レッドソックスの上原浩治投手(38)は現地時間21日、新守護神に指名された。中継ぎエースとして実績を積み重ねた右腕は「やることは変わらない」と力みはない。メジャー2年目にセットアッパーに転向して以来、“与えられたポジションで全力を尽くす”をモットーに投げ続けてきたからだ。
先発投手としてオリオールズに入団した上原。メジャー1年目の2009年は幸先の良いスタートだった。初先発のヤンキース戦で5回5安打1失点と好投し、初勝利。巨人時代の先輩・松井秀喜氏を3打数無安打に抑えた。続く、レンジャーズ戦は5回3分の0で7安打7失点と打ち込まれたが、打線の援護で2勝目を手にした。
しかし、以降は白星に恵まれず故障に苦しんだ。左太もも裏、右ヒジを痛めて2度の故障者リスト入り。6月23日のマーリンズ戦を最後にマウンドに上がることはなかった。12試合に先発し、2勝4敗で防御率4・05、66回3分の2を投げ71安打48三振12四球とガッカリな成績だった。
翌10年2月のキャンプで上原に転機が訪れる。前回の連載で紹介した通り、当時の監督ディブ・トレンブリー氏(現アストロズ三塁ベースコーチ)から中継ぎ転向を言い渡されたのだ。理由は①故障リスクの軽減②日本での救援としての実績③ストライク率の高さ④球数の少なさ⑤人間性だった。
上原はこう振り返る。「あの時のことはよく覚えていますよ。監督室に呼ばれて、『今年は8回、9回の大事な場面で使うから』って言われたんです。(その言葉は)受け入れられるものでしたね。というのも、(メジャーで)生き残る道を探さないといけなかったので」
上原が「生きる道を探さないと」という思いを抱くのは当然だった。例年6月に行われるメジャーのドラフト会議では1300人前後が指名される。今年も計1216人が指名された。ほぼ同数の選手が押し出されるわけで、競争は日本とは比べものにならないほどシ烈だ。
「ドラフトでは(毎年)1球団50人くらい獲るところもあって、(傘下の)マイナーの球団も含めたら、(1球団に)何百人いるわけでしょ。その中で、メジャーの40人枠に入るということはどれだけ大変なことかって思う。だったら、生き残る道を探さないと。いつまでも先発にこだわっているようじゃアカンかなって思いましたよ」
トレンブリー氏の決断とともに、上原が腹をくくったことで新たな道を切り開くことになった。
「そのおかげで今があると思っているし、結局、その時その時の指導者の、ボクに対して示してくれた方向性、アドバイスというのは、全て当たっていると思う。(巨人で)原さんから抑えを任された時(07年)もそう。その時のアドバイスは全部プラスになっていると思う。(トレンブリー氏がうれしく思うと言っていることについては)そう言ってもらえるのはすごくうれしい。ボクも感謝している」
上原は覚悟についてこう説明する。「結局は、自分は何のためにメジャーに来たのかという話になる。先発したいがために来たわけではない。ここで野球をするために来た。そのポジションがどこであろうと、与えられたところで全力を尽くすだけ。そういう考えは間違っていないと思う」
自主トレでは「抑えを目指す」と話していた上原に気負いはない。テンポ良く、ストライクを投げ込み、少ない球数で打者を片付けるという投球スタイルを貫くだけだ。
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