第10部・潜む活断層(4)出来レース/学者の指摘、再三黙殺
 | 断層の評価会合で事業者側と向き合う原子力規制委員会の学識経験者(右側)。安全審査の信頼回復に向け、研究者の存在意義が問われる=ことし5月、東京都内 |
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<審査書盛られず>
活断層研究の第一人者だった東大の松田時彦名誉教授(構造地質学)が、原発の安全審査と縁を切ったのは1977年5月のことだ。
東京電力・柏崎刈羽原発1号機(新潟県)の耐震安全性を審査した国の会議。当時、東大地震研究所の助教授だった松田氏は「辞めさせていただきます」と事務局に伝え、その後の出席も拒んだ。
原発北東の陸地にマグニチュード(M)8級の地震を起こす可能性がある活断層の存在を指摘したにもかかわらず、審査書に全く盛り込まれなかった。
松田氏の当時の主張が科学的に正しかったことは27年後の2004年、政府の地震予知委員会が同じ見解を示し、完全に裏付けられた。
「さんざん時間を取らせておきながら、意見を聞こうとしない。嫌気が差した」(松田氏)
<続く抗議の辞任>
原発の安全審査をめぐっては、地震や活断層の研究者が「抗議の辞任」を繰り返してきた。
地震学が専門の石橋克彦神戸大名誉教授は06年、「国民への背信行為になる」と原子力安全委員会の検討委員を辞任した。変動地形学の知見を採用しようとしないことへの抗議だった。
伝統的な地質学は主に地下の状況を調べる。変動地形学はさらに地形の変化や成因も探るため、活断層調査により適していると評価されている。
東大大学院の池田安隆准教授(変動地形学)は10年、核施設の耐震安全性をチェックする会議で、下北半島の太平洋側にある海底活断層を無視して結論を出そうとする議論に「私は納得しておりません」と抗議した。
池田准教授は「まとめ役の委員が既定路線の結論を語り、『よろしいでしょうか』と承認を得ようとすると、異論を述べていた委員も黙認してしまう」と説明。原発の安全審査で、最後まで妥協しない学識経験者が少ないことを嘆く。
国の安全審査で委員を務めた経験のある大学教授は「態度を鮮明にすると『原発賛成派』『原発反対派』に色分けされ、本業の研究発表も色眼鏡で見られかねない。本業が大事なので時間をかけてまで反論の準備はできないし、余計なことは言わない」と明かす。
国の審査に反論したとしても、所属する学会からの「援護射撃」は期待できない。業者や行政関係者が加わっている学会は、政治的に影響を与えるような意見を言えないからだという。
<電力関係が先導>
学会が沈黙する中、原発の活断層調査の流れを作ってきたのが、電力会社などで構成する業界団体「日本電気協会」の土木構造物検討会だ。国の原発耐震指針が改定された06年以前に自主指針を作成していた。
協会に属する学識経験者の多くは原子力安全委員会分科会の委員を兼ね、改訂後の耐震指針も協会の自主指針が土台になった。原子力規制委員会ができるまで、安全審査の議論をリードしてきた。
35年前から繰り返されてきた「出来レース」を見聞きしてきた松田氏が語る。「原発の安全審査は、最新の知見を求めていたのではない。事業者が想定した安全に対し、権威者が承認したという『はんこ』が欲しいだけだったのだろう」
2013年10月23日水曜日