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岐路に立つ震災遺構(2)証し/海沿いだけ保存なぜ/内陸の被害風化懸念
 | 月命日に市民会館跡地で手を合わせる戸羽初枝さん(奥)の家族。建物はことし3月に解体された=10月11日、陸前高田市 |
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降りしきる雨の中、軽自動車が工事現場の脇に止まった。11日、約1750人が犠牲になった陸前高田市の中心部。一帯は整地され、広がる更地に重機の音が響く。
同市の主婦戸羽初枝さん(51)が両親と車から降り、工事現場に入った。花を手向け、東日本大震災で犠牲になった市職員の長男究(きわむ)さん=当時(24)=と、市嘱託職員の長女杏(あんず)さん=同(23)=に手を合わせた。
ここには春まで、市役所旧庁舎や、杏さんがいた市民会館があった。津波により、合わせて100人以上が犠牲になったとされる。
「もう、元には戻らない。海沿いの建物ばかり震災遺構にしても意味がないのに」と、初枝さんは天を仰いだ。
<声届かぬまま>
市は、被災建物のいくつかを震災遺構として保存し「国営防災メモリアル公園」の整備を目指している。対象は道の駅や集合住宅、生徒が高台に避難して全員が助かった旧気仙中などで、いずれも海沿いにある。
より内陸にあった市役所旧庁舎や市民会館などは、ことし3月までに解体された。「海沿いばかりに遺構を残せば、いつしか内陸部の人々を安心させてしまう。遺構保存が逆効果になってしまうのではないか」。初枝さんは将来を危ぶむ。
解体直前の2月、初枝さんは交流サイトのフェイスブックで、戸羽太市長にメッセージを送り、解体の撤回を求めた。<原爆ドームと同列に並ぶことができる場所だ>
市長の言い分。<あそこはかさ上げして陸前高田駅になる。保存に反対する遺族もいる>。やりとりは31回に及んだが、決定は覆らなかった。
「市民会館は市の指定避難所だった。多くの犠牲が出たからこそ、市は自戒を込めて、津波の威力を伝える現物を内陸に残すべきだった」。そんな思いが今でも、初枝さんの心から離れない。
<中学生が提言>
震災遺構が持つ多様な意味を学び、保存を提言する中学生もいる。
「1000年後の人たちのために残して」
宮城県女川町の女川中で7日、3年生5人が須田善明町長に訴えた。保存の是非が検討されている江島共済会館、女川サプリメント、旧女川交番の町内三つの建物をめぐり、生徒は昨年11月に保存を町に提言した。
1年生の時から学年全体で津波対策を考え「原爆ドームのように残したい」とその経緯も調べた。町民約400人にアンケートをし、半数が解体を望むことも知った。
「わたしたちもつらい」と生徒たち。多くが津波で親族や自宅を失った。それでも「1000年後に津波が来て大切な人を亡くす方がもっと悲しい」と須田美紀さん(15)。勝又愛梨さん(14)は「将来、ここまで復興できたというスタートラインを示す意味もある」と前を向く。
津波の威力、教訓、伝承、街の再生。物言わぬ震災遺構はさまざまな「証し」になりうる。
須田町長は「震災遺構を通じて伝えるべきものの根っこの部分を、みんなと考え、共有しなければならない」と話す。
(報道部・高橋鉄男)
2013年10月20日日曜日
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