2013年10月23日
匿名でも名指しでも、本質はかわらないんですよ。
はた京阪さん、誠実な対応ありがとうございます。
でも喧嘩口調はあまり気持ちのいいものじゃないですよ。
苛立たしいのわかりますが、それは私も同じです。
でも、私は冷静になって失礼のない文章を書くことを努力しているつもりです。
前置きはここまで。さっそく本題に入ります。
しょせん、証拠のないものを言い争っても仕方ないことくらい、私だって知っています。
ですから、「問題の記事」に改竄があるという点は、譲歩します。
はたさんが、あそこまで自信を持って言われるなら、私はそれを信じましょう。
改竄はなかった、と。
私も当時は非常に怒ってましたから、記憶が曖昧なところがあったかもしれない。
その曖昧な部分で事実を追及するのはやめますよ。
ですが、「問題の記事」で、はたさんが、私を名指ししなかったと言えるかといえば、それは違います。
これは私の身勝手な言いがかりではないですよ。
ちょっと、ここを読んでみてください。
上記サイトにある部分の要点はこうです――
本人を特定できない相手だと思っていても、実際には本人を特定できると評価されれば、名誉毀損となります。そうでなくても、あまりに酷いケースであれば、名誉感情侵害等を理由とした損害賠償請求などが認められる可能性もあります。
相手が匿名でも、実際には本人を特定できるケースはいくらでもある
今はまだ判例が無いと言っても
裁判はやってみなきゃわからない
訴えられないよう、自重したほうが賢明だと思うがね
恐らく、これが社会常識のはずです。
私がなぜ「売られた喧嘩買います」というタイトルをつけ、はたさんのHNを持ち出したかは、
これでおわかりになりませんか?
また、はたさんはリンクまで貼られたと苦情を仰りましたが、それは筋違いです。
HNを出すのであれば、当事者をはっきりさせて、私だけでなく、相手方の言い分もきちんと閲覧者に読めるようにしておくのが、ネット社会の常識だからです。それが第三者にすべき配慮ということです。
とある記事から引用したいが、それをコピペすると、無断転載(一概に著作権侵害と判断できかねますが)となりうるから、リンクを貼ってその記事のページ自体を引用するという常識と似たモラルだと言えます。
では翻って、はたさんがどうだったのか?
そうしたことをせず、「問題の記事」を投稿された。
一見、問題はなさそうですが、違います。
以下、はたさんが問題はないという記事を見ればわかります。
上記の記事には、私のHNはありません。
しかし、誰の記事を読んで、誰に向って発言しているかは特定できますよ。
以下の部分です――
これらは、ブログ村でのある記事タイトルへの感想なのですが、
残念ながら、そのタイトルだけで消去されていますね。
他にも特定できる文言が満載されていることもまた事実です。
例えば「働かざる者、食うべからず」ですね。
つまり、「ブログ村でのある記事タイトル」と言ってしまったら、
色々検索すれば、誰でも当事者を特定できたということなんですよ。
ですから、文脈から、私に向けて発信している部分も明確にわかるわけです。
以下がそこです――
大勢の 「働かないと食ってゆけいない人」 がいます。
先のお怒りの方に、こうした人の気持ちも察していただければありがたいと思います。
「先に怒りの方に」――これ、明らかに私に向って言ってるじゃないですか。
ゆえに、生活保護の文言にも非情な不快感を抱いたのです。
だって、生活保護云々は、「先に怒りの方に」の文章の後に、書いてあるんですよ。
といった具合に「実質」、先に名指ししたのははたさん、あなたなんですよ。
現に私はそれを特定でき、両者の記事を閲覧している人の中には、当事者を特定できているということも、私は認識し確認してるんですよ。
「実質」名指しという件に関しては、「売られた喧嘩買います」に寄せられたコメントでも明確です。
つまり、当事者、第三者に関わらず、「問題の記事」は、実質、名指しにあたるのです。
それが客観的事実なんですよ。
そういうことも、私はこれまで二度にわたってお話ししてきています。
一度目は、「売られた喧嘩買います」の【追々記】の中でこう伝えたはずです。
匿名であれ伏字であれ、相手が誰か推察できてしまえば、伏字には何の意味もないのですよ。それで十分に裁判の証拠にすらなるのです。
二度目は、「3つの嘘をあばいとくよ(逐次加筆)」でお話ししています。
例え私のHNを持ち出していないくとも、私の記事を引用して――
先のお怒りの方に、こうした人の気持ちも察していただければありがたいと思います。
という一文にある、「先のお怒りの方にも」――という部分は、私に対して言い放った言葉であることが明確に特定できるということです。
つまり、代名詞を使用し、「私の現状を認識せずして」、私に嫌味を言い自分の意見を押しつけたことが、明確に読み取れるのですよ。
しかも衆人環視という状況で晒し者にしてです。
これが侮辱でなくてなんですか?
「私の記事を引用して――」の部分は考えなくて結構です。
しかし、そういうことなんですよ。
特定できれば、名指しと同じなんですよ。
おわかりになりましたか?
でなければ、私がここまで必死になって自尊心を守ろうとはしなかったのですよ。
それが、はたさんの言う「気を悪くした」なんですよ。
私の立場でいえば、「激怒」であり、「激高」です。
それゆえ、過去のことを持ち出し、信心の姿勢に触れたのです。
だって、先にお前の信心がヘボイからだろ的なことを言われたわけですからね。
はたさんは、同情し、説教のつもりでもなく、言ったのでしょうが、
表現法がね……。
いかにも一般論に見える記事で、なにげに私を名指しして、間接的に(記事にして晒し者にされて)嫌味を言われた。
私がそう感じざるを得なかったとしても、仕方ないんじゃないですか?
もちろん、過去のことを持ち出したことは反省し、謝罪もしてますよ。
あれだけは猛反省している、そうもコメント欄に書いています。
いちいち、拾い出したりしませんが。
(読みたいと仰るなら、探しますよ)
これは論点のすり替えではないですからね、言いがかりでもありませんよ。
そこはわかってください。
きちんと、傍証も引用して、社会的にも認識されていることですからね。
ということで、
はたさんの言う、「名指しし、批判した」 という二項目。
このうち、名指しは、「実質的に」あった。
批判とは言えないまでも、批判と判断されうる文言もあった。
それが事実ではないですか?
