再起不能か、とまでいわれたのですが、焦っても仕方ないと、入院の半年間、本を読むことに没頭しました。武道や宗教、哲学、人生論、歴史書など心の支えになりそうな本は手当たり次第。幸いにも心に響く教えや生き方との出会いがありました。
もし事故に遭わなかったら何の挫折もないまま人気に慢心し、己を見失っていたかも知れませんねえ。あの事故は「艱難汝ヲ玉ニスル」を私に悟らせる天の配剤だった、と思います。
管長 窮地に陥ったとき、そこで諦めてしまうか、なにくそとがんばるか。そこが分かれ目です。
ある朝洗顔しようとしたとき、急に喉がカッと熱くなって、気がつくと洗面器が真っ赤になっていました。喀血したのです。「私もとうとう肺病になったか」と愕然としました。なにしろ「不治の病」ですからねえ。4、5年かけて肺病から脱したのですが、最初の「もうだめだ」から「なにくそ負けるものか」になるまで2年くらいかかりました。悲惨だったなあ。
あるとき、めそめそしていても仕方ない、死ぬときは死ねばいいと覚悟し、せめて生きている間は精いっぱい生き抜こう、と思うことにした。それからは「たかが肺病のムシではないか、負けないぞ、がんばるぞ」という気になって戦う気力が湧いてきた。結核のことを書いた本をあれこれ手当たり次第に読んでムシ退治には栄養が一番だと知り、それからは徹底的に栄養学を勉強しましたね。なにくそという「気」があったから不治の病から生還できたと言えるでしょう。
藤岡 管長の「気」のお話にまったく同感です。今の若者に不満なのは「気」が入っていないことです。覇気がないのです。「気」は人が生きる根源的な力でありエネルギーです。元気、勇気、本気、根気、活気、霊気、気概、気迫。気のつく言葉はたくさんあります。皆、目には見えない力です。そして私たち日本人の営みは古来、「気」を抜きには語れないと思うのです。
管長 その通り。「気」を養い、「気」を練ることだ。
藤岡 こうしてお隣に座らせていただき、管長はすごい「気力」をお持ちの方だ、とひしひしと感じています。ものすごく強いエネルギーを発信なさっておられることを実感しています。
管長 「なにくそ」の気力で、困難に立ち向かえば、新しい世界が見えてくる。そう信じて勉強することですね。苦労した経験をなにかに生かさないと損だよ。こうなったら損得勘定だね(笑)。
藤岡 30代には睡眠時間まで削るなどしてがむしゃらに仕事したあげく肝臓を壊してしまいました。当時の私は謙虚さを失い、俳優としての技量にうぬぼれて傲慢になっていたのです。
闘病生活のなかで虚心に返り人生を立て直そうと決意しました。分をわきまえ足るを知り、アルコールを断ち武道修練をもって身心を鍛え直すのです。そうするうちに一人の「日本人」として、また武道を修練した「侍」として、いかに生きるべきかが見えてきたのです。事故と病気。ふたつの試練が私を変えた、と言って過言ではありません。
――藤岡さんのもうひとつの素顔であるボランティア活動についてお伺いします
藤岡 今申したように、日本人として侍としていかに生きるかのひとつの結論です。武士道精神をもって国を立て、世界に貢献する若き日本人を育んでいきたいと思っているのです。そしてボランティア活動を通じて実際の貢献を果たすことも心懸けています。
私は愛媛県で生まれ、お遍路さんをお接待するという四国のすばらしい風土のなかで育ちました。茶道と華道の師範だった母親の影響もありますが、そうした風土から自然を畏れ敬い、人への慈しみの心を持つことを知らず知らずのうちに教えられたのかもしれません。
――そして難民の救済などで世界各地を訪問されている
藤岡 世界を旅したのは、100カ国を超えているでしょう。戦場も難民キャンプも非情で容赦ない世界です。生き残るためには戦うしかないわけです。文字どおりの修羅場で、そこには話し合いの余地などありません。むごたらしい「死」の隣で「生き残る」ための生活を営む光景は日本では想像もできないことです。いたるところに死があり異臭が漂う難民キャンプの住民の目は血走っています。怖いですよ。
