【独占インタビュー90分】小泉今日子わがアイドル時代、そして『あまちゃん』のことを語る取材・文:一志治夫

2013年09月21日(土) 週刊現代

週刊現代賢者の知恵

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 ときには、本当にいい作品を作りたいと思うのではなく、売り上げさえ立てばよいという思惑が見え隠れする企画もある。小泉の演技が欲しいのではなく、「小泉今日子」という名前さえあれば、と思う人もいる。それが芸能界だ。

「やっぱり、変なことに巻き込まれる現場には絶対に行きたくないんです。

 自分から言うのも何ですけれども、私は自分のギャラを知りません。もし知っていたら、ブレてしまう気がするんです。その仕事ではいっぱいもらえる、と知っちゃったら、私だって人間ですから、たまたま欲しいものもあるし、やっちゃおうかな、となってしまうかもしれない。でも、私はデビュー以来ずっと事務所からお給料制でもらっているから、知り得ないんです。聞きたくもないしね。だからブレないんだと思う。それでもう十分私は幸せに楽しく暮らせてますから」

 茶目っ気たっぷりに「若い貧乏な役者さんたちに、お酒をおごったりしてあげられるんで、それで、もう十分でございますの(笑)」と言う小泉に、「自分のモチベーションが落ちるような方向に持っていかない術を知っているんですね」と水を向けると、こう答えた。

「なんかね、子どもの頃からそれはわかっていたみたいなんです。15~16歳のときに『私はお金はいらないからこの仕事をやらせてください』とか、社長に言っていた。

 たしかにうちの親は、お金に重きを置かない価値観で育てたような気がするのね。子どもの頃から『欲のない子だ』って言われて、いまも言われるけど、なんか物欲、金銭欲、食欲とかに興味がなくて、知りたいという知識欲だけ小さい頃からあったんです」

なぜ東京に戻ったのか

 小泉は、3年ほど湘南で暮らしていたが、『あまちゃん』の撮影を機に、東京に戻ってきた。

「湘南では友だちもできたし、憩いの場としてはいいんだけれど、戦うための仕事をするには、やっぱり東京にいないと。生じゃない"情報"だけで選ぶのはまずいんじゃないかなって。気になる舞台を見に行こう、となったらすぐに行けるし、街を歩いて、店を見て、店頭に並ぶ本を眺めておもしろそうなのを手にとって。そうやって東京で暮らしていると、勘が戻ってくるんですね。だから、湘南は、たまにご褒美のように行くとちょうどいいのかもしれない。

 私は、沢村貞子さんに強い憧れがあるんです。沢村さんは80歳で女優を引退されて、晩年に(湘南近くの)秋谷に住んで、パートナーを看取って、自分も亡くなられた。でも、私にはまだ早かったんです。プラス、看取るはずの愛する人がいなかった(笑)」

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