ただし、批判という部分に関しては、個人の主観や立場によって違ってきますよね。
ですが、私が「気を悪くした」(「激怒」であり、「激高」した)のもまた事実ですよね。
とりあえず、これが今論点になっている、3項目の一つ目です。
さて、ですがはたさん、あなたはまだその他の二項目に対して何も説明されてませんよね。
(1)ご自分でされた約束を破った(事後になって空虚化かしたという理由は認めがたいですよ)
(2)コメントをメールと偽り、いまだそのコメントを公開していない(出来れば弁明の記事内で、各当コメントの公表を希望します)
以上2点への回答を、お願い致します。
それから、当事者間に関係ない話題を引き合いに出すのはやめてください。
私だけのことなら、私はここまで怒りませんでした。
はたさん、あなたの投げつけた、
「つるんでる連中、みんなまとめて学会やめちまえ!」
で、激怒したんですからね。
なぜ本件と関係ないことを持ち出して、いまだにそれを言い続けるのですか?
私のところに来ていたコメンターがあなたに何をしたというのですか?
ちよさんの件は別ですよ。
ちよさんは、私に、はたさんと話がしてみたい、意見交換がしてみたい。
そういうことを私に訴えてきたんです。
でも、今は火中にあるのですから「やめてください」、とそう私はちよさんにお願いしたんですよ。
そしてしばらくは静観を守ってくれたんです。
ですが、最後はご本人の自由じゃないですか。
ですから、ちよさんはちよさんの立場でお話しして結構ですよ、とそうお伝えしたんですよ。
火に油を注ぐことになりかねないことに対しては、私はブレーキをかけ、お願いもしてきたんですよ。
関わるな、触れるな、と何度も何度も、叫んできたことも知ってますよね。
私は、はたさんの掲示板に集う人のことを批判しましたか?
してませんよ。
もっとも、なんともさん=福島の壮年さんは、話が別ですよ。
なにしろ、成りすまし行為をした訳ですからね。
これは、糾弾しますよ。傍観など出来ません。
それから、見ている人に感謝の言葉がない、そう言ってましたが、
私はちゃんと、「静観している人が立派である」「そういう人たちこそ大変に立派である」。
そうちゃんと述べてます。
感謝ではなく称賛になりますがね。
ともあれ、本件と当事者に関係ないことでの言いがかりは迷惑です。
「つるむ」という考え方は、個人間の思想の違いかもしれませんが、
どんな関係であれ、人と人の縁を切らせるような発言は、「魔の所為」であると、私は判断しているんです。
ただし、仏法破壊の極悪同士の縁を切る行為は別です。
10月24日、25日の連投記事が、なぜあそこまで過激だったのか。
その理由はそこにあったんですよ。
私のことならいい。でもね、関係ない人(実質は私の友人たち)を持ち出して罵倒された。
それが許せると思いますか?
はたさん、あなただって、病と闘う友人を罵倒されたら、激怒しますでしょ?
だから、私は言ったんですよ、関係ない人を持ち出すな、「道具」として使うべからず、と。
自分のことを語るべきだ、我が体験を語るべきだ、ともね。
ネットとリアルは……。
そんな言い訳は通用しません。
私はコメンターと何度も私信も交わしてましたし、電話で何十時間も対話してきた人もいます。
会ったことのある人もいます。
コメントでは話せない重い話題を私信で対話もしてきていたんですからね。
その友人たちを罵倒され、いわんや――
「みんなまとめて学会やめちまえ!」と、あなたは罵倒したんですよ。
それを許せると思いますか?
それはあなた、私は激怒どころじゃなかったんですよ。
気持ち、わかってくださいよ。
先生と同列に思ってもらう必要はないですよ。
けどね、私だって「同志に幸せになって欲しい、守ってあげられるなら、守ってあげたい」
そういう思いをもってコメントなどなどのやり取りをしてきていたんですよ。
ともかく、論点に関係ない話題は、なしでお願いしますよ。
あ、それから、記事を削除したことが、メッセージの隠ぺいだとか云々というのもおかしいです。
そういう意志がないから、削除した記事を、わざわざ復元しているじゃないですか。
穿った見方をするのは、勘弁してくださいよ。
あ、それから、
「生きるために必要なもの(一部削除訂正・追記)」という記事は、
はたさんに向けての記事じゃないですよ。
HNを出すしかないのが残念ですが、あの記事はカッシーニさんと、もう一方に向けての内容です。
怒りの表現法、アサーションに関しての記事もそうです。
ゆえに、一部削除は問題になりません。
カッシーニさんも、匿名で私に向けて発信した記事を削除しているのを確認したので、
私も彼に向けて書いた部分を削除したまでのことです。
よって、「生きるために必要なもの(一部削除訂正・追記)」という記事は、
はたさんに向けた発信した言葉は、一言もない、そう解釈してください。
信じてくださいね。
これはさすがに客観的証拠を提示できませんがね。
でも勘違いされると、いらない怒りを呼びおこしそうなので、説明させてもらいました。
長文になってすみませんね。
出来れば短く書きたいのですが、文章力が未熟なものでね。
その点、ご勘弁ください。
最後まで読んでいただいて、ありがとうございます。
はたさん、本当に大変申し訳ないです。
今日、いろいろと第三者からコメントがあって、説明せざるを得ない状況でした。
コメントに返信したのですが、
そこをいちいち見てもらう手間を省くために、ここに引用しておきますね。
ご面倒でしょうが、ご一読をお願いします。
はたさんに向けて書いたのではないので、少々きつい口調になってますが、
そこはどうか自制して怒りを湧かさないよう、お願いします。
以下引用――
あのですね、私もすべてを曝け出してるわけじゃないんですよ。
個人個人で白黒つけるのは結構ですが、
フライングしてもらっては困ります。
しばし静観してもらえないですかね。
こうしたコメントが増えることで、
はたさんに余計な負担をかけている事実もあるんですよ。
意味わかりますよね?
でも説明しますよ。
いまのはたさんは、もうやめたい、疲れ切った、疲弊している。
そうご本人も発言されてますよね。
つまりね、私は「問題の記事」がアップされた時点で、
既にそういう精神状態にあったんですよ。
アンチと一ヵ月に渡って戦ってきて、
ようやく見通しがついてきたところだったんですよ。
疲れ切ってたんですよ。
その時に、
はたさんが「実質」名指しであの記事を書いたんですよ。
相手がどこの誰だかわからない人ならどうとも思わなかったでしょうね。
はたさんは、私が疲弊していたことなど関係ない、
そう仰るかもしれません。
でもさ、私には私の立場があるんですよ。
今なら、恐らく言われた当時、
悪意があったと受け取らざるを得なかったということは、
理解できると思いますよ。
はたさんの書いた、
「※ちなみに、当該記事、およびブログ主さんとコメント主との「騒動」に、私は一切関与していません」
という一行……。
これを見たときは酷いショックを受けたんですよ。
過去は関係ない、そんな言い訳は聞けません。
「いま・ここ」に全て含まれていますからね。
過剰な要求だ?
