○…平成15年から、市内上大槻にある上智短期大学の学長を務めている。カトリックイエズス会司祭でもある自身は4代目で、初の日本人学長でもある。今までに上智大学文学部長・理事を務め、平成11年に理事長に就任。昭和48年に開学した同短期大学は、今年10月に秦野市との提携事業協定を締結。「この協定で、市との関わりがよりはっきりしました」と語る。
○…連携に至る歴史の始まりは、昭和63年に同大がボランティアで始めた家庭教師ボランティア。その後、ハロウィン仮装行列や災害時の施設使用協定、今年10月のサテライトホール開所など、地域との様々な交流を持ってきた。「お互いが、より良い協力ができたらという想いがピタッと合ったんですね」そう、嬉しそうに話す。
○…広島県江田島出身。山と海に近い豊かな環境で育った少年は、野球選手を夢見ていた。中・高の学び舎・広島学院(母体・イエズス会)で出会った神父に影響を受け、自らも神父となることを決意、上智大学入学と同時に東京へ。所属していた山岳部で学んだ「自分の足で自立し、初めて人と協力できる」という信念も、今ある自身を構成する大きな要素となっている。「山ばかり行って、勉強しないで!って怒られたこともありましたけどね」と懐かしそうに振り返る。
○…座右の銘"Men and women for others with others"は、上智学院のスローガンでもある。「日本語でうまく言い表せる言葉がないんだけど」と少し考えた後、「金八先生に出てくる『自分のために輝くな、人のために輝け』というのが近いのかな」と一言。「私はカトリック司祭だから家庭は持ちませんが、出会う学生全てが子どもみたいなもの。学生に触れ合えて嬉しい」。人のために輝く、温かい太陽のような父のような存在のもとで、今日も多くの学生たちが育まれているのだろう。