政府の教育再生会議が、国公立大学入試の2次試験で、ペーパーテストを原則廃止し、小論文や面接などで判断することを検討しているという。こうした方向性は正しいのだろうか。
いま議論されている小論文や面接重視は、1次試験のペーパーテストで一定の学力をみた上での議論である。ただし、今の1次試験は、十分に人数を絞り込むにはあまり役立っていないという現実がある。
私立大学なら、それぞれの経営方針によって、いろいろな入試方法で多様な人物を入学させるのはいい。しかし、税金で運営される国公立大学にはおのずと制約がある。かなりの程度、客観的な公平性を意識せざるを得ない。
小論文や面接による判断は「人物重視」といわれるが、主観的な要素が入り込む余地が大きい。これも私立大学では許されるかもしれないが、国公立大学でやれば、一歩間違うと依怙贔屓(えこひいき)になりかねず、納税者に納得されるのか、かなり疑問がある。
しかも、可能な限り主観的にならないよう小論文や面接を行うとすれば、多くの試験官が時間をかけて行う必要があるが、実際問題としては難しい。
ジョークだが、文科省の採用試験を今のペーパーテストの国家公務員試験ではなく、小論文や面接だけで行うことを考えたら、その困難さがわかるだろう。
そもそも、いったい何のために国公立大学で人物重視の入試をするのかもよくわからない。
大学入学の目的の一つは、卒業後により多くの所得を得るために、教育という人的投資を行うというものだ。
これに関して、学力試験を課す一般入試・センター試験利用入試を受けた場合と、学力試験を課さない推薦入試・AO入試を受けた場合について、それぞれ卒業後の所得を調べた独立行政法人経済産業研究所の論文がある。
それによれば、学力試験を課す入試制度による入学者の平均所得は、学力試験を課さない入試制度による入学者の平均所得よりも高かった。具体的には、国立文系、国立理系、私立文系、私立理系でそれぞれ22%、25%、16%、7%高いという数字だ。
一部有名大学のAO入試では、「AO入試による入学者の入学後の学業成績が、一般入試による入学者よりも良好」という調査もある。しかし、学力試験の有無によって学生の学力差があり、それが就職状況や卒業後の所得差にも影響しているというのは、多くの大学教育関係者が持っている感覚だろう。
逆の見方をすると、皮肉なことに国公立大学はこれまでペーパーテスト重視だったので、大学のブランド価値を維持することができたともいえる。それでも、さらに入試でいろいろなことをやりたければ、やはり国公立を脱して私立になる方がいい。いきなりすべての国公立大学を民営化するのは大変なので、まず東大を民営化したらいいだろう。(元内閣参事官・嘉悦大教授、高橋洋一)