そう仰るかもしれない。
でもね、同じ信仰を持ち、しっかりされた人であろう、
私はそう判断していた部分もあったんですよ。
なのに、
「働かざる云々」の記事が出たわずか3日後に
あの記事ですよ。
どうです?
私の受けた打撃がいかに大きかったか、これで推察できませんか?
何もわからない人がなんとなく発信した記事なら、「ああそうか」。
そうやって受け流せたでしょうね。
でも、多少なりとも関係があって、知り合いであり、
信仰者として、振る舞うべき理想も見えている状態で、
実質名指しであの記事ですよ。
ゆえに関係性とはじめから言っているんですよ。
相手の方が学会員だからという、
ある意味、特殊な心理でしょね。
「心の機微」という問題ですよ。
この点に関して、
私は信心も含めて対話しない限り、
お互い納得できないだろう、そう判断したから
信心の姿勢をはじめから持ち出したんですよ。
でもはたさんは、世法で決着をつけようとしたのです。
いわば、目に見える客観的事実(記事)でという意味ですね。
まあ多くの方はそれを「甘え」と受け取るんでしょうけどね。
だから今まで話をしてこなかったんですよ。
はたさんが、最新の記事で冷静に対応された。
そもそも、そこまで努力して対話を続けてきたのは誰ですか?
誰あろう私じゃないですか。
部外者のあなたがたが、客観的事実をまとめて
どこかに提示してくれましたか?
ないです、どっちが正しい、間違ってる、
そういう発言があっただけです。
そして今回も、「侮るな」。
私のどこが第三者を侮ってるというのですか?
きちんと説明してくださいね。
殺人事件などで、
もう既に被害者が抵抗すら出来ない状態だったのに、
まだ面白がって暴行を加えた。
そういうことなら、罪は重くなるということありませんか?
ようは、そういう状況だったんですよ。
もちろん、はたさんが、面白がって記事を書いた、
とは思ってもいませんよ。
引用ここまで――
私もはやく納得して、お互いの気持ちが整理でき、決着をつけたいのです。
引くべきところは引きます。
どうか、冷静になって対応して頂けると、ありがたいです。
よろしくお願い致します。
でも喧嘩口調はあまり気持ちのいいものじゃないですよ。
苛立たしいのわかりますが、それは私も同じです。
でも、私は冷静になって失礼のない文章を書くことを努力しているつもりです。
前置きはここまで。さっそく本題に入ります。
しょせん、証拠のないものを言い争っても仕方ないことくらい、私だって知っています。
ですから、「問題の記事」に改竄があるという点は、譲歩します。
はたさんが、あそこまで自信を持って言われるなら、私はそれを信じましょう。
改竄はなかった、と。
私も当時は非常に怒ってましたから、記憶が曖昧なところがあったかもしれない。
その曖昧な部分で事実を追及するのはやめますよ。
ですが、「問題の記事」で、はたさんが、私を名指ししなかったと言えるかといえば、それは違います。
これは私の身勝手な言いがかりではないですよ。
ちょっと、ここを読んでみてください。
上記サイトにある部分の要点はこうです――
本人を特定できない相手だと思っていても、実際には本人を特定できると評価されれば、名誉毀損となります。そうでなくても、あまりに酷いケースであれば、名誉感情侵害等を理由とした損害賠償請求などが認められる可能性もあります。
相手が匿名でも、実際には本人を特定できるケースはいくらでもある
今はまだ判例が無いと言っても
裁判はやってみなきゃわからない
訴えられないよう、自重したほうが賢明だと思うがね
恐らく、これが社会常識のはずです。
私がなぜ「売られた喧嘩買います」というタイトルをつけ、はたさんのHNを持ち出したかは、
これでおわかりになりませんか?
また、はたさんはリンクまで貼られたと苦情を仰りましたが、それは筋違いです。
HNを出すのであれば、当事者をはっきりさせて、私だけでなく、相手方の言い分もきちんと閲覧者に読めるようにしておくのが、ネット社会の常識だからです。それが第三者にすべき配慮ということです。
とある記事から引用したいが、それをコピペすると、無断転載(一概に著作権侵害と判断できかねますが)となりうるから、リンクを貼ってその記事のページ自体を引用するという常識と似たモラルだと言えます。
では翻って、はたさんがどうだったのか?
そうしたことをせず、「問題の記事」を投稿された。
一見、問題はなさそうですが、違います。
以下、はたさんが問題はないという記事を見ればわかります。
上記の記事には、私のHNはありません。
しかし、誰の記事を読んで、誰に向って発言しているかは特定できますよ。
以下の部分です――
これらは、ブログ村でのある記事タイトルへの感想なのですが、
残念ながら、そのタイトルだけで消去されていますね。
他にも特定できる文言が満載されていることもまた事実です。
例えば「働かざる者、食うべからず」ですね。
つまり、「ブログ村でのある記事タイトル」と言ってしまったら、
色々検索すれば、誰でも当事者を特定できたということなんですよ。
ですから、文脈から、私に向けて発信している部分も明確にわかるわけです。
以下がそこです――
大勢の 「働かないと食ってゆけいない人」 がいます。
先のお怒りの方に、こうした人の気持ちも察していただければありがたいと思います。
「先に怒りの方に」――これ、明らかに私に向って言ってるじゃないですか。
ゆえに、生活保護の文言にも非情な不快感を抱いたのです。
だって、生活保護云々は、「先に怒りの方に」の文章の後に、書いてあるんですよ。
といった具合に「実質」、先に名指ししたのははたさん、あなたなんですよ。
現に私はそれを特定でき、両者の記事を閲覧している人の中には、当事者を特定できているということも、私は認識し確認してるんですよ。
「実質」名指しという件に関しては、「売られた喧嘩買います」に寄せられたコメントでも明確です。
つまり、当事者、第三者に関わらず、「問題の記事」は、実質、名指しにあたるのです。
それが客観的事実なんですよ。
そういうことも、私はこれまで二度にわたってお話ししてきています。
一度目は、「売られた喧嘩買います」の【追々記】の中でこう伝えたはずです。
匿名であれ伏字であれ、相手が誰か推察できてしまえば、伏字には何の意味もないのですよ。それで十分に裁判の証拠にすらなるのです。
二度目は、「3つの嘘をあばいとくよ(逐次加筆)」でお話ししています。
例え私のHNを持ち出していないくとも、私の記事を引用して――
先のお怒りの方に、こうした人の気持ちも察していただければありがたいと思います。
という一文にある、「先のお怒りの方にも」――という部分は、私に対して言い放った言葉であることが明確に特定できるということです。
つまり、代名詞を使用し、「私の現状を認識せずして」、私に嫌味を言い自分の意見を押しつけたことが、明確に読み取れるのですよ。
しかも衆人環視という状況で晒し者にしてです。
これが侮辱でなくてなんですか?
