今年は映画監督、小津安二郎(1903~63年)の生誕110周年。小津が晩年に映画の構想を練った長野県の蓼科高原が脚光を浴びている。最後の未刊行一次資料とされる蓼科滞在中の日記「蓼科日記」の抄録が7月に刊行された。小津がコンビを組んだ脚本家の野田高梧(こうご)とともに映画の構想を考えた散歩道を観光資源にしようとする取り組みも始まっている。
「僕たちの健康の源をつくってくれたのが蓼科。大人の休みの過ごし方にあこがれを持てる場所だった」。9月27日~29日の3日間、茅野市で開催された「小津安二郎記念・蓼科高原映画祭」。ゲストとして登場した俳優の中井貴一さんは蓼科について熱弁を振るった。
中井さんは小津映画の常連だった俳優、佐田啓二を父に持つ。東京生まれで「田舎がない」という中井さんだが、幼い頃から姉の中井貴恵さんとともに、夏休みになると家族で蓼科で過ごす生活をしており、同地への思い入れが強い。
対談相手で、小津映画のプロデューサーを務めた山内静夫さんが「観光大使になったらどうか」を水を向ける場面もあり、会場を沸かせた。
■一升瓶100本、映画1本
中井さんが子どものころに毎夏を蓼科で過ごしたのも、もとは蓼科を気に入った小津が、息子のようにかわいがった佐田に山荘を持つようすすめたためだ。
小津が初めて蓼科を訪れたのは1954年。56年から本格的に、それまで神奈川県茅ケ崎市の「茅ケ崎館」で行っていた執筆作業を蓼科に移した。57年公開の「東京暮色」以降、最後の作品となる「秋刀魚の味」までの7本のうち「彼岸花」を除く6本をここで執筆した。
小津は東京・深川の生まれ。長野県とそれまで特に縁があったわけではなく、コンビを組んだ脚本家の野田高梧が蓼科に別荘「雲呼(うんこ)荘」を持っていたことが直接のきっかけとなった。「晩春」「麦秋」「東京物語」といういわゆる「紀子3部作(主演女優・原節子の役名にちなむ)」で一つの頂点を極めた小津が、新天地を求めたという意味もあったようだ。
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