T-34再考(3)
履帯:
鉄製の履板を用いるという構造自体は、アメリカ人から高く評価された。その一方で彼らは、チュニジアやその他の戦線でアメリカ戦車が使っているゴム製の履帯と鉄の履帯とを比較したデータがまだ手に入っていない以上、現行のゴム履帯を廃止する理由はないと言っている。
彼ら[アメリカ人]の意見によれば、我が国の戦車の履帯が持つ欠点は、構造的に軽く作られていることだという。このため、小口径の火砲や地雷によっても容易に破損する可能性がある。連結ピンは鍛造のレベルが極めて低く、また粗悪な鉄でできているので、すぐに劣化してしまい、履帯が何度も切断されるという事態を招いている。車体に設けられたストッパーで連結ピンを打ち込むというアイディアは、初めのうちこそ評価されたものの、実際に使ってみたところ、ピンが幾分か摩耗した後ではストッパーに当たって歪みを生じるようになり、履帯の切断が頻発した。
装甲の厚さを減じてでも履帯を重くするべきではないか、というのがアメリカ人の見解である。一方、履帯の幅の広さは好評であった。この部分の内容から判断する限り、本文書の作成者は、技術面に強い人物というわけではなかったらしい。アメリカの戦車の「ゴム製の履帯」、などと書いてしまっているのがその証拠である。(金属製のワイヤーで補強された)ゴム製の履帯は、16トンの戦車で用いられたケースもないわけではないが、通常は10トン以下の半装軌装甲車やハーフトラックといった軽車両でしか使われない。一方、シャーマンが履いているのは鉄製の履帯である。ただそのジョイント部が耐久性を高めるためにゴム・金属構造となっていたこと、また走行時の騒音を軽減し路面へのひっかかりをよくする目的で、全ての履板ではないにせよ表面にゴム製の「クッション」を装着していたこと、この二つがシャーマンの特徴であった。さらに、完全な金属製の履帯と異なり、シャーマンの場合は舗装された路面を傷めないという利点があった。
だが、ソヴィエトの道路状況を考えると、こうした長所もそれほど役立つものとは思われない。それよりはるかに重要な要素が、T-34の幅広な履帯がもたらす接地圧の低さであった。この指標を比較するなら、「34」はシャーマンよりも圧倒的に有利と言っていい。T-34の接地圧の平均は0.72kg/cm2、対するシャーマンは0.96kg/cm2で、不整地走行能力では劣っていることになる。
しかしここで、またもや製造レベルでの問題を指摘しなければならない。すなわち、履帯を構成する履板の大幅な不足である。まさにこの理由で、1942年12月の10日から20日までの間を例に挙げると、UTZ[ウラル戦車工場]では組み立てた戦車のうち68%しか戦場へ送り出すことができず、残りは「裸足」のまま放置された。かかる条件の中で、履板の生産は、ほとんどこの製品を扱った経験のない企業に委ねるしかなかった。その結果として、完成品の半数までが規格外という事態を招来している。こうした不良品のために履帯は壊れやすくなり、またピンも次々に変形、破損していった。アバディーンでピンの問題が表面化したことは、アメリカ人たちが正しく指摘した通りである。ちなみにアバディーンの試験では、「34」の履板は最終的に破損してしまっている。サスペンション:
T-34のサスペンションは劣っている。アメリカ人ははるか以前にクリスティ型のサスペンションを試したことがあるが、結果は完全な不合格であった。我が国の戦車が採用している同タイプのサスペンションは、スプリングの鋼材が粗悪なためすぐにたわんでしまい、結果としてクリアランスが目立って減少する。一方、KV戦車のサスペンションは非常に優れているとのこと。サスペンションのスプリングの素材が劣悪である、との指摘には同意せざるを得ない。当時の不足物資をまとめると巨大なリストが出来上がってしまうのだが、スプリング材もその中に名を連ねていた。1942年3月から1943年5月までの間、ソ連ではスプリング材の生産そのものが行われていない。調達は完全なレンドリース頼りで、それ故にあらゆる手段を講じて節約が試みられた。