「私の記事を引用して――」の部分は考えなくて結構です。
しかし、そういうことなんですよ。
特定できれば、名指しと同じなんですよ。
おわかりになりましたか?
でなければ、私がここまで必死になって自尊心を守ろうとはしなかったのですよ。
それが、はたさんの言う「気を悪くした」なんですよ。
私の立場でいえば、「激怒」であり、「激高」です。
それゆえ、過去のことを持ち出し、信心の姿勢に触れたのです。
だって、先にお前の信心がヘボイからだろ的なことを言われたわけですからね。
はたさんは、同情し、説教のつもりでもなく、言ったのでしょうが、
表現法がね……。
いかにも一般論に見える記事で、なにげに私を名指しして、間接的に(記事にして晒し者にされて)嫌味を言われた。
私がそう感じざるを得なかったとしても、仕方ないんじゃないですか?
もちろん、過去のことを持ち出したことは反省し、謝罪もしてますよ。
あれだけは猛反省している、そうもコメント欄に書いています。
いちいち、拾い出したりしませんが。
(読みたいと仰るなら、探しますよ)
これは論点のすり替えではないですからね、言いがかりでもありませんよ。
そこはわかってください。
きちんと、傍証も引用して、社会的にも認識されていることですからね。
ということで、
はたさんの言う、「名指しし、批判した」 という二項目。
このうち、名指しは、「実質的に」あった。
批判とは言えないまでも、批判と判断されうる文言もあった。
それが事実ではないですか?
ただし、批判という部分に関しては、個人の主観や立場によって違ってきますよね。
ですが、私が「気を悪くした」(「激怒」であり、「激高」した)のもまた事実ですよね。
とりあえず、これが今論点になっている、3項目の一つ目です。
さて、ですがはたさん、あなたはまだその他の二項目に対して何も説明されてませんよね。
(1)ご自分でされた約束を破った(事後になって空虚化かしたという理由は認めがたいですよ)
(2)コメントをメールと偽り、いまだそのコメントを公開していない(出来れば弁明の記事内で、各当コメントの公表を希望します)
以上2点への回答を、お願い致します。
それから、当事者間に関係ない話題を引き合いに出すのはやめてください。
私だけのことなら、私はここまで怒りませんでした。
はたさん、あなたの投げつけた、
「つるんでる連中、みんなまとめて学会やめちまえ!」
で、激怒したんですからね。
なぜ本件と関係ないことを持ち出して、いまだにそれを言い続けるのですか?
私のところに来ていたコメンターがあなたに何をしたというのですか?
ちよさんの件は別ですよ。
ちよさんは、私に、はたさんと話がしてみたい、意見交換がしてみたい。
そういうことを私に訴えてきたんです。
でも、今は火中にあるのですから「やめてください」、とそう私はちよさんにお願いしたんですよ。
そしてしばらくは静観を守ってくれたんです。
ですが、最後はご本人の自由じゃないですか。
ですから、ちよさんはちよさんの立場でお話しして結構ですよ、とそうお伝えしたんですよ。
火に油を注ぐことになりかねないことに対しては、私はブレーキをかけ、お願いもしてきたんですよ。
関わるな、触れるな、と何度も何度も、叫んできたことも知ってますよね。
私は、はたさんの掲示板に集う人のことを批判しましたか?
してませんよ。
もっとも、なんともさん=福島の壮年さんは、話が別ですよ。
なにしろ、成りすまし行為をした訳ですからね。
これは、糾弾しますよ。傍観など出来ません。
それから、見ている人に感謝の言葉がない、そう言ってましたが、
私はちゃんと、「静観している人が立派である」「そういう人たちこそ大変に立派である」。
そうちゃんと述べてます。
感謝ではなく称賛になりますがね。
ともあれ、本件と当事者に関係ないことでの言いがかりは迷惑です。
「つるむ」という考え方は、個人間の思想の違いかもしれませんが、
どんな関係であれ、人と人の縁を切らせるような発言は、「魔の所為」であると、私は判断しているんです。
ただし、仏法破壊の極悪同士の縁を切る行為は別です。
10月24日、25日の連投記事が、なぜあそこまで過激だったのか。
その理由はそこにあったんですよ。
私のことならいい。でもね、関係ない人(実質は私の友人たち)を持ち出して罵倒された。
それが許せると思いますか?
はたさん、あなただって、病と闘う友人を罵倒されたら、激怒しますでしょ?
だから、私は言ったんですよ、関係ない人を持ち出すな、「道具」として使うべからず、と。
自分のことを語るべきだ、我が体験を語るべきだ、ともね。
ネットとリアルは……。
そんな言い訳は通用しません。
私はコメンターと何度も私信も交わしてましたし、電話で何十時間も対話してきた人もいます。
会ったことのある人もいます。
コメントでは話せない重い話題を私信で対話もしてきていたんですからね。
その友人たちを罵倒され、いわんや――
「みんなまとめて学会やめちまえ!」と、あなたは罵倒したんですよ。
それを許せると思いますか?
それはあなた、私は激怒どころじゃなかったんですよ。
気持ち、わかってくださいよ。
先生と同列に思ってもらう必要はないですよ。
けどね、私だって「同志に幸せになって欲しい、守ってあげられるなら、守ってあげたい」
そういう思いをもってコメントなどなどのやり取りをしてきていたんですよ。
ともかく、論点に関係ない話題は、なしでお願いしますよ。
あ、それから、記事を削除したことが、メッセージの隠ぺいだとか云々というのもおかしいです。
そういう意志がないから、削除した記事を、わざわざ復元しているじゃないですか。
穿った見方をするのは、勘弁してくださいよ。
あ、それから、
「生きるために必要なもの(一部削除訂正・追記)」という記事は、
はたさんに向けての記事じゃないですよ。
HNを出すしかないのが残念ですが、あの記事はカッシーニさんと、もう一方に向けての内容です。
怒りの表現法、アサーションに関しての記事もそうです。
ゆえに、一部削除は問題になりません。
カッシーニさんも、匿名で私に向けて発信した記事を削除しているのを確認したので、
私も彼に向けて書いた部分を削除したまでのことです。
よって、「生きるために必要なもの(一部削除訂正・追記)」という記事は、
はたさんに向けた発信した言葉は、一言もない、そう解釈してください。
信じてくださいね。
これはさすがに客観的証拠を提示できませんがね。
でも勘違いされると、いらない怒りを呼びおこしそうなので、説明させてもらいました。
長文になってすみませんね。
出来れば短く書きたいのですが、文章力が未熟なものでね。
その点、ご勘弁ください。
最後まで読んでいただいて、ありがとうございます。
はたさん、本当に大変申し訳ないです。
今日、いろいろと第三者からコメントがあって、説明せざるを得ない状況でした。
コメントに返信したのですが、
そこをいちいち見てもらう手間を省くために、ここに引用しておきますね。
ご面倒でしょうが、ご一読をお願いします。
はたさんに向けて書いたのではないので、少々きつい口調になってますが、
そこはどうか自制して怒りを湧かさないよう、お願いします。
以下引用――
あのですね、私もすべてを曝け出してるわけじゃないんですよ。
個人個人で白黒つけるのは結構ですが、
フライングしてもらっては困ります。
しばし静観してもらえないですかね。
こうしたコメントが増えることで、
はたさんに余計な負担をかけている事実もあるんですよ。
意味わかりますよね?
