2002年フジテレビ入社。
大学卒業後、1998年朝日放送に入社。制作部に配属され、平均視聴率20%の人気バラエティ番組『探偵!ナイトスクープ』のADを経験した後、同番組のディレクターを担当。
その後、2002年10月にフジテレビジョンに転職。情報制作局に配属され、『めざましテレビ』『とくダネ!』のディレクターを務める。
2006年にバラエティ制作センターに異動し、現在は『ペケ×ポン』『ほこ×たて』『HEY!×HEY!×HEY!』『爆笑!大日本アカン警察』『魁!音楽番付』『芸能界特技王決定戦TEPPEN』のチーフプロデューサーを担当している。
一番大変だったのは『探偵!ナイトスクープ(※1)』でディレクターデビューした頃だと思います。なかなか“自分が納得できる面白いVTR”を作れず、もがき苦しみました。学生時代からファンだった番組で、自分が100%納得できていないVTRが放送されてしまっている…。あれほど自分を情けないと思っていた時期はありません。 |
演出の基礎は『探偵!ナイトスクープ』で学びましたが、プロデューサーとしての基礎はフジテレビに転職して最初に配属された情報制作局で学んだと思っています。『めざましテレビ』『とくダネ!』でディレクターを務める中で、番組プロデューサーと会話するうちに、番組作りは人付き合いと同じで「視聴者との信頼関係」なくしては"長期的”な支持を得られないということを学びました。
情報番組は、大きな事件が起これば当然視聴者の関心は向きますが、『めざましテレビ』や『とくダネ!』は特別なニュースがなくても毎日見てもらえる番組作りを目指していました。
具体的には、過剰に煽るナレーションやテロップの排除など、視聴者に"結果的に嘘”となる演出はやめようという取り組みでした。そんな番組スタイルが「朝起きてから学校や会社にいくまでの時間を一緒に過ごす相手」としての信頼関係に結びつくのだと実感しました。
フジテレビのバラエティ制作センターは、偉大な先輩や有能な後輩、一流の放送作家・制作会社・美術&技術陣に囲まれて仕事ができる“日本一快適な制作環境”です。一方で、部員がみな多才なだけに“日本一競争の厳しい制作環境”でもあります。この環境で自分なりの番組をどうやって制作するかを考えたときに、出た答えは“原点回帰”でした。 |
『ペケ×ポン』も『ほこ×たて』も深夜番組時代はそれほど注目されていませんでしたが、
番組が上手くいかないときは、自分の“思い”や“夢”が心の支えとなりました。
バラエティ制作の仕事は、“思い”や“夢”といった淡い言葉を具現化できる、いまどき珍しい職業だと思います。(笑)
『ほこ×たて』では、"対決VTR"の後に「相手を知らない中で、熱い戦いを見せてくれた2人。その勇気に拍手」というナレーションを流すことが多々あります。対決者は勝っても負けてもそれぞれの世界ではトップの方々であり、番組での勝敗は相手も知らない状況で、番組の決めたルールで戦ってくださった上でのものです。その勇気に賛辞を送ることが、敗者のプライドを守ることであり、長期的には視聴者との信頼関係構築につながっていくと信じています。視聴者の信頼が、「来週も見たい」という流れに繋がれば嬉しいです。
番組制作は出演者、出演者所属事務所、制作会社、美術・技術会社、レコード会社…ほか大勢の人に支えられて成立しています。社内に目を向ければ、バラエティ制作センターの先輩・後輩の惜しみない協力、営業局が番組をセールス、広報局がプロモーション、編成部が戦略アドバイス、ドラマ制作センター・事業局・映画事業局がキャスティング協力、クリエイティブ事業局がDVD・グッズ・モバイルサイト展開、総務局や技術局がスタジオなどの施設管理を行っている…など、挙げればキリがないくらいの手助けを受けてプロデューサーは仕事をしています。プロデューサー1人では何もできません。ですから、常に"感謝"の気持ちを忘れずに番組制作に臨んでいます。 |
「いま流行っているから」というだけで制作した番組は当たらないと私は考えます。奇をてらってもダメで、自分の制作人生でやってきたことの積み重ねや若い頃(AD時代etc.)に苦労して学んだことの中にヒントがあると思います。結局最後は自分の"投球フォーム"で戦ったほうが良い結果を生むでしょうし、たとえ失敗しても後悔しないと思います。
テレビ業界を目指される方、フジテレビ入社を希望される方はその目標に向かって突っ走って欲しいと思います。もしその目標を達成できなくても、決して悲観しないで欲しいなと思います。実際、私自身も随分回り道をしました。しかしその回り道と思われる経験もまったく無駄なものではなく、現在の自らの番組制作に大いに役立っています。失敗も成功もすべての経験が将来きっと役立ちますので、肩の力を抜いて就職活動を送ってください! |