スプリングの品質が悪かったもう1つの理由としては、熱処理上の問題が挙げられるかもしれない。すでに装甲に関する箇所で指摘した通り、T-34生産に際して用いられた熱処理の技術は、当時は安定性を欠くものでしかなかった。
他方、サスペンションの構造自体に関する批判に対しては反論の余地がある。T-34のサスペンションはBTシリーズから受け継がれており、一方のBTは、アメリカの設計者ジョン・ウォルター・クリスティの戦車からそれを借用している。このタイプのサスペンションには特有の長所もあれば(例えば支持転輪がないため構造が簡単、転輪の直径が大きく回転時の摩擦が少ない、戦車の側面を転輪により防御できる)、同時に短所もあった(非スプリング部の重量が過大なため滑らかな走行が阻害される、スプリングのシャフト部が車体内に占めるスペースの大きさ、平衡装置を取りつけるための切り欠きにより側面装甲が犠牲になる)。全体として、クリスティ式のサスペンションは当時の水準には達しており、ソ連の他にイギリスでも採用されていた。
「34」のサスペンションの大きなマイナス点としては、戦車の車体の揺れを素早く吸収する緩衝装置の欠如が挙げられる。もっとも、これはクリスティ式サスペンションの構造的欠点というわけではない。やろうと思えば、クリスティ式に緩衝装置をつけることもできたはずである。アメリカ人がこの問題について何もコメントしなかった理由は、当時シャーマンも緩衝装置を備えていなかったからに他ならない。シャーマンのサスペンションは、同じように改良の余地を多く残すものであった。ソ連・アメリカとも次の世代の戦車はトーションバー方式を採用しており、これは現代に至るまで最も広く用いられた戦車用サスペンションとなっている。まさにこのトーションバー・スプリングを装備したKV戦車が、アメリカ人から高い評価を受けたのも偶然ではない。機関:
ディーゼルエンジンは優れており、軽量である。戦車にディーゼルを利用するというアイディアについては、アメリカの技術者・軍人共に喜んで取り入れたいと考えているのだが、残念ながらアメリカの工場で生産されるディーゼルエンジンは全て海軍のものとなっており、陸軍はこれを戦車に用いる術を持たない。
我が国のディーゼルの欠点は、T-34戦車の犯罪的なまでに劣悪な空気濾過システムである。アメリカ人は、サボタージュを企てる者でもなければこのようなシステムを設計するわけがない、とまで言っている。さらに彼らは、何故我々のマニュアルにはこれをオイル式と記しているのか理解できないという[すぐオイルが漏れてしまうことへの皮肉か?]。分析室で実験を行った結果、以下のことが明らかになった。
・空気濾過器は、エンジンに入り込む空気をそもそも濾過していない。
・空気取り入れ能力の問題から、エンジンを空回りさせた時でさえ、必要な量の空気を吸い込むことができない。
結果、エンジンは持てる力を完全には発揮できず、またシリンダーは内部に入り込む埃のためすぐに摩耗し、圧縮力が低下して、エンジンはますますパワーダウンしてしまう。
これ以外にも、フィルターはメカニズムの点で極めてプリミティヴな代物である。例えば、電気によるスポット溶接を行った箇所で金属が焼けてしまい、油が漏れやすくなっている、等々。
KVのフィルターはこれよりは質が高いが、よく濾過された空気を充分に供給することはできていない。
両戦車ともエンジンのスターターの性能は劣っており、パワー不足で、安定性も欠く構造となっている。実は、当時のアメリカでもディーゼル搭載型の戦車が生産されていた。例えば、レンドリースでソヴィエト連邦に送られたタイプのシャーマンもこれに含まれる。だが、アメリカ軍の戦車が基本的にガソリンエンジンを使っていたことは事実である。燃料補給の観点からはその方が好都合だったし、そもそもディーゼルの数が不足していたという事情もある。実際、ディーゼルエンジンに関してアメリカでは海軍が優先権を持ち、潜水艦や掃海艇、上陸用舟艇などに使っていた。