でも説明しますよ。
いまのはたさんは、もうやめたい、疲れ切った、疲弊している。
そうご本人も発言されてますよね。
つまりね、私は「問題の記事」がアップされた時点で、
既にそういう精神状態にあったんですよ。
アンチと一ヵ月に渡って戦ってきて、
ようやく見通しがついてきたところだったんですよ。
疲れ切ってたんですよ。
その時に、
はたさんが「実質」名指しであの記事を書いたんですよ。
相手がどこの誰だかわからない人ならどうとも思わなかったでしょうね。
はたさんは、私が疲弊していたことなど関係ない、
そう仰るかもしれません。
でもさ、私には私の立場があるんですよ。
今なら、恐らく言われた当時、
悪意があったと受け取らざるを得なかったということは、
理解できると思いますよ。
はたさんの書いた、
「※ちなみに、当該記事、およびブログ主さんとコメント主との「騒動」に、私は一切関与していません」
という一行……。
これを見たときは酷いショックを受けたんですよ。
過去は関係ない、そんな言い訳は聞けません。
「いま・ここ」に全て含まれていますからね。
過剰な要求だ?
そう仰るかもしれない。
でもね、同じ信仰を持ち、しっかりされた人であろう、
私はそう判断していた部分もあったんですよ。
なのに、
「働かざる云々」の記事が出たわずか3日後に
あの記事ですよ。
どうです?
私の受けた打撃がいかに大きかったか、これで推察できませんか?
何もわからない人がなんとなく発信した記事なら、「ああそうか」。
そうやって受け流せたでしょうね。
でも、多少なりとも関係があって、知り合いであり、
信仰者として、振る舞うべき理想も見えている状態で、
実質名指しであの記事ですよ。
ゆえに関係性とはじめから言っているんですよ。
相手の方が学会員だからという、
ある意味、特殊な心理でしょね。
「心の機微」という問題ですよ。
この点に関して、
私は信心も含めて対話しない限り、
お互い納得できないだろう、そう判断したから
信心の姿勢をはじめから持ち出したんですよ。
でもはたさんは、世法で決着をつけようとしたのです。
いわば、目に見える客観的事実(記事)でという意味ですね。
まあ多くの方はそれを「甘え」と受け取るんでしょうけどね。
だから今まで話をしてこなかったんですよ。
はたさんが、最新の記事で冷静に対応された。
そもそも、そこまで努力して対話を続けてきたのは誰ですか?
誰あろう私じゃないですか。
部外者のあなたがたが、客観的事実をまとめて
どこかに提示してくれましたか?
ないです、どっちが正しい、間違ってる、
そういう発言があっただけです。
そして今回も、「侮るな」。
私のどこが第三者を侮ってるというのですか?
きちんと説明してくださいね。
殺人事件などで、
もう既に被害者が抵抗すら出来ない状態だったのに、
まだ面白がって暴行を加えた。
そういうことなら、罪は重くなるということありませんか?
ようは、そういう状況だったんですよ。
もちろん、はたさんが、面白がって記事を書いた、
とは思ってもいませんよ。
引用ここまで――
私もはやく納得して、お互いの気持ちが整理でき、決着をつけたいのです。
引くべきところは引きます。
どうか、冷静になって対応して頂けると、ありがたいです。
よろしくお願い致します。
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1. Posted by なんとも 2013年10月23日 16:10
名誉棄損または、侮辱罪は、刑法上の問題だ。
したがって、損害賠償云々の民法上の争いとは違い、
当事者からの告発を受ければ、間違いなく君は、
警察の捜査を受けることになる。
http://naiyoshomei.k-solution.info/2008/11/post_79.html
但し、両罪共に親告罪だから、告訴がなければ、
公訴を提起することができない。
まあ、はた京阪さんが君を告訴する事はないだろうが、
仮にそういうことになったら、オイラは、はた京阪さん側
証人として弁護陳述をさせて貰うぞ。
ここでのお前の支援者は、裁判でお前を弁護する証言を
買って出てくれる者など、誰一人いないと断言するがな。
無責任極まりない輩ばかりだから。
いくらお前がお前のブログ上で戯言を言っても、一切
かかわりを持ちたくなぞないが、正直で何の落ち度もない
学会員が、お前の思い込みと勘違いで被害を受けている
状態では、話は別だ。
学会員の一人として、正邪、白黒ははっきりさせなきゃ
ならん。
お前が誤りを認めて謝罪するまで、赦さんからな。
したがって、損害賠償云々の民法上の争いとは違い、
当事者からの告発を受ければ、間違いなく君は、
警察の捜査を受けることになる。
http://naiyoshomei.k-solution.info/2008/11/post_79.html
但し、両罪共に親告罪だから、告訴がなければ、
公訴を提起することができない。
まあ、はた京阪さんが君を告訴する事はないだろうが、
仮にそういうことになったら、オイラは、はた京阪さん側
証人として弁護陳述をさせて貰うぞ。
ここでのお前の支援者は、裁判でお前を弁護する証言を
買って出てくれる者など、誰一人いないと断言するがな。
無責任極まりない輩ばかりだから。
いくらお前がお前のブログ上で戯言を言っても、一切
かかわりを持ちたくなぞないが、正直で何の落ち度もない
学会員が、お前の思い込みと勘違いで被害を受けている
状態では、話は別だ。
学会員の一人として、正邪、白黒ははっきりさせなきゃ
ならん。
お前が誤りを認めて謝罪するまで、赦さんからな。
2. Posted by イプシロン 2013年10月23日 16:29
なんともさん=福島の壮年さん。
いい加減にしてくださいよ。
あなたが赦そうと赦すまいと、そんなことは関係ありません。当事者間の問題です。
当事者が納得すれば、あなたの言論など煙にすぎないからです。
あなたはあなた自身が口にしたように、
二度とここを見ないようにすべきです。
自分で言いだして啖呵まで切ったことくらい実践してください。
それからですね、「支援者」とか、
その人たちに対して「無責任極まりない輩」
ってなんですか?
