MOON BABY

赤い月が輝く夜には綺麗な花束を。

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第0感〜デカルト編〜

「我思う故に我あり」

これは、自分は考えてるから存在するというより、
考えている自分は存在すると、デカルトが思ったのだと思う。

これには大きな欠点がある。

存在は勿論、時間と大きな関わりがあるだろう。
「その時、存在していた」という言葉通りである。

問題は、考えている自分はいつ存在していたかである。

ちょっと考えて頂きたい。
自分が考えたと思うのは、考えてる自分を認識しているからである。

次に、考えてる自分を認識している自分を認識するには、考えてる自分を認識している自分を認識する自分が必要である。

こう永遠に続かれると
「考えた瞬間」と「自分が考えたと認識した瞬間」にかなりのズレが生じそうである。
だから、「我思ったと思った時」には我はいないかも知れません。
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コメント

  • Unknown
  • (アルタナ)
  • 2006-02-25 17:32:54
  • はじめまして、こんにちは。
    よくこのサイトを拝見させ頂いているものですが、ここに書かれている存在論に興味を持ったので、勝手ながら私見を述べさせて頂きます。

    私が考える「存在」とは複数の観点から考えられると思っています。

    まず意識的観点についてですが、これは人や一部の動物に於いてのみ存在し、草木の観点では私達人間はおろか、万物全ての存在を否定することになります。私としては、無常派なのでこの考えが好きで、万物の存在は単なる夢でしかありません。

    次に物理的観点から考えてみますと、既に書かれているように「時間」との関係が非常に深いものですね。でも、時間という概念も人間が定義なり意識するもので、長くとも1世紀しか生きられない人間が意識する時間なんてものこそ、存在しないと思ってます。時間が存在すると言うことは、人なりがどこかで意識するもので、本当は時間なんて無いのかもしれないのですから。

    最後に、意識的にも捕われず、かつ物理的からでもない領域からの観点。人々は昔から想定の範囲外の事象においては、神という言葉を使って解釈していましたが、それを用いさせてもらいます。
    神(ここでは比喩表\現です)的観点から、存在ていうことを考えてみるのですが、これには全く考えが浮かびません。考えると意識的観点により人間臭さがでてしまい、仮にそれをクリアした答えが出てしまっても、神という比喩の元ではその答えは不能\になるからです。

    以上チラシの裏でした。駄文失礼。

  • Unknown
  • (satorapia)
  • 2006-02-27 06:32:21
  • コメントありがとうございます。

    えーと、時間は存在します。

    時間とは「動」です。動きがあれば時間は生じるのです。それが定義です。

    存在は必ず時間に依存します。



    あと、脳内宇宙いわゆる世界は脳だというものですが。とりあえず私たちは全てのものと感覚でしか繋がっていないのです。まぁ、私と世界の関係は感覚を通した関係です。インターネットで知り合った人と同じです。得体の知れない物。

    男か女かもわからない。人間かどうかも定かではない。

    それと同じです。

    世界と私は感覚を通じて繋がっている。

    なんらかの伝達物質を通ってくる。

    だからその伝達する物が異常をきたせば世界が変わってくる。



    脳が造り上げた世界の中で私達はその世界を再現する為に感じているのかもしれません。

    ようはマトリックスです。

    仮想現実。見えてる物も、触る物も聞く物も、、全て脳が操作している。



    こんな話はこのブログに沢山あります。

    「暗い部屋」とかがそうです。

    まぁそうなると物理的観点というのも意識的観点の中に入ってしまいますね。

    物理的観点っていうのは伝達機能が在りのままの世界をとらえ、在りのままの世界を脳が感じるというものですが、在りのままって何でしょうね。

    それは脳が感じた世界ではないでしょうか。周りはどんなものかは脳が決める事。周りが決める事ではいんですね。

    それは脳が世界を作っているといっても良いのではないでしょうか。

    だから私は脳内宇宙的観点だと思います。ほとんど意識的観点と同じですが。



    最後に。



    もはや物質的観点は全否定ですが。存在は感じなければいけない。感じていないものは存在するとは言えない。言うならば関係が無ければいけない。ほとんどは五感を通じた関係です。存在には関係が必要なんです。私と貴方の関係は五感を通じた関係。触って分かる。見て分かる。



    貴方は存在していると言える。  

















    でもそれじゃ困るんです。

    「私と私の関係」が無いんです。