2013年10月24日12時35分
■八幡<晩年の地>―――愛媛・八幡浜<生誕の地>■
日本の飛行機開発の先駆者・二宮忠八(1866~1936)の縁でつながる八幡市と愛媛県八幡浜市が12月、交流を始めることになった。忠八は八幡浜市に生まれ、晩年は地名の似た八幡市で過ごし、飛行神社を建立した。忠八が亡くなって77年。「やわた」同士の交流は、中学生の交歓からスタートする。
12月、中学生訪問からスタート
きっかけは今年4月末。忠八がゴムを動力にした「カラス型飛行器」を飛ばすことに成功した日にあわせ、飛行神社で毎年開かれている例祭だった。八幡浜市の橋本顕治副市長が例祭出席の翌日、八幡市の佐野良夫副市長を訪ねた。「忠八つながりで交流を考えるのもおもしろいですね」という話になったという。
話はすぐに具体化し、今年12月下旬、八幡浜市の7中学校から1年生24人が八幡市を訪れることになった。飛行神社や石清水八幡宮などを見学し、八幡市の中学生と、互いのふるさとの紹介をし合う交流会も計画されている。来年は、八幡市の中学生が八幡浜市を訪れることにしている。
佐野副市長は、「まずは互いをよく知ることが大切。中学生レベルの交流から、小さい芽を育てていきたい」と話す。八幡浜市の担当者も「忠八や地名の縁で八幡市と交流できるのは大変意義深い。この縁を大切に、友好関係を築いていきたい」という。
二宮忠八は1891年、「カラス型飛行器」を飛ばすことに成功し、飛行機の研究を進めていたが、ライト兄弟に先を越されてしまった。大阪を経て1901年に八幡町(現在の八幡市)に移り、飛行機事故の犠牲者の慰霊のため、1915年に飛行神社を建立した。