関係ない人(一応同志ですよ)を引き合いに出して、罵倒するのはおかしいですよ。
なぜ私と一対一で話しをしようとしないんですか。
不誠実すぎます。
そもそも、なりすましてまで人を罵倒する人に
何を言っても無駄なんでしょうけどね。
以降、あなたのコメントは即削除します。
いい加減にしてくださいよ。
あなたが赦そうと赦すまいと、そんなことは関係ありません。当事者間の問題です。
当事者が納得すれば、あなたの言論など煙にすぎないからです。
あなたはあなた自身が口にしたように、
二度とここを見ないようにすべきです。
自分で言いだして啖呵まで切ったことくらい実践してください。
それからですね、「支援者」とか、
その人たちに対して「無責任極まりない輩」
ってなんですか?
関係ない人(一応同志ですよ)を引き合いに出して、罵倒するのはおかしいですよ。
なぜ私と一対一で話しをしようとしないんですか。
不誠実すぎます。
そもそも、なりすましてまで人を罵倒する人に
何を言っても無駄なんでしょうけどね。
以降、あなたのコメントは即削除します。
3. Posted by ブログ村ウォッチャー 2013年10月23日 18:52
なんともさんのコメントを削除するのですか?
それはいけませんね。
なんともさんが福島の方?かどうかなんて我々外野には関係ありません。
なんともさんの意見には筋が通っていますよ。
それと、あなたが腹を立てたという京阪さんの記事はどう読んでも悪意は感じません。
あなたの気持ちもわからなくもないですが、記事は十分に許容範囲内です。
おそらく多くの方もそう感じていると思います。
あなたのクレームがまかりとおること自体、なにやら恐ろしいです。
むしろ、京阪さんはあなたの「働かざるもの食うべからずだと」が削除済みだったことで、「その先を読んでみたかった」とまで書いてあります。
働かざる・・に同調しないと言っていることも併せ、むしろ京阪さんはあなたの側に立っているではないですか。
あなたはそこまで感じることもせず、何やらご自分のコンプレックスに異常に反応したような筋違いの行動だと感じます。
それにあなたの「売られた喧嘩買います」の記事はアンフェアです。罵倒も醜かった。
いくら気に触ったからといって、いきなりあれは酷すぎる。
あなたは反省しているというが私はそう感じない。
京阪さんの記事が「こんなに悪いんだ」としきりに言い張ること自体、その反省のなさだと感じます。
あの京阪さんの記事で、あそこまで罵倒したあなたに、その後の枝葉の理屈は意味を成しませんよ。
それにしても、今回のこの記事は出す必要などなかったと思いますよ。
もうあなた、いいけげんにしたほうがいいですよ。
とにかく、なんともさんの意見は消すのは反対ですからね。
私たちを侮ってはいけませんよ。
それはいけませんね。
なんともさんが福島の方?かどうかなんて我々外野には関係ありません。
なんともさんの意見には筋が通っていますよ。
それと、あなたが腹を立てたという京阪さんの記事はどう読んでも悪意は感じません。
あなたの気持ちもわからなくもないですが、記事は十分に許容範囲内です。
おそらく多くの方もそう感じていると思います。
あなたのクレームがまかりとおること自体、なにやら恐ろしいです。
むしろ、京阪さんはあなたの「働かざるもの食うべからずだと」が削除済みだったことで、「その先を読んでみたかった」とまで書いてあります。
働かざる・・に同調しないと言っていることも併せ、むしろ京阪さんはあなたの側に立っているではないですか。
あなたはそこまで感じることもせず、何やらご自分のコンプレックスに異常に反応したような筋違いの行動だと感じます。
それにあなたの「売られた喧嘩買います」の記事はアンフェアです。罵倒も醜かった。
いくら気に触ったからといって、いきなりあれは酷すぎる。
あなたは反省しているというが私はそう感じない。
京阪さんの記事が「こんなに悪いんだ」としきりに言い張ること自体、その反省のなさだと感じます。
あの京阪さんの記事で、あそこまで罵倒したあなたに、その後の枝葉の理屈は意味を成しませんよ。
それにしても、今回のこの記事は出す必要などなかったと思いますよ。
もうあなた、いいけげんにしたほうがいいですよ。
とにかく、なんともさんの意見は消すのは反対ですからね。
私たちを侮ってはいけませんよ。
4. Posted by イプシロン 2013年10月23日 20:38
ブログ村ウォッチャーさん、
あのですね、私もすべてを曝け出してるわけじゃないんですよ。
個人個人で白黒つけるのは結構ですが、
フライングしてもらっては困ります。
しばし静観してもらえないですかね。
こうしたコメントが増えることで、
はたさんに余計な負担をかけている事実もあるんですよ。
意味わかりますよね?
でも説明しますよ。
いまのはたさんは、もうやめたい、疲れ切った、疲弊している。
そうご本人も発言されてますよね。
つまりね、私は「問題の記事」がアップされた時点で、
既にそういう精神状態にあったんですよ。
アンチと一ヵ月に渡って戦ってきて、
ようやく見通しがついてきたところだったんですよ。
疲れ切ってたんですよ。
その時に、
はたさんが「実質」名指しであの記事を書いたんですよ。
相手がどこの誰だかわからない人ならどうとも思わなかったでしょうね。
はたさんは、私が疲弊していたことなど関係ない、
そう仰るかもしれません。
でもさ、私には私の立場があるんですよ。
今なら、恐らく言われた当時、
悪意があったと受け取らざるを得なかったということは、
理解できると思いますよ。
はたさんの書いた、
「※ちなみに、当該記事、およびブログ主さんとコメント主との「騒動」に、私は一切関与していません」
という一行……。
これを見たときは酷いショックを受けたんですよ。
過去は関係ない、そんな言い訳は聞けません。
「いま・ここ」に全て含まれていますからね。
過剰な要求だ?
そう仰るかもしれない。
でもね、同じ信仰を持ち、しっかりされた人であろう、
私はそう判断していた部分もあったんですよ。
なのに、
「働かざる云々」の記事が出たわずか3日後に
あの記事ですよ。
どうです?
私の受けた打撃がいかに大きかったか、これで推察できませんか?