一方、アメリカ人がT-34の空気濾過システムを批判したことについては十分な理由がある。それは極めて原始的な構造を持っていた。フィルターの中心となっているのは、油を浸み込ませた金属糸すなわち極細のワイヤーである。技術的な観点から見るとシンプルではあるが、しかし効果は薄いやり方だと言わざるを得ず、吸い込まれた空気をしっかりと濾過することができない。どれほど空気をきれいにできるかは、金属糸をどの程度均等に敷き詰められるかにかかっている。しかし、どれほど丹念な仕上げを心掛け、隙間や厚さのむらのないフィルターを作り上げたとしても、細かい埃の侵入を食い止めることはできず、エンジンのシリンダーに入り込んだ埃は研磨剤のような働きをするため、シリンダー内部やピストンリングはすぐに摩耗してしまう。こうなれば当然圧縮力も下がり、燃料の消費量は増大する。そればかりでなく、フィルターによって食い止められた埃もネットの部分を急速にふさいでいくため、エンジンには充分な量の空気が到達しないことになる。金属糸の洗浄とオイルの補充、さらに空気濾過用のオイルの交換は、夏期であれば10時間に1回、冬季であっても20〜25時間に1回以上は実施する必要があった。だが実際の戦場では、常にこうした頻度でメンテナンスができるわけではない。かくしてエンジンは定格通りの馬力を発揮できず、また早い段階で使用不能になるという結果が生じた。
一説によれば、アバディーンの試験官たちはT-34の空気濾過器をしかるべく整備できず、あるいはそもそもその意思がなかったため、エンジンが故障することになってしまったのだという。だが、この説明は現実とは全く食い違っている。アバディーンに派遣されたソヴィエトの代表団の中には、コンサルタントとしてマトヴェーエフ技師が含まれていた。T-34とKVを整備するにあたり、アメリカ人を指導することも彼の任務の一つであった。そして、アバディーンでの試験に関するソ連側の報告の中には、これまで戦車の整備に関してアメリカ人以上に好奇心が強くペダンチックな技術者を見たことはない、と書かれているのだ。
ここで指摘しておく必要があるだろうが、T-34の空気濾過システムの問題は、実は早くから知られていた。1941年1月の段階ですでに、中機械製造人民委員V.M.マルィシェフも加わって、「1941年7月1日までに新たなエンジン用空気濾過器の開発・装備を進める」との決定が下されている。だが、結局この時までに間に合わせることができず、現実に新型のサイクロン型遠心式エアクリーナーが登場したのは1943年1月になってからで、その上対象となったのはチェリャビンスクとキーロフ製の「34」のみ、しかも全ての車体に装備されたわけではなかった。
スターターのパワー不足に関する指摘も当を得たものである。ディーゼルエンジンをかけようとする場合、同じ規格のキャブレター式エンジンと比べると、より強力な始動トルクとクランクシャフトの回転速度が求められる。というのも、ディーゼルのシリンダー圧力は倍近く高いし、可動部も大型であるため、慣性モーメントが増大するからだ。また可燃性の混合気を作り出すには高速運動が求められるという問題もある。従って、電気式のスターターを使うと、仮にそれが強力なものであったとしても、1回での始動に失敗した場合、すぐにバッテリーが上がる原因となってしまう。T-34ではこれに備え、圧搾空気による予備のエンジン始動システムを装備していた。そして、T-34以後の世代のソヴィエト戦車では、こちらの方式がメインのスターターに採用されている。トランスミッション:
