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【社説】

坂口安吾と憲法9条 戦争放棄という明察

 戦後の混乱期、「堕落論」で一躍人気作家となった坂口安吾は、戦争放棄の憲法九条を高く評価していました。それは今の時代状況にも通じる明察です。

 坂口安吾は、一九〇六(明治三十九)年のきのう十月二十日、新潟市に生まれました。今年は生誕百七年に当たります。

 東洋大学印度哲学科卒業後、作家の道を歩み始めます。文壇では高い評価を得ていましたが、世評的には不遇の時代が続きます。

 一変するのは戦後です。四六(昭和二十一)年、「新潮」に掲載された「堕落論」でした。

◆本質見抜く洞察力

 <戦争は終わった。特攻隊の勇士はすでに闇屋となり、未亡人はすでに新たな面影によって胸をふくらませているではないか。人間は変わりはしない。ただ人間へ戻ってきたのだ。人間は堕落する。義士も聖女も堕落する。それを防ぐことはできないし、防ぐことによって人を救うことはできない。人間は生き、人間は堕(お)ちる。そのこと以外の中に人間を救う便利な近道はない>

 国家のために死ぬことは当然、日本人なら清く正しく生きなければならない、と教え込まれていた当時の人々にとって、堕落こそ人間救済の道という逆説的な省察は衝撃的でもありました。本質を見抜く洞察力に貫かれたこの随筆を機に一躍、人気作家となります。

 太平洋戦争の開戦時、安吾は三十五歳。年齢故に召集もされず、四四(同十九)年には、日本映画社の嘱託となります。安吾の戦場は遠い戦地ではなく、幾度も空襲に見舞われ、降り注ぐ爆弾や焼夷(しょうい)弾から逃げ惑った東京でした。

 安吾自身、反戦主義者ではなかったようですが、戦争を冷徹な目で見ていました。四三(同十八)年、海軍の山本五十六元帥の訃報に接し、こう書き記しています。

◆根源から問い直す

 <実際の戦果ほど偉大なる宣伝力はなく、又(また)、これのみが決戦の鍵だ。飛行機があれば戦争に勝つ。それならば、ただガムシャラに飛行機をつくれ。全てを犠牲に飛行機をつくれ。さうして実際の戦果をあげる。ただ、戦果、それのみが勝つ道、全部である>(現代文学「巻頭随筆」)

 戦争に勝つには、精神力ではなく軍事力、国民を奮い立たせるのは、うその大本営発表ではなく真の戦果、というわけです。

 虚構ではなく実質。今となっては当然ですが、戦後六十八年がたっても色あせない洞察力こそが、今なお安吾作品が読み継がれている理由でしょう。

 「根源から問い直す精神」。評論家の奥野健男さんは、安吾の魅力をこう書き残しています。

 堕落論の約半年後、日本国憲法が公布されます。主権在民、戦争放棄、基本的人権の尊重を三大原則とする新しい憲法です。

 安吾の精神は、憲法論に遺憾なく発揮されます。特に、評価を与えたのが、国際紛争を解決する手段としての戦争と、陸海空その他の戦力を放棄した九条でした。

 <私は敗戦後の日本に、二つの優秀なことがあったと思う。一つは農地の解放で、一つは戦争抛棄(ほうき)という新憲法の一項目だ><小(ち)ッポケな自衛権など、全然無用の長物だ。与えられた戦争抛棄を意識的に活用するのが、他のいかなる方法よりも利口だ>(文芸春秋「安吾巷談(こうだん)」)

 <軍備をととのえ、敵なる者と一戦を辞せずの考えに憑(つ)かれている国という国がみんな滑稽なのさ。彼らはみんなキツネ憑きなのさ><ともかく憲法によって軍備も戦争も捨てたというのは日本だけだということ、そしてその憲法が人から与えられ強いられたものであるという面子(メンツ)に拘泥さえしなければどの国よりも先にキツネを落(おと)す機会にめぐまれているのも日本だけだということは確かであろう>(文学界「もう軍備はいらない」)

 東西冷戦に突入し、核戦争の恐怖が覆っていた時代です。軍備増強より、九条の精神を生かす方が現実的との指摘は、古びるどころか、今なお新鮮さをもって私たちに進むべき道を教えています。

◆改憲潮流の時代に

 安吾は五五(同三十)年に亡くなります。四十八歳でした。この年の十一月に結党された自民党は今、安倍晋三首相の下、党是である憲法改正を目指しています。

 自衛隊を「国防軍」に改組し、集団的自衛権を行使できるようにする内容です。首相は世界の平和と安定に積極的に貢献する「積極的平和主義」も掲げ始めました。

 しかし、ここで言う「平和」に実質はあるのか。軍拡競争をあおったり、米国の誤った戦争に加担することが、本当にないのか。

 本質を見抜き、根源から問い直す。安吾の精神が今ほど必要とされる時代はありません。

 

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