(つづきます)
あのですね、私もすべてを曝け出してるわけじゃないんですよ。
個人個人で白黒つけるのは結構ですが、
フライングしてもらっては困ります。
しばし静観してもらえないですかね。
こうしたコメントが増えることで、
はたさんに余計な負担をかけている事実もあるんですよ。
意味わかりますよね?
でも説明しますよ。
いまのはたさんは、もうやめたい、疲れ切った、疲弊している。
そうご本人も発言されてますよね。
つまりね、私は「問題の記事」がアップされた時点で、
既にそういう精神状態にあったんですよ。
アンチと一ヵ月に渡って戦ってきて、
ようやく見通しがついてきたところだったんですよ。
疲れ切ってたんですよ。
その時に、
はたさんが「実質」名指しであの記事を書いたんですよ。
相手がどこの誰だかわからない人ならどうとも思わなかったでしょうね。
はたさんは、私が疲弊していたことなど関係ない、
そう仰るかもしれません。
でもさ、私には私の立場があるんですよ。
今なら、恐らく言われた当時、
悪意があったと受け取らざるを得なかったということは、
理解できると思いますよ。
はたさんの書いた、
「※ちなみに、当該記事、およびブログ主さんとコメント主との「騒動」に、私は一切関与していません」
という一行……。
これを見たときは酷いショックを受けたんですよ。
過去は関係ない、そんな言い訳は聞けません。
「いま・ここ」に全て含まれていますからね。
過剰な要求だ?
そう仰るかもしれない。
でもね、同じ信仰を持ち、しっかりされた人であろう、
私はそう判断していた部分もあったんですよ。
なのに、
「働かざる云々」の記事が出たわずか3日後に
あの記事ですよ。
どうです?
私の受けた打撃がいかに大きかったか、これで推察できませんか?
(つづきます)
5. Posted by イプシロン 2013年10月23日 20:47
何もわからない人がなんとなく発信した記事なら、「ああそうか」。
そうやって受け流せたでしょうね。
でも、多少なりとも関係があって、知り合いであり、
信仰者として、振る舞うべき理想も見えている状態で、
実質名指しであの記事ですよ。
ゆえに関係性とはじめから言っているんですよ。
相手の方が学会員だからという、
ある意味、特殊な心理でしょね。
「心の機微」という問題ですよ。
この点に関して、
私は信心も含めて対話しない限り、
お互い納得できないだろう、そう判断したから
信心の姿勢をはじめから持ち出したんですよ。
でもはたさんは、世法で決着をつけようとしたのです。
いわば、目に見える客観的事実(記事)でという意味ですね。
まあ多くの方はそれを「甘え」と受け取るんでしょうけどね。
だから今まで話をしてこなかったんですよ。
はたさんが、最新の記事で冷静に対応された。
そもそも、そこまで努力して対話を続けてきたのは誰ですか?
誰あろう私じゃないですか。
部外者のあなたがたが、客観的事実をまとめて
どこかに提示してくれましたか?
ないです、どっちが正しい、間違ってる、
そういう発言があっただけです。
そして今回も、「侮るな」。
私のどこが第三者を侮ってるというのですか?
きちんと説明してくださいね。
そうやって受け流せたでしょうね。
でも、多少なりとも関係があって、知り合いであり、
信仰者として、振る舞うべき理想も見えている状態で、
実質名指しであの記事ですよ。
ゆえに関係性とはじめから言っているんですよ。
相手の方が学会員だからという、
ある意味、特殊な心理でしょね。
「心の機微」という問題ですよ。
この点に関して、
私は信心も含めて対話しない限り、
お互い納得できないだろう、そう判断したから
信心の姿勢をはじめから持ち出したんですよ。
でもはたさんは、世法で決着をつけようとしたのです。
いわば、目に見える客観的事実(記事)でという意味ですね。
まあ多くの方はそれを「甘え」と受け取るんでしょうけどね。
だから今まで話をしてこなかったんですよ。
はたさんが、最新の記事で冷静に対応された。
そもそも、そこまで努力して対話を続けてきたのは誰ですか?
誰あろう私じゃないですか。
部外者のあなたがたが、客観的事実をまとめて
どこかに提示してくれましたか?
ないです、どっちが正しい、間違ってる、
そういう発言があっただけです。
そして今回も、「侮るな」。
私のどこが第三者を侮ってるというのですか?
きちんと説明してくださいね。
6. Posted by 浮舟 2013年10月23日 21:07
初めまして、浮舟と申します。
このたびの問題は、あくまでイプシロンさんとはた京阪さんの問題だと思います。
私たち外野があれこれ申すのは
いかがなものかと。
よってたかって、はあまりに見苦しいものです。
7. Posted by イプシロン 2013年10月23日 21:08
殺人事件などで、
もう既に被害者が抵抗すら出来ない状態だったのに、
まだ面白がって暴行を加えた。
そういうことなら、罪は重くなるということありませんか?
ようは、そういう状況だったんですよ。
もちろん、はたさんが、面白がって記事を書いた、
とは思ってもいませんよ。
もう既に被害者が抵抗すら出来ない状態だったのに、
まだ面白がって暴行を加えた。
そういうことなら、罪は重くなるということありませんか?
ようは、そういう状況だったんですよ。
もちろん、はたさんが、面白がって記事を書いた、
とは思ってもいませんよ。
8. Posted by 浮舟 2013年10月23日 21:11
連投で申し訳ありません。
イプシロンさんとはた京阪さん、このお二人でしたら
途中、たとえいろいろなことがあったとしましても、
きちんと理性的におおさめになることと思います。
私たちはそれを見守っていくべきではないでしょうか。
イプシロンさんとはた京阪さん、このお二人でしたら
途中、たとえいろいろなことがあったとしましても、
きちんと理性的におおさめになることと思います。
私たちはそれを見守っていくべきではないでしょうか。
9. Posted by ホープ 2013年10月24日 00:28
福島の壮年さん
貴方には心底、呆れました。
私との約束を破っているではないですか!
「この後、イプシロン君のブログや大河さんのブログに何かを書き込むことはありませんので、その点だけはご安心下さい」と言ったではありませんか!