議論の余地なく劣悪である。これに関しては、以下の如き興味深い出来事があった。KVのトランスミッションを修理していた技術者が、12〜15年も前に取り扱っていたトランスミッションと非常によく似ていることに気づき、衝撃を受けたというのである。その会社にも問い合わせた。先方からは、A-23タイプのトランスミッションの図面が送られてきた。そして、我が国の戦車のトランスミッションがこの図面の完全なコピーだという事実は、皆を驚愕させるに足るものであった。アメリカ人たちを驚かせたのは、我々がコピーを行ったという行為それ自体ではなく、15〜20年前にすでに時代遅れとなっていた製品をコピーしたことである。アメリカ側は、このトランスミッションを戦車に採用した設計者は、操縦手に対し非人間的なまでに厳しい態度を取ったも同然だと見なしている(それほど取扱いが難しい)。T-34のトランスミッションもまた非常に出来が悪い。実際に使ってみると、歯車の歯が全て欠け落ちてしまった(しかもすべての歯車でこれが生じている)。歯車を化学的に分析した結果、熱処理のレベルが非常に低く、アメリカが同種の製品を作る際に採用している基準には全くそぐわないものであったという。KVのトランスミッションを担当した技師N.F.シャシムーリンが述べているところによれば、ギアボックスの図面はKV設計チームのリーダーであったN.L.ドゥーホフによって提示され、キーロフ工場の設計主任Zh.Ya.コーチンから承認を受けたのだという。図面自体の出どころはアメリカの雑誌で、20世紀初め頃にホルト社(有名なキャタピラー社の前身である)製のトラクターで使われたギアを図示したものであった。勿論、図面をそっくりそのままコピーしたわけではないのだが、しかしKVのギアもこの図面も原始的な構造を持っており、お互い非常によく似通っていた。
「34」のギアボックスもまた、出現した瞬間に時代遅れとなった代物である。変速の切り替えは4段しかなく、これはT-34のような重量級の車体と、エンジンが発揮することになっている能力とを考え合わせると、明らかに不十分であった。ギアの切り替えは歯車を噛み合わせることで実現するが[いわゆる選択摺動式]、すでに自動車でも戦車でもギアボックスには常時噛み合い方式と同調機構つきのドッグクラッチが採用されつつあった当時としては、アナクロニズム以外の何物でもない。歯車の噛み合わせ操作には操縦手の高い技能が要求されるし、その場合でもギアが入る瞬間の衝撃を避けることは難しい。さらに、歯車がギアとしての役割を果たすためにはその直径が制限され、歯の部分の大きさもこれに応じて小さくなるから、実際にギアを使うと歯車の歯には巨大な力がかかってしまう。その上、先に指摘した熱処理の問題もあったことを考えると、アバディーンでの試験中にT-34のギアボックスで歯車が破損してしまったのも不思議とするにはあたらないだろう。サイドクラッチ:
議論の余地なく劣悪である。アメリカにおいては、このような形式のクラッチは、トラクターでさえ数年前から使われなくなっている(戦車は言うまでもない)。機構そのものが問題を抱えている上、我が国のクラッチは機械的な仕上げの粗雑さと鉄の粗悪さにより急速に摩耗してしまい、結果としてドラム内に泥が入りやすく、確実な動作は到底期待できない。実際、サイドクラッチは当時すでに時代遅れとなっていた。構造の簡素さという特徴と並び、このシステムは重大な欠点を抱えていた。すなわち精密な調整を要すること、またブレーキをかけられた側の履帯のエネルギーと前進する側のエネルギーとが著しく不均衡となることである。このため、戦車が旋回するごとにブレーキがかけられる結果となり、クラッチの損耗は、たとえ質の高い部品を使っていたとしても避けられるものではない。そして生産現場での様々な問題は、こうした欠点をより一層クローズアップすることとなった。ちなみに次代以降のソヴィエトの戦車は、サイドクラッチに代わる旋回機構として遊星ギアを採用している。
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