中島義道氏の自伝的な一冊。すごい半生。価値観揺すぶられる方も多そうです。読書メモをご共有。
孤独に生きるということ
・ごまかすのはやめなさい!あなたはまもなく死んでしまうのだ。あなたをまもなく襲う「死」をおいてほかにもっと大切な問題があるのだろうか?あなたは「死」とともにまったく無になってしまうかもしれないのだ。(中略)もうすぐ死んでしまうあなたが、必死に日常的な問題にかかずらっていること、それはたぶん最も虚しい生き方である。「死」を目前に控えて震えている死刑囚よりも虚しい生き方である。キルケゴールとともに言えば、日常に絶望していないことこそ絶望的なのだ。
・具体的には「孤独になる」とは、他人に自分の時間を分け与えることを抑えることである。自分の生活を整理し、なるべく他人のためではなく自分のために時間を使うことである。多くの読者は「そんなことはできない」と言うであろう。(中略)そんな曖昧模糊としたことは信じられないという人に答えたい。それなら、あなたは死ぬまであなたのぬるま湯の日常生活を続けるがいい。そして、小さな薄汚い世間体を抱えたまま「これでよかった」と呟いて死ねばいい。
・ニーチェの不可解きわまる思想のうち、私がごく最近了解し始めたことがある。それは「何事も起こったことを肯定せよ。一度起こったことはそれを永遠回繰り返すことを肯定せよ」という「運命愛」と名付けられている思想である。つまり、私に起こったことすべてを「私の意志がもたらしたもの」として捉えなおすことだ。私が他人から嫌われ、排除され孤独に陥っている。「運命愛」とは、こうした場合そもそも俺が悪いんだからと泣き寝入りする態度ではない。何もかも自分のせいにして安堵する怠惰な態度ではない。この運命は自分が「選びとったもの」だと—無理矢理にでも—考えてみることなのだ。
・他人に押しつけられたものが苦痛を与えるとき、われわれは脆く崩れてしまう。だが、自分が選びとったものがたとえ自分に苦痛を与えるとしても、耐えられるのである。自分が選びとった大学、自分が選びとった結婚、自分が選びとった職業は「肯定する」ほかないではないか。
・気分が高揚しているときは、私の思考はもう少し「前向き」になる。やはり敗残者は嫌だ。といって、もはや勝者にもなりたくない。勝者でも敗者でもない仕事は何であろうか?他人と競争しなくてよい仕事とはなんであろうか。しかも、自分が矜持を保つことができる仕事とはなんであろうか。そうだ、それは作家(小説家)だ!私は三文文士になりたいと思った。なぜなら、そこに私が表現するものは、客観的評価の手を滑り抜けるからである。客観的評価を受けなくとも、自己満足できるからである。自己催眠にかけられるからである。
・遊ぶことの嫌いな子どもも、肉を食べることのできない子どもも、そのままでいいと私は思う。孤独が好きな子どももいる。暗いことが好きな子どももいる。憂鬱な子どももいる。「死ぬ」ことにたえずおびえている子どももいる。私はランドセルを背負い、半ズボンをはいた七歳の男の子がたえず「死」のことばかり考えていても「そうだろうなぁ」と思う。彼が「人生って苦しいなぁ。早く大人になりたいなぁ」と呟いたとしても—多くの大人のように—笑い飛ばさない。「そうだろうなぁ」と思う。
・われわれは小学校の頃から、ずっと孤独は「いけないもの」と教え込まれているが、私はそうではないと言いたいのである。ある人(カイン型)にとって孤独は自然な生き方である。子どもの頃は、孤独を咎められる。みんなと元気に遊ぶことを強要される。私はそれが最も苦痛であった。
・相当に不健康であることは自覚している。私は、これまで私の人生において出会った人々をことごとく檻に入れ閉じ込めている巨大な監獄の長である。日々、気にかかる犯罪人をおりから引き出し拷問にかける。「言え!言え!」と迫る。言わなければ、言わせてやる。そして、それを克明にノートに書きつける。私はいかなる極悪人もけっして死刑にしない。死なせるのは—素材が消えることだから—もったいない。また一度捕らえたら、けっして折から出さない。つまり、そこにいるすべての者は終身刑なのである。
・孤独に徹するためには結婚はしないほうがいい、子どもはいないほうがいい、と思われるかもしれない。しかし、かならずしもそうではない。家族を防波堤にしながら勝手気ままなことをする道もまたあるのだから。冷たい世間の荒波から逃れて家族という温かい空間のなかでぬくぬくと暮らすというのではなく、すべてのなまなましい人間関係を家族のうちに限定して、ヒタヒタ寄せる外界の荒波の浸食作用を防ぐこともできるのだから。夫婦の死闘、親子の死闘だけに限定することによって、それ以上の他人との死闘を徹底的に避けることができるのだから。(中略)私の敬愛する塩野七生女史は、どこかでこんなふうなことを言っている。「結婚のいちばんの利点は、もう一度結婚しないでいいことである」。
・つまり、あなたは自分を含めた人間が嫌いなのだ。それはもうしかたないことである。人間の醜さがことごとく見えてしまうあなたは、敏感なのだから。そして、そうでない人は鈍感なのだから。あなたは自分を変えなくてもいい。それでいいではないか。だが、そういうあなたは社会的には排除される。だから、あなたも社会から離れようではないか。そのうえで、あなたなりに豊かに生きる道を探そうではないか。
・「ああ、いい人生だった」と満足して死ぬこと、「みんなありがとう、とても楽しい人生だったよ」と感謝して死ぬこと、これは私にとっていちばん恐ろしい死に際である。そのとき、「死」そのものの絶対的不条理が隠れてしまうからであり、それを必死に隠そうとする人々の「手」に乗ってしまうからである。
幼少期、親との関係に恵まれなかった方は読んでおくと救われる部分がありそうです。