ホーエンシュヴァンガウ城 ブランブルクの盗賊騎士

 ブランブルクの森のはずれのヴェーザー川の近くにかつてブランブルクという城がありあした。その城跡だけは今でも残っています。

 中世騎士の時代には、盗賊をする騎士もいました。この伝説は残虐で強大な力をもち、広くおそれられていたブランブルク城に住んでいたシュトックハウゼンという盗賊騎士のお話です。ブランブルクは盗賊にはうってつけの場所にあり、船でヴェーザー川を通る人の品物を強奪することができました。騎士シュトックハウゼンは、ヴェーザー川の水面に鎖をはりめぐらし、川を通る船を捕まえては、略奪を繰り返していました。鎖にひっかかってしまった不幸な船は、動けなくなってしまい、もうあきらめるしかありませんでした。こうして簡単に船の荷物を奪っていました。夜に通る船とて、シュトックハウゼンは逃しませんでした。ブランブルク城まで届く長いロープを鎖につないでおき、船がくさりにひっかかったら、鐘がなって盗賊たちが起きるしくみになっていましたから。

 ある日、カレンブルクのエリッヒ公爵の娘が、ミュンデンからコアバイの修道院へ巡礼に出かけました。しかし、船はブランブルクのところで、盗賊騎士が仕掛けた鎖にかかり、略奪されてしまいました。これは些細なことでしたが、事件をきっかけに、エリッヒ公爵は長いことシュトックハウゼンの盗賊騎士のふるまいに不信をいだいていたので、許しておけないと思うようになりました。
 
 エリッヒ公爵は、盗賊団を撃つべく、軍隊を集め、城を包囲しました。しかし、城の守りは堅く、シュトックハウゼン側は頑なに防衛したので、なかなかブランブルク城は落ちませんでした。エリッヒ公爵軍はそれで痛手を被り、このことにとても腹をたてました。とうとうあの城からひとりとして生きたまま外に出すものか、と誓ったのでした。それから戦いはしばらく続きました。長い包囲の後、食料がつきてしまったシュトックハウゼンの騎士軍は、降伏しなければならなくなりました。

 城が落ち、シュトックハウゼンの騎士の奥方は、エリッヒ公爵に懇願しました。エリッヒ公爵は、奥方だけ、城外に出ることを許しました。その際、奥方はエプロンの中に入るものだけは城から持ち出してもいいと決められました。エリッヒ公爵は、谷に家を建て、奥方を住まわせることにしました。ただし、城壁など作ってはならず、家の周りを生け垣で囲うくらいにするよう命じました。

 夫、シュトックハウゼンとの悲しい別れがやってきました。奥方はエプロンの中にひとり息子を隠し、城を出ました。しかし、エリッヒ公爵の前を通った時、奥方はエプロンの中を見せるように言われました。エリッヒ公爵はエプロンの中の子供を見て、大変、母親の愛にうたれました。それで、子供の命を助けることはもちろんのこと、シュトックハウゼンに対しても寛大な措置を取り計らいました。騎士はミュンデンで囚人として過ごさなければなりませんでしたが、命だけは助けてあげることにしたのです。