お詫び
言い訳になってしまうのですが、不慣れなため、前日の記事を誤って消してしまい、せっかくいただいた、コメントもすべて消えてしまいました。
なんとお詫びを言ったらよいか、わかりません。
大変申し訳ありませんでした。
お許しを頂きたく、これから記事を作成しますので、今しばらくお待ちください。
なお、私の記憶にある質問には、簡単ですが、答えさせていただきます。
この内容が、質問の趣旨と違っていたら、申し訳ありません。
問題は、いじめる心があったかどうか、私の中には一切ありません。
ただ、読んで頂いたと思いますが、私が、もし、まだ心の病が治っていなかったとしたら、いじめられたと感じるでしょう。
ここからは、はた京阪さんの、私に対してのコメントです。
ご本人は「心の病」は現在は克服してるとおっしゃいましたが、
本質的に治っていないと思いました。
もう正直いって、このような方々は私の中では「ノーサンキュー」です。
あ、「ご存在」は結構ですが、私は「お相手できません」ということです。
私も「人の子」ですから(笑どうでしょうか?
これをいじめと感じるか感じないかは、読んだ方々にお任せします。
私はこれを読んで、もう一度病院へ行こうと思ったわけです。
創価学会の信心が正しいという証明の為に。
検査をするということは大事なことです。
私は、祈祷抄の一節
「大地はささばはづるるとも虚空をつなぐ者はありとも・潮のみちひぬ事はありとも日は西より出づるとも・法華経の行者の祈りのかなはぬ事はあるべからず、」
が大好きです。
祈りは必ず叶う。諦めなければ、絶対に叶う。
気がつかせてくれてありがたい そう思い感謝に変えました。
私は、いじめとは感じませんでした。
この個人個人の感覚の違いの恐ろしさが、「いじめ」の本質ではないかと、私は思うのです。
掲示板でコメを削除されたり公開されなかった事がいじめにつながるかどうかは、相手様の気持ちに、意地悪な気持ちがあったかどうかと言うことで、私よりも、相手様にお聞きになったほうがいいのかと思います。
正義については、嘘の悪口を許さない という事です。
私は、嘘と言うのは、ばれなければ何をしてもいい という、心の表れだと思っています。
嘘は、本人が一番よく知っている。
そして、嘘にうそを重ね、最後には、自分自身何が嘘だか、本当だか分からなくなるほど、麻痺してきます。
批判も一緒です。
正義のための批判、と言う言葉の元に、批判に批判を重ね、肯定できることが出来なくなるのではないかと、私は思います。
みかんさんのいうように、創価学会は、日蓮大聖人の仏法を基調とした文化・教育・平和の団体です。
励まし励まされ、褒め称え、人間主義・生命尊厳の思想をを学びあう場所です。
それなのに、あちらの掲示板は、批判のオンパレード 私は、出入り禁止になったことを、誇りに思います。
ご本人は、あまりご発言されていないようですが、管理人さんのもと、批判者が集まってくるわけですから、責任は管理人さんにあると思います。
次回記事で、内容を載せようと思います。
次回記事は、心の優しい人には、不向きなので、読まないことをお勧めします。
私もこんなことは、本当にしたくはないのです。
しかし、何故私がこのブログを立ち上げたのか、あのような掲示板は、無くなって欲しい。
ただそれだけです。
悲しいです。涙が出ます。
あちらの管理人さんの、お友達、家族も、泣いていると思います。