貴方のコメントに私が抗議をしたことが発端で、直接メールのやり取りをしましたよね。
少なくとも私は、貴方と真剣に向き合おうと実名もお知らせしました。
しかし貴方は、「ネット上のお付き合い」だと拒否したわけです。
「ネット上のお付き合い」というのは何ですか。「いい加減な付き合い」という意味だったのでしょうか。
短い期間のやり取りでしたが、価値観の違いやアプローチの違いをお互いに認め合い円満に終了しましたよね。
その証拠に、私は最後のメールの末尾に貴方の健康を気遣う言葉を添えました。
これで全ては終わったはずです。
どうして、またコメントを書かれるのか理解に苦しみます。
それもわざわざ、HNを替えてまでコメントがしたいのですか。
ここで、HNを替える理由があるとしても、他のブログでも同じことをする必要はないでしょう。
意見があるのでしたら、堂々と「福島の壮年」で書けばいいではないですか。
「約束を守らない」「正体を隠す」「嘘をつく」これでは信用されないのが世間の常識です。
信用のない人の言葉など何の価値もありません。
少しでも反省の気持ちがあるのでしたら、今後はコメントを控えられたらどうですか。
そもそも、この問題に貴方は直接関係ないはずです。
ご自分の怒りを持ち込むのはやめて下さい。焚き付けて分断する行為は魔の所業ではないですか。
貴方には心底、呆れました。
私との約束を破っているではないですか!
「この後、イプシロン君のブログや大河さんのブログに何かを書き込むことはありませんので、その点だけはご安心下さい」と言ったではありませんか!
貴方のコメントに私が抗議をしたことが発端で、直接メールのやり取りをしましたよね。
少なくとも私は、貴方と真剣に向き合おうと実名もお知らせしました。
しかし貴方は、「ネット上のお付き合い」だと拒否したわけです。
「ネット上のお付き合い」というのは何ですか。「いい加減な付き合い」という意味だったのでしょうか。
短い期間のやり取りでしたが、価値観の違いやアプローチの違いをお互いに認め合い円満に終了しましたよね。
その証拠に、私は最後のメールの末尾に貴方の健康を気遣う言葉を添えました。
これで全ては終わったはずです。
どうして、またコメントを書かれるのか理解に苦しみます。
それもわざわざ、HNを替えてまでコメントがしたいのですか。
ここで、HNを替える理由があるとしても、他のブログでも同じことをする必要はないでしょう。
意見があるのでしたら、堂々と「福島の壮年」で書けばいいではないですか。
「約束を守らない」「正体を隠す」「嘘をつく」これでは信用されないのが世間の常識です。
信用のない人の言葉など何の価値もありません。
少しでも反省の気持ちがあるのでしたら、今後はコメントを控えられたらどうですか。
そもそも、この問題に貴方は直接関係ないはずです。
ご自分の怒りを持ち込むのはやめて下さい。焚き付けて分断する行為は魔の所業ではないですか。
10. Posted by ホープ 2013年10月24日 00:29
ネットの匿名性や気軽に意見を発信できることから、安易に相手の深い部分に触れてしまう人が見受けられますが、気をつけたいものだと思います。
気軽に深い関係など築けるわけはありません。
お互いに真剣に向き合う中でしか信頼関係は築けません。
信頼関係なくして、どうして相手に言葉が届くのでしょうか。
ネットが言葉の意味のやり取りだけならば、言葉は無責任で軽いものです。
私やイプシロンさんは、心のやり取りをしたいと願うタイプの人間です。
この認識の違いが今回の問題の一因にもなっていると思います。
でき得れば、同志としてお互いの向上に触発される関係でありたいものです。
気軽に深い関係など築けるわけはありません。
お互いに真剣に向き合う中でしか信頼関係は築けません。
信頼関係なくして、どうして相手に言葉が届くのでしょうか。
ネットが言葉の意味のやり取りだけならば、言葉は無責任で軽いものです。
私やイプシロンさんは、心のやり取りをしたいと願うタイプの人間です。
この認識の違いが今回の問題の一因にもなっていると思います。
でき得れば、同志としてお互いの向上に触発される関係でありたいものです。
11. Posted by ブログ村ウォッチャー 2013年10月24日 08:27
>そこまで努力して対話を続けてきたのは誰ですか?
誰あろう私じゃないですか。
いきなり罵倒記事を出すようなあなたが、何を美談にしているのですか。
ここも世間です、世法です。お花畑もいい加減になさいませ。
誰あろう私じゃないですか。
いきなり罵倒記事を出すようなあなたが、何を美談にしているのですか。
ここも世間です、世法です。お花畑もいい加減になさいませ。
12. Posted by ラン 2013年10月24日 11:11
ここで、イプシロンさんを非難されている方々は、皆、学会員の方でしょうか。
ご自身の信心の状態はどうなんでしょう。自分は師弟不二の心で、広宣流布にまい進されている、という自信がおありなのでしょうか。
ちがいますよね。
人のことがあれこれ気になり、非難したくなるのは、自分が止まっている証拠だからです。
『忘れても法華経を持つ者をば互いにそしるべかさせらるか』
異体同心の信心。
周囲を巻き込み、広宣流布の団結を破壊しようとする魔の働きになっていないか、ご自身に問うてみてはいかがでしょう。
『月月・日日に強り給へ・すこしもたゆむ心あらば魔たよりをうべし』
人間には誰もが名聞名利や私利私欲を貪る心がある。
だが、広布に生きようと懸命に信心に打ち込んでいる時には、そうした生命は冥伏される。しかし、油断が生じ、惰性に陥る時、悪しき生命が噴き出し、心は邪心に染まっていく。(新・人間革命8巻より)
勿論、自分にもこうした醜い生命はそなわっています。
一念三千ですから。
戸田先生は『敵は内部だよ』と仰られました。
師子身中の虫の師子を食、と。
絶えず、自分自身を見つめ、人間革命いく。
私は、これからもそうありたいです。
ご自身の信心の状態はどうなんでしょう。自分は師弟不二の心で、広宣流布にまい進されている、という自信がおありなのでしょうか。
ちがいますよね。
人のことがあれこれ気になり、非難したくなるのは、自分が止まっている証拠だからです。
『忘れても法華経を持つ者をば互いにそしるべかさせらるか』
異体同心の信心。
周囲を巻き込み、広宣流布の団結を破壊しようとする魔の働きになっていないか、ご自身に問うてみてはいかがでしょう。
『月月・日日に強り給へ・すこしもたゆむ心あらば魔たよりをうべし』
人間には誰もが名聞名利や私利私欲を貪る心がある。
だが、広布に生きようと懸命に信心に打ち込んでいる時には、そうした生命は冥伏される。しかし、油断が生じ、惰性に陥る時、悪しき生命が噴き出し、心は邪心に染まっていく。(新・人間革命8巻より)
勿論、自分にもこうした醜い生命はそなわっています。
一念三千ですから。
戸田先生は『敵は内部だよ』と仰られました。
師子身中の虫の師子を食、と。
絶えず、自分自身を見つめ、人間革命いく。
私は、これからもそうありたいです。