生きるということは本当に大変なことです。世界の厳しい実情をこの目で見た者の実感ですが、平和ボケからくる日本の反戦平和論だけでは難しいのではないかと感じざるを得ません。
管長 日本という国があって国民であるわれわれがそこで生活する。当たり前の関係と思うだろうが、国を守るということはこの関係を維持するために行動することなのです。それを忘れてはならない。だから国を守るため、国のために命を捧げた英霊を敬い、感謝することは国民の義務でもある。私はそのような気持ちで毎年、靖国神社に参拝しています。
藤岡 大きな犠牲のもとで生かされ、先人、先祖のおかげで生きている。そんな思いから御霊に感謝し平和を祈るため私も欠かさずお参りしています。
――世界平和を祈り続けてきた管長は、不思議な力をお持ちの方です。ローマ法皇とお会いし、ダライ・ラマ14世とご一緒に法要をし、9・11の直後にはニューヨークのキリスト教会堂で護摩を焚き、3大一神教の聖地であるエルサレムでも護摩供を営み、この8月末には仏舎利塔建立を実現されます。どれも簡単にできることではないと思いますが
管長 私は今まで特別に、どこそこに行って法要をしたいと考えたことはありません。宗教家として祈るべきことがあれば、常に命懸けで祈ってきました。すると、次から次へと導かれるように、自然に道が開いてきたのです。私がこれまで実現してきたことは、真剣な祈りの積み重ねの結果であって、宗教家としての道を歩んでいる結果に過ぎないと考えております。命懸けで祈れば、できないことはないのです。
私も今年92歳となりましたが7月7日に大阪の舞洲にて、心配されている南海トラフでの地震や緊張感が高まっている中東・東アジア地域の平和を祈念して、30度を超える炎天下の中でしたが、命懸けで大護摩供に臨みました。
南海トラフ大地震は心配だが、実際に起きた場合でも、災害に真正面から立ち向かい、「絶対に立ち直るぞ」と、命懸けで祈り、命懸けで思い、余計なことを考えずに命懸けで行動することです。それで死んだらばそれも仕方ないこと。すべては後に任せてとにかく全力を尽くす。これが「命懸けの精神」。「何事もならざる事なし」、の一念です。
藤岡 そうですね。命を懸けて事を為す。すばらしいお話です。父が私に「一瞬一瞬に命懸けで生きろ」と厳しく指導したことを思い出します。今の教育は「命懸け」を教えない。これが大きな欠点だと思います。平和ボケといったらそれまででしょうが、若者は無気力、無感動で、世界の厳しい現実に背を向けています。
一度でも死ぬか生きるかの経験をすると、人生の修羅場を切り抜ける「気力」が湧いてきます。これが日本武道の効用です。若者にも一度で良いから「命懸け」で挑戦するなにかを体験してほしい。きっとその後の人生観が変わりますよ。
――ところで次の世代を担う人々に管長からのメッセージをお願いしたいのですが
管長 あえていえば、勝手にしろ、ですね(笑)。勝手にできるほど世の中は甘くはない。そんな世の中でも思ったように物事ができたらそれはたいしたものです。人生の成功とは後悔しないこと。自分自身が、後で悔いのないように一生懸命取り組んでみる。若い時にああすればよかった、こうすればよかったと、歳をとってから悔いることがないように、思うがままやってみることです。
とにかく自分を信じて、自分の思うままにやってみることです。
――命懸けの精神で「勝手にやる」ということですね。大戦で犠牲になった命のおかげで今日の繁栄があることや、先祖からいただいた命を生きていることを、今の社会はもっと意識しなければなりません。
若い人たちは自分の中に閉じこもってしまわず、広く社会に、世界に、目を向けて動いてほしい。そしてやりたいこと、やらなければならないことを信じて命懸けで取り組めば、必ず報われる。それが「勝手にしろ」ということですね。
いただいた命に感謝し、考え、命懸けで取り組めば未来は輝く。という方向が見えてきましたところで、お2人の対談を終わらせていただきます。ありがとうございました
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