これが平和主義と呼べるのだろうか。安倍政権が、日本の外交・安保政策の指針となる初めての国家安全保障戦略(NSS)の原案をまとめた。新防衛大綱ととも[記事全文]
35年前のきょう、日本と中国は対等な隣人として尊重しあう関係の一歩を踏み出した。当時の福田赳夫首相とトウ小平(トウは登におおざと)副首相の立ち会いのもと、東京で日中平和[記事全文]
これが平和主義と呼べるのだろうか。
安倍政権が、日本の外交・安保政策の指針となる初めての国家安全保障戦略(NSS)の原案をまとめた。
新防衛大綱とともに、年末に閣議決定する方針だ。今後10年を想定した内容となる。
国の安全保障を考えるとき、防衛だけを突出させず、外交や経済をふくむ総合的な戦略を描くことには意味がある。
だが原案が示すのは、日本が軍事分野に積極的に踏み出していく方向性だ。外交努力への言及は乏しい。
日本が抑制的に対応してきた軍事のしばりを解く。ここに主眼があるのは疑いない。
原案には盛り込まれなかったが、憲法解釈の変更による集団的自衛権の行使容認も、視野に入っているだろう。
それが首相の言う「積極的平和主義」だとすれば、危うい道と言わざるをえない。
紛争から距離をとり、非軍事的な手段で平和構築をはかってきた戦後日本の歩みとは根本的に異なるものだ。
きのうの衆院予算委員会で、民主党の岡田克也氏は「集団的自衛権まで認めるのなら憲法9条とは何か。『普通の国』になるのか」とただした。首相は「(有識者懇談会の)結論を待ちたい」と答弁したが、だれもが抱く疑問ではないか。
一方で、原案には武器輸出三原則の見直しの必要性が明記された。防衛産業の強い要請を受け、武器輸出の拡大をはかる。ここでも軍事のしばりを解く意図があらわになっている。
輸出後の目的外使用や第三国移転に事前同意を義務づけるといった「厳格な管理」の規定は防衛産業には不評だ。しかし、これを見直せば、三原則の空文化は一層進むだろう。
武器輸出に歯止めがなくなれば、日本製の武器が紛争を助長する懸念がぬぐえない。国際環境が変わっても武器は残り、日本の意図に反して使われる恐れすらある。
政権は今国会で、日本版NSCと呼ばれる国家安全保障会議をつくる法案の成立をはかる。首相のもとに情報を一元化し、外交・安保政策の司令塔とする試みである。
本来ならNSCで国際情勢を緻密(ちみつ)に分析し、時間をかけて安保戦略を練るのが筋だろう。しかし政権は、有識者の議論を追認する形で、年末の策定に踏み切ろうとしている。
平和国家の基本理念を、なし崩しに覆すようなことがあってはならない。
35年前のきょう、日本と中国は対等な隣人として尊重しあう関係の一歩を踏み出した。
当時の福田赳夫首相とトウ小平(トウは登におおざと)副首相の立ち会いのもと、東京で日中平和友好条約の批准書が交わされ、条約が発効した。
そのころ、両国を結びつけたものが二つあった。
一つは「反ソ連」。アジアで覇権を求める国に反対する。ソ連を意識した条項を中国が強く求め、日本が受け入れた。
もう一つは経済支援。当時の中国の国内総生産(GDP)は日本の4分の1未満。日本が将来への期待から手を差し伸べ、円借款は累計3兆円を超えた。
あれから時代は変わった。ソ連は消え、中国のGDPは日本を抜いた。もはや当時と同じ形の利害関係ではない。
だとしても、変わらぬ現実は今の時代にも続いている。両国はアジアを代表する主要国であり、助けあうことが互いに大きな利益になるという関係だ。
残念ながらいまの両国は、尖閣問題で対立している。今月の東アジアサミットで安倍首相は南シナ海の領有権問題について「国際法の順守を」と訴え、中国側は「当事国以外が介入すべきでない」と反論した。
その一方で最近、交流が復活している。先月、中国の大手企業首脳ら10人が来日した。日本の経済団体も訪中を準備している。きのうは北京で条約35年を記念する行事が開かれた。
もちろん、中国は対日姿勢を軟化させたわけではない。根強い反日世論もある。民間交流を先行させ、徐々に政治に圧力をかける手法だろう。
それでも、交流の扉を完全に閉ざすことは双方のためにならないとの認識が両国間に形成されつつあるとはいえる。
対立点を抱えつつも協調するのは世界の2国間外交では珍しいことではない。むしろ、その知恵を絞ることにこそ国家の力が試される。尖閣が動かなくても、他の課題を通じて関係を築き直す余地は大いにある。
たとえば中国では大気汚染が深刻化している。人の寿命が5・5年縮むともいわれ、影響は西日本に及びかねない。ほかにも感染症や高齢化対策など共有できる課題は多々ある。
条約発効の日、トウ小平氏はこう語った。「この条約は私たちの想像以上に深い意味を持つかもしれません」。日中が協働する意義は、時とともに重みを増すと予見したのだろうか。
「すべての紛争を平和的手段で解決する」「平等互恵」。条約の文言はいまなお、かみしめる価値をもっている。