2013-10-11
「いちえふ」を読んで考えたこと
今更「いちえふ」がなんなのか、知らない方に説明しても仕方ないことだが、雑誌『モーニング』の第34回 MANGA OPEN の大賞受賞作である。作者は「竜田一人」福島第一原発で働いている作業員(ということ)である。
雑誌の惹句は これは「フクシマの真実」を暴く作品ではない。これが作者の見た「福島の現実」。
なんとも控えめな表現だが、その真意は実は作為的でもある。「真実」を謳うドキュメンタリーやルポルタージュは得てして、でっち上げや嘘が含まれていることが多い。「UFOの真実」とか「9・11の真実」といった類のものがセンセーショナルな割には甚だ信憑性の低いものであるのも事実である。だから、この作品は地味ではあるが事実だけを描いたものである、と言いたいのだろう。
事実が描かれているかなんてことは、到底わたしには判断できない。だから、ここでそれを論じるつもりもない。だから、本質的な議論ではない。PCの前に座って、これまで吸収してきた知識と情報をもとに書き綴るだけである。
お話は作業員の一日――通勤してきて、様々なチェックの後、作業場に入り、そこで業務をこなし帰っていくという日常を、文字通り「淡々と」(この作品を評するとき、誰もが使う言葉)描いたものだ。
事実だから、派手な事件もないし、世間の目から隠蔽されている危険な状況の暴露もない。「真実」なんか期待しないように、というところだろ。
しかし、わたしには妙に気になる点が二、三あるのだ。まず、主人公のモノローグ(これがなかったら、本当に事実のみなんだが)。
P.338(「モーニング」No.44)
安全面についての不安は無かったといえば嘘になるが今回の事故について放射線について自分なりに調べてみれば一部のマスコミや「市民団体」が騒ぐ程のものでもないし
(強調は引用者)
作者は現場作業員ではあるが、原子物理学の専門家でもなければ放射線医学の専門家でもない、どこでなにをどうやって自分なりに調べて〜騒ぐほどのものでもないと判断したのか。
少なくともこの文章には全く説得力はない。
さらに、P.347
週刊誌のインチキにはこんなのもある やはり昨年の夏厚生棟で一人の作業員が心肺停止状態になり心臓マッサージやAED等の懸命な救命措置も空しく5・6号機にある医務室から医師が駆けつけた時には――「死亡確認」(引用者註;吹き出し内のセリフ)これが「潜入ジャーナリスト」とやらの記事ではAEDで一時は蘇生し救急態勢の不備でなくなったことになっているらしいが 実際に救護にあたった物が証言している「んだな瞬間ありゃしねっぺカスかだってんでね(いい加減なこと言うな)」まぁこの件は東電の発表でもいわきの病院に搬送してから死亡確認ということになっているから東電としても1F内で死んだことにしたくなかったのかも知れない。死因は心筋梗塞。勿論被曝とは関係ないだったら俺たちは皆死んでいる収束作業5人目の犠牲者だった
不可解な文章だ。週刊誌が書いた記事のどこがインチキなのだろう。その場で死んだことを蘇生したが救急態勢の不備で死んだとしたことなのか。だったら、東電の「いわきに病院に搬送してから死亡確認」という方が、インチキだし、いい加減なこと言うなに相応しくないのか。
そして、。死因は心筋梗塞。勿論被曝とは関係ないだったら俺たちは皆死んでいるに至っては言語道断。医師でもない素人の作業員が、伝聞から、なぜ勿論被曝とは関係ないと言い切るのだろう。
こうなると作者の意図が薄々見えてくる。危険な現場で毎日、体を張って働いてるおれに、反論できるのか。ということなんだろう。
簡単に反論できるし、もし、原発「事実」漫画家として食って行きたいのなら、東電が喜ぶことばかり意図的に描かないほうがいいと思うよ。
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「市民団体」は原文のママです。なお、この直後に「彼らの言う『フクシマの隠された真実』みたいなものがあるとしたらそれを見て来てやろうじゃないかぐらいの気分になっていた」とある通り「意図的に潜入した」のです。地元民でもない作者が入り込むには一年以上もかかったと告白しています。
あえて言及しませんでしたが「勿論被曝とは関係ないだったら俺たちは皆死んでいる」んの「だったら俺たちは皆死んでいる」というのも意図的、もしくは無知というかなりひどい言葉です。さらに帰り道、離れ牛の子供を見かけ「勿論奇形などみたこともない」と言い切るのは、もう正体見たりの気がします。
既に作者個人を特定する情報もあり(未確認なので無責任な噂レベルですが)、それによれば、こうした内容の講演をしている方だそうです。確かに技術は手馴れています。「現場で危険な作業に従事している人の言葉」は、批評するのに躊躇しますから。だから、わたしが指摘するのも「レトリック」の部分だけです。
「『フクシマの隠された真実』みたいなものがあるとしたらそれを見て来てやろう」←「そんなものはないこれが“現実”だ」というのはセンセーショナルにならず、一見誠実になんですが、結局それが言いたくてということですね。twitterで「ときどきつぶやかれる作者の意見は、平社員の経営理念」みたいなことを言っていた方がいて、なるほどと思いました。
原発というとチェルノブイリを思い浮かべますが、それに関連した漫画作品も結構あります。
http://www.sakuranbo.co.jp/livres/cs/2013/03/post-67.html
「チェルノブイリ 家族の帰る場所」(レビュー)
http://www.youtube.com/watch?v=vaFBxMj6r7o
http://sokuyomi.jp/product/cherunobui_001/CO/1/
漫画家・三枝義浩氏の作品です。
私は「チェルノブイリの少年たち」と「AIDS―少年はなぜ死んだか」を直接読んだことがあります。後者は被曝した人たちの生活を題材にした短編が収録されています。
遡ればさらに原発事故が起こる以前に原発の危険性を指摘した漫画作品などもあり、「いちえふ」がそれらの中でどういう位置付けになるか、個人的に気になります。
「いちえふ」の位置づけは東電のプロパガンダ以外にはありません。