白の中に白がある。
それは物として立体になっている。
「この場所」なら分かることの無い事。
「あの場所」なら分かる事。
冷蔵庫の音が消えた。
鳴ってた事は知らなかった。
やけに静かだ。
冷蔵庫の音が消える様に、音が消えてから音が鳴っていた事が分かる時がある。
音が止まる前、それは当然の環境だった。
言い換えるならば、「初めからあった」もしくは「徐々に発生した」。
前者は「初めから其処に存在していた為、異変に気付かなかった」という事である。
本来、人間は変化ないし変動しか感じる事が出来ないし、
実際の所は変化の無い物など存在し得ないのだ。
それは
1「人間にとっての時間の概念」
2「我々は時間という枠の中に存在している」
3「人間にとっての現実は脳が考え得る範囲だけである」
という事からそう言えるだろう。
「時間」とは「動き」だからだ。
時間は動きを伴い、そしてその中に住む者も動きを伴うのだ。
逆に動きがあれば時間が存在する。というのが人間の脳が考え得る範囲なのである。そしてそれが人間の現実なのだ。
簡単に言うと、人間は時間の中で生きている為、全てに動きがある。
かといって「全て」は「全て」ではない。人間の中での「全て」である。
変化の無い物は「時間」の無い物である為そんな物想像し得ない。
これは「3」より、人間の世界には変化の無い物は存在しないという事になる。
そして人間は変化ないし変動しか感じる事が出来ないというのは人間が時間の無い物は想像出来ないという事から言えるだろう。
一つ言っておきたいのだが、ここでは「真理」については触れていない。
あくまで「人間の世界」という事についてである。
今ひとつしっくり来ない人はこう考えてみると良い。
宇宙が始まる前、言いかえるならば、時間の始まりについて考えると良い。
それは始まる前に時間の無い状態で何かが始まったという事である。
ようは準備がない。あったとしても時間を使っていないのである。
我々は時間を使わないで「動」を成す事が出来るだろうか。
それは出来ない事である。
何故なら人間は知らぬうちに「動」と「時間」を全く同じ物として認識しているからである。
動けば時間が生じ、時間が経てば「時間」が動くのである。
そして何度も言うが、人間が認識できない物は人間の世界に入れないという事を再度確認しておく。
人間が認識した世界こそ人間の世界だからだ。
そこに人間の限界が見られる。と私は思う。
そして後者は少しづつ変化を遂げる為、なかなか気付きにくいという事である。
最初の音量は1で2、3、、、とゆっくり音量を上げていくと最大になったとしても慣れてしまって気付きにくくなってしまう状態である。
無論、最初から音量が最大ならば気付くのである。
それは、人間が突然の大きな変動を嫌うという習性と密接に関係があるのだ。
もしかすると、我々の聞きなれた音とは人間の習性、あるいは本能という所まで達するのかも知れない。
つづく
それは物として立体になっている。
「この場所」なら分かることの無い事。
「あの場所」なら分かる事。
冷蔵庫の音が消えた。
鳴ってた事は知らなかった。
やけに静かだ。
冷蔵庫の音が消える様に、音が消えてから音が鳴っていた事が分かる時がある。
音が止まる前、それは当然の環境だった。
言い換えるならば、「初めからあった」もしくは「徐々に発生した」。
前者は「初めから其処に存在していた為、異変に気付かなかった」という事である。
本来、人間は変化ないし変動しか感じる事が出来ないし、
実際の所は変化の無い物など存在し得ないのだ。
それは
1「人間にとっての時間の概念」
2「我々は時間という枠の中に存在している」
3「人間にとっての現実は脳が考え得る範囲だけである」
という事からそう言えるだろう。
「時間」とは「動き」だからだ。
時間は動きを伴い、そしてその中に住む者も動きを伴うのだ。
逆に動きがあれば時間が存在する。というのが人間の脳が考え得る範囲なのである。そしてそれが人間の現実なのだ。
簡単に言うと、人間は時間の中で生きている為、全てに動きがある。
かといって「全て」は「全て」ではない。人間の中での「全て」である。
変化の無い物は「時間」の無い物である為そんな物想像し得ない。
これは「3」より、人間の世界には変化の無い物は存在しないという事になる。
そして人間は変化ないし変動しか感じる事が出来ないというのは人間が時間の無い物は想像出来ないという事から言えるだろう。
一つ言っておきたいのだが、ここでは「真理」については触れていない。
あくまで「人間の世界」という事についてである。
今ひとつしっくり来ない人はこう考えてみると良い。
宇宙が始まる前、言いかえるならば、時間の始まりについて考えると良い。
それは始まる前に時間の無い状態で何かが始まったという事である。
ようは準備がない。あったとしても時間を使っていないのである。
我々は時間を使わないで「動」を成す事が出来るだろうか。
それは出来ない事である。
何故なら人間は知らぬうちに「動」と「時間」を全く同じ物として認識しているからである。
動けば時間が生じ、時間が経てば「時間」が動くのである。
そして何度も言うが、人間が認識できない物は人間の世界に入れないという事を再度確認しておく。
人間が認識した世界こそ人間の世界だからだ。
そこに人間の限界が見られる。と私は思う。
そして後者は少しづつ変化を遂げる為、なかなか気付きにくいという事である。
最初の音量は1で2、3、、、とゆっくり音量を上げていくと最大になったとしても慣れてしまって気付きにくくなってしまう状態である。
無論、最初から音量が最大ならば気付くのである。
それは、人間が突然の大きな変動を嫌うという習性と密接に関係があるのだ。
もしかすると、我々の聞きなれた音とは人間の習性、あるいは本能という所まで達するのかも知れない。
つづく