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視点・論点 「向田邦子の謎」2013年10月18日 (金)
演出家 鴨下信一
今年は向田邦子さんの33回忌でした。台湾旅行中の飛行機事故でしたが、もうそんなに時間が経っているのか―。
台湾で事故があり、その搭乗者名簿に「K・ムカウダ」の名があるとニュースで聞いて、私たちはいっせいに向田さんの家に電話をかけたのでした。
その時の留守番電話の「ムカウダです。私、ただいま旅行しております。」
特色のある、ちょっとカン高い。こういう時になると、妙に堅苦しい言い方になる人でしたが、あの声に凍りついた記憶はいまだに、まざまざと蘇ってきます。
向田さんには飛行機事故のことに触れたものがあります。「お辞儀」というエッセイです。
お母さんを初めての香港旅行に送り出した、羽田空港のフィンガー・デッキで「母の乗っている飛行機がゆっくりと滑走路で向きを変え始めた急に胸がしめつけられるような気持ちになった。『どうか落ちないで下さい』」
この「お辞儀」の前半は、やっと一般に普及し始めた留守番電話の珍談奇談が描かれていますが、話はいつの間にか初めての海外旅行に出かける母親のことを心配するしんみりしたエピソードに収まる。いったいどうして留守番電話と飛行機事故が向田さんの中で一つの話に収まってしまったのでしょう?
向田さんは不思議なカンのよさを持った人でした。
あの留守電と事故の不思議な時合は、遠い未来の自分の運命に対する何かのカンばたらきだったのでしょうか。向田邦子の「謎」です。
しかし、さすがの向田さんも、自分の死後の人気のすさまじさは予想していなかったに違いありません。
8月の祥月命日に某書店で行われた向田邦子フェアもとても盛大でした。
妹さんの向田和子さんといろいろ思い出話の対談をしたのですが、30年という長い時を経て、その人気は少しも衰えてないようでした。
ただ、ちょっと心配なのは、その人気がいわば、向田邦子のいわばライフスタイルへの人気あんなカッコ良く生きられたら良いというところに集まり過ぎているように思えたことです。
その結果、その作品が本当には読まれてないんじゃないか。
そして、向田邦子は日本人の家庭の守護神といったイージーな誤解が生れているんじゃないか―という心配です。
私は向田邦子ほど、日本の家庭への深刻な疑問、痛烈な批判、今のような家庭なら、「それはなくても、いいんじゃないか」とまで言った作品を残した人はいない―そう思っています。
向田さんの家庭への真摯な攻撃は、晩年数年の間のテレビドラマで行われました。代表的なものを3本だけ挙げれば
「阿修羅のごとく(昭和54)」
「あ・うん(昭和55)」
「幸福(昭和55)」あたりでしょうか。
「阿修羅のごとく」は、有名なオルコットの「若草物語」のような四人姉妹、長女が加藤治子、二女・八千草薫、三女・いしだあゆみ、四女・風吹ジュンの話です。
四人には、キッチリ会社を勤め上げて、今は小さい子会社の取締役をやっている父、これは堂々たる風格で日本映画の数々に主演してきた佐分利信が扮し、その妻が、つまり四人の母親には大路三千緒という宝塚の大先輩が出演していました。
ある日、三女が勤めの帰りがけ、一人の男の子が、「パパァ、パパァ」と駆けてゆくのを見かけます。
男の子の先には自分の父が立っていました。
父親は浮気をしていたのでしょうか?
四人は相談して興信所を頼むことにしました。
どうも、8年前ぐらいから世話をしている女がいるらしい。
二女の夫でやり手のサラリーマン役緒形拳は、「真面目に働いて家を建て、四人の子供を成人させて、そのあと―誰にも迷惑をかけないで、少しだけ人生を楽しむのがそんなにいけないのか」と言います。
でも、「お父さんのしていることは長いこと苦労をかけたお母さんのことを考えると、人間として許せない」と長女が言うと、誰も反論できない。
「お母さんが足袋脱ぐ時、キシャ、キシャと音がするの。アカギレに引っかかって。あの音を思い出すと許せない」
その長女は未亡人でお花の先生をしていますが、花を活けに出入りしている料亭の主人と浮気している。
三女は、頼んだ興信所の調査員と出来てしまうし、末の娘は同棲中のボクサーといがみ合いが絶えない。
大笑い・小笑いと笑いが続くドラマですが、提示しているテーマはひどく重い。
人間は自分の今の家庭以外に<心を休める場所を持ってはいけないのネ>
これは向田さんが以前から
「冬の運動会(昭和52年)」・「家族熱(昭和53年)」の時から言ってきていることです。
「あ・うん」「幸福」も同じです。
こういう人達の営む家族・家庭を描くことで、向田さんは戦後日本の理想だった核家族、恋愛によって結婚し、たいてい二人ぐらい子供を産み、団地に住み・・・といった核家族の様々な問題点を逆に映しています。
そして、この向田さんの指摘した問題点は、いま本当に現実になっています。
家庭は、家族は崩壊したのでしょうか?
向田さんはそれぞれ家族や家庭は人にとって絶対必要なものだと言っています。
たとえそれが、どんなに不思議な形をとっていようと、人と人との結びつきは続いてゆくのです。
それにしても、30年以上もどうして、こんなに正確に向田さんは日本を見通していたのでしょうか?
その謎が解きたくてまた、向田邦子を読み返したくなるのです。