タモリ(右)を“昼の顔”として司会に抜てきした番組プロデューサーの故横澤彪さん。1990年の2000回記念パーティーでツーショットを披露【拡大】
31年前、深夜番組に出演していたタモリを、ミスマッチともいえる昼の番組に起用したのが横澤さんだった。「何か違うことをやらなければならない」という信念からだった。
雅子さんは「タモリさんに『1週間で辞める』といわれたそうです。主人は『じゃぁ、そこまでで』と答えたといいます」と明かした。横澤さんはタモリが降板したときは、また考えればいいと思っていたという。いつも辞表を持ち、仕事に向かう横澤さんの番組に対する覚悟が「自然とタモリさんに伝わったのでは」と懐かしんだ。
横澤さんは、2007年に夕刊フジで連載したコラム「電視超人列伝」でこう記述している。
「タモリは目が不自由で、デビュー時アイパッチをして登場していた。その後はレイバンのサングラスがトレードマーク。『いいとも!』を始めるとき、昼間の番組だし、“密室芸人”のイメージを払拭したいからと思い切って薄目のサングラスにしたんです」